05 猫の浄霊

 欧理が向かったのは、三日前に私が在人さんに声をかけられた大俵橋商店街の入口だった。


 電柱に透けて重なった猫の死霊は、今日もそこに佇んでいた。


「私たちを連れて、どうしてここに……?」


「あんたに本当に霊が見えてるのか試させてもらう。そこにいる猫の死霊の特徴を教えてくれ」


 霊の見えないポンコツ陰陽師のくせに、私のことをまだ疑っているんだ。

 腹が立つけど、私を見つけてくれた在人さんのためにもきちんと証明してみせる!


「えっと……。血が体じゅうにこびりついちゃってるけど、元の毛色はキジトラね。尻尾は短くて、瞳の色は濃いグレー。首輪をしてないから野良猫なのかも」


 見えているとおりに特徴を伝えると、欧理は漆黒の瞳を閉じ、右手をピースサインの指を閉じたような形にして縦横に空を切り始めた。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台さんたい玉女ぎょくにょ


 呪文のような言葉を唱えてから、胸ポケットにしまっていた袱紗を取り出し、切込みの入った真っ白な紙を一枚取り出した。

 手のひらにのせた欧理がふっと息を吹きかけると、紙はひらりと宙に舞う。


「オン センダラ ハラバヤ ソワカ」


 両手の薬指と小指を曲げて重ね合わせ、謎の言葉を放つと──

 ひらひらと舞い落ちる白い紙がキジトラの子猫の姿に変わった!!


 なにこれ?

 一体どうなってるの……!?


 鮮やかな手品を見せつけられたみたいに呆然としていると、子猫が「みゃあん」と鳴いた。

 電柱の足元に佇んでいた猫の死霊が「にゃおぉん」と応える。


「みゃあ」

「にゃおん」


 互いに鳴き合いながら体をすり寄せる姿は、本当の親子みたいで微笑ましい。

 子猫はもう一度「みゃあん」と鳴くと、商店街の奥へ向かって歩き出した。


「にゃう!」

 短く鳴いた猫の死霊が子猫を追いかけて電柱を離れる。

 二匹の後ろ姿は数メートルほど歩いた後にすうっと消えていった。


「死霊の気配が消えた。常つ夜に無事送れたようだね」


「あの……。今のは何だったんですか?」


 ほっと息をついて微笑む在人さんに問うと、猫たちを見送っていた欧理がそれに答えた。


「人も動物も、現世うつしよでの命が果てればみなとこ、つまり死者の国の住人となる。ただし、現世に未練や怨念を強く残していると常つ夜に辿り着くことができず、現世と常つ夜の境界をさまよう死霊や怨霊になってしまう。さっきの猫は車にはねられでもしたんだろうが、現世に強い未練を残していたがために死霊となってしまった。おそらくまだ小さい子猫を遺していたのが気がかりだったんだろう」


「死霊は怨霊と違って人に憑くことはないけれど、死霊のいる場所は現世と常つ夜の境界となるために磁場が狂うんだ。現にこの場所は最近衝突事故の多いスポットとして、陰陽寮から発行される要調査リストに入っていた」


 欧理の後を引き受けて私に説明する在人さんがさらに言葉を続ける。


「僕も欧理も、この場所に猫の死霊がいることはわかっていたんだ。今日は真瑠璃ちゃんに猫の風貌を詳細に聞けたおかげで、式紙を子猫の姿に変えて浄霊できたよ。協力してくれてありがとう」


「いえ。お役に立てたのなら私も嬉しいです」


 霊が見えることが誰かの役に立つなんて、今まで想像したこともなかった。


「すごいわ、桜さん! それだけはっきりと見えるのなら、欧理君のサポートもばっちりね」


 凛子さんみたいな美人に手放しで褒められるのも、こそばゆいけどなんだか嬉しい。


 これで欧理も私のことを少しは認めてくれるかな。


 ちらと横顔を覗くと、彼の漆黒の瞳は再び猫の消えた方へ向けられていた。


「安らかに暮らせよ……」


 ぽつりと呟いたその一言。

 尖りまくったハスキーボイスはなりをひそめ、ふんわりとやわらかな声色が心にしみた。


 私を真っ先にここに連れてくるなんて、欧理は成仏できない猫のことをずっと気にかけていたんだろうか。

 すごーーーく嫌な奴だと思っていたけれど、ほんのちょっとくらいは優しい面があるのかも。


 そんな風に分析しつつ横顔をじっと見つめていたら、不意に欧理がこちらを向いてばっちりと目が合った。


「なっ、何見てんだよ」

「べっ、別に……」


 少年のようにあどけない顔をほんのりと赤く染めた欧理が、尖らせた視線をふいっと横に逸らす。


「あんたに霊が見えてるってことは信じてやる。だが、怨霊の浄めとなると今のように簡単にはいかない。逃げ出すなら今のうちだ」


「やると決めたんだもの。今さら引くわけないでしょう」


 売り言葉に買い言葉。

 こうなったら、せっかくの力をもっと活かしてみたい。

 私を見くびる欧理の鼻を明かしてやりたい。


「じゃ、いよいよ本番といきましょうか」


 凛子さんが明るく場を仕切り直し、私たち四人は凛子さんの運転する車に乗って野本印刷へと向かった。


 ***


「真瑠璃! 元気だった? 突然真瑠璃だけが辞めさせられたから、みんな心配してたんだよ!」


 会社の外で同期の若菜に電話をすると、すぐに出てきてくれた。


「私なら元気だし大丈夫。それより会社や社長はどんな感じ?」


「それがますます大変なことになってるのよ。得意先が突然発注をキャンセルしてきたり、大量の落丁が見つかって返品されたり……。社長も毎日社員に怒鳴り散らしてるし、会社が潰れる前に逃げた方がいいんじゃないかって皆が言い出してる」


「そっか。残ってる方も大変だったんだね。一昨日話したとおり、今日は弁護士さん達を連れてきたの」


 若菜が在人さん達の方をちらりと見た。

 銀縁眼鏡をかけて濃紺の三つ揃いを身にまとった在人さんは、どこをどう見ても敏腕弁護士といった感じだ。

 凛子さんはその相棒で、童顔の欧理は黒いジャケットを羽織っているものの、インターンシップの学生にしか見えない。


「真瑠璃に頼まれたとおり、今日の社長のアポは別日にずらしておいたよ。弁護士さんの話を聞いて、社長が不当解雇を撤回してくれるといいね」


 事前の打ち合わせどおり、弁護士を装った在人さんは「失礼します」と若菜に会釈し、凛子さんと欧理を引き連れ堂々と社内へ入っていった。


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