第45話:What you do not know
◇
目的は審判。互いにユベルかイクスか琴紗か目標の違いはあれど協力しあうことは決定したが、具体的な作戦内容はまだだ。
煮詰める必要がある。
しかし、その前にリリィの体調が目に見える程悪かったので、菫の羽交い絞めから解放されたクロシェが雇っている医者の治療を受けてから寝室で休むように促す。
リリィは拒絶したが抵抗する力も弱く、会話するのも苦痛になったのか、渋々承諾をしメイゼンが付き添う。
「で、裏切り者の吸血鬼にして最強の吸血鬼にして、審判のトップであるユベルを殺す方法はあるのか?」
ある程度纏まってからリリィやメイゼンに伝えても構わないだろうと、扉が閉まる音をきいてからクロシェは椅子に座り足を組んでから尋ねる。
無策だろうと構わないが、無意味に終わるのはつまらない。
口先だけで夢物語を語るのは望まない。狂気に彩られた道だろうと実行するのであればもろ手を広げて歓迎をしながら一緒に歩む。
「ないぞ」
ノエの清々しいまでの断言に、クロシェは椅子から転げ落ちそうになる。斜めになった体制のまま腹を抱えて笑う。
「痛快だな。ユベルを、イクスを殺すって息巻いているんだから、秘策があるのかと思ったよ」
クロシェが協力してからの月日は浅いため、基本的な情報は共有したが、あくまで表面的なもの。
まだ得ていない計画がある可能性を考えていた――と、そこまで考えてからクロシェはあることを思い出す。
「いや、お前らは琴紗の時も向こうみずに作戦もなく突っ走っていたか」
白髪赤目の希少性を持つアイリーンが誘拐されたとき、門を潜ったこととモルス街での目撃情報が多かった二点から、貴族で優等生の善人だと有名だった琴紗の元へ証拠もなく襲撃に等しい行為を実行したのだ。
急を要するとはいえ、無謀で無策な行動をとったのだ、審判に対しても同様だったとしても不思議ではない。
「作戦がないなら決めるしかないな」
足を組みなおし、テーブルに頬杖をついて珍しくクロシェは思案顔を見せる。
「秘策はないが、無策でもないぞ。裏切り者の吸血鬼は過去の吸血鬼の特色を色濃く受け継いでいるから、その弱点をつけたらいいとオレは思っているんだ」
「あー。夜行性のユベルを太陽の元に引きずりだすとかか。だが、それで果たしてどこまで効果があるものかわかるのか?」
「わからない……んだ」
「だよな、弱点の可能性があるとわかっていることに対して吸血鬼を裏切ったユベルが無防備にさらけ出しているわけがない。それに、いくらユベルがこの時代の吸血鬼として最強だったとしても、吸血鬼が人間と共存の道を歩み始める前まで遡れば、ユベルは突出することもなく埋もれていたことだろう。この時代だから異端であり孤独だってだけだ。ならば、太陽の元で再生と苦痛が繰り返され灰になって消えてしまう――程の効果は見込めないと思ってもいいだろ」
「……それもそうだな」
現在存命する吸血鬼の中ではユベルは圧倒的な力を振るうが、言い換えれば過去の吸血鬼の力を多く顕現させているだけで――過去の吸血鬼と比べた場合、それは普通になる。
現在の吸血鬼より多くの弱点を抱えているのは事実だが、それがどこまでの効力を持つものなかは実際に試してみなければわからない。
それを狙うのは有効な手段であるのは間違いない。
嘗て菫の部屋でノエがイクスと菫に語ったことは嘘ではない。
だが、それを絶対だと過信することは禁物だった。
他にも手段を用意して確実性を増やさなければいけない。
そうでなければノエが最初に挑んだ仲間と同じ結末を迎えてしまう。
ノエの脳裏に忘れようとしても忘れられないエルミの笑顔が蘇る。
笑った顔で、知らなかった世界のことを教えてくれた。
お揃いのようにアレンジした衣装を用意してくれて、その服で外の世界へと引っ張ってくれた。
思い出が次から次へと溢れように蘇ってくるので、ノエは頭を振る。
「ユベルに誰も血を与えられない状況を作れたらいいが……それは無理だろうな。監禁できるならそもそも殺せてるって話になるしな」
至極色の髪が顔にかかるのがうっとおしいのか、クロシェが手で払うが、手入れの行き届いた髪はさらりと戻ってくる。仕方ない、と髪紐で結ぶ。
髪で隠れていたワイシャツと首筋のラインが見え隠れしてフェアはごくりと喉を鳴らす。
「吸血鬼だから血が必要って話か?」
菫が尋ねると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔にクロシェはなる。
「なんだよ、別に変なことはいってないだろ」
「そうだな。変なことは言っていないが……わざわざそれを再確認するように聞いてくることが変なんだよ。菫は吸血鬼に関してもしかして知識少ない?」
「……普通だ」
イクスにも吸血鬼を知らなさすぎると呆れられたことがあったな、と菫は何も知らず一緒に暮らしていたころを思う。
はるか昔の出来事でもないのに、懐かしい気持ちが胸に渦巻いてくる。
人のことを詮索するのに、自分のことは話さない。家賃をよこせと言えば血まみれの札を渡してくる。平然と他者を殺す気に入らない相手ではあったが、気を遣う必要も気取る必要もなく気楽に気軽に話せる相手だったのは間違いがない。
何も知らないままでいれば――友人になっていたのではないかとすら思える。
世迷言だ。真実を知った以上、ノエを傷つけた以上、許すことはできない今がある。
「吸血鬼が血を求めるのは、血に魔術を扱う源が存在するからだ。魔術を行使すれば、魔術の源が失われる。欠落したそれを求めるがゆえに欠乏症状が吸血鬼を襲い、補うために吸血鬼は他者の血を求めるのさ。人間に魔術を扱う力はないが、吸血鬼の血を回復させる欠落を埋めることはできるんだ。だから吸血鬼は血を求める」
「そこまで詳しくは知らなかったな」
朗読するかのようにすらすらと吸血鬼について語るクロシェに、菫は自分の興味のなさを痛感する。
元来から、吸血鬼は自分の日常には関係がない御伽噺の存在だと思っていた。
実在しないと思い込んでいるわけではない。ただ、認識したうえで関わり合いになることのない遠いい存在だと思っていたのだ。
菫は、自分を母親代わりのように育ててくれた師匠と、一緒に苦楽を共にしてきた親友がいれば満足だった。
幸せだった。
そこに吸血鬼はいなかった。
だから興味がなかった。
師匠が病死して、親友が吸血鬼の疑いをかけられ審判に連行されて殺されたときだって殺した審判を恨みはしたが、間違えられた吸血鬼に関して知りたいとは思っていない。
原因は吸血鬼にあるわけではない。
けれど今は違う。
関わりのないと思っていた吸血鬼と深くかかわっている。
ならば、知る必要がある。
「だから滅多に魔術を使わない吸血鬼は血から源が消える割合が少ない。まったくないわけではないが、通常時の消耗を一と例えれば、魔術行使時は十から始まり、そこから魔術の威力に合わせて、消滅する割合が増える。強大な魔術を使えば五十と持っていかれる。その分だけ吸血鬼は欠落した魔力を求めて渇望する。魔術の源を得ようと血を求めるんだ。生きているだけで消費されていくとはいえ、魔術を使わなければ大抵の吸血鬼が平気なのは消費量がそもそも違うからな平気なのはこのせいさ。例えば、元々の貯蔵量を五十だと仮定する。それが二十に減れば喉の渇きを覚え、十になれば血を欲し、ゼロになれば渇望し狂う。だが、ただ生きているだけなら消費は一だ。三十日間は血を吸わなくても特に問題がない」
菫はノエをみる。小柄な少年は魔術を使わない限り血を求めることはほとんどない。リリィに血を与えた後は血を渇望していたが、その時しか菫は血を求めるノエを見たことがない。
実際には一度ウルドからノエは血を貰っているのだが、そのことをノエは伝えていない。
「補足。魔術を行使しない通常時を一って例えたけど、それだけだと語弊があるな。吸血鬼の元来生まれ持った特性によって左右される。例えば、吸血鬼と人間を見極める瞳を持っているノエは二。魔術に関する割合が高いフェアなら五みたいな。吸血鬼としての能力によってその辺は変動する。だからフェアは魔術を使っていなくても血を求める」
フェアはクロシェの血を求める欲望に従って背後から首元へ顔を伸ばした。だが、これ以上はごめんだ、とクロシェが手で押し返す。
猫と飼い主がじゃれあっているなら仲良しの光景だが、猫ではなく成人男性としてみると、男二人の絵面は微笑ましくなかったので、菫は脳内でフェアを虹彩異色症の黒猫に変換する。猫と飼い主は攻防を繰り広げている。
「つまり、血を主食としているユベルに血を与えなければ現存する吸血鬼の誰よりも早く飢えるってわけだ」
菫は疑問がわいた。
吸血鬼であるノエとフェアはともかく、アイリーンやクロシェにそんなことも知らないのかと思われそうだが、知らないことを恥ずかしいから聞けない性格ではないので堂々と尋ねる。
「吸血鬼は血以外にも食事をとるよな、それは必要な行為なのか?」
「必要だぞ」
ノエが断言する。
「食事が血の代わりになることはないが、食事をとることで吸血衝動を――渇望を抑えることができるんだぞ。血だけでも生きてはいけるが、それは今の吸血鬼にとって効率が悪いんだ」
ノエのアップルパイを美味しそうに頬張る姿が菫の脳内に色鮮やかによみがえる。
血が好物なフェアも食事は毎食欠かさない。
「人間に例えるならそうだねぇ……小腹がすいたら間食する、みたいな感じだよ。喉が渇いたら水を飲むでしょ? それは食事の時以外でもそうだよね。食事の時まで水を飲むのを我慢したりすることはあるけど、大抵は飲んで喉を潤す。それと同じようなものだよ」
アイリーンが柔らかな言葉で人間に例えて話す。
「喉を潤せば、喉の渇きが減る。それは水じゃなくてお茶でも同じでしょ? それと同じみたいな感じだと思うよ」
菫が納得したところで、リリィの付き添いをしていたメイゼンがリビングへ戻ってくる。椅子には座らず壁を背もたれにした。
「わかった。もう一つ疑問だ。琴紗も血を求めるのか?」
人間でありながら魔術を使った不可解な存在。
琴紗の名前を出した時、アイリーンが怯えた表情を顔に出したので申し訳なく菫は思ったが尋ねずにはいられない。メイゼンも気になるようで視線をクロシェへ向けている。
「だろうな。魔術と血は切っても切り離せないものだ。魔術は血であり、血を補給せずして魔術は行使できない。なら人間だって魔術を使えば血を求めるさ。まぁ人間に魔術は扱えないものだから、つまり琴紗が人間であるかは怪しいものだが……」
「琴紗は人間だぞ」
ノエが琴紗を人間だと断言するのだから、そこに疑う余地はない。
とはいえ琴紗が人間であっても、人間を作り替えるような何かであることは間違いないだろうとクロシェは考える。
「琴紗が人間なら、どうやって血を飲む? 吸血できるのか?」
血と魔術が切っても切り離せないものならばそれを得る手段が琴紗にはあるのか。
「しないだろ、というかできないだろ。人間である琴紗が、吸血鬼の牙を持ち合わせているとは思えない。だから機材――例えば注射器で血を抜き取って、体内へ打ち込むか、グラスに注いで水のように飲むか、あるいは錠剤やカプセルに偽装して体内へ取り入れていたんだろうな。……相変わらずメイゼンは親友のことが気になるんだねぇ」
メイゼンの瞳に宿るのは、親友への友情。
殺すと断言する言葉とは裏腹な感情。
殺しあう結末を劇場の一等席で見たいとクロシェは願う。
「でも琴紗に関しては正直わからないよ。俺の知る限り魔術が扱える人間なんて面白い存在に出会ったことはないしそんな情報もない。他国の人間で、潜り込んでいた裏切り者なら慎重に慎重を重ねて、言葉にすればくどいくらいに用心していたんだろうから、情報が漏れていなくても不思議はないしな。それでも、その積み重ねを全て壊す価値を白髪赤目に見出した」
値踏みするかのようなクロシェの視線をうけてアイリーンはきっと睨み返す。屋敷内ではフードを被っていないアイリーンの顔は、隠されることなく表へ現れになっている。
きめ細やかなで滑らかな色白の肌。晴天のように眩しく汚れ一つない純白の髪。赤い瞳は白を際立たせるように、そして白に際立たされているように輝いている。
「人間に牙がなく吸血できないから、それで吸血鬼と人間を見分けられるんじゃないのか? ……話は逸れるけど、判断できるなら審判が連行した存在を殺さなくてもそれで済むだろ?」
「あはははっ、菫は本当に吸血鬼に関して知識がないんだな!」
菫の発言が面白くてたまらないとクロシェは笑いすぎて涙が出てきたのか左手で目元を拭う。
「牙の有無で、人間は人間であることを証明できない。証明できるのは、吸血鬼であるということだけだ」
「どうしてだ」
「簡単だ。吸血鬼であることの証明は、血を求める牙を見せればいい。それで証明完了。念には念を入れるならば、吸血すればいい。だが、人間にそれは出来ない。何故ならば、吸血鬼は魔術で牙を隠せるからだ」
「あ――」
間抜けな声が菫から零れた。
笑い疲れたクロシェが紐を鳴らすと慇懃な態度で執事が現れる。
クロシェは食事を用意するよう命じると、一礼をして執事は真っすぐに背筋を伸ばしたまま立ち去った。
「自分の身体を幻覚で惑わしてしまえばいい。吸血鬼は魔術を使って人間には不可能なことを可能とする。だから、牙がないことは人間であることの証明にはならない」
ノエは嘗てイクスが『人間が人間だと証明する手段がないからです』といった言葉を思い出す。
「だから審判に疑われた人間はもれなく死ぬのさ。人間であることを証明できない。つまり吸血鬼である可能性を残しているからな。吸血鬼か人間であるかを区別できるのは、ノエのような吸血鬼に限られる」
遥昔、人間と吸血鬼が共存の道を歩まず、争いを繰り広げていたころならば吸血鬼は同胞の区別がついた。
だが、共存の道を歩み人間に寄っていった結果、吸血鬼が吸血鬼であった特性が薄れ、区別があいまいに。
人間に、吸血鬼が近づいたのだ。
「尤も、俺は審判のトップが吸血鬼だってことをお前らから知るまでは知らなかったが……ユベルは人間と吸血鬼の区別がつくだろうな」
菫は思いっきり顔を顰める。
ならば、ユベルが区別をつければいいだけだ。
疑われた人間を尋問して吸血鬼だと自白しようがしまいが、殺してしまうようなことは――人の命を奪うような行為はしなくて済んだはずだ。
無残な形で、ゴミのように捨てられていた親友の姿が何度も何度も再生される。そのたびに気持ちが荒ぶる。爪が食い込む程拳を握りしめる。
「吸血鬼を裏切ったからと言ってユベルが人間に優しいわけではない。人間が生きようが死のうがどっちでもいいんだろ。なら、審判のトップで唯一区別のつく男が、日夜吸血鬼かもしれない存在をいちいち確認して、「はい。こいつら人間だから解放」「はい、こいつら吸血鬼だから死ね」なんてやるわけないだろ」
「――どっちでもいいって、何故わかる」
情報屋として暗躍していたアイリーンはユベルのことを仕入れていた。
ユベルが裏切り者の吸血鬼であることを、吸血鬼は当たり前として知っている。
だが、本来であればユベルという名が審判トップの人物であり、吸血鬼である事実は知られていない。
貴族であるクロシェもメイゼンも、告げられるまでは知らなかった。
ならば、何故そのような結論を導き出せるのか菫には理解ができない。
「わかるよ。人間と一緒にいるから人間を守りたいって思考の持ち主ならば、審判に連行された人間の末路が死しかないわけがない」
「――それは」
「人間が死んでいる、即ちユベルは人間がどうでもいい。人間が大切ならば的確にユベルが見極めて人間は解放する。死ぬことはない。審判が人間を殺すならユベルには人間の生死なんて関係ない。ただ吸血鬼を殺したいだけだろ」
審判に連行され、そして死を迎えた人物が本当に吸血鬼だったのか人間だったのか菫にはわからない。連行される段階ですでに吸血鬼しかいなかった可能性は、人間か吸血鬼か区別できない以上、どうしたって否定できないものだ。
だから勝手に皆、審判と疑われた人が人間は人間であることを証明できないから疑われたら終わりだ、と広まっているのだ。
それでも菫には断言できることがあった。
菫の親友で、審判に吸血鬼だと疑われて連行された親友は、間違いなく人間だ。
幼馴染で一つ屋根の下でくらした家族のようでもある存在を間違えるわけがない。
ならば、審判は人間も殺している。
殺している以上――ユベルが人間の生死に頓着していないことは明白だった。
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