第57話:I'll think about it when you're dead.

 ユベルを殺すために、走る。ノエは、メイゼンが気になり後ろを振り返りたい衝動を何度も抑えて、前だけを見据える。

 審判の建物が近づいたところで、その吸血鬼は姿を見せた。金色の髪と、青い瞳を持つ、審判の創設者にして、同族を誰よりも滅ぼしたいと願う、この世界で誰よりも強い存在ユベル

 彼の隣に、モルス街仕立てではない白と赤の特徴的な審判の衣装を纏ったイクスも並ぶ。

 金と白の二人は、恐らくこの世界において最も吸血鬼を殺した、吸血鬼と人間だろうと菫は思う。

 ユベルは隣に並ぶ仲間がいないという寂しい理由で同胞を数多殺し、イクスは殺しすぎて殺すことしかできなくなった。

 菫は周囲に視線をやるが、ひらけた空間には、ほかに人影はない。

 審判の建物内部から狙撃の心配もない。

 ひらけている場所だが、建物の構造が、内部から遠距離で狙撃するのに向いていない。畏怖の象徴であるがゆえに、鉄柵もなければ、砲弾もない。

 何より、ここはレーゲース街。荒れたモルス街とは比べるまでもなく、本来であれば平和な場所。

 ユベルとイクスしかいないのは、アイリーンが情報を流して余計な審判の数を増やさなかったためだろう。ウルドがいないのは、疑問だが、考えている暇はないと菫は思考を隅へ追いやる。

 イクスを見たノエの瞳が揺れる。


「ノエ……」

「イクス……」


 イクスは目を逸らした。

 ノエと会う未来と、会わない未来を選ぶことが、アイリーンからあらかじめ情報を受け取っていたイクスにはできた。

 それでも、この場に来ることを決めた。

 吸血鬼を全て殺すのが、イクスの生きる目的だから。

 迷いはあるが、それでもその上で白い刀を手に取る。

 菫の瞳が憎悪に染まっているのがイクスには心地よかった。

 ノエのように、最後まで愛情を感じさせないでほしかった。ノエに酷いことをしたのに、どうしてノエは慕った瞳で見てくれるのか、理解したくなかった。

 一歩踏み出したところで、初めてイクスの視界に、嘗て殺し損ねた吸血鬼がいるのが映った。足元まである長い桜色の髪に、激情を宿らせた瞳。


「殺されにきたのですか? あの吸血鬼が……千鶴が折角生かした命だというのに」


 イクスの呟きはリリィには明確にとどく。リリィは千鶴の名前を出され、額に青筋を浮かべる。憤怒が、身体全体から溢れる。


「黙れ。千鶴を殺した審判!」


 リリィが怒りのままに駆け出す。それが、火ぶたが切る合図になる。


「フェアとノエは前に出るなよ。お前らは後方支援だ。本当はリリィもそうしてほしいところだが……」


 クロシェは指示しながら、リリィの跳躍する姿を一瞥する。


「あいつは魔術を得意とするタイプじゃないだろ」

「それにいっても聞かないよな」

「無理だな。集団行動がここまでできただけでも百点だ」

「その言葉、フェアには言われたくないと思うぞ。リリィも」

「クロシェにも言われたくないと思うな」


 数では此方が有利なのに、どう考えても一切有利な条件がなかった。

 ユベルの気まぐれで戦況はひっくり返ることは明白だ。

 戦況をひっくり返される前に、何とかする必要がある。そのまま格下だと油断して悠々と腕を組み立っていてほしいとクロシェは願う。

 リリィが後方へ飛んでいくのが見えた。イクスの蹴りをまともに食らったのか、魔術で緩和させたのかはわからないが、地面へ着地すると桜色の髪が遅れて舞った。


「……フェア、少し頼んだ」

「頼まれた」


 クロシェがナイフを取り出しイクスへ切り込みに行く。視線が交錯する。金色の瞳は、クロシェを不思議そうに見る。


「貴方には全く関係のないことでは? そもそも何故、貴方のような人間がこの場に?」

「決まっている。偶々だよ」

「偶々で審判に喧嘩を売るなんて馬鹿げていますね。貴族で、約束された自由があるというのに」

「あいつら、面白いだろう? だから、俺はこの場にいる。まぁ――この世に面白くない人間や吸血鬼なんて、殆どいないけどな」

「…………」


 イクスの鈍った刀捌きをクロシェは受け止める。空中を自在に闊歩するように、クロシェは身軽な連撃を繰り返す。


「だから、俺はイクスやユベルだって面白いと思っているよ。この勝負の結末がどう転がろうとも」

「本当におかしな人ですね。心底、狂っている」


 正直なところ、イクスにとってクロシェは戦いにくい相手だった。本領を発揮できない。

 単純な技量で言えば、クロシェよりイクスの方が強い。

 正面から純粋な勝負をすれば、菫やリリィの方が、クロシェよりも強いだろう。

 けれど、クロシェは上手かった。その立ち回り全てが、巧だった。

 故に、イクスにとっては菫やリリィよりもクロシェが厄介だった。単純な力量さでは覆せない。曲芸のような身の軽さも、クロシェの上手さに拍車をかけている。

 一撃一撃は軽いが、故に次の動作への機転が早く、イクスの一閃を軽やかに回避する。重みがない分、決定打にはかけるが、その分イクスの有効打も決まらない。


「それが世の中を楽しくいきるコツだ。君は、随分と世の中を楽しめていないと見える」

「……お前のように、楽しめる生まれじゃないんだよ、俺は」

「はは。そうだろうね。俺が人生を謳歌しているのは、何不自由のない貴族に生まれたからだ。否定はしない。けれど楽しく生きられるほどの力を付けても、過去に縛られて楽しく生きられないのは、君が原因だ」

「っ――クロシェ!!」

「あはは、やっぱり君は面白いな、イクス」


 イクスが向ける殺意の濁り切らない怒りに、クロシェは笑う。リリィが颯爽と地面を蹴り跳躍をしてイクスへの距離を縮める気迫が見えたので、クロシェは後方へ下がる。入れ違いに菫の弾丸が横を通り過ぎる。


「挑発しまくっていたように見えるが、今のでいいのか?」


 隣に並んだフェアの言葉に、クロシェは満足そうに頷いた。


「あぁ、もちろん。イクスには俺は殺せないよ。敵になれないから。アイリーンとは違い、一方的に嬲られるほどは弱くないしね。イクスにとっては残念なことに」


 イクスに敵じゃないことを証明するために、言葉を交わす必要があった。そして、敵じゃないと心から断言できるのは、クロシェだけだ。ノエも敵じゃないと断言できるだろうが、吸血鬼であることを考えると妙手にはならない。


「さて、と」


 クロシェはユベルを見る。早くメイゼンと合流できればいいなと思った。

 ユベルがしなやかに指を動かしたと思うと、魔術がさく裂した。フェアが周囲に青い炎を立ち昇らせるが、瞬く間に沈下される。フェアの長い髪が靡く。

 フェアとクロシェは風に乗るように離れると、足場にひびが入り、空白が出来上がる。


「こわっ」


 優雅なティータイムは終わりか、とクロシェが笑う。


「笑うところじゃないだろう。私とユベルでは吸血鬼としての格が違うぞ」

「まぁまぁ。だとしても、だ。いいじゃん」

「命を失ってもか」

「その時は一緒に死んでくれるよな? 俺の猫」

「お前が死んだときに考える」


 フェアが魔術で身体を浮かせたクロシェを、風のように操りユベルの元へ飛ばす。

 軽やかに地面に着地をして、クロシェがナイフで一閃するのを不可視の壁が軽く抑える。

 ノエが魔術で氷のつららを生み出し投擲する。フェアが援護するように、霧を生み出して視界を悪くさせるが、ユベルが指一つ音を鳴らせば一瞬で魔術は無に還る。


「ノエ。大丈夫か?」

 

  菫が声をかける。


「大丈夫だぞ。大丈夫、なんだ」


 ノエは一度仲間を失っている。この場に立つことへの恐怖を感じているはずだ。それでも気丈に振舞っているから、菫はイクスへの復讐心を忘れて、ノエを心配した。


「わかった」


 菫は銃を構えて、リリィの援護射撃をする。イクスはリリィの巧みな体術を捌きながらも、的確に弾丸まで避けている。どんな身体能力をしているのだと菫は舌打ちした。

 相手は二人だというのに有利が何一つない。それでも、菫はイクスを殺すつもりだった。ユベルにも負けるつもりがなかった。

 長年、薄れゆくことがなかった復讐心。ただ、殺すと誓い続けてきた。

 親友の復讐を果たす。

 イクスを見る。やや灰色みのある白髪に金色の瞳をした男。

 人殺しに躊躇がなくて、血まみれの札を渡すような彼に元々好感を抱いていたわけではないが、嫌いではなかった。

 ノエとフェアとイクスとでいた日々を、何も知らないままに過ごせたら良かったのに、と思える程度には好きだった。

 それでも、ノエを傷つけたことは許せないし、幼馴染の親友を殺したことも許せない。

 吸血鬼と疑われて、殺されてしまった――それだけであれば煮えたぎる復讐心を抱くこともなかったのかもしれないが、親友の死にざまは、菫に復讐を宿らせるには過剰すぎた。

 だから、引き金を引く手に迷いは一切ない。的確にイクスの急所を狙う。


「俺はお前を殺してみせるよ、イクス」


 リリィの蹴りの間を縫って襲ってくる銃弾の見切りをつけるのは、イクスにとっては難しいことではなかった。

 何菫の腕前が確かだったから。

 処刑人と呼ばれ、一撃で吸血鬼だと疑われた人間――もしくは本当に吸血鬼――を殺してきた男の、狙撃の腕前は、寸分の狂いなく急所を狙ってくる。

 容易、とまではいかないが、菫が狙ってくる場所は手に取るようにわかる。頭、心臓。人間の急所。それらを避ければ、必然、菫の銃弾にあたることはなかった。

 イクスは真白の刀を振るう。二人を相手にするのは余裕とは言えなかったが、吸血鬼を、敵を、殺せる。無心にイクスは吸血鬼を殺すためにひたすら研鑽を重ねてきた刀を振るう。

 吸血鬼を、殺せる。

 それは――イクスにとってとても嬉しいことのはずだった。

 ユベルが魔術を放っている姿を見るだけで苛立たしくなる。ユベルと相対しているノエが心配になる。吸血鬼は、嫌いなのに。

 ユベルが魔術を放つと、それだけで周囲を一変するだけの力がある。

 フェアが対抗をして魔術を幾重にも、くみ上げる。青い炎が、かすかにユベルの魔術に拮抗した瞬間を狙い、クロシェが踏み込む。

 魔術と魔術の境界線を飛び込み、ナイフを翳す。ユベルは口元を歪めて笑い、至近距離で魔術を放つ。

 四方一体を焼き付くす灼熱の中、クロシェは生きていた。

 ノエとフェアが同時に魔術を使ってクロシェの半径一メートル以内だけに絞り鎮静したからだ。


「やばいな。死ぬところだった」


 間に合わなければ死ぬような瀬戸際で出すには静かすぎる声色。


「死んでおけば痛い目にあうこともなかっただろう」


 ユベルが不思議そうに尋ねる。人への嫌悪は隠していない。


「痛い目にあっても生きていた方がいい」

「わかった。なら――お前だけは生かしておいてやろう。死にたい、と言ってもな」


 ユベルの凄惨な表情に、クロシェは顔を歪ませる。


「いや、それはちょっと大分困る。その時は、殺してほしいんだけど」

「は、俺に盾突くことがどういうことか、代償をもって教えてやるだけだ」

「ホント怖いな、この吸血鬼さま」


 クロシェはナイフを構えながら状況を把握するのに一瞬視線をずらす。隙になるが、ユベルは腕組をして悠然と見下しているからこそできる。

 リリィと菫は予想通りイクスの相手で手一杯だ。あの二人に対して、イクスは本領を発揮できる――彼らはイクスの敵だからだ。

 殺すという目的だけに特化するのであれば、イクスの相手をするべきはクロシェとノエであった。ノエに対しては吸血鬼でありながらもイクスは感情を乱れさせる。クロシェは敵ではない。

 復讐という感情は重たいな、とやはりクロシェは思う。

 殺すことだけを考えるのであれば、良かったのに、己の手で打倒して仇を打ちたいと思うのは非合理的だ。

 何ならクロシェは琴紗すら仲間にしたいと思っていた。

 戦力で考えれば琴紗は充分に役に立つ。その後、命を狙われてもお釣りがくるくらいだ。だが、無理ならば仕方ない。

 メイゼンの到着を待つだけだ。クロシェの身体が突如重力が歪んだように後ろへ弾き飛ばされた。

 失速し、地面に激突する寸前、片手を先に地面へ触れさせ、残った勢いを利用して地面に足から着地する。ユベルが眼前に迫っていた。見えない刃が振り落とされる寸前、投擲された剣が間を割って入る。草原に突き刺さった剣は宙を泳ぐ魚のようにして投げた人物――メイゼンの元へ戻った。


「メイゼン! 助かった。いやマジで!」

「間一髪ってところだな。良かったよ、間に合って」

「間に合わなかったら死んでた」

「軽々しく言われても返答に困る」

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