21 シャンプーを借りに
陰陽師連合会の臨時総会は、傍から見ればキワモノだらけの怪しげな集会だっただろうけれど、議論された内容は国家の危機を回避する使命を背負った陰陽師たちが今後の対応について協議を重ねるという、至って真剣で中身の濃いものだった。
この総会に出席するまで私の中で密かに疑問だったのが、どうして陰陽師達が御霊鬼の封印が解ける前に行動しないのか、ということだった。
完全に解ける前に封印し直せば、御霊鬼は
「ぴったりと閉まっている鍋蓋の上にどんなに頑丈な鍋蓋を載せても、ぐらぐらするだけだろう」と説明する欧理は噛み砕いてくれたつもりなんだろうけれど、私としてはわかったような、わからないような。
まあでも、とにかく御霊鬼の封印が一度解けてからでなければ、強力な封印を改めて施すことができないということは理解できた。
これまでに存在が確認されている御霊鬼八体に関しては、我こそはと封印の役目に立候補した陰陽師たちでチームを結成し、情報共有と連携をチーム間で密に行っていくこととなった。
「能力の低い奴らと組むくらいなら、俺ら三人だけの方がよっぽどやりやすい」
強気な欧理はそう豪語するけれど、他の御霊鬼の封印チームが七~八人いるのに、阿祇波毘売の担当が私たち三人だけで本当に大丈夫なんだろうか。
とは言え、“三人でも倒せる” と宣言する欧理の勝算に私もしっかり組み込まれていることが嬉しくて、本当にこの三人と凛子さんがいれば阿祇波毘売だって敵ではないんじゃないか、と妙な自信が湧いてくるのも事実だった。
***
総会から戻ってきて、いつものようにホールで夕食を食べてから自室に戻った。
元はゲストルームだった部屋をあてがってもらったおかげで、私は在人さんや欧理に気兼ねすることなく、部屋に備え付けのお風呂やトイレを使わせてもらっている。
お風呂に入ろうと支度を始めて、シャンプーを切らしていたことを思い出した。
今日の総会の帰りにドラッグストアに寄るつもりで、すっかり忘れて在人さんや欧理と一緒にまっすぐ帰ってきちゃったんだ。
今日は在人さん達の使ってるのを借りようかな……。
自室を出て、廊下の一番奥にあるバスルームへと向かう。
中からドライヤーをかける音が聞こえてきたので、コンコン、とドアをノックした。
「あ、真瑠璃ちゃん」
やわらかな石鹸の香りと共に中から出てきたのは、在人さんだった。
半乾きの焦げ茶の髪が無造作に下りていて、銀縁眼鏡を介さないせいで紅茶色の瞳の美しさがダイレクトに心臓に揺さぶりをかけてくる。
パジャマがわりのTシャツ姿はボタン付きのシャツを着ている昼間よりずっと少年ぽいのに、無防備な色香がダダ漏れていてクラクラする。
我を失いそうになった私は在人さんに抱きついてしまいたい衝動を必死で抑えつつ、できるだけ平静を装った。
「すみません、シャンプー切らしちゃってたので、借りてもいいですか?」
「いいよ。ちょっと待っててね」
シャンプーボトルについた水滴をタオルで拭ってから、「はい」と手渡してくれる。
「ありがとうございます! 使い終わったら戻しておきますね」
お礼を言ってドアを閉めようとして、「真瑠璃ちゃん」と呼び止められた。
「阿祇波毘売の封印チームが僕たち三人だけになって不安を感じてるかもしれないけど、僕と欧理が必ず君を守るよ。だから、真瑠璃ちゃんには僕たちを信じて、これからも力を貸してもらいたいんだ」
在人さんの低くやわらかな声が、じんわりと優しく染み込んでくる。
「不安なんて感じてませんよ。在人さんと欧理がいれば、絶対に大丈夫だって思えますから」
きっぱりとそう言い切ると、在人さんがほっとした様子で頷いた。
「今日、賀茂さんへのハッタリに三人で大笑いしたじゃない? 欧理が声を上げて笑うのは随分久しぶりだなって思ったけれど、よくよく考えたら、僕自身もあんな風に笑ったのは久しぶりだった。浄霊のお手伝いが必要だからということだけじゃなく、真瑠璃ちゃんが
「在人さん……」
心のこもったその言葉が、私の目頭を熱くさせた。
救われているのは私も同じだ。
子どもの頃から、霊が見える力は邪魔だとしか思えなかったのに、在人さんや欧理はその力を必要としてくれてる。
それだけじゃなくて、私の存在をまるごと必要としてくれてるなんて、私はどれだけ幸せ者なんだろう。
阿祇波毘売との戦いが終わっても、在人さんと欧理は私を必要としてくれるのだろうか──
ふとそんなことまで考えてしまったけれど、今はとにかく御霊鬼の再封印に向けて三人の心を一つにすることが何よりも大切だ。
「私だって、
「そう言ってくれて嬉しいよ。明日はディナー営業まであるから、ゆっくりお風呂につかって疲れを取ってね。欧理はもう風呂に入ったし、シャンプーは急がないからね」
「はい。おやすみなさい」
笑顔で挨拶をし、自室へと戻る。
後ろからバスルームのドアをパタンと静かに閉める音がした。
***
在人さんが言ってくれたように、ぬるめのお湯にゆったりと浸かって体をほぐし、ドライヤーで髪を乾かした。
シャンプーは急がないと言ってたけれど、明日になったらカフェの仕事でバタバタしてしまいそうだし、やっぱり今のうちに返しておこう。
ドラッグストアにも明日忘れずに行かなくちゃ。
使い終わったシャンプーのボトルを抱えて部屋を出た。
バスルームへと向かおうとして──
足が、竦んだ。
廊下に、女の人が立っていた。
梅雨時だというのに白いセーターを着て、コーデュロイのスカートの下にはブーツを履いている。
マロンブラウンの長い髪は雨に打たれたみたいに濡れそぼっていて、よくよく見たら衣服も濡れているようで──
女性がこちらへと顔を向けた。
透き通るような白い肌。
細くやわらかな弧を描く眉。
長い睫毛は上を向いていて、控えめな鼻や口はすっきりと整っていて──
けれども、大きなその瞳は、鮮やかな血の色をしていた。
「
無意識にその名を口にした瞬間、こちらをじっと見つめたまま、怨霊はすうっと姿を消した。
強烈な悪寒が背筋を駆け上がり、私は慌てて在人さんの部屋へ駆け込んだ。
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