第43話:To make happiness come true
少女がふわふわと飛び跳ねるように屋根を渡り、地面に着地をする。白の羽織が軽やかな音を立てて舞う。
「おいこら、迷子になるなよ」
少女に続いて
少女より幾分派手な格好は一目を引くが、雑多の終結するレリック区では目立たない。
身なりの整った貴族も、派手な姿に身を包んだ劇団も、侘しい恰好も、埋もれ日常の一部と溶け込む――人殺し集団と恐れられる審判を除いて、だが。
「大丈夫だよー。わたしは迷子にならない」
真っ赤な番傘をクルクルと掌で回しながら少女センは晴れやかなに笑う。
「そういうやつほど迷子になったりするんだよ」
「あっ、猫がいる。ちょっと追いかけるね!」
路地をちょこちょこと歩く猫を発見しセンが追いかけだした。
「おい、いったそばから迷子になる行動するなよ……まったく、気を付けろよ」
「はーい!」
朝霞は両手を組みながらはぁとため息をつく。しかし、ため息と裏腹に朝霞の表情は緩んでいる。
モルス街レリック区。喜怒哀楽が濃厚に凝縮されたような空間は統一性がなく、乱雑に混ざり合って溶けている。
灰色の髪は珍しくないが、髪に裏と表が存在するかのごとく紫色が混ざっているため、派手な服は日常の一部でも、髪は違うと奇怪なものを見る視線が時折混ざる。うっとおしいので視線の先を朝霞が睨みつけると蜘蛛の巣を散らすように逃げていった。
朝霞は指で太ももまである髪の一部を巻き付ける。灰色と紫が交互に映る。色が混在する髪が嫌になり視線をレーゲース街とモルス街を繋ぐ門へ向け、青緑色の瞳を細める。
――さて、ここから先はどうやって侵入するべきか。
朝霞とセンは裏切り者の吸血鬼ユベルを殺害するために他国から侵入した吸血鬼。
モルス街まではたどり着けたが、レーゲース街にいるユベルの元へはまだ至っていない。
門番を殺して強行突破するか、幻術で惑わせて侵入するか、それとも第三の手段があるのかと思案する。
今は全てを混沌へと落とすようなレリック区の雰囲気に朝霞とセンは混ざっているが、ここから先はいっそう慎重にならなければならない。
ユベルを殺す前に目立つ行為は最小限に済ませる必要がある。
――ただでさえ、エルミが襲撃した後だ。ユベルが警戒している可能性がある
冷静に、焦って好機を逃すわけにはいかない。
視線を一旦門から外しセンを探す。人気のない狭い道に進んでいった影が見えたので、朝霞は少し距離を取りながら続く。
センは迷路で遊んでいるかのような感覚で猫を追いかける。
ゴミが道端に捨てられた路地裏は悪臭が漂うが、猫を諦めずに進む。触れたくてたまらなかった。
淀んだ空気が綺麗になる。ゴミが消え、狭い空間の一角が綺麗に片付けられている。
猫が疲れたのか歩みが遅くなった。
チャンスだ、と思ってセンが手を伸ばすが、触れられそうなところで猫が視界から消えた。
しゃがんでいた身体そのままに上を見上げれば、朝霞の灰色よりもさらに白い髪に、褐色の肌をした青年が猫を抱きかかえていた。
白のコートに黒シャツというシンプルな格好。猫と一緒に手には鞘に収まった白の刀に赤いリボンを巻きつけたものを持っている。
「あっ!」
センが思わず声を上げると、青年イクスは人好きしそうな柔らかい笑みを向ける。
その笑みは刀を所持している姿と不釣り合いだとセンは思った。
けれども、武器を護身のために手にするのは当たり前なのだろうとモルス街人々の姿を思い出す。大半の人間は身を守るための道具を所持していた。
「おや、猫を追っていましたか?」
「うん。この猫可愛いなって思って触りたかったの」
センが正直に答える。
イクスは猫を求めた少女の姿を見てやや目を細める。
モルス街を出歩くしては身なりが整いすぎていた。
肩までで切り揃えられた黒髪はハーフアップで、赤い紐に纏めている。縦にぴょんと伸びたアホ毛は特徴的だ。白い羽織はモルス街の路地裏を歩いたからかやや汚れているが、綺麗だ。赤い服を着て、白い袖はフリルが手を覆い隠している。白のスカートは丈が短く、艶やかで健康的な生足を存分に晒している。
無邪気な紫色の瞳がイクスを見上げる。その純粋さが、ノエを彷彿させて少し胸が痛んだ。
「みーにゃっていうんですよ。家出したらしくて探していたのです」
イクスの抱きかかえている猫を、向日葵のような笑顔でセンが見つめている。
「触りますか?」
「いいの!?」
センのキラキラと輝く瞳に、イクスは微笑む。
「勿論ですよ、ひっかきはしないと思いますが、気を付けてくださいね」
「うん!」
毛並みが不揃いな猫をイクスが手渡す。センは猫をそっと抱きしめる。
「暖かい」
命を感じる暖かさと、毛が頬に障るくすぐったさにセンは破顔する。猫は逃げることなくセンの胸に顔を埋めている。鳴き声が聞こえるのが嬉しかった。
センは猫が好きだった。
気紛れで、ひざの上に座ったかと思えば、いなくなっている。
自由を謳歌する猫が可愛くてたまらない。
だから猫を見かけて無我夢中で追いかけてしまった。
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
ガラの悪い男であれば、刃を突き立てて追い返しているところだったが、猫に愛情を向ける少女であれば話は別だった。
「みーにゃ可愛い」
「……ところで、貴方モルス街では見かけないような綺麗な格好をしていますが……?」
センが猫に夢中になりながら抱きしめているとこを悪いとイクスは思ったが、小奇麗な格好をした姿が気になり尋ねずにはいられなかった。
「わたしは、貴族の使用人なの」
「そうでしたか」
センが貴族の使用人であれば、綺麗な身なりをしていることにも納得がいった。
近くに主人がいるのではないかと思ったが、周囲を見渡しても貴族と思しき恰好をしている人間は見当たらない。
尤も、貴族が路地裏を闊歩するとも思えない。
「ご主人はどこですか? 姿が見えないようですけれども」
「む。わたしは迷子じゃないよ」
「え?」
「あっ……違うの。朝霞……えっと、私の主が、猫を追いかけたいっていったら迷子になるなよって言われたか、だから迷子じゃないよって」
猫を追いかけることを承認する主人の存在がイクスは気になった。
イクスは貴族にいい印象を抱いていない。
親友であるウルドも貴族だが、ウルドは貴族として――いや人間としても異端。感情が欠落した親友をイクスは貴族として見てない。
貴族は大半が自らの権力をかさにきて偉そうに威張っている。
レーゲース街では違法になるからと、ご法度な道楽で愉悦に浸るために、モルス街に足を運ぶものも多い。
金に物を言わせ、悲鳴を堪能している。
だから、モルス街に足を運んでいる貴族が、センの主人であるのならば、主人もまたクロシェのような道楽ではないかと思い不安になった。
だが、少女の口ぶりからは主人に対する不満や心配は見られないどころか、迷子と言われて拗ねる態度を見せる姿は主人に対する信頼や愛情が感じられる。
「貴方は主人のこと好きですか?」
もしも――嫌いだというのならば、もしも少女を困らせている元凶ならば、放ってはおけない。
主人に苦しめられているのならば、お節介だったとしても助けてあげたいと純粋に思った。
「もちろん、大好きだよ」
少女の口から発せられた言葉は幸せに満ちたものだった。
「朝霞はわたしの一番大切な人なんだ。朝霞がいると毎日が幸せなんだよ」
「良かったですね」
早計だったようだ、とイクスは強張っていた身体をほぐす。
「うん! 朝霞と出会えてよかったよ。あ、おにーさんとも出会えてよかったよ」
「猫と触れ合えたからですか?」
「うん!」
正直な告白にイクスは癒されながら微笑む。
「おにーさんも、猫好き?」
「そうですね……嫌いではありませんよ」
ただ、猫を見ると猫を追いかけて迷子になったノエが、猫に障りたくてうずうずしていたノエの姿がちらつくのがつらかった。
吸血鬼なのに、吸血鬼は敵なのに、どうしてノエのことを気にかけてしまうのだろうか、ノエの無邪気な微笑みを思い出すと胸が痛むのか、とイクスは自嘲する。
敵は全て殺さなければいけないというのに、ノエを殺したくないとさえ思ってしまう。
「貴方の主人も猫は好きですか?」
「好きだよ。朝霞も、わたしの友達も、おにーさんも皆猫好きだね」
俺は――好きだけど、と言いかけてイクスは口を紡ぐ。別に言葉にしなくてもいいことだ。
ふと、センの明るかった表情が寂しげに曇る。
「どうしたのですか?」
「ん……えっとね、わたしの友達のノヴェスタがこの街のどこかにいるんだ。どこにいるのだろうかなって思って。おにーさんノヴェスタって子しらない?」
「……すみません、聞いたことないですね。人探しですか?」
聞きなれない名前にイクスが尋ねるとセンは首を横に振る。
もしかしてセンの友達を探すために、モルス街に足を運んだのだろうかとイクスは思った。
「違うよ。会えたらいいなって思っただけ。おにーさんが知らないなら大丈夫、ありがとう。わたしのやりたいことは、他にあるんだ。だからここに来たの」
「やりたいことはなんですか?」
出会ったばかりの少女に踏み込みすぎたかと思ったが、センは気にした様子がなく笑顔で答える。
「朝霞と一緒に暮らすこと! ずっとずーと」
随分と無垢で無邪気で純粋な願いだ――とイクスは思っていたら気づくと、ノエと身長がさほど変わらない少女の頭を撫でていた。
頭を撫でるとノエは子ども扱いするな! と言いながらも嬉しそうだった。果たして少女はどうだろうと思うと、センも嬉しそうにしていた。
「叶うといいですね」
「うん。叶える! そしたらノヴェスタも探すの! 朝霞と一緒に猫をいーっぱいかって幸せに暮らすの!」
「頑張ってください」
「がんばる」
猫を名残惜しそうにセンが返しながら答えた。イクスは猫を受け取る。拳を握って意気込む少女の願いが叶えばいいとイクスは心から思う。
「朝霞が待っているから、わたしはそろそろ帰るね。それじゃーねおにーさん!」
センが手を振りながら不用心に背を向けて走り出す。警戒していない姿にイクスの表情は綻ぶ。
眺めていると、唐突に菫の衣装を豪華絢爛にしたような服装を纏った青年が視界に映った。
灰色の髪の裏側は紫に染め上げられ、首元の四枚の花弁のように巻かれた赤い紐はセンとお揃いだ。
彼が朝霞と呼ばれるセンの主か、とイクスは思った。
遠目で様子を伺っていると、センと朝霞は楽しそうに笑っている。朝霞が手を伸ばすと嬉しそうにセンがしがみついた。微笑ましい光景も程なくして姿が見えなくなる。
「さて、みーにゃもご主人様のところへ戻りますか」
猫に話しかけると、言葉が通じているのかにゃーと鳴いた。
非番だったので、吸血鬼に出会えたら殺したいという気持ちでモルス街のレリック区を歩いていた。
すると、以前琴紗のことを尋ねた店主がノエのことを記憶しており声をかけられた。
猫がいなくなった、見かけなかったかと意気消沈して尋ねてくるので、つい放っておけなくて探すのを手伝った。
見つけられて良かったとイクスは猫を撫でる。
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