18 義仲と巴御前
「お前、こんな切羽詰まった状況で何を言ってるんだ!?」
「巴御前なら義仲の怒りを鎮めて甲冑を脱がせることができるんじゃないかって言ってるの! だから巴御前を今すぐ召喚してっ!」
「馬鹿野郎ッ!! 常つ夜の住人を俺が召喚できるわけないだろっ!
言い争っている間に義仲の蔓の一本が炎を掻い潜り、欧理の結界に侵入した。
「くっ!」
首に巻き付いた蔓を欧理が咄嗟に刀印で切り落とす。
そっか、死者を呼び出せるのは恐山のイタコだっけ?
陰陽師はそれができないのか。
でも、このままじゃいつ欧理と在人さんの結界が破られるかわからない。
一体どうしたら────
「あっ!!」
今度は在人さんが大声を上げた。
「欧理、
「はぁ!? どういうことだよっ」
「
「そんなことができるのか?」
「やってみなくちゃわからない。だが、やらなければいずれ蔓に絞め殺されるだけだ。真瑠璃ちゃんには巴御前になりきって、義仲と話をしてもらいたい」
「……了解。やってみます!」
できるかどうかなんてわからない。
でも、やってみなくちゃどうにもならないんだ。
大丈夫、と根拠のない自信を込めた眼差しで欧理に頷くと、彼もこくりと頷いた。
「真瑠璃、今から
早口でそう言いながら、欧理が袱紗から
「オン マカラギャ バサラ ウシュニシャ バザラサトバ ジャクウン バン コク」
真言を唱えた後に人形に口づけをし、私に手渡す。
真似をするってことは、欧理の口づけたところに私も口づけるってこと!?
……なんて、今は間接キスに戸惑ってる場合じゃない!
巴御前に心を寄せるイメージで真言を唱え、そっと人形に口づけた。
「依代もどきは義仲の
欧理からの指示を受け、人形を胸に抱いて義仲へと向き直った。
巴御前は義仲の乳兄妹であり、愛妾であり、女武将であった人。
きっと凛として美しい人であったはず。
私の身近な人でそんなイメージにぴったりなのは──
「義仲さま! どうぞお怒りを鎮めてください!」
凛子さんの毅然とした立ち居振る舞いをイメージしながら義仲に呼びかけると、鮮血の瞳にぎろりと睨まれた。
「
「義仲さまは私をお忘れですか。宇治川にて貴方様に諭され泣く泣く忍び落ち、最期までお供できなかったことがずっと心残りでございました」
「宇治川とな……。もしや汝は……巴、か……?」
義仲の口から愛おしさで溢れんばかりにその名が発せられたとき、私の持っていた人形がぼうっと光を放った。
***
「おお……! 巴! 巴! 無事逃れられたのか」
「はい。なんとか故郷の信濃へ下り、尼となりてお
「うむ。怨みが
「死者が現世を治めると仰るのですか。生きとし生けるもののなき世がどれほどつまらぬものとなるか、木曽の山々に育まれ、我ら乳兄妹と共に野山を駆けめぐり、美しき花や蝶を愛でたお館様ならばお分かりのはず」
「うむ……、其は汝の申すとおりじゃ。木曽での暮らしは、
「巴は落ちのびて後、お館様や兄上達の成仏をただひたすらに念じておりました。浄土にも花の咲く場所や美しき山はございます。どうか、その鎧と共に現世の怨みを打ち捨て、二人で心静かに暮らしましょうぞ」
「……しかれども、阿祇波毘売との盟約があらば、我は再び征夷大将軍として望みし力を手に入れることが叶うのだ。我と離れることなく我を守るため、女でありながら
「望むがままの暮らしならば、このまま浄土にてお館様と
「巴──」
***
「真瑠璃っ! 真瑠璃っ!!」
私の名を呼ぶハスキーボイスで、遠のいていた意識が突然戻された。
「義仲の怨気が急激に薄れた。今はどうなってる!?」
「あっ、え……っ!? ええーーーっ!?」
目の前には、精悍で整った義仲の顔が!!
義仲とひしと抱き合っている自分に驚いて思わず飛び退いた!
「義仲がいつの間にか鎧を脱いでるっ!」
「急いで怨呪を見つけて書き写せ!」
「はっ、はいっ」
巴御前になりきって義仲に語りかけたまでは覚えているけれど、どうして私と義仲が抱き合っていたの!?
「巴……? 巴は
突如消えた巴御前を探す義仲の背中に、古代文字らしきものが書かれているのが見えた。
急いでそれを式紙へと書き写し、残る一つを探すべく義仲の前へと回り込む。
「
私にそう尋ねてくる義仲の胸元に、梵字らしきものを確認。
それも書き写して欧理に手渡しつつ、私は義仲に再び話しかけた。
「巴御前のところへは、私たちがお導きいたします」
手渡した式紙に
彼の意図を察して頷き、私は義仲の胸元に式紙をそっと押し当てた。
「自然に囲まれてのびのびと育ったあなたは、きっと良くも悪くも真っ直ぐ過ぎたんですね。だから、他人に良いように利用されたり、頑張りが空回りして人望を失ってしまった」
式紙は仄かな光を発しながら、義仲の纏う
「愛する人と二人、どうか心安らかにお暮らしくださいね」
「巴と二人、か……。つまらぬ怨みや執着を打ち捨てば、其が叶うのだな」
式紙が完全に溶け込んだことを確認して顔を上げると、義仲の鮮血の瞳がいつの間にか濃い灰色に変わっていた。
「義仲の怨気が消えたね。それでは彼を常つ夜に送ろう。
在人さんが穏やかに告げると、欧理がゆっくりと頷いた。
「十二天将が一、玄武に請う、
式盤が輝き、北を示す位置から出てきたのは、尻尾が蛇になっている亀。
真っ黒な甲羅を背負いながら、海の中を泳ぐように空を掻き分けて天井まで浮き上がると、義仲の上に優しい雨を降らせた。
「何とも心地好いのう。心が洗われるようじゃ……」
濃灰の瞳を閉じた義仲の姿が薄れていく。
やがて小さな無数の葉っぱとなって、木曽義仲の霊は静かに散り去った。
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