第53話:I'm relieved to be near you.
イクスは意を決したようにウルドと向き合って縋るように、わかりきっている答えを尋ねる。
「俺が家族を殺されたとき、復讐を望まなければ未来は違いましたかね? そうすれば吸血鬼を殺したい欲求にかられず、吸血鬼である彼女と――結婚できていましたか。幸せな家庭を、築けていましたか」
「もしもを想像して一体どうするんだ。過ぎ去ったものは過去でしかない。君の家族が殺された事実も、君が恋人やノエさんの友人を殺した事実も、何一つ変わらない」
「……それはわかっていますよ。でも、どうしても考えてしまうのですよ」
「吸血鬼を滅ぼしたいというイクスの目的は明確なのに、迷いが多すぎるよ。それを言えば、ユベルもですけど。目的が定まっているのにどうして躊躇する」
「仕方ありませんよ。あの吸血鬼も、意味のない過程を意味がないと理解しながらやめられませんからね」
吸血鬼であり審判を創設したユベルは、もしもあの時、親しくなった人間をもっと心から信頼していれば裏切られることはなかったのか――と。
過去を悔やみありえない未来を想像してしまう。
根っこのところではユベルもイクスもさして変わらないと、直接ウルドに言われた気持ちになるが、致し方ない。
もしも婚約者が殺されなかったらという未来をウルドは想像できないのだから。
「意味のないことだよ」
「俺もユベルもわかっていますよ。でも、考えてしまうのですよ。よりよい未来があったんじゃないかってね。……俺やユベルが、うじうじしているようにすらウルドには……いえ。ウルドには映らないか」
「そうだね。僕にはわからない」
正直に告げられる言葉を前にすれば、揺らいでいた気持ちが静かになっていく。
感情に振り回されるから、感情では動かないウルドが傍にいるのが心地よいのだ。それはイクスだけではなくユベルも同じ。だから、ウルドに依存するのだ。
ウルドは会話に一区切りついたと判断して殺した吸血鬼を埋葬しようと歩を進める。
「吸血鬼を埋葬する必要なんてないでしょう」
「死んだら、人も吸血鬼も一緒だよ。人が死んだら埋める。常識だ」
「――そうですね」
死者は埋葬するもの。ゆえに、死ねば人も吸血鬼も関係ない。
勿論ウルドの目の届く範囲には限界があるから、全てを埋葬しているわけではない。
異端審問官で吸血鬼の死後を丁重にしようという心を持っている人間は誰もいない。
けれど、ウルドが関わった吸血鬼は土へ還る。
全く持って、吸血鬼すら死後は丁重に扱えなんてどこの本に書いてあったのだかと、イクスは嘆息する。
それを常識と設定されてしまえば、イクスに覆す術はない。
吸血鬼なんて野ざらしでいい。死すら忌まわしきものであるというのに。
ウルドが優しそうに吸血鬼を抱きかかえ包み込む姿を見ながら、吸血鬼は強い相手だったと素直な感想を抱く。
裏切り者の吸血鬼と呼ばれているユベルは、吸血鬼として最強といって過言ではない。
故に、過去、吸血鬼の弱点と呼ばれているものを有している。太陽の光に弱いのは最たる弱点だ。だから、それを利用してくる輩は今まであまたいた。明確なつけ入る隙だから。
けれど、ユベルは弱点を突かれるよりも早く、全てを片付けてきた。ユベルを殺すに至らずとも、彼を怪我させた事実は大したものだ。
朝霞と呼ばれていた彼以上に強い吸血鬼はそれこそユベルを除けば早々いないだろう。
果たして、外からの吸血鬼はあとどれくらい残っているのか。外に世界の情勢を知らないイクスには想像の及ばない領域だ。
ユベルを撒き得として、この国に吸血鬼が終結すればいい。さすれば、滅びの歯車は加速する。
ウルドが黙々と埋葬していくのをイクスは手伝うことなく、審判内部へと戻った。
◆
審判が朝霞とセンを殺害した数日後。
クロシェの屋敷で振舞われる食事は、趣向と腕前を贅沢に振舞った一品たちが並ぶ。行儀よく皆が並び、明日行われる作戦について話会う。
口にするたびに、舌鼓を打ち、至福の時を味わえる。
けれど、この豪華の晩餐はささやかな日常の終わりの合図でもある。会議は終わった。吸血鬼ユベルを殺すために明朝動く。
ふと、菫は畏怖と恐怖を抱く程の異質の異端審問官ウルドを思い出す。
彼がモルス街でオススメしてくれた、ノエお気に入りのアップルパイのお店は確かに美味しかった。だが、しょせんモルス街としては美味しいの言葉が頭につく。
レーゲース街の貴族は、菫たちにとっての最上級のご馳走が当たり前なのだろう。ならば、ウルドは本心でアップルパイの店を惜しいと思っていたのか? クロシェよりも上位貴族であるユーツヴェルの嫡男が。
考えたところで意味のないことだ。復讐とは関係のない男だが、避けて通れるわけではない。ウルドは審判だ。適切な言葉かはわからないが、敵だ。味方ではないことは確かである。ならば相手の舌について考えたって意味はない。
スープをよそって一口飲む。透き通るような薄味。さっぱりした味が、他の食事の邪魔をしないで引き立てて喉を潤す。
吸血鬼であるフェアだけは、グラスに注がれた血を美味しそうに飲んでいる。
「そういやクロシェはどうやって血を調達しているんだ? いくら貴族だって吸血鬼の存在がばれたらまずいんだろ? 血なんて、吸血鬼のために用意されているようなものじゃないか」
解消できる疑問を菫は尋ねる。
フェアの隣で、貴族を実感させる行儀と品の良い動作で食事をしていたクロシェは一旦手を止めてからフェアを一瞥する。
「貴族なら自宅に主治医を専属で容易しているのも普通だから、病院から輸血用の血を貰っていた。とはいえ、クロシェは血を他の吸血鬼よりも飲むからな、それだけじゃ足りない。貰いすぎたら審判に怪しまれるからな。審判は輸血用の血に対して監視している面がある」
「ならどうして……いや、買ったのか?」
「正解。でも菫が考えている購入方法とは違うけどね」
「そうなのか? てっきりモルス街の人間から血を買ったのかと思ったが」
モルス街であれば、金に物を言わせれば何だって手に入る。過去、虹彩異色症で吸血鬼のフェアを手元においたように。
「モルス街の人間だと血が美味しくないかもしれないでしょーが」
散々な言いようだと思ったが、否定できる材料はなかった。
「栄養状態がいいとは思わないし、変な薬に手を出しているとも限らない。まともな血かさえ怪しい。怪しいか怪しくないかなら検査すればいいけどさ、いちいち手間だ。美味しくない血をフェアは好まない。なら、レーゲース街から入手すればいい」
「……金持ちの、レーゲース街に血を売るような奴なんていないだろ」
「それは偏見だ。モルス街の人間からしたらレーゲース街の人間全てが裕福に映るだろうし、比較対象がモルス街であったら答えはイエスだ。でも、レーゲース街で比較すれば貧富に差はあるし貴族と平民で差がある。モルス街とレーゲース街の人間はお互いを比較して裕福だ、貧しいなんてしないだろ? 手の、目の届かない範囲のところではしない」
「……それはそうだが、俺からすれば、あんまり現実味がないな」
「そう。現実味がない。彼らだってそうだ。それに、生活するための水準も違う。だから、レーゲース街でお金に困っている人間は存在する。そいつに話しを持ち掛けるんだ。こちらは金持ちの貴族。お金をよこすから血をよこせってな」
「よくそれで密告とかされなかったな」
「するような馬鹿はいないよ。レーゲース街では既定の――正規の方法以外での血の売買は硬く禁じられている。違法な手段で売買する血の行く先なんて吸血鬼だからな。血を売る方も買う方も後ろ暗い。だから血を売った段階で共犯者なんだ。彼らは買う方の背後に吸血鬼の存在を感じていたってな、自らの罪を告白してまで密告したいやつなんていない」
そもそもとクロシェは笑う。悪意がないからこそ性質の悪い笑み。自分の立場をわかっているもののみに許される特権。
「俺は貴族だ。ランゲーツ家の嫡男。下手な密告くらい握りつぶせる。審判に駆け込むか? レーゲース街でもモルス街と同様審判は畏怖と恐怖の象徴だ。そいつ自身が疑われ、吸血鬼の共犯者だと殺されるだけだよ。そこに駆け込むような正義感があるなら最初から血を売ったりはしない」
娯楽と愉悦を最大限に楽しむための手法をクロシェは心得ている。
「俺だって適当に選んでいるわけじゃない。ランゲーツ家よりも格上貴族様には持ち掛けない」
楽しさから一遍してつまらなさそうに吐き捨てながら、赤ワインをクロシェは飲ん
だ。
隣でフェアが血をワイングラスに入れて飲んでいるからか、その赤さはそれすらも血液じゃないのかと疑いたくなる。
「私としてはクロシェが危ない橋を渡らなくとも、毎食クロシェの血で十分だが」
「俺が死ぬよ。フェアだって俺が死んだら、俺の血は吸えないよ? それは困るだろ」
「よし。殺さなければ血をくれると言質をとったぞ」
「過大解釈しないでくれるかな。大体同じのを毎日食べていたら好物だって飽きるだろ。程よくがちょうどいい。で、菫。納得できたか?」
「納得は出来ていないけど理解は出来た」
「それで充分さ。そもそもお前らが理解できるとは思っていない」
「けど、風の噂でも立てられて審判に調べられたら終わりだろう。貴族だって審判は関係ないんだろ?」
「審判の耳に入らないようには頑張っていたよ。でも、本当に無理だった場合は、逃げるよ俺の猫を連れて。普通に。死にたくないもん」
あっけらかんと後先を考えていないようで、恐ろしいまでの前向きのような言葉を浴びせられて菫は二の句が繋げない。
貴族という地位を持ちながらもしがらみには執着せず、自由を謳歌せんとばかりの態度は、風のようであった。縛るものは何もない態度は、何処か憧憬の眼差しさえ向けてしまいそうになって首を横に振る。
その自由を権力を持ち、悪い貴族のイメージを植え付けている男がクロシェ・ランゲーツだ。会
話をし、住まわせて後押しや支援すら惜しみなくしてくれる人物だがいい印象を抱いているわけではない。
垣根を超えるつもりはない。菫の思考を見透かしたようにクロシェは言う。
「だから重いんだって。善人だ、悪人だ。そんな秤、必要ないだろ? 善人を君が自称するなら話は別だけど。それにさ、拘らずに軽くいかないと――死んだとき、後悔するよ」
「しないよ。でも。復讐ができずに死んだら、俺は後悔する」
「菫の復讐はそんなに大事なもの?」
クロシェにとって復讐とは未知の感覚なのだ、と菫は直感的に思った。
この男は奪う側の人間だから、奪われる側のことを想像できないし、仮に――奪われたところできっとあっけらかんと事実を飲み込み人生を歩めるのだろう。
羨ましくはないけれども、精神が強いとは思う。
「大事だ。幼馴染は吸血鬼じゃないのに吸血鬼だと疑われて死んだんだ。無残に殺されたのに、復讐せずに生きることは俺にはできなかった」
「なら、俺は君とは違うから、大丈夫。あ、――菫が死んだら、ちゃんと悲しんではあげるよ」
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