第51話:Girl sings. Hoping for happiness.

 少女は謳う。

 澄んだ歌声は無垢で、けれど危なかったしさをはらんでいる。

 少女は踊る。

 屋根の上を、翼があるかのように軽やかに回る。傾斜など、初めからなかったかのように安定した鮮やかさで、クルクルと、両手を広げて幸せを全身で表現している。

 太陽の光を背に受けて澄んだ歌声を響かせる少女の笑顔を見る観客はただ一人。朝霞あさかだけ。

 頬杖を突きながら微笑ましく眺めている。

 足元まである裏面は紫の灰色の髪が、絨毯のように服と一緒にトタン屋根に座っている。


「――セン。準備はいいか?」

「勿論だよ、わたしはいつでも大丈夫!」


 センはたんっと足音を鳴らしながら回転をやめる。朝霞の正面にてくてくと歩み、しゃがみ込んで瞳を合わせる。

 朝霞の緑色の瞳が、センの姿を映し、センの瞳には自分の姿が見える。

 お互いの視界にはお互い以外は不要。目に見えるのが全てで良かった。全てにするためには、甘い時間に浸り続けているわけには至極残念なことにいかなかった。


「……そうか」

「うん。だって、わたしはそのためにここに朝霞と一緒にきたのだもの」


 柔らかな手を伸ばしてセンは朝霞に抱き着く。

 朝霞も壊れ物を扱う様に優しくセンの腰に左手を回す。


「わかった。じゃあ行こうか」

「うん。ねぇ……ノヴェスタは生きているよね?」


 センは心配そうに尋ねる。朝霞はセンの黒髪を優しく梳かすように撫でながら慈悲深い瞳で頷く。


「生きているさ。エミルが――ユベルを殺すために巻き込んだ子供をみすみす見殺しにするわけないだろ。自分の命をなげうってでも、ノエだけは助ける。あいつはそういうやつだ。だから、大丈夫だ」

「そうだよね! うん、良かった……せめて、ノヴェスタだけでも生きていてくれたら、わたしは嬉しい……友達、だから」

「ユベルを殺したら、探そう。きっとどこかにいるよ、あいつ小さいから、どこかちょろちょろしているだろ」

「ふふ、そうだね。わたしより小さいものね。もう一度早く会いたいなー」


 はにかむ笑顔につられて朝霞も表情を柔らかくする。

 以前、エミルは無用な被害を出さないため、的確に吸血鬼と人間の見分けがつけられる仲間を探していた。

 エミルは吸血鬼としては強者だったが、吸血鬼と人間の区別をつけることは出来なかった。攻撃魔術に特化している吸血鬼だった。

 だから、持たない力を持つものを探し、見つけたのがノエ――ノヴェスタ・ノエノだったことを朝霞は知っている。

 ノエに知識を与え外へ連れ出したエミルと、朝霞は顔見知りだった。

 生まれた国は異なるが、ともに吸血鬼として力があったから何度か会合のようなものをした。

 ユベルを殺さなければならないのは一致していた。

 ただ、ユベルを殺すことは一致していても方針が異なった。

 エミルは仲間と共にユベルを殺す方法を選び、朝霞は少数精鋭で殺すことを選んだ。

 数を増やしたところでユベルを殺せるわけではないと朝霞は考えていた。

 だから、エミルと共に行動はしなかった。

 果たしてそれが正解だったのか、不正解だったのかはわからない。

 一緒に手を組み背中を預ければ、ユベルを殺せたのだろうか。

 何故一緒に行動することを選ばなかったのか、力を合わせなかったのか――と考えなかった日はない。

 けれど、もしもを思考したところで答えが出るわけがなかった。全ては未知数。不明なことだ。

 思考を切り替える。もしもに意味はない。未来を見据えなければいけない。

 自分が信じた道を、進むしか残されていない。


「ねぇ朝霞。ちょーだい」


 センが灰色と紫の髪の毛を掬う様に手に取って、露になった首筋にかぷりと、噛みつく。優しい香りが鼻孔を通る。


「いいよ、好きにしな。俺ももらうから」


 朝霞はセンの腰に回している手でこちら側へ引っ張り、センに噛みつく。

 血を失って血を得る感覚と、美味な血が舌をとろけさせるほどに濃厚に口へ流れていく。

 名残惜しいと思いながら朝霞が首筋から顔を離す。

 センはまだ堪能していたいのか、顔を埋めたままだった。

 朝霞はセンを抱きしめたまま、屋根の上に身体を寝そべる。

 太陽の光が、眩しかった。

 ユベルならば忌み嫌うだろう太陽の光も、朝霞とセンにとっては心地よい暖かさに感じられた。

 だから、ユベルは吸血鬼を滅ぼしたいのだと、理解できてしまって朝霞は笑う。


「満足したか?」


 センが首筋から顔を上げたので尋ねる。


「してない。朝霞の血は一番美味しいんだもの。もっともーと欲しいよ」


 牙から零れた血を舌で舐め取る。


「そうだな。俺も満足していない。俺もセンの血が一番好きだ」

「だから、わたしはあとの楽しみにとっておくの」


 無邪気な笑顔で言われて朝霞は同意する。

 二人だけの世界が欲しい、と朝霞は切実に思う。しがらみも権力も全てを忘れて、センと二人だけで暮らす幸せな時が欲しい。

 そのためには、ユベルを殺さなければならない。何を考えたところで、最終的な結論はそこに回帰する。

 寝そべっていた身体を朝霞は起こして、センの身体を抱きかかえる。


「よし、行こうか」

「うん!」

「セン。一つだけいいか」

「いや」

「まだ何も言っていないんだが?」

「何を言いたいかなんてわかるよ。もしもの時は、わたしに逃げろっていうんでしょ? それはいや。わたしは朝霞と一緒にいるの。朝霞と一緒に暮らすの。朝霞と一緒に猫を飼って幸せに暮らすの。朝霞と一緒がいいの。だから、何が起きてもわたしだけが逃げることはないよ。朝霞がいないんだから。朝霞がいない場所に何てわたしの幸せはないの。朝霞がいない場所に、興味なんてないの。それに――」

「……なんだ?」

「そんなこと起こらないから、大丈夫」

「根拠は?」

「根拠なんてなくていいじゃない。わたしと、朝霞がいるのだから。だから、それで十分だよ」

「……そうだな」


 本当ならばセンを最初から置いてくるつもりだった。

 だが、センはそれを見越したようについてきた。離れることはなかった。

 ならば、と朝霞は決意する。

 元より決意していた以上に、心を引き締める。

 ユベルを殺さなければいけない、と。

 朝霞とセンは隣に並び、屋根の上から跳躍して降りる。人々は気にすることなく、視線を向けることなく、日常の一部としてとらえている。

 モルス街は不思議な空気で、死が濃厚に絡みついているのに、どうしてこんなにも生きているのだろうか――朝霞はそう思いながらセンと手を絡ませて歩く。


 モルス街にある審判の拠点に立った二人の前に、怪訝と困惑を宿した男が現れて、あっとセンは口元に手を当てる。


「……ここは審判です。人がここに立ち入るのはオススメしません、もしも迷子ならば早急に立ち去ることをお勧めしますよ」


 白髪に褐色肌のイクスは、窮屈そうに審判の服を着ながら、感情を隠して淡々と話す。

 センは残念そうに瞼を伏せた。

 その男は、以前猫を追っていた時に出会った人だった。猫を大切そうにしていた、子供好きな印象を与える人。自分のことを心配してくれた人だが、目の前にいる男は間違いなく審判だった。


「審判に用があるといえば?」


 センと握っていた柔らかな手を名残惜しそうに離しつつ、朝霞が不敵に答える。


「用件を伺いましょう」


 イクスは悲しそうな顔をセンへ一度だけ向けてから、センが以前言っていたあさかへ視線を向ける。


「ユベルを殺しにきた」


 朝霞がよどみなく答えたので、イクスは口を歪めて笑った。

 それは歓喜か悲痛か、苦痛か快楽か。果たして何の感情を宿しているのか、朝霞には理解できない。

 ただ、嬉しそうで悲しそうだった。


「なら、貴方たちは吸血鬼ですね」

「そうだ」


 朝霞の断言にイクスは鞘から白い刀を抜きとる。幾度血に塗れた刀は、それでもなお白い。


「それにしても、最近は多いらしいですね」

「――何がだ」

「吸血鬼がユベルを狙って襲撃してくる吸血鬼が。俺は、その時いませんでしたから知りませんけれども、この間も吸血鬼が審判に乗り込んできたらしいですよ」

「そうだろうな。だって今しかないだろ? 今を逃したらどんどんユベルは吸血鬼を殺して、そして吸血鬼はどんどん弱くなっていく。もう、逃せない時期なんだよ。タイムリミットが迫っている以上、手をこまねいているわけにはいかない。逃せば、幸せな未来は訪れないからな」

「そうなんでしょうね。でも、お蔭で俺は――たくさん吸血鬼を殺すことが出来ます。吸血鬼むこうからきてくれるなんて、なんて楽なのでしょうね」


 笑っていたから、朝霞は口を引きつらせて殺意を瞳に宿し、イクスへと走り出す。

 センは少し距離をとる。親切な人が敵だったのは悲しいが、割り切るしかない。何より、イクスの瞳はあの時のような優しさがない。ただ、吸血鬼を殺したいと瞳が物語っている。ならば、あの時出会ったことは忘れよう。

 イクスが刀を振るった瞬間を狙って朝霞は跳躍する。重力を消したかのような動きでイクスの刀へ乗る。イクスは目を見開き驚愕しながら、刀の上から繰り出された洗練な蹴りを交わし、刀を手放して後方へ飛びのく。

 朝霞は地面へ着地する。ふわりと足首まである灰色と紫の髪が揺れる。白の刀がひびわれた地面に転がる。ウエストポーチから素早く、予備の短刀を取り出してイクスは構える。


「セン、サポートをしろよ」

「うん、わかっているよ!」


 番傘をセンが開くと、花が舞った。手毬が躍った。

 イクスはすぐさま幻覚だと判断するが、水を求める地面から生えてくる花を視界から打ち消せない。

 花から発生する霧のような水蒸気のような白が朝霞の姿を曖昧にして見えにくい。

 イクスは舌打ちしながらも、瞳は殺意に満たされ笑顔だった。朝霞はイクスの表情に嫌悪する。


「こんな吸血鬼は――放ってはおけませんね」


 駆け出し、花にからめとられそうな刀を右手で掴み取る。左手で短刀を投げつける。

 朝霞が流れる連撃を交わしながら、拳を振るうがイクスの身体を捕らえられない。

 数度刃を交わしただけだが、その纏う表情は、まるで審判になるためにこの男は生まれてきた、と朝霞に思わせるには十分だった。

 イクスは、朝霞を率直に強いと実感した。

 だからこそ、殺したい、殺したくて壊したくてたまらない欲求があふれてくる。

 街で出会った少女が吸血鬼であったのは残念に思う心がないわけではないが、それでもそれらすべてを打ち消すほどに吸血鬼を殺したい。


「あぁ、そうだ。貴方たちに朗報が一つありますよ」

「なんだ?」

「今日はモルス街に、ここにユベルがいます。だから、出会えますよ。普段、ユベルはレーゲース街の方にいるんですけどね、好ましくない所用でこっちにいるんですよ」

「知っている。知らないでここに来るわけがないだろ」

「あぁ、それもそうでしたね。失敬」


 審判も目の上のたん瘤であることには間違いないだろうが、何より優先されるべきは裏切り者の吸血鬼ユベルだ。

 ユベルを除けば人間で構成されている審判は、後々片付ければいい問題。ゆえに、ユベルが不在を狙って襲撃する必要はない。

 手始めに審判を滅ぼそうとして手傷を負って、いざユベルを殺せなくなっては本末転倒だ。彼らは吸血鬼殺しの専門家。一筋縄ではいかない。

 審判を滅ぼしたところで第二、第三の審判を作ることはそう難しいことではない。

 勿論、暫くの間は吸血鬼殺しの専門家として機能しなくなるだろうが、所詮その程度の弊害でしかない。

 ユベルは、ユベルを殺せば少なくとも未来は不明にしろ現時点で第二、第三のユベルが現れる可能性はほぼない。

 今の時代、ユベルは吸血鬼として最強だから。ユベルのように吸血鬼を滅ぼす吸血鬼が出てきたところでそれは単なる劣化でしかない。

 朝霞の猛攻を交わしていると、イクスの頬から血が流れた。視線を追うと徒手空拳だったはずの朝霞の手には短刀が握られていた。


「はは、言いざまだな」


 イクスを侮蔑したような楽しそうな声。朝霞とセンでは当然ない。

 朝霞とセンの動きが一瞬止まる。イクスはその隙を狙わず露骨に顔を歪める。


「たまには俺だって怪我をすることはあります」


 血を袖口で乱暴に拭いながら、背後から現れた忌々しい男にイクスは苛立たしそうに答える。


「ここにいるから吸血鬼は貴方を狙ってきたんですけど、なんで貴方が出てくるのですか」


 言葉尻を捕らえれば、守るべき対象のようにも思えるが、感情はどう甘く見積もっても俺が殺すからお前は引っ込んでいろと言っているのが、朝霞とセンにはわかった。


「吸血鬼が俺を殺しに来たんだから、俺が出てきても不思議じゃないだろ。にしても、今度はたった二人か。俺も舐められたものだな」


 現れた男は、金髪の――裏切り者の吸血鬼ユベルだ。屈託ない笑みで笑う。

 朝霞は隙なく構えながら表情をこわばらせることなく答える。


「エミルが……お前は名前を知らないか。この間、お前を殺そうとした吸血鬼が集団がいただろ? 流石にそれは覚えているよな?」

「あぁ。覚えている」

「それは失敗した。集団で駄目だった。だから少数で挑むんだよ。同じ手法で馬鹿みたいに繰り返したところでお前は殺せないからな」


 別にエミルがユベルを殺そうとした最初の吸血鬼ではない。

 吸血鬼を滅ぼそうとするユベルが強いことは既知の事実だったので、誰も個人で挑もうとする愚か者はいなかった。

 皆、徒党を組んで挑んで悉く敗れた。敗れ続けた。


「戦法を変えるのは重要だろ? 同じことを繰り返していたところで先には進めない。先に進めるためには同じじゃ駄目なんだよ」

「なるほどな、まぁ確かにお前は、それに見合うだけの実力はありそうだが」

「裏切り者の吸血鬼にそう言ってもらえるとは光栄だな。とはいえ、だ」

「なんだ?」

「格上に無策で挑む程、俺も馬鹿じゃないよ」


 朝霞は不敵に微笑んだ。

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