第47話:For you, I can do my best.

 アイリーンは情報屋の仕事をしてくるね、と散歩に行くような態度で菫とノエへ告げてから、ダイニングから外に出る。

 パタンと扉を閉めてから一人になった廊下で深呼吸をする。背中にある扉がやけに冷たい。


「よしっ」


 情報収集の前に、まずは会いに行く人がいる、と貴族の邸宅に相応しい廊下を進んでいく。クロシェの趣味で建築された建物はところどころ珍妙な品が鎮座している。

 クロシェの寝室にたどり着いたアイリーンは扉を二回ノックする。返事はなかった。

 ドアノブを回すと鍵はかかっていない。

 部屋に入ると満身創痍のリリィは包帯を取り換えている途中だった。


「リリィさん。包帯くらい取り換えてもらえばいいのに」


 クロシェ専属の医師に頼めば見事な手際で効率的にしてくれるだろうに、リリィは包帯と格闘して、身体を動かすたびに傷口に響き顔を顰めている。

 苦戦して巻けても不格好だ。

 一歩動けば綻びから包帯が解けるだろう。


「誰が人間に頼むか」


 取り付く島もない態度をとられてアイリーンは肩を竦めながらも、歩き出してベッドで包帯を巻いているリリィへと近づく。


「なら、人間だけれども僕が巻くよ」

「……」

「いいでしょ。どうせ二回目なんだから、今更抵抗する必要も拒否する理由もないでしょ」


 ニッコリとほほ笑むと、リリィが渋々頷く。身体をベッドの上で半回転させて背中を見せる。

 無駄な肉がない肌には生々しい傷跡が無数に残っている。痛々しいまでの怪我だが、前回手当した時よりも酷くはなかった。

 驚く気配を察したのか、リリィが笑う。


「別段、驚異的な回復力や治癒力があるわけではないが、俺の吸血鬼としての力は低くないからな。他の吸血鬼や人間よりは傷の治りが早い」

「そっか、それはまだ良かったね」

「あぁ……そうじゃなきゃ、死んでいたかもしれないな」

「リリィさんは死ねないよね。イクスを殺すまでは」

「当たり前だ。イクスを殺せた後に死ぬのは構わない。千鶴がいない世界で生きていたって楽しくないしな。けど、復讐を成し遂げる前にくたばるのだけはごめんだ」

「なら、もっと人間に包帯を変えてもらったり、手当ももっとちゃんと受けたほうがいいよ。どうせ、途中でこれくらいでいいっていって追い返したりしたんだろうから」


 ある程度までは身を任せても、それ以降は踏み込ませない拒絶をしたことは想像に難くない。


「うるさい……わかっているが人間に全部任せたくない」

「わかっているなら、ちゃんと人の言うことは聞こうね。そうじゃないと、完治が遅くなってしまうよ。イクスを一刻も早く殺したいなら一刻も早く休むべきなんだから。急ぐことだけが必ずしも早いわけじゃないよ」

「うるさい」


 アイリーンは包帯を手に取り丁寧に巻いていく。


「きつかったらいって」

「あぁ、大丈夫だ」

「ねぇリリィさん。お願いがあるんだ」

「なんだ?」

「菫ちゃんが無茶しようとしたら止めてほしい」


 背中越しに伝わるアイリーンの声は真剣そのものだった。リリィは振り向いてアイリーンの瞳を見ることはせず、感情を押し殺して淡々と何故、と尋ねる。


「イクスを見たら菫ちゃんは無鉄砲に進むから。菫ちゃんは、どうしてもイクスを殺したいんだ。親友を殺されたから、ノエ君を傷つけたから――それに、千鶴君も殺した」

「俺だってそうだ。その俺に何故頼む」


 千鶴の名前に叫びたくなる衝動を抑えて、リリィが尋ねる。

 同じイクスを殺した復讐者であるものに頼むのはお門違いに思えてならない。

 復讐を助長はしても、ともに無鉄砲に突っ走ることはあっても、ストッパーであろうとは考えない。


「だからだよ。リリィさんと菫ちゃんは同じだから、だからこそ菫ちゃんの感情が理解できるでしょ? だから、無茶しそうになったら止めてほしいと思ったんだ。僕じゃ、それは無理だからね」


 怪我をしていない肌にアイリーンの手が触れる。


「……まったくもって矛盾だな。お前は協力をしている癖に、菫には無茶をしてほしくないという」

「矛盾していないよ。死んでほしくないけど、望みは果たして欲しいと思う感情は、反するものではないよ」

「……保証はできない。が、拒絶はしない」

「ありがとう。それだけで十分だよ。心の片隅にでもあれば、それでいい」


 アイリーンは肌から手を離し、残りの包帯を巻く。健康的な肌は、包帯と滲んだ赤に埋まる。

 リリィは身体をゆっくり動かしてアイリーンの方を向く。数多の悲劇を何度体験したのか想像のつかない白髪赤目の持ち主は、柔和に微笑んでいた。


「……アイリーン。そのかわり」

「なに?」


 リリィは腕を伸ばし、アイリーンの肩を掴む。

 前かがみになったアイリーンはリリィが何を望むのか察して、抵抗をしない。手から震えが伝わってきた。

 リリィは口を開けて、その牙でアイリーンの白い首筋に触れるが、それが限界だった。吐き気がこみあげてくる。手を離して自分の首に手を当てて、嘔吐しそうになるのを懸命に抑える。


「焦る必要はないよ、リリィさん。今までずっと千鶴君の血で生きてきたんだ。なのにたった数日で――ただの二回で他の人間の血が吸えるようになんてならなくても不思議じゃないのだから」

「……だが……」

「大丈夫。吸血しようとする意志があるのだから。急いだって失敗するだけだよ」

「そうだな」

「そうそ、それじゃ僕は、情報でも手に入れてきますか!」


 うーんと背伸びする仕草をしてからアイリーンが笑う。

 皆死んでほしくないと心では願っている。

 復讐なんて忘れて、目的何て忘れて皆で幸せに楽しく生きていればいいのに、と切実に思っている。

 それでもノエも菫も、メイゼンも、目的を忘れて生きる道は選ばない。能弁に瞳が物語っている。

 ならば、少しでも暖かい場所があり得る未来を望んで自分に出来ることをする。


「寂しいのか、お前?」


 笑った裏に見せた感情を見抜いてリリィが尋ねる。


「そんなことないよ、皆がいるんだから」

「だから寂しいんだろ。皆でいられなくなる未来が決して低い確率じゃないことを。皆と一緒にいることを願いながら、皆と一緒にいられない可能性を冷静に感情ではなく理性で知ってる」

「それ以上は言わないで、リリィさん」


 アイリーンの浮かべた切なさに、リリィは口を閉じる。


「じゃ、リリィさん。安静にしていてよ、僕が情報たんまり仕入れてくるから」


 手を振ってからアイリーンは、クロシェの寝室を後にした。扉を閉じる寸前に見えたリリィのどこか困った顔が、アイリーンの瞼に焼き付いた。



 モルス街には不釣り合いの、貴族が道楽のために建てた屋敷のエントランスでアイリーンはフードを深く被り外へ出る。外気が冷たく心を冷やす。

 外に出るときはいつだってフードを被って素性を隠しているのにも関わらず、久しぶりな感覚が沸き上がる。

 懐かしいとさえ思うのは、白髪赤目を隠し続けて生きてきたのに、珍しい色を見ても変わらずに接してくれた人たちが一気に増えて、心が温かくなっているからだ。

 正直、一人で情報収集をするのは心細さがあった。メイゼンとの生活を壊した白髪赤目を欲する琴紗に一度囚われた恐怖が残っている。

 けれど、情報収集する術を持たない仲間と一緒に出て、結果として情報を台無しにしてしまうわけにはいかなかった。

 一人の方が技術を発揮できる。

 心細さは、奥底へしまい込む。


「さて、審判について調べないとね」


 フード越しに頬を軽く叩いて気合を入れる。見慣れたモルス街を歩く。人から親切をはぎ取ってしまったような街。隣で泣いている人がいても、手を差し伸ばす物好きは早々いない。物好きに出会えたことを感謝しながら、アイリーンは涙の横を通り過ぎる。

 喧噪の間を縫って進むと、一定の区間を超えると、一変して静寂に満ちる。

 誰もが近づくことを拒むから、人気はなく静かな恐怖に塗られている。

 浅瀬の橋を渡った先には審判の白い塔が威風堂々と存在を主張している。薄汚れたモルス街で、汚れのないような白さは、人間が白で、吸血鬼は白以外の不純物だと思う象徴なのだろうか。

 尤も、その場合、トップが白ではない矛盾が生じるが、真偽の正体には興味がないので調べていない。

 見晴らしのいい場所は隠れる場所も少なく、侵入者を発見するための見張りには丁度いい立地だ。

 だが、設立当初はともかく、現在では人間、吸血鬼双方から恐怖と畏怖の象徴とされる審判に好んで侵入するものもおらず、見張りはいない。

 侵入しようと思えば不可能ではない。

 実際、何度か過去にアイリーンは審判の情報を手に入れるために侵入したことがある。

 本当は身もすくむ場所。近寄りたくもないが、菫が審判の情報を欲していたから、侵入した。

 親友の敵を探すために、情報を集めた。殺した相手が審判の№Ⅱであり、敵とみなしたら殺すことしか選択できないような、イクスでなければ菫へ情報を提供しただろう。

 けれど、現実は残酷だった。冷静に考えて菫が挑んだ場合殺されてしまうと思った。だから、秘匿した。

 しかし、それ以降も随時情報は手に入れた。動向は探っておきたい。

 結果として他の依頼人が審判の情報が欲しいとやってきたときに売って金銭へ変えていた。


 ――クロシェの言う通り、情報屋失格だね。だから、頑張らないと!


 どんな手段を使ったって、望むべきものを手に入れる。

 アイリーンが情報を手に入れるために審判に侵入するとは菫もノエも、それにメイゼンも夢にも思っていないよな、と思うと、不思議と心が穏やかになっていく。

 もしも気づいていたら一人で行かせるような真似はしなかっただろう。その甘さが彼らにはある。


 ――菫ちゃんもノエ君もきっと食べたら砂糖なんだろうなー。メイゼンはハチミツかな


 クロシェはきっと気づいている。フェアの思考は読み取りにくいからわからない。

 付き合いの浅いクロシェが気づけて、菫がその考えに至らない理由なんて明白だ。

 アイリーンが今まで情報入手の手段を秘密にしていたから。白髪赤目だから。もしもの時の戦闘術が得意ではないと知っているから。慎重に行動をすると思っているから、大胆に直接忍び込んで情報入手しているとは考えない――考えないように動いてきた。

 悟られたら情報屋に情報を頼らないかもしれない、そのもしもを実現させたくはなかった。


 ――リスクを冒さずに安全な場所で有益な情報を手に入れられるわけないでしょ


 だから今回も直接忍び込んで情報を手に入れる。

 ユベルに繋がるものを。イクスに繋がるものを。直接関係はなくとも、ウルドやほかの審判といった実力者に関する情報を余すところなく掬って平らげるつもりだ。


「こんばんは、アイリーン」


 意気込み、一歩踏み出そうとしたところで背後から声をかけられた。

 慌てて背後を振り返る。顔が強張り冷や汗が流れる。


「――イクス」


 果たしてそこには――予想通りの人物がいた。


「審判に何か御用ですか」


 笑顔でイクスは尋ねた。

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