12 レモンクリームタルトの味

 この一ヶ月、在人さんとずっと一緒にいるせいで、どんどん苦しくなってる自分がいる。


 在人さんにとって、私は美空さんの仇を取るために必要なお手伝い要員でしかないんだ。

 美空さんの代わりになんてなれるわけがないのに、何をひとりでモヤモヤしてるんだろう、私。


 私の居室にあてがわれたバスルーム付きのゲストルームに戻って、ゴスロリの制服を脱いだ。

 ついでに顔を洗って心機一転、普段着に着替えて化粧もし直した。


 ディナータイム営業は週末限定だから、今日のカフェの営業はもうこれでおしまい。

 凛子さんとの打ち合わせが終わったら、気分転換に外へ出かけようかな。


 アパートから持ち込んだミニ冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してキャップを開ける。

 冷たい水を喉に通し、心の内のモヤモヤを洗い流して階下へと向かった。


 *


「カフェのお仕事はもう慣れた?」


 カフェの一番奥のテーブルに座ると、サマージャケットを脱ぐ凛子さんが笑顔で尋ねてきた。


「はい、おかげさまで常連のお客さんにも顔を覚えてもらったり、楽しくやってますよ。厨房からの怒鳴り声がなければもっと楽しいんですけどね」


 ここぞとばかりに嫌味をのせたスマイルで隣の欧理を睨みつける。

 調理が終わり、ヘアピンを取ったせいで前髪に隠れた瞳はよく見えないけれど、オレンジジュースのストローをくわえながらもむっとしている空気は充分に伝わってきた。


「毎日楽しそうにやり合ってるし、息はぴったりだよね。お客さん達も二人のやりとりが漫才みたいだって笑ってたよ」


 在人さんのセリフこそ、漫才並みにツッコミどころが満載なんですけど!

 悪態つかれて言い返してるだけで、息が合ってる要素はまるでないし。

 こんな状態のままで、バディとして浄霊が上手くいくんだろうか。


 そんな不安を抱えつつ、手帳を広げた凛子さんの依頼内容を聞くことになった。


「今回の依頼は陰陽寮の中でも特殊かつ重大かつ緊急かつ極秘の案件なの」


 その前置きだけでごくり、と喉が鳴った。


「凛子さんがそう言うってことは、政治がらみの案件なんですか?」


 在人さんの質問に、凛子さんがこくりと頷く。


「そう。そして政治がらみの案件となると、御霊鬼が関係している可能性が大きいわ。だからあなた達に白羽の矢が立ったのよ」


「それで、今回は何が起こってるんです?」


「実はね……。首相夫人の安野恵子さんに怨霊が憑いたのよ」


「首相夫人に? 内閣付の陰陽師は賀茂さんが務めてますよね?」


「もちろん、恵子夫人も普段から護符は身につけているし、官邸や私邸には破邪の結界だって張られているわ。けれど、夫人が先週プライベートで旅行した先で霊気の強い怨霊に憑かれてしまったみたい。賀茂氏が浄霊に失敗したから、大きな混乱が起きないうちに緊急かつ極秘に対処する必要があるのよ」


 在人さんと凛子さんのやり取りをふんふんと聞きながら、レモンクリームタルトにフォークを入れる。

 なるほど、怨霊が憑く相手によっては社会全体が混乱に陥るケースがあるってことよね。

 これまでも怨霊が要人に憑いたせいで災厄が起こった事例はいくつもあるみたいだし、大事に至らないうちに浄霊することが大切なんだろう。


 それにしても、今日もレモンクリームタルトは最高に美味しい。

 こんな美味しいものを欧理が作ってるなんてびっくり。

 まあ、鎮魂館レクイエムはどの料理もひととおり美味しいんだけど、このケーキはダントツだ。


「では、早速式占ちょくせんを立ててみることにします。四課三伝の作成にあたって必要な首相夫人の個人情報をいただけますか」


「はい。その辺のことは氏名を偽ってここに書いてあるわ。使用後は必ずシュレッダーにて破棄をお願いします」

「了解です。式占の結果については数日中にお伝えできると思います」

「浄霊の算段については式占の結果が出てからまた打ち合わせしましょう。緊急で調整する必要があれば夜中でも構わないから連絡ください」


 凛子さんはいかにもキャリアウーマンといった感じでてきぱきと話をまとめると、最後にカップの紅茶を飲み干して席を立った。


「ご馳走さま。今日もレモンクリームタルトは抜群に美味しかったわ」


 理知的な笑みを浮かべ、サマージャケットを腕に抱えて店を出ていく凛子さんをため息まじりに見送る。


 凛子さんはいつ見ても颯爽としていてかっこいいなぁ……。


 あんな風にお仕事できたらどんなに気持ちいいだろう。

 自分で選んだ道とはいえ、似合わないゴスロリファッションでカフェバイトしてる私とは大違いだ。


 美空さんに勝手に嫉妬して悶々として、バディの欧理とは毎日ケンカばっかりして……。

 私ってば、本当にイケてないなあ。


 凛子さんを見て零れたのとは別のため息が、空っぽになったティーカップの中に落ちた。


「営業終了したから、さっき式鬼達を解放しちまった。洗い物するから手伝ってくれよ」


 カチャカチャとカップを重ねる欧理のハスキーボイスに意識を戻される。


「あっ、うん」


 慌ててみんなのケーキ皿を回収した。


「僕も片付け手伝うよ」

「在人は式占の準備があるだろう。俺たちでやっておくからいいよ」

「そう? じゃあお言葉に甘えて先に上に行ってるよ」


 在人さんはそう言って、凛子さんの残したメモに目を通しながら二階へ続く階段を上っていった。


「ちゃっちゃと片付けるぞ」

「はーい」


 式鬼のいない厨房で欧理と二人って、なんだか気まずいなあ……。


 欧理が洗い終わったお皿をふきんで拭いて棚に戻していると、不意に欧理が呟いた。


「うじうじした顔はゴスロリドレス以上に似合わないな」


「……はっ!? 今なんか言った?」


「あんたは美空でも凛子さんでもない。桜 真瑠璃にしかできないことだってあるだろ」


「ちょ……っ。なんで、私が美空さんのこと知ってるって──」


 狼狽うろたえつつ欧理を見ると、洗い物の手を止めた彼が前髪の奥の漆黒オニキスの瞳で私をまっすぐに捉えた。


「少なくとも、俺のバディは真瑠璃にしかできない。真瑠璃しかいないんだ。だから、他の誰かみたいになりたいなんて思う必要はない。ちゃんと顔を上げて、もっと胸を張っていい」


「欧理……」


 普段は罵倒か嫌味しか出てこない欧理の口から出てきた予想外の言葉に、臨戦態勢だった思考回路がフリーズする。


 っていうか、今はじめて私のことを名前で呼ばなかった……!?


 まじまじと欧理を見つめていたら、いつものようにぷいっとそっぽを向かれた。

 けど、今日は黒髪をかけた耳が真っ赤に染まっている。


 柄にもなく私を励ましたりしたもんだから、急に照れが入っちゃったのね。

 年上だけど、可愛いとこあるじゃん。


 怒り出すと面倒だからと、欧理に気づかれないようにくすりと忍び笑いを漏らすと、レモンクリームタルトの甘酸っぱい余韻が鼻の奥をくすぐった。


「ほら、あれだ。代わりがいないってことは、いくら弱音を吐いても交替要員はいないってことだぞ。完璧な俺の “眼” となるようにビシバシ鍛えるから覚悟しろよ」


「私が弱音を吐くわけないじゃない。そのうち欧理に “お前がバディで良かった” って言わせてみせるんだから」


 ぽんぽんと弾む言い合いが、心をどんどん軽くする。

 気づけばお皿もカップも綺麗に片付いて、二階へ上がる足取りも降りてきた時よりずっと軽やかになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る