第50話:さようならを告げても
◆
菫はノエと一緒に街へ出かけていた。
メイゼンはその素性から屋敷の外には出られないし、リリィは療養中だ。
食料の類はクロシェが貴族の力を振り回して入手しているので困らないが、ずっと屋敷にいても息が詰まるだけだと気持ちの切り替えと気分転換を兼ねていた。
菫がそっと手を伸ばすと、ノエが手を握る。
ユベルを殺害の目的をやめて平和に暮らせばいいのに、とは思うが、それは自分のことを棚に上げて言うべきではないと喉元まで来た言葉を飲み込む。
ノエが望むのだから、ノエが望むままにすればいい。
「ノエはこの国の外から来たんだよな」
ふと思い立ったことを菫は尋ねる。モルス街を見渡せば綺麗なところなど何一つないように薄汚れていて、欲望と雑多に塗れている。
果たして外はどうなのだろうか、と知識を持たない菫は疑問を抱いた。
生まれそうだった国の当たり前を当たり前として受け入れていたが、外の国も同様の実情とは限らない。
「そうだぞ」
「外の世界はどうだ?」
「……ごめん。あんまりオレはわかんないんだぞ、ここと何が違うのか、どう違うのか。オレはエミルに外へ連れ出されるまでは、何も知らなかった。知っているのは本で得たものばかりだったからな」
「そういえば、そうだったな。けどなんでだ?」
「吸血鬼だからだ。人間に見つからないように、屋敷で隠れて住んでいたんだ。この国ほど吸血鬼に排他的ではなかったとしても、いずれ人間は吸血鬼を排除しようとする。なら、最初から吸血鬼だと存在を知られなければ無事でいられると考えてたみたいなんだ」
「そうだったのか」
十五歳という年齢にそぐわない幼い言動はそれが起因しているのだろうな、と菫は思う。
「オレにとって外を知らないのは当たり前だった。だから違和感なんて思ったこともなかった。でも、ある日オレの前にエルミが現れたんだ。本を読んでいたら突然窓からやってきた。エルミは色々と教えてくれた。お姉ちゃんみたいだった」
「……そうか。エルミとの日々は楽しかったか?」
「楽しかったぞ」
笑いながら答えるノエの言葉が真実だと感じ取れるから、エルミに会ってみたかったなと心から思ったし、それが叶わないことが残念だった。
「なぁノエ。この国は排他的だ。入国は厳しいし、この国で生まれたものは九割九分が外を知ることなく生涯を終える。なのに、どうしてノエたちはこの国に入ることが出来たんだ?」
楕円状に高い壁が囚人の檻のように国全体を囲っている。モルス街に限らずレーゲース街とか、外とは隔絶されている。
外からの侵入者や異文化を拒み、中からの脱走者を防いでいる。
その中で、ノエは――エルミが率いた吸血鬼たちは侵入を成功させている。
「いくらこの国が、交流を拒んだとしてもだ。内外の出入りは零じゃない。出入り口がある以上、そこの入口を騙したんだ。入国審査か?」
「騙した……どうやってだ?」
「エミルが幻術を使って、誰もいないように感覚を捻じ曲げたんだ。オレたちはそうやって侵入した」
「それは、吸血鬼なら入ろうと思えば誰でも入れるってことだよな」
「ある程度幻術に優れていないと無理だけどな。フェアとかなら余裕だぞ!」
「……そんなことユベルならわかっているよな? ユベルも、国政に携わる人間も。対応はとっていないのか?」
「エミルの推測なら言えるぞ。吸血鬼を殺したい国だからこそ、表向きは歓迎せずとも裏では歓迎するのだって」
「つまり排他的な国だが吸血鬼は別ということか」
「そういうことらしいぞ。吸血鬼を排除しようとするこの国に、そもそも侵入しようとする吸血鬼は、裏切り者を殺そうとするもの。隠れ住んで安泰に暮らしたいと思うわけじゃないから、放置していても自然と他国の吸血鬼は裏切り者の元へ引き寄せられる」
「なるほどな、納得できるわ」
菫は普段着ている異国の服へ視線を移す。果たしてこの服を着ていた元の持ち主は吸血鬼だったのだろうか。
「だから、オレを含め吸血鬼はこの国に侵入できるんだ。そういう仕組みだから」
「……ノエ、久しぶりにアップルパイでも食べるか?」
「食べるぞ!」
菫が話題を変えた内容にノエが嬉しそうに飛び跳ねて飛びつく。
髪がぴょこんぴょこんと音をたてているかのように動く。
「どこがいい? この前、ウルドに連れて行ってもらった店にするか?」
手持ちはクロシェから貰っているので問題がなかった。
「いいのか! 食べたいぞ!」
きらきらと目を輝かせる無垢な姿に菫は顔をほころばせる。
雑多な街でも空に浮かぶ光景はレーゲース街もモルス街も変わらない。血のように赤い真っ赤な夕焼けが一面を染め上げている。そろそろ日も落ちて夜になる。
眠ることを忘れ夜が本領発揮だ、とばかりに眩いばかりの統一感も綺麗さもない光が周囲を埋め尽くすのだろう。
夜は危険性が上がる。あまり遅くならないうちに帰宅しよう。
アイリーンも情報収集を頑張ってくれているのだ、遊びまわるわけにはいかない、そう思いながら歩いていると子供が数人、身なりの整った青年の周りにいた。
和気藹々とした雰囲気は、子供が青年を慕っているのが空気で伝わってくる。
「いや、いやいや」
菫はその光景に驚いて否定の声を思わず出してしまった。審判と、モルス街の子供が仲良くするなど異様な以外何もでもない。
「――! ウルド!」
ノエが嬉しそうな顔で菫の手から離れて子供の輪に加わった。ノエが加わると、他の子どもよりも身なりのよさが際立つが、子供から羨ましさや妬ましい視線は向けられなかった。
ウルドの品の良さに子供も影響を受けたのだろうかと菫は肩を竦める。
「おや、ノエさんに菫さん」
しゃがんで子供たちと目線を合わせていたウルドは立ち上がる。品のよい服装は審判の恰好ではない。
「どうされたのですか?」
「えっと、ウルドは仕事中か?」
「今日はもう就業は終わりました。あと、それは声をかける前に言うべきことですね」
吸血鬼であり、仕事中ならば敵であるノエへ優しく注意をする。
子供たちはウルドの腰にペタペタとくっついている。
「何しているんだ?」
「子供たちと遊んでいただけですよ」
何故審判が――吸血鬼を殺し、人間をも殺す殺戮集団とまで謳われる人間が、子供と仲良くするのが理解できなかった。
そもそも、子供たちはウルドが審判であることを承知の上かと疑問を抱いたが恐らくは知らない。ウルドは審判が畏怖と恐怖の対象であることを知っている。ならば、不必要に怖がらせるような真似は取らない。
「でも、もうそろそろ日が沈みます。親御さんたちが心配するから戻ったほうがいいですよ」
子供に対しても丁寧な口調で、ウルドが告げるとはーいと素直に子供たちは従って仲良く手を繋ぎながら戻っていった。
「オレと菫は、アップルパイを食べに来たんだ! この前ウルドが連れて行ったところが凄く美味しかったから」
「そうですか、それは良かったです。店主も喜ぶことでしょう」
「ウルドもどうだ!」
だからなんで審判を誘う、と菫は口を挟みたかったが期待に目を輝かせているノエの前では何も言えなかった。
「そうですね、夕食がまだですしご一緒させて頂きますね。あそこはアップルパイ以外も美味しいですよ」
「やったぞー!」
ノエが両手を広げて喜ぶものだから、菫はまぁいいかと思ってノエの頭を撫でた。
店に入ると他に客はいなかった。店主はウルドの姿を見ると愛想をよくする。上客であるウルドが来店することは好ましいのだろう。
注文を済ませると店主は厨房の中へ入っていく。ノエがまだかまだかと椅子に座ると床に足がつかない両足をプラプラとさせている。
「……なぁウルドは俺たちの目的を知っているのか?」
菫が小声で尋ねると、えぇとウルドはなんてことはなく答える。
「イクスから聞いています」
「……なのにどうして、俺たちとこうして談話できる」
「仕事中ではありませんし……いえ、そうですね。仮に仕事中でなかったとしても、貴方がたが僕の親友を殺そうとするのであればその時は、イクスに加勢をします。けど、今の貴方たちはイクスと顔を見合わせて敵対していない。だから、ですよ。ユベルについても同様です」
それは――婚約者を殺されても、助けられなかった。だから仕方ないで済ませるのと同じことかと菫は尋ねたかったがやめた。
尋ねて帰ってきた答えが、自分にとって納得できるものではないことは理解できる。
感覚が、感情がウルドとはどこまで行っても平行線で交わることがない。
そもそも婚約者を殺した男の部下として憎悪も復讐も抱かずに日常を送れることが異質だ。
「そういえば、ウルドは外を見たことがあるか?」
ノエと外の国の話をしたばかりだからか、菫は何となく尋ねる。
ウルド・ユーツヴェルは王家に次ぐ権力を持つ貴族の出身だ。
その気になれば国外に出ることだって容易なはずだし実際に外を見ていても不思議ではない。
「いいえ、ありませんよ」
だが、帰ってきた返答は菫が予想していないものだった。
「意外ですか?」
「そうだな。ユーツヴェルのあんたなら、あるのかと思っていた」
「私は審判に入りましたし、それに家督は弟に譲ったので。外が気になるならば、弟に尋ねてみてもいいですけれども? 弟が実際に外に出たのかまでは知りませんが、知識は私より持っているはずです」
「いや、そこまでしなくてもいい。ただの興味本位だから」
興味本位でユベルが家督を譲ってユーツヴェルの当主になった存在に尋ねさせるわけにはいかない。
「わかりました。そういえば、私はユーツヴェルだといいましたが、菫さんやノエさんの苗字は聞いていませんでしたね」
「別にモルス街の人間の苗字をきいても面白くもなんともないだろ……。この国で苗字が必要なのは貴族くらいなものだ、まぁ聞かれて困るような苗字も持っていないし隠す必要なんてないけどな、俺は
「珍しいお名前ですね」
「ん、まぁそうだな。名と姓が逆だから、言われてみれば珍しいな」
「オレはノヴェスタ・ノエノだぞ!」
名前をきいてくれ、とばかりに手を挙げて楽しそうにノエが名乗る。
「ノエさんは愛称でしたか」
「そうだぞ!」
「ノエさんのままでもいいのですか?」
「勿論だぞ!」
ノエと呼ばれることが嬉しいとばかりに無邪気に微笑む。
「そだ。菫が志堂っていうのオレ初めて知ったぞ」
「苗字に力があるのは貴族だけだ。クロシェ・ランゲージとかな。けど、それ以外の一般市民は苗字なんてわざわざ名乗る必要がないものなんだよ」
「アイリーンの苗字も知らないのか?」
菫にとって一番付き合いのある情報屋の名前を挙げられて、周囲から隠れるように、けれど虎視眈々と生き延びるために情報を収集し売買していたアイリーンの姿を浮かべる。
「あぁ、知らないよ」
アイリーンは情報屋だから恐らく、自分を含めた全員の苗字まで把握しているのだろうが。
料理が届けられた。
夕食を兼ねているのでアップルパイ以外も注文をした。ノエはスプーン一杯にオムライスを載せて美味しそうに頬張る。
「幸せだぞ」
「それは良かったです」
ウルドが審判に似合わない微笑みを浮かべる。ノエが恋い焦がれる大好きなアップルパイを美味しそうに食べるので、菫はつい自分に注文した分もノエにあげたら、ウルドもノエにあげた。
三個も食べられたノエは、頬がとろけてしまうとばかりに喜んだ。
食べ終わって会計を済ませてから外に出ると夕日は沈み、闇夜が空を照らしていたが、モルス街の灯が眩しく周囲を照らしている。路地裏やディス区まで足を踏み入れない限りは、空は暗くとも、街は明るい。
夜風に服を靡かせながらノエが数歩先に進んでいるのを見て、菫は歩みを止める。
背後にいたウルドを振り返る。プラチナブロンドの髪は、光の中でも闇の中でも綺麗だった。
「――きっと。さようなら、だな」
菫たちの目的は審判――そこにウルドは含まれていなくとも、敵だ。
ならばこうして会話をしていることすら本来ならばもうありえなかったようなもの。
それが成立したのが、別れの前の挨拶だというのならば、さようならを告げるべきだと菫は思った。
「貴方たちの目的がユベルであり、イクスであるのならばそうですね。けれど、さようならを言うのは菫さんだけでいいのですか?」
「願わくば、ノエに刃は向けないでほしいからな。だから、ノエにさようならは言わせない」
「そうですか。けど、それは無理な願いですね。ノエさんは吸血鬼です。そして私は審判です」
「……そうだな」
ウルドの言葉には、感情が含まれていない。
「おーい! 菫、何してんだ―!」
菫が隣にいないことに気づいたノエが歩みを止める。手を振る姿に菫は微笑んでからウルドへ背を向けた。
「さようなら」
ウルドの声が微かに届いた。平坦で、公私混同をしない男の暖かくもなければ、冷たくもないただ音になった言葉。
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