第46話:だから面白い

「吸血鬼に詳しすぎだろ、お前」


 菫は吸血鬼に興味がなさ過ぎたゆえに、子供でも知っている程度の知識しかないが、クロシェは詳しすぎた。

 吸血鬼の研究家でもない貴族の道楽息子が持つ知識量ではない。


「面白いからに決まっているだろって――おい!」


 吸血鬼を歓迎するかのように両手を開いたクロシェの隙をついてフェアが紫色のマフラーを奪い取り露になった素肌にガブリと牙を立てた。


「ちょっフェアー!」


 顔を歪ませながらクロシェがこれ以上吸血されてたまるかと引きはがそうとするが、血を失う感覚に力が入らず、結果、椅子と背後のフェアに身体を預けるような形になる。


「ごちそうさま」


 消えうせる感覚が消える。抵抗はするが、消えるのは名残惜しく感じるのか首元に手を当てる。脈拍が手に伝わる。けだるい動作で後ろを振り返ると、ぺろりと赤い舌を出す満足そうなフェアが瞳に映る。

 吸血はされたくない、剥がしたい。でも――名残惜しいと思ってしまう。

 楽しいから、面白いのが好きだから、快楽が好きだから。

 吸血される感覚は溺れてしまっても悪いものではないとさえ思うが、同時にごめんだと思う反する感情がある。


「いっそ溺れればいいのに」


 心境を見透かしたフェアの言葉にクロシェは肩を竦める。

 血が足りない。眠ってしまいたい。横になりたい。

 だが、この場がひと段落つくまでは離れたくない抗いがたい面白さがある。


「どうせ溺れるなら見目麗しい女相手に溺れたいよ。猫は猫でもお前別に可愛い猫じゃないからな」

「猫ではない、吸血鬼だ」

「どう見たって猫だ」

「面白いからに決まっているって……クロシェ」


 フェアとクロシェは二人で盛り上がると話が進まなくなるので、菫が続きを促す。

 不誠実な響きではない、好奇心の塊だからでもない、歪みなく『面白い』をひたすらに求める男の声の響きはどこか不思議な音域だ。


「人間とは違う存在。人とは異なるのに同じ言語を発し、似たような生活をする種族の面白い以外に何がある? 心が躍ってたまらないだろ! それに触れたい、それを知りたい、それに接したい、それを手に入れたい、一緒にいたい。その感情を抱くことの何が変だ? 当然だろ」


 躊躇いがない言葉は、人間とは違うから敵意し排除しようとするこの国の在り方とは根柢から異なっている。

 レーゲース街、モルス街の門の隔てなく共通の意識として存在する吸血鬼に対する嫌悪が悪意がクロシェにはない。


「まっ、フェアが手には入ったからほかの吸血鬼を手に入れようとは思わなかったけどな。猫だし虹彩異色症だし、吸血鬼としての能力は高いしな。そうそ。知っているかもしれないが、人間が吸血鬼の血を飲むと異物を排除しようと身体が拒絶反応を起こすから苦痛だよ」


 クロシェは首元に手を当てながら思い浮かんだ知識を口にする。


「そうなのか?」

「知らなかったか。ま、人間は血を飲もうなんて思わないからあまり知られていないか、苦痛の割合は吸血鬼の血の濃さによって違うそうだ」

「お望みなら私の血をやるぞ」


 菫に向けて――ではなくクロシェへ向けてフェアは愉快にウェーブがかかった黒髪を揺らしながらフリルのついた袖を捲る。力仕事とは無縁の綺麗な腕が露になる。


「痛いのは好きじゃないって」


 残念そうにフェアは腕まくりを下ろしてから、椅子に座って伏した。


「吸血鬼としての力が強いほど人間にとっての毒性は高くなる。ユベルの血なんて人間が口にしたら普通死ぬよ。人間同士の輸血だって種類が違えば異物であり毒と同じようなものだ。吸血鬼同士での吸血が平気なのは、血を異物とせず取り込む力が吸血鬼にあるからにすぎない」

「だからリリィは吸血鬼の血を吸うのか」

「そういうこと」

「どうしてあいつは人間の血がまずいという味覚をしているのだ? 美味しいのに」


 興味がわいた会話にフェアは加わり不思議そうに顔を傾げる。


「人間の血がまずかったからだろ」

「それが理解できない」

「まぁフェアはまずい血を飲んだことがないからなぁ……って重い」

「テーブル硬い」


 いつの間にか立ち上がったフェアはクロシェの頭に頭をのっけた。

 重たい猫を退かそうと頑張るが、血が抜けた状態では思うようにクロシェの身体は動かない。


「別の俺の頭柔らかくねぇよ。つーかクッション出すからどけろ」

「ん」


 ベルを鳴らして呼び出した執事にクッションを持ってくるように告げる。ついでに猫をどけてもらおうと思ったが、それは拒否された。

 その様子に従者とは言え、主の命令に肯定以外認められていないわけではないのだなと菫は意外に思った。

 すぐさま用意されたクッションにフェアは抱き着きつき満足したように顔を埋める。


「フェアはまずい血を飲んだことはなくとも、リリィはまずい血を飲んで――飲まされていた。だから、人間の血が嫌いなんだろ」

「どうしてだ?」


 フェアとノエは首を傾げる。

 ノエが菫を見ると、吸血鬼の知識に疎いのにかかわらず眉を顰めていた。

 まずい血の意味をモルス街で育った菫は理解できるのだ。

 当然アイリーンも、モルス街をよくしようと奔走していた変わり者貴族のメイゼンも知っている顔だ。


「『劇団』にいたんだ。観客を楽しませて金を落としてもらうためならば、どんな非合法のことだって平然とやる環境だ。リリィはほかの使い捨ての吸血鬼よりは重宝されたんだろ。そうでなければ今も審判に連行されることもなく生きていられるわけないからな。だが、生かすということは血を与える必要がある。劇団は血を与えた。但し、逃れられないように異物でも混ぜたんだろ。不純物の混じった血が美味しいわけない」

「ふざけているな、それは」


 不純な血など飲みたくないとフェアの表情は露骨に歪む。


「恐らくリリィさんはその事実に気づいていたんだろうね。だから魔術で打ち消したんだと思う。当然差し引きは零――どころかマイナスになるから常に血に飢えていた。その時、千鶴君と出会った。千鶴君以外の血を飲みたがらないのは、初めて美味しい血を飲んだからであり、千鶴君以前の血は全部まずかった。そこからどんどん他の血を受け付けなくなったのだと思うよ僕の想像だけれどもね」


 アイリーンは想像する。

 血を求め、けれど美味しくない血だけが存在する空間に現れた一筋に希望。

 それに縋り、それ以外を拒絶する気持ちは理解ができる。

 千鶴が吸血鬼だと知ったら、今度はだから人間の血がまずいのだと飲めなくなった。

 千鶴が吸血鬼であり、だから吸血鬼の血だけは辛うじて飲める。

 そんな状況を――脅迫概念にも近い心理が生み出している。

 基盤は劇団であり、起点は千鶴だ。


「で、結局どうする」


 リリィの話題へ移行していたのでメイゼンが話しを修正する。

 これ以上は他者の過去に踏み込む行為。

 本人がいない場で、ましてや敵でもなく味方である相手にするべきではない。


「ユベルは過去の吸血鬼が持ち合わせていた弱点は確かに持っている。だから襲うならば昼間がベストだ。月の光は好みこそすれ太陽の光は好まない。効果の程が、致命的ではなかったとしても、効き目が零ってわけじゃない。その方法だけに縋るわけにはいかないけどな、でも利用しない手もない。とはいっても現状だけだとまだ決定打になる情報はないように思えるな」


 メイゼンの気持ちを汲んだかは不明のままにクロシェが話しを戻す。

 リビングの扉が規則的な音を立て開かれる。執事とメイドが食事を用意してきた。台車には色鮮やかで香ばしい料理の数々が盛られていた。

 執事とメイドが丁寧な手つきでテーブルクロスを引き、その上に料理とナイフ、フォークを置いて最後に飲み物が入ったグラスを置いてから去っていく。。

 グラスの中身は血を好むフェア以外はジュースだ。フェアは嬉しそうに、グラスを傾ける。


「ノエも血の方が良かった?」


 クロシェが尋ねるが、ノエは首を横に振る。


「いや、オレはこっちのほうがいいぞ」


 林檎の香りがするジュースを楽しそうに口へ運ぶと、ノエは目を見開く。


「なんだこれ、とっても濃厚だ……美味しい」

「そうだろ。林檎を絞って直接飲み物にしたやつだからな。飲みたきゃお代わりを用意させる」

「ありがとうだ」

「吸血鬼に関する話は、腹が減ったし飯を食いながらでもいいだろう」

 

 クロシェが食べ始めたので、菫も恐る恐る見たことのないような鮮やかで洗練された色どりの料理を口に運ぶ。別世界の味がした。これが貴族の食事。

 今まで食べていたのはモルス街でもまともな食事ばかりとはいえ、それでも天と地ほどの差があった。柔らかく煮込まれた肉は口の中で噛むまでもなくとろけていく。


「なんだこれ……」

「ん? 別に普通の食事だぞ。毒を持っているわけでもないけど」

「毒は疑ってねぇよ。美味しすぎて驚いたんだ」

「まずい食生活はごめんだ。食材もレーゲース街から運ばせている。いくら金を積んだところでモルス街の食料は怪しいからな。なるべくなら手を付けたくはない」


 舌が贅沢になったらどうすると菫は悪態をつきたくなりながら、食べたことのない味に舌鼓を打つ。料理を運ぶフォークの手が止まらない。

 口の中で味わいが一気に広がる美味に浸りながら、菫はフェアがイクスの料理を泥水だと評価した気持ちが今なら理解できた。

 クロシェの元で毎日美味しい血を飲み、美味しい食事で過ごしてきたならば舌が肥えているのは当然だ。

 アイリーンがスープを飲み干してスプーンをカップの上に置いてから口を開いた。


「リリィさんの傷がいえるまでは動けないわけだし、メイゼンもまだ万全じゃない。正直真っ向勝負で挑んだって審判に勝てるとは僕は思わない。だからさ情報を集めるのもいいと思うよ。彼は生きている。弱点がない完全無欠なわけはないのだから」

「集めるったって」

 

 眉を顰めたクロシェへ、アイリーンが微笑む。


「――僕に任せてよ」


 情報屋の顔に変わる。

 何年も、何か月も前の出来事ではないのにその顔を久々に見たと菫は感じたのと同時に嬉しかった。

 憔悴した顔より、泣いた顔より、アイリーンが情報屋として振る舞い年齢を詐称し素性を掴ませないような態度の中に無邪気さを持ったその姿の方が落ち着く。


「もっとも、情報屋なので料金は頂くけどね。いいよね――クロシェ」

「勿論、言い値で買おう」


 互いに不敵な表情が重なる。

 食事を食べ終え、食器の類をメイドに片付けさせるとクロシェは立ち上がった。


「話はいったん終わりだろ? 情報集めるってことは時間が必要だしな。いったん、俺は寝るわ。血が足りない」


 一日に二度も血を吸われるのは無理だわと肩を竦める。

 菫は終始自由奔放の言葉が誰よりも似合う道楽貴族へ尋ねる。


「お前はどうしてそこまで気軽なんだ?」

「はっ、君らが重すぎるんだよ」


 扉に手を伸ばし、背を向けたままクロシェは答える。


「君らは、復讐を背負いすぎなんだ。泥沼を素足で前に進もうとしている。けど俺はただ平坦な草原を歩いている。気軽に飛んだり跳ねたり寝転がったりできるのさ」

「重たいって――」


 菫ではなくアイリーンが反論しようとしたので、ふっと失笑がクロシェから漏れる。

 背中を向けたままだから表情はわからないが、馬鹿にしているかのような態度にアイリーンは腹が立った。


「復讐を背負っていなくても、誰かを助ける手伝いがしたいだの、人を殺したいだの思っている奴らも同様に重いんだよ」

「――それは」

「情報屋として情報が君の利益になるから、情報を調べるんじゃないだろ。菫たちの役に立ちたいから情報屋として動くんだ。それは情報屋として本末転倒ってものだよ、それのどこが整備された道を歩く行為だっていうんだ? 泥の間違いだろ」


 正面から情報屋として失格だ、と言われた気がしてアイリーンは唇を噛みしめる。

 情報屋として生きてきた信念はある。曲げないように菫へ情報を提供してきていた。

 だが真っ向から否定されると違うと反論が出来なかった。

 平等でいようと心掛けていたが、天平は一度傾いた。傾いているのを見ないように誤魔化し続けてきたが、正面から指摘されると無理だ。もう情報屋は名乗れないそう心が思ってしまう。

 プライドがあった、信念があった。

 情報屋である自分でいたかった。

 なのに、一方で情報屋として失格な事実を突き付けられて安堵する気持ちもアイリーンにはあった。


「重いよ、お前ら全員――くだらないほどに」


 クロシェが振り返る。

 瞳は、言葉とは裏腹に爛爛と輝いていた。


「けどな、――ってフェアどうした」


 フェアは立ち上がりクロシェの背後にピタリとついて立ち止まってきた。

 気のせいなのは、わかっているのだが猫耳のような髪がピコピコと動いているように見えた。クロシェは嫌な予感がした。


「……血はあげないからな。これ以上吸われたらまじで死ぬ」

「お前が死んだところで誰も悲しまないから大丈夫だ」

「ひどい」


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