13 春名台駅の大ガエル
「じゃ、お疲れ様」
欧理に挨拶して自室のドアに手をかけたら、「ちょっと待て」と呼び止められた。
「今度の浄霊対象は、
「御霊鬼や陰陽道の基礎知識?」
「俺の部屋に陰陽寮が編纂した資料があるからそれを読むといい。それから、浄霊までに邪馬台国から第二次世界大戦までの日本史を総ざらいしておくこと」
「う、うん、わかった」
「それと合わせて、歴史上の人物で今後御霊鬼になりそうな人物も数多くいるから、そちらもできる限り調べておくように」
「……はーい」
首相夫人の祓いまで日がないのに、課題がてんこ盛り過ぎない?
早くもげんなりしてる私に、自室に資料を取りに戻った欧理が百科事典並みに分厚い本を抱えて戻ってきた。
「真瑠璃にしかバディは任せられないんだからな。俺の “眼” として的確に動いてもらうためだ。頼んだぞ」
そんな風に言われたら、「こんなに読むの無理!」なんて突っ返せないよね……。
部屋に入り、重たい資料をどさっとテーブルに置いて、ページをめくってみた。
……パラッ、……パラ……
パラ………………パタン。
……ちゃんと読むのは明日からにして、今日はやっぱり気分転換に外へ出かけようっと!
課題を始めて数秒で現実逃避モードに入った私は、携帯を手にすると間もなく会社を上がるであろう若菜にメッセージを入れた。
***
若菜からはすぐに返信が来て、春名台駅にあるタイ料理店で落ち合うことになった。
野本印刷で働いていた頃に時々ランチに来ていたお店で、久しぶりにここのパッタイが食べたくなったんだよね。
私が復職を断ったとき、若菜はずいぶん心配してくれたけど、元気そうな姿を見て安心したみたい。
カフェで住み込みバイトしてるって話したら、「今度そのカフェに行ってみたい!」って言われた。
会社に乗り込んできた “弁護士” の二人がカフェで働いてたら、若菜はきっと驚くよね。それに、私のゴスロリの制服姿を見られるのも恥ずかしい。
気持ちは嬉しいけれど、実際に来てもらうのはちょっと……となって、曖昧な微笑みでごまかした。
そんなこんなで久しぶりに女子トークで盛り上がり、シンハビールも入ってほろ酔い気分で若菜と別れ、駅へ向かう。
そしてホームで電車を待っている、まさにその時だった。
線路に敷かれた砂利がガラガラと音を立てた。
それに気づいてふと目をやると、線路と線路の間の砂利がみるみる隆起し、地中から巨大なカエルが這い出てきたのだ!
「きゃあっ!」
思わず叫んだけれど、周りの人には見えていないみたいだ。
「オン トナトナマタマタカタカタカヤキリバ ウンウンバッターソワカ!」
トシエばあちゃんに教わった護身結界の真言を唱えている最中に、カエルは大きな口を開けたかと思うと電車の架線めがけて水のような液体をびゅっと吐き出した。
その液体がかかった瞬間、バチバチと火花が飛んで架線が切れた!
「なんだ!? 架線が切れたぞ!」
「この駅、最近よくトラブル起きるよね」
周囲の乗客が騒ぎ出す中で流れる「列車が参ります」のアナウンス。
このままじゃまずいっ!!
誰かが緊張停止ボタンを押したのを確認して、私はすぐに欧理に電話をした。
「もしもし」
「欧理、大変っ! 春名台駅にカエルの妖怪が出てるっ!!」
「春名台駅……? お前、なんでそんなとこにいるんだ!? とにかく今すぐそっちへ向かう」
電話はすぐに切れた。
迫りくる列車のライトは数十メートル先に見えるものの、緊急停止をしたらしく近づいてくる様子はない。
ホームにいる人たちが危害を加えられないよう早く避難させなくちゃ。
けど、「妖怪がいるから逃げて!」なんて言ってもまともに聞いてくれるわけないし、一体どうしたら──
焦れば焦るほど頭の中は白いもやが濃くなるばかりで、何も考えられなくなる。
背中に嫌な汗がじわじわ出てくる。
私が立ち尽くしている間にカエルはこちらに背中を向けると、反対側のホームめがけてしゅるるるっと長い舌を出した。
「きゃああっ!!」
電車待ちの列の先頭にいた女性の足に舌が巻き付き、女性がホームの下へと引きずり込まれそうになる。
周囲の客が慌てて女性を助け上げようとするものの、膝から下はもうホームの外へ出ている。
このまま電車が入ってきたら──!!
「誰かーっ!! 緊急停車ボタンを押してっっ!!」
気づけば、反対側のホームへ向かって声を張り上げていた。
こちら側のホームで起こった架線トラブルに皆気を取られていたけれど、女性に迫る危険に気づいた人達が慌てて動き出す。
早く、早くなんとかしないと、とんでもない悲劇が起こる。
なのに、口の中はからからに乾いて声は出なくて、頭の中はぐちゃぐちゃで何も考えられなくて────
石になってしまったかのごとく動けずにいる私の耳に何台ものパトカーのサイレンが響いて、ぴたりと止んだ。
「警察です! この春名台駅にテロ予告が入りました。不審物の有無を確認しますので、ホームにいる皆さんは速やかに改札を出て外へ避難してください!」
きびきびとした女性の声がハンドマイク越しに聞こえると、ざわつき戸惑っていた利用客達は悲鳴を上げながら改札へ殺到した。
そんな大混乱の中、もみくちゃにされながらホームへと逆行してきたのは在人さんと欧理だった。
「在人さんっ! 欧理っ!」
二人の顔を見て、全身の力が抜けそうになる。
でも、今は安心してる場合じゃない。
「線路の砂利から、カエルの怪物が出てきたの! 向こうのホームの女性客の脚に舌を巻きつけて引っ張ってる!」
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!!」
私の言葉を聞くより先に式紙を取り出した欧理が、短く真言を唱えて紙を放った。
硬くなった紙が空気を裂き、意志を持つかのごとき軌道を描いて大ガエルの舌を切断した。
「きゃあっ!」
引っ張られていた女性と、彼女を引き上げようとしていた男性客三人が反動で後ろへ倒れ込む。
「ぐげげげげ……」
大ガエルがゆっくりとこちらを振り向く。
黒に金色の筋の入った不気味なほどに丸い目は、私たち三人の姿を確実に捉えたようだった。
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