06 真瑠璃の初陣

弓削ゆげ法律事務所の者ですが、野本社長に面会をお願いいたします」


 在人さんが受付の小橋さんに固い口調でそう告げた。

 若菜が根回ししておいてくれたおかげで、小橋さんは名刺を差し出さなくても信用してくれたみたいだ。


「ではこちらへどうぞ」


 小橋さんの後について社長室へと向かう。


「社長、ご面会の方がいらしてます」

 小橋さんがノックをしてそう伝えたけれど、奥からの返事は聞こえてこなかった。


「桜さん、無事復帰できるといいね。もっとも、この会社がいつまで存続できるかもあやしくなってきてるけど……」

 小橋さんは苦笑いでそう囁くと、在人さん達に一礼して受付へと戻っていった。


「じゃ、お浄めといきますか」

 在人さんの合図に頷き、緊張しつつドアを開ける。


「社長、失礼します」

 社長室に一歩踏み入れると、窓際の大きなテーブル越しに社長が見えた。


「社長……っ!?」


 およそ一週間前に見た時よりも、さらに痩せこけて生気がない。

 虚ろな目はこちらを向いてはいるけれど、焦点が定まっていない。

 そして、そんな社長の隣にはあの怨霊が立っていて、黒目のない血眼で私たちを睨みつけ、「ををををををををん!!」といた。


「思っていた以上に強い怨気だな」


 欧理がそう呟くと、隣の在人さんが頷いた。


「二十五年もの間境界をさまよっていたからね。怨気も霊気も相当増幅してるだろう。欧理、真瑠璃ちゃんを守ることも忘れるなよ。凛子さんは室外で待機していてください」


「了解。ご霊運をお祈りします!」


 凛子さんがサッとドアを閉めると、どす黒い空気が狭い室内に息詰まるほど充満した。


「護符だ。ばあさんから教わった真言を唱えてこれを懐に入れろ」


 先程筆ペンで何かを書き込んでいた紙を欧理が袱紗から取り出し、私に一枚差し出す。


「オン トナトナマタマタカタカタカヤキリバ ウンウンバッターソワカ」


 指示通り、懐(って言ってもよくわからないからワンピースの胸元だけど)に護符を突っ込むと、在人さんからの指示が飛んできた。


「今から欧理が神仏の加護を高めるための九字を切る。僕たちは霊と話せないから、真瑠璃ちゃんが会話して時間稼ぎして!」


「ええっ!? 会話って────」


 いきなりの無茶振りに大混乱!


「青龍! 白虎! 朱雀! ……」


 欧理が指先で縦横に空を切りながら、猫の時と同じ言葉を唱え始めた。


「をををををををををを……」


 欧理に対抗するかのように、どす黒く重い空気が濃度を増す。

 一刻の猶予も許されないと悟った私は、怨霊に向かって必死で叫んだ。


「ねえっ! どうして二十五年も経ってから人に取り憑いたりしたのっ!?」


 血走った白目の矛先が、欧理から私へと移る。

 身が竦むけど、弱みにつけ込まれまいと両足に力を入れて踏ん張った。


「金、金、金………」

「カネ?」

「ココ、コノ世ノ中、金ガ全テ。金、無イト、家モモモ、家族モ、ナクナル……」

「あなたが生きてた頃は、バブルが弾けて大変だったみたいよね。あなたと同じように、たくさんの人がお金のせいで人生を狂わされたって聞いてるわ」

「ココ、コンナ国、消エロ。ミンナ、常ツ夜ニニニニ、呑マレロ……!」


「ノウマク サンマンダ バサラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン オン キリキリ……」


 欧理が仕切りに印を結びながら、長い真言を唱えている。

 これはもっと時間稼ぎが必要ってことだよね。


「常つ夜に呑まれるって、みんな死んじゃえってこと!? どうしてそこまで恨みが積もってしまったの?」

「カカ金ガ全テの世界、滅ベベベ! 境界ノアゲハヒメ、トコシエノ世、ツクル」


 境界の “アゲハヒメ” ――?

 永久とこしえの世をつくるって、どういう意味???


 背筋にぞわりと悪寒が這い上がったときだった。


「……ソワタヤ ウンタラタ カンマン!!」


 真言を唱え終えた欧理の体が白く輝いたかと思うと、強い光がどす黒い空気を霧散させた。


「ぐをををををををッッッ」


 怨霊が胸をかきむしり苦しみ出す。

 欧理はすかさず懐から袱紗を取り出し、一枚の紙をビリビリと破くとふっと息をかけた。

 舞い散る紙吹雪が無数の白い蛇となり、怨霊へ飛び掛かっていく。


 怨霊の腕へ、足へ、首へ、顔へ。

 白い蛇が絡みつき、締めつけると、サラリーマンの風貌をした怨霊が徐々に小さくなってきた。


「すごい……! これが、浄霊――」


「霊力の弱い奴ならば、霊符だけで浄めることもできるんだけどね」


 在人さんの声が緊張を緩めて穏やかになった。


 みるみる小さくなっていく霊が消えれば、椅子に腰かけたままぐったりしている社長の意識も戻るんだろうか。


 ほっと一息つきかけたとき――


「ぐををををををををををんんん!!!」


 地響きがするほどの唸りを上げた怨霊が、白い蛇たちを弾き飛ばした!


「なにぃっ!?」


 欧理が叫ぶ。


「ぐををををぉぉぉぉぉ……」


 背広姿の怨霊がぶすぶすと煙を上げ、黒く大きく膨らんでいく。


「怨霊の霊気が増幅した! 今の姿はどんなだ!?」


 漆黒の瞳を向けられた私は、恐怖に飲み込まれそうになりながらもなんとか答える。


「子供ほどに小さくなっていたのが、今は天井に頭がつくほど大きくなってる! 全身が焦げたみたいに真っ黒になって、まるで土の塊みたい……!」


「不動明王の真言が効かないとは……こいつ、ただの怨霊じゃないな」


「欧理! 土生金どしょうごん火剋金かこくごんだ。軍荼利明王ぐんだりみょうおうの加護で土を金に変え、それから朱雀を呼べ!」


「わかった!」


 在人さんの指示を受けた欧理が再び真言を唱えながら、袱紗から紙を取り出す。


「真瑠璃ちゃん、怨霊にはおそらく “怨呪おんじゅ” がかけられている。あいつの体のどこかに図形のようなものが書かれているはずだから、それを探して欧理に伝えて」


「わ、わかりました!」


 在人さんに頼まれて土の塊になった怨霊を凝視したけれど、正面から見てもそれらしきものは見当たらない。


「背中の方を見てきます!」

「くれぐれも気をつけて!」


 怒り狂った怨霊は欧理しか目に入っていない様子で、白い光に包まれた彼に向かって土を投げつけている。

気づかれないよう、壁に背中をつけてそろそろと回り込む。


 すると、怨霊の左腕の背中に近い場所に、焼き印をつけたような黒い模様が見えた。


「きっとあれだ……!!」


 確認しようと、さらに後ろへと回った時だった。


「オン アミリティ ウン ハッタ!」


 欧理の飛ばした紙が怨霊の額に貼り付き、怨霊の体がドバッと散った。


「きゃっ!!」


 土の塊が飛んできて、避けようとして床のコードに足を引っ掛けた。


 転んだ拍子に、胸元に突っ込んだ護符がはらりと床に落ちる。


「ぐをををををん!!」

「危ないっっっ!!」




 一瞬、何が起きたのかわからなかった。




 目の前には欧理。

 その向こうには、土が剥げ落ちて鉛のような体になった怨霊。


「欧理っ!?」

っ……!」


 私たちの周りには撒菱まきびしみたいな鉛のつぶてが散らばっていて、私を庇った欧理の頬や首筋からは鮮血がたらりと流れていた。



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