07 バディ失格

「馬鹿野郎ッッッ!!」


 欧理の鋭い声が鼓膜を突き刺す。


「このタイミングで護符を落とす奴がどこにいるっ! しかも、凶方の北西で──」


「す、すみませ……」


 咄嗟に謝ったけれど再び鉛の礫が飛んできて、欧理は私の体を抱き寄せながら横へと飛び退いた。


 男性としては華奢な方なのに、どこにそんな力があるんだろう。


「いいか。怨霊に刻まれた文字を見つけたら、この紙に形を書き写せ」


「う、うん」


 図形なのか文字なのかわからないけれど、土から鉛に体が変わっても同じ位置にそれはある。


 欧理が再び対面へ移動したと同時に、私は怨霊の背後に回り込み、見たままの形を筆ペンで書き写した。


「欧理! これっ!!」

「おうっ!」


 駆け寄って欧理に紙を渡すと、彼は何かを呟いて、その紙に口づけた。

 ペラペラした紙がカードのように硬くなり、それを指ではさんだ欧理が左足をすうっと前に出す。

 右足を左足に引き寄せてから、ダンッ! と大きな音を立てて床を踏みしめ、ぴゅうっとカードを放った。


「ぐあああああああっ!!」


 風を切って飛んだカードが怨霊の胸に刺さり、ずぶずぶと飲み込まれていく。


「在人! 式盤を!」

「わかった!」


 変装の小道具かと思っていたビジネスバッグから、在人さんが四角い板を取り出した。

 鎮魂館レクイエムのテーブルにのっていた式盤と呼ばれる板のミニチュアだ。


「出でよ、朱雀!」


 在人さんが構えた式盤に向かって欧理が叫ぶ。


 その瞬間、式盤から熱風が沸き、渦巻く炎が上がった。


「火……っ!!?」


 炎に見えたのは燃え上がる翼を広げた鳳凰――朱雀だった。


「十二天将が一、朱雀に請う、遣火炎焼尽悪霊かえんヲつかハシテあくりょうヲしょうじんセシメヨ急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう!!」


 人差し指と中指で欧理が示した方向に、炎を散らして羽ばたく朱雀が飛んでいく。


「ぐをあああぁぁぁ……っ!!」


 悪霊に巻きついた朱雀が炎の柱となって鉛の体を溶かし出す。

 真っ赤に焼けた体はどろどろと溶け落ち、床に滴ってもなお炎に包まれ、炎もろともやがて消えていく。


 社長室の中は火の海になっているのに悪霊以外が焼かれることはなく、私はただただ立ち尽くして悪霊が消えていくのを見ていた。



「ふう……っ」


 息を吐いた欧理が、頬から流れる血を指で拭う。

 その様子で、浄霊がようやく終わったのだと感じた。


「凛子さん、終わりました」

「お疲れさまでした」


 在人さんがドアを開け、外で待機していた凛子さんを中へと招き入れる。

 ほぼ同じタイミングで、ぐったりと椅子に座っていた社長が身じろいだ。


「う……ん」

「社長っ! 大丈夫ですか!?」

「う……。桜さん……? 今のは夢か……?」


 室内ヘ入ってきた凛子さんが、私の肩に手をかける。


「霊に憑かれていた間のことは、夢のような感覚でしか記憶に残らないの。社長さんは体力、気力ともに相当落ちてはいるけれど、数日の安静で回復するし、その間に霊の記憶も抜け落ちる。陰陽寮との提携病院へ搬送するから心配要らないわ」


「はい。よろしくお願いします」


 凛子さんは携帯電話を取り出すと、どこかに手短に指示を送った。


「やだ! 欧理君が流血してる! あなたが怪我するなんて、よっぽど手強い相手だったのね」


「いや、ちょっと油断しただけだ」


 バッグから取り出したミニ救急セットで凛子さんが欧理の傷を応急処置をするのを、申し訳ない気持ちで見つめた。


 私が護符さえ落とさなければ、欧理が怪我をすることはなかったはず。

 これって、バディ失格ってことなのかな……。


 欧理の “眼” になることがあんなに嫌だと思っていたのに、なんだかひどく落ち込んでいる自分がいる。


 強大に変化へんげする怨霊に足が竦んだし、息ができなくなるほどの緊迫にさらされた。

 でも、絶妙のタイミングで飛んでくる欧理や在人さんの指示からは私を信頼してくれる空気が伝わってきて、浄霊中はそれに応えようと思う気持ちが恐怖や緊張を上回っていた。


 自分が必要とされている。

 自分が信頼されている。

 恐ろしい経験の中でも、生まれて初めて感じる確かな手応えの中で無我夢中で動いていたように思うのだ。


「真瑠璃ちゃんも大丈夫!? 初めてなのに、すごく頑張ったね!」


 式盤をバッグにしまいながら、満面の笑みを浮かべた在人さんが駆け寄ってきた。


「でも、私のせいで欧理が……」


「あれは俺が術を出すタイミングも悪かったし、気にするな。ただ、浄霊中護符だけは肌身離さず持っておけよ」


 それって、次の浄霊も手伝っていいってこと?


 欧理の言葉を在人さんも同じように解釈したみたいで、ほっと息をつく。


「真瑠璃ちゃんが “眼” となって的確に情報を伝えてくれたから、欧理も本来の力を出すことができたんだ。これからもこの調子で一緒にやっていけたら嬉しいな」


「この三年、弓削家には在人さんの式占ちょくせんを単発で発注するくらいしかできなかったけれど、これでまた大きな仕事も頼めるわね。陰陽寮としても心強いわ」


「ってことは、バディのテストは合格ってことでいいんですか……?」


「ちょっと待った」


 在人さんと凛子さんに頼りにされて、舞い上がりかけた私の言葉を鋭いハスキーボイスが遮った。


「気になることがある。さっきあんたが怨霊の体から書き写した “怨呪おんじゅ” だが……。あれは日本の古代文字、神代かみよ文字だ」


 欧理のその一言が、綻んでいた空気を一気に引き締めた。


「神代文字……? まさか──」

「怨呪に神代文字を使う御霊鬼ごりょうきは、常つ夜の中でも限られているわね」


 三人の動揺の理由が掴めない中で、 “常つ夜” というキーワードが怨霊の遺した言葉と繋がった。


「そう言えば、怨霊が言ってました。この世が常つ夜に呑まれてしまえばいい、“アゲハヒメ” が永久とこしえの世をつくるって……」


「なんだって……!?」


 在人さんの顔が青ざめた。


「真瑠璃ちゃん……。怨霊は、本当に “アゲハヒメ” と言ったの?」


「はい。聞き間違いじゃないと思います」


「…………っ」


 私の返事を聞いたきり、三人は押し黙ってしまった。

 何かまずいことでもあるのかな……。


「……やっぱり、この話はナシだな」


 沈黙を破ったのは欧理だった。


「ナシって、どういうこと?」


「あんたと俺がバディを組むって話だ。この先の浄霊にはもう関わるな」


「そんな……! さっきのミスは気にするなって言ったじゃない!」


阿祇波毘売アゲハヒメがいよいよ動き出したんだ。自分の身をしっかり守れない奴を巻き込んだらろくなことにならない」


 欧理の拒否が氷の刃のごとく胸に突き刺さる。


「在人さん……っ」


 私が見つめても、在人さんは俯いたまま何も言ってくれない。


「……そうね。結局それが負担になるのは欧理君だものね。社長が回復すればきっと復職の話も進むし、桜さんにとっては今までの生活に戻るのが一番だと思う。ね、 在人さん?」


 凛子さんが促すと、在人さんは黙って頷いた。


「真瑠璃っ! 下に救急車が来てるんだけど、何かあったの!?」


 慌てた様子で若菜が駆け込んできた。


「社長さんが話し合いの最中にご気分を悪くされたんです。念のため救急車をお呼びしたんですよ」


 凛子さんが若菜に伝えたと同時に救急隊員が入ってきて、ストレッチャーに社長をのせて運んで行った。

 余りの手早さに、若菜も何が何だかわからないといった様子でそれを見送っている。


「桜さんの復職に向けては話がつきましたので、私達はこれで失礼いたします」


 凛子さんが若菜に一礼すると、在人さんと欧理も黙ってそれに続いた。


 私は何も言い返せないまま、エレベーターに乗り込む三人の後ろ姿を見つめていた。

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