19 バディ反省会

 義仲の霊が消え去った後、部屋に残った私たち三人はしばらく呆然と立ち尽くしていた。


「こんな浄霊パターンは初めてだな……」


 ぽつりと呟いた欧理の声に、我に返った在人さんが私の傍に駆け寄ってきた。


「真瑠璃ちゃん頑張ったね! お手柄だったよ! 怪我はしてない? 体調は?」


「はい。ちょっと気だるいくらいで、怪我もないです。ただ、巴御前になりきって義仲と話し始めたあたりからの記憶がまるっきりなくなっていて……」


「うん、あれには僕も驚いた。人形ひとがたの依代じゃなくて、真瑠璃ちゃん自身に巴御前がのりうつっているみたいだったよ」


「そういえば、人形は……?」


「人形ならば、義仲が巴御前の名を呼んでしゅがかかった瞬間、光を放ちながらお前の体に溶け込むように消えた。その後から、お前の立ち居振る舞いや表情、言葉遣いが明らかに変わったんだ」


 欧理の言葉がにわかには信じられなくて、手にしていたはずの人形を探してみた。

 けれど、辺りを見回しても確かにどこにも見当たらない。


「もしかすると真瑠璃ちゃんが口密くみつを捧げた愛染明王が、真瑠璃ちゃんを依代にして巴御前の御霊みたまを呼び寄せたのかもしれないね」


「そんなことがあるんでしょうか」


「僕の部屋にある資料には、その昔 “降霊術” の遣い手が死者の御霊を呼び寄せたという記録が残っている。今回のケースがそれに当たるのかは不明だけれど、偶然だとしても貴重な経験ができて、僕たちも勉強になったよ」


 在人さんの言うとおり、もしも今回の浄霊が奇跡に近いものならば、義仲と巴御前のお互いを愛する心がそれを導いたんじゃないだろうか。


 愛の力って、やっばり偉大なんだな。

 ……なんて妙に感心していたら。


「ところでお前、もしかしてさっきは義仲と抱き合っていたのか?」


 漆黒の瞳を冷ややかに向けてきた欧理の言葉に、ドキンと心臓が飛び跳ねた!


「ちょ……っ、人聞きの悪いこと言わないで! 抱き合ってたのは巴御前であって私じゃないし! 気づいたらそんなことになってて、私も驚いたんだからっ」


「ふうん。あの体勢はやっぱり抱き合っていたのか……。義仲をイケメンだって言ってたし、まんざらでもなかったんじゃないか?」


「怨霊と抱き合って嬉しいわけないでしょうが! 変なとこで突っかかってくるのやめてよね!」


 いつもの言い合いがヒートアップしそうになったタイミングで、「まあまあ」と在人さんが割り込んできた。


「欧理もヤキモチはそのくらいにして、待機している凛子さん達に浄霊完了を報告しよう。眠ったままの恵子夫人も客室に運んでもらわなくちゃね」


「ばっ……! 俺はヤキモチなんて焼いてないっ!!」


 ちょっとからかった在人さんに本気で突っかかる欧理はお子様だなあ。

 耳まで真っ赤になってるし、相当ムキになってるみたい。


 ふふ、と思わず忍び笑いが漏れてしまって、ぎろりと欧理に睨まれた。


 ***


「今日はお疲れ様でした。大変な浄霊だったにもかかわらず、怪我もなく終われて本当によかった」


 鎮魂館レクイエムの前で私たちを車から降ろした凛子さんが安堵の笑みを見せた。

 けれど、車中でずっと考え事をしている様子だった在人さんは、強ばった表情のままだ。


「今回の義仲の怨霊にも、やはり御霊鬼が力を貸していたようですね。御霊鬼本体は封印が解けていないものの、怨呪を施すことができる程度には霊力が回復している。封印が解かれる日はきっとそう遠くありませんね」


「実は御霊鬼が関係していた浄霊報告が、他の担当者からもここ二ヶ月ほどで数件上がっているの。各地に封印されている御霊鬼達が本来の力を取り戻す前に、陰陽寮としても改めて対策を練る必要があるわね。今回の浄霊完了報告と合わせて上層部に進言してみるわ」


 綻んだ表情を引き締めた凛子さんの話からも、御霊鬼との直接対決がいよいよ近づいているんだという緊迫感が伝わってくる。


「お疲れ様でした」と公用車に乗りかけた凛子さんが、ふと動きを止めて振り返った。


「そうそう、今回の件に追われて報告しそびれていたけれど、先日の春名台駅の大ガエルの件、陰陽寮と国交省、鉄道会社の三者協議で決着が着いたそうよ。どうやらその物の怪は、三ヶ月前に駅のホーム拡張工事に伴い移転させた小さな祠の御神体だったみたい。移転時に祠の脇にあった池を埋め立ててしまったために、怒って荒魂あらみたまになってしまったんだろうって。移転先に新たな池を作って祀り直すことを鉄道側が了承したから、それで解決すると思うわ」


「へえー。カエルが御神体になることもあるんですね」


 小学生並みの私の感想を、在人さんが拾ってくれる。


「日本人は古来からなんでも神様に祀り上げるからね。恐らくは元々別の神様を祀った祠の池に住みついたカエルを、神の遣いと見なして近所の人が崇めたのがきっかけなんだろう。人々の信仰を長年集めてきたことで霊力を蓄えたカエルが、いつしか和魂にぎたまとなって祠の主になりかわったんじゃないかな」


 愛とか信仰心とか、そういう人間の思念って意外とパワーのあるものなのかも。

 今日はそんなことを考えさせられる一日だなって思いつつ、凛子さんを見送った。


 ***


 今日のカフェは臨時休業だから、この後はゆっくりと体を休められる。


「お疲れさまでした。また明日」


 二人に挨拶をして自室に入ろうとした時、「ちょっといいか」と欧理に呼び止められた。


「話がある。ホールへ下りてくれ」


 前髪の奥から覗く漆黒オニキスの瞳が私を射竦める。

 も、もしかしてこれは、本日のバディ反省会のお誘いなのかしら……?


 今日は大きな失敗はなかったはずだけれど、毎度要求するレベルの高い欧理のことだもの。

 お前が即座に木曾義仲だと判断できていればもっと早く浄霊できたはずだとか、お前が剣術を習得して霊と戦えるようになれとか、無理ゲーレベルの話が出てくるんじゃなかろうか。


「今日は疲れてるし、明日じゃダメ?」


「ダメだ。今日だから意味があるんだ」


「僕は陰陽寮に提出する報告書を作成しなくちゃいけないから先に部屋に戻っているよ。お疲れ様」


 延期の提案を即座に却下され、頼みの綱の在人さんからも助け舟をもらえないまま、私は渋々と階段を下りた。


 ホールでの定位置に座って待っていると、紅茶を淹れた欧理がティーカップとオレンジジュースの入ったグラスを両手に持ってきて、コトンと二つ、テーブルに置いた。


 私の正面にある椅子を引いて、ドカッと座る欧理。

 むっつりと不機嫌そうなのはいつものことだけれど、私も疲れてるし、いま欧理から何か言われたらケンカ腰で言い返してしまう自信がある。

 御霊鬼との対決前に再びバディ崩壊の危機を招くわけにもいかないし、ここは穏便かつ手っ取り早く話がまとまるように努力しよう。


「……すみませんでしたっ!」


 欧理と視線が合った瞬間に頭を下げた。


 その後に訪れる数秒の沈黙。

 そして……


「――は?」


 こっちが無条件で謝ったにもかかわらず、たった一音に不機嫌を最大限に込めて返してきやがったあっ!


 落ち着け、落ち着け真瑠璃。

 ここでブチ切れたら、丸くおさめて一刻も早く部屋に戻る計画が台無しじゃない!


「いや、あのさ、今日の浄霊に関して、欧理からすれば色々と言いたいことはあるだろうけどさ? 私なりに精一杯頑張ったし、反省点や次の課題があるならば心機一転明日からがんばる! だから今日のところは穏便に……」


「お前、何を勘違いしてるんだ?」


「へ? 勘違いって――」


 私を訝し気に見つめる欧理が、パンパンと手を鳴らした。

 すると、いつのまに召喚していたのか、一体の式鬼しきが厨房からトコトコとトレイを運んできた。


「今日はお前の機転のおかげで正直すごく助けられた。巴御前を使うというアイデアがなければ、力ずくで浄霊するしか方法はなく、俺も在人も大きなダメージを負っていただろうと思う」


 欧理の言葉にぽかんとしつつ、テーブルに手が届かずに背伸びをしている式鬼からケーキ皿を受け取る。

 白いお皿の上には、レモンクリームタルトが一つ。


「え……。じゃあもしかしてこれ、今日のご褒美ってこと?」


「それを食べたら部屋でしっかり休めよ」


「ありがとう……。超うれしい!」


 素直に感謝の意を表すと、むっつりとした欧理の頬が途端に赤く染まった。


 もしかして、私をねぎらうなんて慣れないことをしようとしていたせいで、さっきからつっけんどんな態度を取っていたのかな?

 在人さんならば、王子スマイルをのせてさらりとこなしちゃうようなことなのに、欧理ってば一体どんだけ照れ屋で不器用なんだろう。


 それを笑うとまた睨まれそうだから、口元が緩む前に一口めを口に運んだ。

 今日もまたレモンクリームタルトの絶妙の甘酸っぱさが優しく鼻を抜けていく。


 大好きなタルトを頬張る私の目の前で、袱紗から式紙と筆ペンを取り出した欧理がさらさらと何かを書き入れた。


「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」


 真言を唱え、口づけて呪符となったものを私に手渡す。


「常つ夜に住まう御霊みたまとは言え、体を貸せば怨霊に憑かれた時同様に疲労が激しいだろう。薬師如来に疲労回復のご利益を願っておいた。身につけて眠ればすぐに体力が戻るはずだ」


「ありがとう……」


 この日の “バディ反省会” もとい “バディ慰労会” は、その名のとおり私の疲れを十分に癒してくれるものだった。


 片付けを欧理と式鬼に任せて一足先に部屋に戻った私は、ベッドにばふん! とダイブすると、もらったばかりの呪符の入った護符入れを握りしめ、満ち足りた気分のまま目を閉じた。

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