10 押し掛けバディ
何を言われても喧嘩腰にならないこと!
すーっ、はーっ、と深呼吸しながらもう一度それを心に刻んで、私は扉を開けた。
「いらっしゃいませ!
そう言って振り返る在人さんが、眼鏡の奥の目を見開く。
「真瑠璃ちゃん……!」
「こんにちは。今日はお話があって来たんです」
「そっか……。うん、とりあえず席へどうぞ」
ランチタイムが落ち着いてくる時間を狙ってきたつもりだったけど店内は女性客で混みあっていて、一席だけ空いたカウンターへと通された。
欧理は厨房担当って言ってたよね……。
カウンター越しに厨房の方を覗こうとしたけれど、狭い出入口以外は窓もついていないから中の様子を窺うことはできない。
「トマトリゾット漁師風一丁上がり!」
湯気の立つお皿を持って欧理が厨房から出てきた。
「あ、あんた……」
今日は黒くて長い前髪をヘアピンで留めているから、オニキスみたいに煌めく黒い瞳と思いきり視線がぶつかった。
形の良い眉が歪み、丸っこい猫目が鋭く細められる。
「今日は何しに来たんだよ」
挑発的なその一言で血圧が一気に上がりそうになるけれど、喧嘩腰にならないって決めたんだ。
ぐっと堪えて、にっこりと笑みを浮かべてみせた。
「在人さんと欧理に話があって来たの」
「今、表にCLOSEの札を出したよ。今いるお客さんがはけたら話をしよう」
トマトリゾットを受け取りに来た在人さんが穏やかに微笑む。
「待ってる間に何かご馳走するよ。お昼ご飯はもう食べた?」
「はい、昨日買って食べそびれてたコロッケを」
「あんた、こないだもあの肉屋のコロッケ買ってたろ。どんだけコロッケ好きなんだよ」
「うっさ……あ、えと、じゃあ紅茶をお願いします」
「了解」
欧理の言葉がいちいち癪に障るけど、なんとか心を落ち着ける。
待っている間に携帯を確認すると、昨日連絡先を交換したばかりの凛子さんから返信が届いていた。
忙しそうに動き回る在人さん達を横目にちびちびと紅茶を飲んでいると、三十分を過ぎてようやく最後のお客さんが店を出て行った。
「真瑠璃ちゃん、お待たせ。こないだは本当にお疲れ様でした」
そう言いながら、在人さんが紅茶のおかわりとレモンクリームタルトを出してくれる。
「……で、今日はどうしたの? 僕たちに話って?」
「はい。実は凛子さんにも
在人さんと欧理が訝しげに顔を見合わせる前で、「いただきます」とレモンクリームタルトにフォークを入れた。
サクッと柔らかな手応えと共に、表層の白い生クリームに覆われていた鮮やかな黄色い断面が姿を見せる。
「何これ……! 甘さと酸味のバランスが絶妙すぎる!」
「美味しいでしょ? うちの一番人気のスイーツなんだ」
甘酸っぱさの余韻が残る口にストレートティーを含むと、ダージリンの香りとあいまってすっきりと鼻を抜けていく。
今日の目的を忘れてしまいそうなほどレモンクリームタルトに夢中になっていると、「お待たせ!」と凛子さんが店に現れた。
「今日は突然お邪魔してすみません」
席についた三人に、まずは頭を下げた。
「真瑠璃ちゃんが来てくれて嬉しかったよ。ちゃんと挨拶もできないままだったし、その後どうしているか気になっていたから」
元気そうで良かった、と微笑む在人さんを見ると、胸がきゅっと締めつけられる。
その王子スマイルの下には、一体どれだけの悲しみと覚悟を抱えてるんだろう。
「話というのは他でもありません。……やっぱり私は陰陽師のお仕事を手伝いたい。これからも欧理君のバディをやらせてもらえませんか」
ちょっと抵抗はあったけれど、欧理を “君” 付けした。
こちらからお願いする形になるわけだし、欧理の機嫌をなるべく損ねないようにしないとだもんね。
息を飲むような沈黙が漂った。
それを霧散させようとしたのはやっぱり凛子さんだった。
「桜さん、決意してくれてありがとう! 在人さんも欧理君も、本当は桜さんと一緒に浄霊していきたいわよね? 陰陽寮としても、以前のように弓削家を頼れるようになるのは本当にありがたいわ!」
「真瑠璃ちゃん……。阿祇波毘売というのは本当に恐ろしい存在なんだ。真瑠璃ちゃん自身の身も危険に晒されることになるかもしれない。本当にそれでいいの?」
美空さんを亡くしている在人さんがそれを心配するのは当然のことだ。
でも、私だって在人さんや欧理が命を捨てるような戦いに挑もうとしていると聞いて、知らんぷりしてるわけにはいかない。
「皆さんが私に身の危険が及ぶことを心配してくれてるのはわかります。けど、危険を承知の上でやりたいんです! 次からは絶対に護符を落とさないように、護符入れも作ってきました。ほら──」
首にかけていた紐を手繰り、カットソーの胸元に入れていた護符入れを取り出してみせた。
ここへ来る前に思い立って用意した、小さな手作りのお守り袋だ。
「こないだの浄霊は確かに恐ろしい思いもしましたけど、それ以上に在人さんや欧理君が私を信頼してくれたのが嬉しかった。霊が見えてしまうことをずっと恨めしく思っていたのに、この力を必要としてくれる人がいて、実際に役立てられたことを生まれて初めて幸せだと思えました。だからお願いします! これからもこのメンバーとお仕事させてください!!」
もう一度深々と頭を下げた。
「欧理。真瑠璃ちゃんがここまで言ってくれてるんだ。彼女のことは僕たちで全力で守ることにして、力を借りることにしないか?」
ずっと黙りこくっている欧理に、在人さんが宥めるように返答を求める。
そっぽを向いた黒い瞳が、彼の中の葛藤を映して揺れていた。
やがて目を閉じ、はあっと長い息を吐く。
「…………わかったよ。在人や凛子さんの思いを無視して、俺だけが意固地になるわけにもいかないしな。ただ、あんたを俺のバディにするにあたっては条件が二つある」
「二つ?」
「まず一つめだ。絶対に単独で霊と接触するな。危険と思われる場所には近づくな。死霊だろうが怨霊だろうが、霊を見たら必ず報告しろ」
一つめとか言いながら、すでに条件が三つも入ってるじゃん。
そう突っ込みたいのをぐっと堪えて頷いてみせる。
「二つめの条件は…………今さら “君” 付けされるのは気色悪い。猫をかぶらずに今までどおりに振る舞え」
「んなっ!? ひとがきちんと年上を敬ったのに、酷い言いようじゃないっ」
今日は喧嘩腰にならないって
「ふふっ。名コンビの誕生ね」
「
凛子さんと在人さんの忍び笑いが耳に届く。
欧理といがみ合いつつも、自分で一歩を踏み出せた心地良さが、胸の内に僅かに残っていた迷いをいつの間にか吹き飛ばしてくれていた。
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