第48話:取引
◇
仕事を手際よく終わらせたウルドがニメを安全な場所へ連れて行ってくれたので安心して審判へと戻る途中、イクスは人影を見つけた。
忌み嫌われ恐怖の象徴である審判の場所へ物見遊山で訪れるものはいない。
気配を隠し、様子を伺っている姿は確固たる目的を感じさせる。
フードを深く被っていても、それが情報屋アイリーンであることは直にわかった。
――裏切り者の吸血鬼ユベルの情報が目的ですか
イクスは気配を消して近づく。アイリーンが気づいた様子はない。
声をかけると、身体が此方へ向いた。驚愕と恐怖に彩られているのが口元だけでも判別できる。手を伸ばしフードを外す。抵抗は遅い。流れるような白髪。同じ白髪でも薄汚れた白髪とは異なり、真っ白だ。赤い瞳が揺れ動く様は見ていて面白ささえ感じる。
「ここは人間がくる場所ではありませんよ」
「何故、僕がここにいるのかくらい、イクスならわかっているでしょ?」
アイリーンはへたくそな笑みを浮かべる。筋肉が強張って思うような表情が作れない。
一方のイクスはアイリーンを殺すことなど朝飯前だとばかりに余裕の笑みが浮かんでいる。
微笑んだそれは偽物なのに、本物かと錯覚するほど柔和だ。
「菫のために自ら危険に身をさらすとは健気なのか愚かなのか判断に迷いますね」
「僕が愚かなら君も愚かでしょ」
「それもそうですね」
「愚かなもの同士――仲良くしようよ」
静寂。予想外の言葉にイクスは真意を量りかねていた。
「吸血鬼ユベルの情報を僕に教えて」
「……それをして俺になんの得があるというのですか」
「得ならあるでしょ。吸血鬼嫌いのイクス。吸血鬼を殺したくて、吸血鬼を殺すためだけに、貴族の養子になって審判になって、今なお吸血鬼を見たら殺害している君に、ユベルが死んで悲しむ理由はない」
アイリーンはイクスに見つかった段階で覚悟を決めた。
例え不意打ちをしたところで、イクスは殺せない。明確な実力差が存在する。
ならば言葉を武器にするしかない。
イクスに関する情報は、菫の復讐相手を探る段階で入手している。
アイリーンは吸血鬼ではない。人間だ。
明確な敵対行動でもとらない限り、イクスは言質でもない限り敵だと認識できない。
ならば、敵だと宣言しなければいいのだ。
少なくとも――殺されることはない。
状況が好転するかは賭けだ。賭けに負けた先は考えない。
「話だけでも聞きましょう。ここでは何ですから、俺の部屋でお茶でもしましょう。こっちの方が、作りしっかりしているのでぼろくないですよ? 崩壊の心配もありません」
ディス区にある自宅へ招待したことはないが、情報屋ならば既知だろう。
「そうだね、そうさせてもらおうかな。他の誰かに目撃されても厄介だ」
申し出にアイリーンは乗る。
敵地の真ん中に隠れもせず踏み入れることは危険だが、その選択しか許されていないことを知っている。
逃げようと一歩踏み出してしまえば、終わる。
選択は一度も誤ることはできない。
「じゃ、案内してよ。イクス」
だから強気に出る。
「流石に馬鹿じゃありませんね」
くすり、と口元に手を当ててイクスは笑う。
「当たり前でしょ。僕は君のことを知っているのだから」
「でしょうね。貴方は、俺の敵ですか?」
戯れのような言葉にアイリーンは歩き出した足を止める。
「答えないよ。そんな自分から自殺志願するほど僕は死に飢えていない」
「――なら、飢えさせてあげましょうか」
「え――?」
戯れだとばかりに、イクスが鞘から刀を抜き、軽く振るうとアイリーンの肩を斜めに切り付ける。血が流れる。
痛みで膝をつくがアイリーンは唇を強く噛みしめ悲鳴だけは辛うじて抑えた。潤んだ瞳でイクスを見上げる。
「冗談はやめてほしいな」
「ただの戯れですよ」
「……僕にとっては一大事なんだけど、傷跡でも残ったらどうしてくれるのさ」
軽口を叩きながらアイリーンは立ち上がる。痛みがじくじくと襲うが、平然な顔を作り上げる。
「その時は、傷跡が見えないくらい傷で上書きしてあげますよ」
「やめてよ。僕はマゾヒズムじゃないんだから」
敵対行動をとれば、殺せるとイクスは軽く切り付けた。だが、それをアイリーンは避けた。
敵だと言わせる方法くらい片手では足りないくらい思いつくが、この場ですることもないし、アイリーンがこの場をどう切り抜けようとするのか面白くもあったので真白の刀を収める。
審判の内部へと入る。
審判は常日頃忙しく動き回っているため、内部は静寂としている。本部の方は受付がいるが、モルス街にはいない。
大抵の審判は、モルス街よりもレーゲース街の審判拠点方が綺麗だからそちらを好む。
しかし、イクスにとっては綺麗で醜いレーゲース街よりも、見慣れたモルス街の方が好ましかった。
階段を素通りし廊下を真っすぐ進む。突き当りで仕掛けを解除し裏側に隠れた薄暗い階段を上る。
「……隠し通路」
「こっちの方が人目につかなくていいでしょう」
「いいの? こんな秘密の抜け道みたいなところ僕に教えても」
「知っている人に教えて一体何の不都合があるのですか」
「あはっバレてたか」
「想像はつくに決まっているでしょ。無鉄砲に正面から審判の情報を、危険を犯して貴方は得ない。同じ危険を犯す行為だったとしても可能な限り安全な方法をとる。それを考えれば、審判内部にある無数の裏道を知っていても不思議ではありません。いえ、知らないわけがない」
「その通りだよ。内緒にしてね」
審判内部にはいくつも視界に入る形での道と、隠された通路が無数に存在し複雑怪奇に入り組んでいる。
アイリーンはその存在を熟知していたからこそ、審判へ忍び込むことが出来た。
イクスの部屋へ向かう道中、菫の親友を殺した男がイクスであり、菫はイクスに復讐を誓っていることを告げる。千鶴やリリィのことも話した。千鶴のことは記憶にあったイクスだが、菫の親友には心当たりがなかった。
吸血鬼の疑いがある人間をイクスはあまた殺している。
その中の一人など余程印象深くなければ覚えていない。
到着すると、そこは殺風景で寝泊まりをするためだけの場所だ。娯楽や遊びを感じさせない。
吸血鬼さえ殺せればいい男には、余裕がないのだろう。つくづく思考も視野も狭い男だとアイリーンは哀れにさえ思う。
イクスは言葉通り、お茶をアイリーンに出した。毒殺などの手段を用いずともアイリーンを殺す手段を無数にイクスは持っている。だから疑うことをせずアイリーンはお茶を飲む。
自分は飲まないつもりなのか、手渡した後は腕を組んでいる。
「ユベルの情報をくれたら、こっちは、菫ちゃんたちが審判を襲撃する日を教える」
「それをして貴方たちにメリットはないでしょう。デメリットしかないし、俺にメリットがあるとも到底思えない」
「少なくとも僕にメリットはある。それにイクスにだってメリットはある」
「どういうことですか」
「ノエ君と再会しない道を選ぶことだってできる」
「――!」
気づいたらイクスは殺さない程度に刀を振るっていた。
鮮血が飛び散って初めて切り付けていたことを実感する。しまったとイクスは舌打ちする。
先ほどよりも強烈な痛みに苦悶の声を上げながらも、アイリーンはイクスへ話しかける。
額から汗が滝のように流れる。口を閉じたら、死ぬ。
武力で叶わないならば、言葉で勝負するしかない。
「君は、ノエ君を殺していない。吸血鬼が大嫌いな君は、吸血鬼を生かしている。吸血鬼は殺したいけれども、ノエ君は殺したくないんでしょ?」
図星をつかれてイクスの顔はみるみると歪んでいく。刀はむき出しのままイクスの手中にある。
アイリーンは言葉を続ければまた切られるかもしれない恐怖があったが、言葉を閉じたところで好転はない。
血が流れる。痛い、痛くてたまらない。泣きたい気持ちを懸命に抑える。
「まあ、フェアさんも生きているけど……でも、それとは違う。フェアさん相手なら、イクスはいつだって殺せる。吸血鬼を一人、この世から消し去ったとしか君は思わない」
「……そうでしょうね」
イクスがフェアを殺していないのは偶々だ。
吸血鬼であった彼女を殺してしまったから、吸血鬼だからといって見境なく殺さないように自制していた期間にフェアと知り合っただけ。殺せないとは思わないけれども、殺す機会がなかったに過ぎない。
「菫ちゃんたちがやってくる日、その日を知っていれば、君は選ぶことが出来る。再会を選ぶのか、再会を選ばないのか」
「そうですね。でも、俺がいなければ菫の復讐が果たせませんよ? あの吸血鬼も俺を殺すことはできない。それでは貴方たちの目的は半分しか達成できない」
「知っているかい? イクス。僕はね――菫ちゃんに死んでほしくないんだよ」
嘗て情報を隠蔽したのも、こうして動いているのも、少しでも菫が死なないようにするためだ。
「菫ちゃんだけじゃない。皆死んでほしくない。目的のために命を懸けて、それで死んじゃったらどうするのさ。命を賭してまで成し遂げたいことにどれほどの価値があるの。でもね、そのイクスに復讐したい、ユベルを殺したい、その目的に命を懸けることは理解できなくても――その目的を達成してほしいという気持ちも僕にはあるんだ」
「矛盾していますね」
リリィにも同じことを言われたな、と思いながらアイリーンは一言一句たがわずかえす。
「矛盾していないよ。死んでほしくないけど、望みは果たして欲しいと思う感情は、反するものではないよ」
「我儘ですねぇ。未来に犠牲はつきものですよ」
「……だから、僕は少しでも、皆が生き残る道のために動く。それでも目的を達成してほしい気持ちと、生きていてほしい気持ちを天平にかけたら、皆が生きる方に傾く」
「やっぱり矛盾しているじゃないですか……両方を願いながら、両方は叶わないと知っている」
「そうだとしても僕は違うという。ねぇ、イクス、僕と取引をしようよ」
「貴方は、貴方に寄せられている信頼を何度も裏切ることが出来るのですか?」
取引をするということは、裏切るということだ。
「勿論。すでに僕は菫ちゃんの信頼を裏切っている。今更、それがなんだっていうのさ」
「――まぁ嘘はないでしょうね。仮に取引したとしましょう。俺が襲撃の日を知ることで、ユベルに情報を流し待ち伏せや罠を仕掛けるとは考えないのですか?」
「考えない」
迷いない断言にイクスは眉を顰める。
「どうして」
「吸血鬼ユベルを殺したくてたまらない男が、吸血鬼を助けるような真似はしないでしょう」
図星だ。正真正銘の真実だ。イクスはユベルを助けるような真似はしない。
「君は、襲撃の日を知っていれば、ノエ君と再会するかしないかを選ぶことが出来る。ユベルが死ぬかもしれないチャンスを得ることが出来る。それに、僕が教えるのは、襲撃の日だけだ。それ以外の手札を明かすつもりはない。だから、別段イクスの側が有利になることも、菫ちゃんたちが不利になることもない。君が現れれば、それはそれで菫ちゃんやリリィさんが復讐をするだけだ。現れなければ、菫ちゃんたちの生き残る確率が上がる」
どちらに転んでも損はない。
「そうですね。貴方にとって、それはただ状況を少しだけ操作して変えるだけだ。けど、どうしてあなたが自分が所持する手札を明かさないと断言できるのですか? その手札を開かせることだって、できるんですよ」
「……僕は明かさないよ」
「貴方を菫たちの元へ返すか、返さないかは俺のさじ加減一つですよ」
イクスは手を伸ばし、淀みのない白髪に触れる。
アイリーンは一瞬、切られるのではないかと恐怖から瞼を瞑ってしまった。失敗した、と顔を歪める。
「殺さないで吐かせることも、壊すことも簡単なんですよ」
「……」
「そのための手段はいくらだってある。腐るほどあるんですよ。白髪赤目は顔がのこっていれば手足がなくとも高く売れますかね?」
「さぁ。傷がないままの方が高いんじゃないの?」
声の震えを隠しながら気丈にアイリーンは答える。
イクスの言葉には何の膨張もない。ただの真実だ。イクスの匙加減。気紛れで命運が決まる現状に、アイリーンは思わず笑いたくなる。
イクスは敵だと判断できなければ殺せない男だ。
そう、出来ないのは殺せないだけ。
「けどさ、僕をこのまま返したところでイクスには害はないじゃない。僕は君の敵ではないのだから。君が殺したい相手の情報を露呈したところで君は困らない。なら、僕なんかに時間をかける必要はないでしょう」
イクスが審判であるのは、吸血鬼を殺したいからだ。
それなのに、審判のトップは吸血鬼。
殺したい存在、けれどユベルの力は圧倒的で殺せない。
だが、ユベルは吸血鬼として最強だが、不老不死の化け物ではない。死なないわけではない。殺せないわけではない。
ならば、ユベルが死ぬ可能性が僅かでもあると見えれば、イクスが情報を提供しても不思議ではない。
ましてや、イクスは吸血鬼嫌いなのに、ノエを殺していない。
その二点を使えば、皆が望む情報のひとかけらを入手することは決して夢物語ではない。
イクスは暫く思案してから、刀はむき出しのまま柔和な笑みを浮かべる。
「いいでしょう。では貴方がお望みの、ユベルの情報を教えますよ。尤も、情報屋である貴方と手持ちの札が大差なくても失敗したとは思わないでくださいね」
「大丈夫さ。吸血鬼ユベルを殺したくてたまらない男が、僕より情報を持っていないなんて思っていない」
「あぁ、確かにそうですね」
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