第49話:Choose the future that will not let you die

 納得をしたイクスは迷う素振りもなく、取っておきの情報を甘く告げる。


「ユベルを殺したいのならば――済みますよ」


 喉から手が出るほどに欲しかった情報なのに、言葉が想定外で意味を飲み込むのに時間がかかる。アイリーンは目を白黒させた。

 イクスはユベルが愚かだと憫笑する。

 吸血鬼を滅ぼすことが最大の目的でありながら、優先度はウルドより低い。


「馬鹿らしいほどね、ウルドに執着しているのですよ。吸血鬼を裏切って、人間と手を組んで、そして何度も人間に裏切られて絶望をしたユベルは出会ってしまったんです。決して裏切らない存在に。だから、ウルドがいない世界になんてあの男は生きる価値を見出せないのです」


 呆れますよね、と同意を求めるようにイクスは肩を竦める。


「ウルドは審判の№Ⅱです。弱い存在でも殺しやすい存在でもありません。けれど、殺すだけならばユベルとウルド、どちらが容易かなんて子供でもわかる答えです」


 人間であるウルドに驚異的な再生能力はない。殺せば死ぬ。

 ユベルのようにどうすれば勝てるか――と試行錯誤する必要もない。

 極論、周囲の被害を考えることもせず毒を散布すればいい。数で押し切ればいい。

 けれども、だからこそアイリーンにはイクスが打ち明けた秘密の暴露が理解できない。


「けど、ならどうしてイクスはウルドさんを殺さないの。ユベルを殺した男が、その情報を知りながらどうして殺さない」


 吸血鬼を殺すためならば手段を択ばない男が、手段を知りながら選ばない理由はない。

 敵と認識しないと人間を殺せないなら、敵と認識させればいいだけ。その方法を熟知しているし、実力もある。


「親友を殺すわけないでしょ」


 馬鹿ですか、と吹き出すように言われて、アイリーンは返答に困る。

 吸血鬼を殺すためならば平気に手をかけると――吸血鬼だから恋人を殺したように――思っていた。

 吸血鬼と親友を天平にかけたとき、イクスが親友を選ぶとは想定外だ。意外な思いが鮮明に顔へ現れたのか、イクスが心外だと眉を顰める。


親友ウルドは大切ですよ。俺にとって唯一の親友です」

「なら、どうしてユベルを殺す方法にその親友の名前をあげるのさ!」


 矛盾している。

 親友を大切に思っているのならば、その事実を告げる必要性すらない。

 得た情報を利用して親友が命を狙われ横死したらどうするのか、嘆き悲しむのか。悲嘆にくれるとでもいうのか。

 アイリーンの感情的な言葉にイクスは微笑む。


「大丈夫ですよ。俺がウルドを殺させたりはしませんから。親友を殺すようなやつを俺が放っておくわけないでしょ。そもそもアイリーン。俺は約束通り貴方へ情報を提供しました。有益な、これ以上な情報ですよ。でもね、これを告げることに意味はないのです」

「……そう、そういう」


 アイリーンは悟り、顔を曇らせる。イクスの方が上手だった、と実感する。


「菫やメイゼン、ノエがユベルを殺すためにウルドを殺す作戦に賛同するとでも思うのですか? 明瞭で確実で千載一遇のチャンスだったとしても、彼らはそれを選びませんよ。目的はあれど目的のために手段を択ばないような性格じゃないでしょ」

「けど……! ならどうしてイクスはその情報を僕に教えた!」

「貴方が言ったんじゃないですか、ユベルの情報を知りたいと。俺はそれに答えたまでですよ。答えた以上、貴方は情報屋として約束を守る」


 守らなければそれまでですけど、とどうでもよさそうにイクスは白髪の髪に触れる。

 金色の瞳が光なく見据えれば、アイリーンの怯えを隠そうとする姿は健気に映る。


「俺を迷わす取引を持ち掛けたんです、迷わしてもいいでしょう?」


 惑わされたから、惑わす情報を提供された。気づいたときには迷っているのだから遅い。


「……そうするためだけに、親友を利用するの?」

「親友を利用するわけないじゃないですか。情報を教えただけです。親友は殺させない。それに、簡単に帰れるとでも思っているのですか」


 絶対的な優位になっている自信がイクスからは零れている。アイリーンは表情を硬くしながらも答えないでいると、やがてイクスが忌々しそうに舌打ちをした。

 自分に対してではない。ならば何に対してとアイリーンが疑問を抱いていると澄んだ足音が扉の裏側――廊下から聞こえてきた。

 迷いない足取りは部屋の前で止まり、上品で規則正しいノックがされる。


「どうぞ」


 イクスに入室を許可され、扉が開く。現れたのはウルドだ。

 プラチナブロンドの髪は緩やかにウェーブがかかり、枝毛一つの乱れもない程に瑞々しい。金色の瞳は争いとは無縁の穏やかさ。

 茶色のハーフコートを腕にかけ清潔感のあるワイシャツにリボンタイを合わせている。背筋がまっすぐに伸び、立ち振る舞いは上品。

 イクスの偽りを感じる微笑みではなく、本物の柔和さを漂わせている。落ち着いた雰囲気は冷静沈着というよりも欠落を感じる。

 ウルドが審判に稀有な貴族だと知らないものも無条件で貴族だと認識させる佇まいがある、とアイリーンは感じた。


「……ウルド、何ようですか」

「イクスが戻っていると思ったから来ただけだよ。この子はどうしたのだい?」


 仕事を終え、ニメのことを頼まれたウルドの事情までは情報屋として知りえぬことだったが、それでもアイリーンにとって審判の恰好をしていないウルドは、油断は出来なくとも安心はできた。

 ウルドは仕事以外で人を殺すことはない。

 ウルドの視線がアイリーンを捕らえたところで、フードで顔を隠すのを忘れた失態に気づく。


「いいえ、人間ですよ」


 イクスが忌々しげに答える。吸血鬼であればどれほど良かったことかと本心が隠れもせず現れている。

 アイリーンを吸血鬼だと疑いの欠片は抱いていない。

 クロシェ、アイリーン、菫は間違いなく人間だ。

 何故ならば、吸血鬼と人間の区別がつくノエが反応しなかった。

 ノエは正直者だ。フェアを見たとき、フェアのことは吸血鬼だと反応をした。

 なのに菫やアイリーン、クロシェに対して反応しないわけがない。

 吸血鬼の疑いがあればいくらでも尋問をするが、吸血鬼でない証明が吸血鬼の手によってなされている。


「大丈夫ですか?」


 ウルドの問いを理解するのにアイリーンは時間を要した。

 大貴族ともなれば白髪赤目に目の色を変えることもないのかとアイリーンはウルドの態度から判断しようとして、訂正する。ウルドだから白髪赤目を見ても瞳から意思を読み取れないのだ。


「怪我しているでしょう」


 止血もされていない。赤が零れて白く滑らかな手を汚している。

 イクスが怪我をさせたことはウルドの目から見ても明白だ。

 怪我をおいながらも生きている人間は珍しいが、吸血鬼であったのならば怪我の比率が明らかに少ない。

 痛めつけられた痕跡はあるものの、イクスをしるウルドからすれば優しいくらいだ。

 人間だと答えたイクスの言葉に偽りはない。

 そもそもウルドには親友が嘘をつくとは想定していない。


「怪我をそのまま放置しておくのはいけません。手当をしましょうか」


 ウルドの優しい申し出にアイリーンは頷く。

 イクスならば手当をするときにうっかり傷口をえぐりそうだが、ウルドに対してその心配はない。

 この男は審判の№Ⅱだが、審判なのに異端といっても差支えのない性格をしている。


「ちょっとウルド。勝手に話を進めないでください。俺とアイリーンの話は終わっていないんですけれども……」

「大丈夫だろう? どうせ、殺すつもりはないのだったら手当をしたって」

「あのな……」

「殺すつもりなら、最初っから君はもっと手ひどいことをしている」

「はぁ……わかりましたよ、もう好きにしてください」


 投げやりにイクスは言い放つ。

 簡単に帰すつもりはなくとも、もとより生かして帰すつもりだった。

 いずれ敵対するとわかっている。今はまだ敵として現れていないだけ。

 敵として現れれば殺すのに――それでも、敵でないうちは殺してノエを悲しませたくないと思ってしまう。

 我儘な心情だ、とイクスは自嘲する。


「貴方の名前は? 私はウルドです」

「アイリーンだよ」

「わかりました。医務室での手当よりここがいいですかね?」

「……そうだね」


 人目は出来る限り避けたい。審判に侵入を考えていたからも勿論あるが、情報屋として素性は知られたくない思いもある。何より白髪赤目を衆目に曝したくない。

 本来ならばウルドとだってすら出会いたくなかったのだ。

 ウルドは勝手知ったる様子で寂しい部屋にある数少ない日用品の治療道具を取り出す。

 アイリーンを柔らかくない椅子に座らせる。怪我した部分に消毒をするとアイリーンは顔を顰めきゅっと唇を噛みしめて染みる痛みを我慢する。

 ウルドが包帯を取り出し巻いていく。


「随分と手慣れているのですね」

「イクスが無茶をしますからね。自然と慣れました」

「どうして貴方はイクスと親友なの?」


 言葉の裏にはイクスみたいな性格の人間と――が含まれていることにウルドが気づいたかどうかは不明だが、すらりと台本を読むように答える。


「イクスと出会ったからですね」


 それ以外はないとばかりの迷いのない言葉は、迷ったことのない人間のみが発する音のように聞こえてアイリーンは傷よりも痛い気持ちになった。


「ねぇウルドさん。もしもイクスが貴方を殺そうとしたらその時はどうしますか」


 イクスに傷つけられる覚悟で尋ねたが、痛みはなかった。イクスが苦虫を潰したような顔をしていることは背中ごとしにもわかる。


「親友が私を殺すわけないでしょう」


 親友に信頼を置いた言葉。一欠片の疑問も抱いていない。


「それに、もしも殺そうとしてきたとしても――私は何もしませんよ」

「どうして」

「親友ですから。のですよ。だってそれが親友の望みなのですから」


 笑顔で告げられれば唖然として二の句がでない。


「さて、終わりです」


 均一に巻かれた包帯。痛みは変わらないはずなのに和らいだ気分になる。


「ありがとう……ございます」


 この男を殺せば、ユベルは死ぬ。

 そうすれば少なくともノエが無謀な行動に出る必要はない。

 ノエや菫、メイゼンが望まない方法だとしても、その方法を実行することが可能なように準備だけでもする必要があるのではないか、思案する。


「イクスとまだ話があるならば私は退席しますけれど、どうしますか?」

「大丈夫です。話したいことは話しました。……イクス、決まったら連絡するから」


 アイリーンはそう告げて、立ち上がり背後を振り返る。イクスは金目を伏せてから頷いた。


「アイリーン。出口まで送りましょう」

「……そうだね、お願いするよ」


 イクスの申し出を断れるわけがなかった。部屋を出るとき、室内にいたウルドが澄んだ声で親友に話しかける。


「イクス。また傷つけては駄目だよ。敵ではないのだろう?」

「善処します」


 廊下に出てイクスと二人になっても会話をすることはなく、進む。来た時と同じように隠し通路を通る。一目を避けられない場所は運がいいことに誰もいない。

 審判の拠点はレーゲース街ならばまだしもモルス街は大抵出払っている。審判に厳重な警備は必要ない。侵入する愚か者など滅多にいないのだから。

 外の新鮮な空気をアイリーンは吸い込む。普段は何とも感じないのに、この時ばかりは美味しかった。


「良かったですね、無事に帰れて。ウルドに感謝でもしたらどうですか?」

「……そうしておくよ。それじゃ」


 アイリーンはイクスを振り返ることもせず、すたすたと逃げるように離れる。

 イクスは追わなかった。

 審判から距離を置いたところで、フードを深く被る。手が震えているのに気づいて笑いながらしゃがみ込む。立っているのがつらい。道端に転がる石ころがやけに愛おしく思えた。

 心を落ち着かせてから立ち上がる。早く安心できる空間に戻ろうと踏み出す。土に足跡がついた。

 クロシェの、金に物を言わせて作り上げたモルス街には不釣り合いな豪邸の前に立つ。モルス街に豪邸を作るなど盗んでくださいと看板を掲げているようなものだ。門番の警備すらない。愚かの結晶の建物。

 だが、中にいる人たちのことを思えば安堵できる。

 アイリーンは、安堵できる人たちには会わないよう忍び足でクロシェ邸内を進む。

 目的はクロシェとフェアだ。クロシェの部屋へ向かえば、無駄足にならず発見できた。

 お互いに向き合って飽きもせず首輪をつけようとしている。

 緊張感の欠片もない二人に気が抜けていくのを実感しながら声をかける。


「どうした?」


 クロシェが尋ねながらも視線はフェアから離さない。虎視眈々とフェアが隙を狙っているからだ。


「フェアさんは一度クロシェの元を離れたっていうのに、ホント、何もなかったように接するよね」

「子供だって家出くらいするんだ。猫が家出したって問題はない。目くじらを立てる必要はない――戻ってくればな」

「戻らないかもしれなかったのに?」

「戻らないなら連れ戻すだけだろ?」

「クロシェの考えはよくわからないや。まぁいいや、話があるんだけどさ」

「なんだ? 俺やフェアのところへきたってことは、他の奴らには聞かせたくない話かな?」

「そうだよ。ノエ君や菫ちゃん、メイゼン――それにリリィさんもだね。彼らには聞かせたくない」

「わかった」


 クロシェとフェアは首輪をその辺へ放り投げてベッドへ腰かけた。アイリーンは立ったまま二人と向き合う。


「ユベルを殺すのに最も有効な手段は、ウルドさんを殺すことだ」

「へぇ」


 クロシェが面白そうに口を歪める。フェアは特に何も思ってない。そのうち寝転がってすやすやと寝息を立ててしまいそうな雰囲気すらある。


「ウルドさんが生きていない世界に、ユベルは興味がないんだ。だからウルドさんが死んだらユベルは自ら命を絶つ。どちらも強敵であることには変わりないけど、実際問題として殺しやすいのはウルドさんだ」

「まぁだが、殺しやすいって話なだけだな」

「――そうだね」

「どういうことだ」


 フェアが尋ねると、クロシェは天蓋を眺める。フェアに伝えやすいよう情報を整理している。


「ウルド・ユーツヴェル。王族の血を引いているといわれる大貴族様だ。俺の家なんてひねりつぶすことくらい朝飯前な権力を持っているよ。家督は弟に譲ったとはいえ、血族であるウルドを殺してみなよ。その犯人は総力を挙げて探し出されるぞ。それは、吸血鬼を殺すことではない、国を敵に回すことだ。国外逃亡でも視野にいれないといけなくなるね」

「……ユベルだって審判のトップなんだろ? 殺したってただでは済まないだろ。ならば、それらのリスクなんて最初から承知のはずだ」

「違うよ。ユベルを殺すこととウルドを殺すことは同一じゃないんだ。ウルド殺しと比べれば道端の石ころだよ。ユベルは、王族と――国と手を取り協力し合っている関係だが所詮吸血鬼だ。そもそもユベルの力は危険だ。吸血鬼を滅ぼしたいと国が思っていたとしても、ユベルの力がそのために有効だったとしてもだ、手元にいつ裏切るともわからない爆弾を抱えては置きたくないだろ? 牙をむかれたら被害は甚大なんだからな。なら、ユベルが死んだところで構わないんだよ。どのみちユベルより強い吸血鬼はこの国にゃいない」

「それもそうか」

「そう。それに、追われたとしても逃げる選択肢の幅は追ってくる相手の本気度によってわかる。だから、リスクは同一じゃないんだ。所詮、ユベルは吸血鬼だ。人間の味方をしていたところで、人間ではない」


 クロシェは腐っていても貴族だ。状況判断が的確で助かる、とアイリーンは微笑む。


「で、それを私やクロシェだけに話した理由はなんだ?」

「切り札として知っておいてほしいから。だよ」

「そりゃそうだな。ウルドを殺すってことに菫やノエにメイゼンは反対するだろ。あいつらは、ユベルを殺すためにウルドを殺すことを納得したりはしない」


 クロシェがベッドへ横たわる。面白そうに口元を歪めながら。


「そしてリリィは別の意味でダメだ。あいつは――あの吸血鬼は反対なんてしない。イクスが殺せればそれでいいし、ユベルを殺すためにウルドを殺すなんてことを賛成こそすれ反対はしない。だからこそ駄目なんだろ」

「そうだよ」


 リリィは駄目だと反対はしない。積極的に賛成してくる可能性が高い。

 そうなれば――いざ、ユベルを目の前にした時ウルドを率先して殺そうと動き出す可能性がある。

 それはアイリーンにとって避けたかった。意図的に狙えば相手に目的が知られるリスクが高まる。


「もしもの時の切り札にするのが一番いいと思ったんだ。その後のリスクも増える。なら、状況がどうにもならないときの、打破するための起死回生の一手にするしかない」

「まぁウルドを殺した後のことはあとで考えればいい。外に出るのも楽しそうだ。だが、君はそれでいいのかな?」

「いいよ。誰かを殺さないと手に入らない未来なら、仲間以外が死ぬ未来を選ぶ」

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