第42話:異なりけれど同じ

 一晩休息してからクロシェ邸へと向かう。

 リリィは全身に包帯を巻き付け、服の上から隠し表面上は冷静を装って歩くが、菫が横顔を除くと額からは無数の汗が流れているし顔色も悪い。

 痛みを我慢している表情に途中で休むかと提案するがリリィは断り気力で進む。

 モルス街の空気から一線を画すクロシェ邸へと到着する。

 鍵のかかってない不用心な玄関を開けてシャンデリアがキラキラと天井から主張するエントランスに入ると、音を聞きつけたメイゼンが心配な顔でかけてくる。


「大丈夫だったか? 心配だったから迎えに行きたかったんだが、クロシェに静止されていたんだ……外に出るなって」


 焦燥を見せるメイゼンに、アイリーンは人目を避けるために被っていたフードを外す。誰もが羨むような純白の髪が流れ、澄んだ赤い瞳が姿を見せる。


「大丈夫だよ。色々あってリリィさんを休ませていたんだ」

「リリィさん?」


 メイゼンの視界にようやく足首まである桜色の長髪に、白のケープを羽織った見知らぬ青年が映る。顔色は青ざめる程悪いのに、瞳だけが異様な程ギラギラとしている。


「彼がリリィさん。これから一緒に行動することになったんだ。詳しくはクロシェたちが揃ってから話すよ」

「わかった」

「クロシェとフェアは?」


 ノエを抱っこした菫が尋ねる。長身のメイゼンと視線の高さが重なるノエの姿に、メイゼンは綻んだ。


「鬼ごっこしている」

「フェアがクロシェの血を吸いたくて、クロシェはそれから逃げているってことか?」

「そう。それに加えて、二人ともお互いに首輪をつけたくてそわそわしているみたいだ」

「何やっているんだが」


 自由奔放で緊張感の欠片もないクロシェとフェアは状況に流されることがない。


「クロシェの屋敷はどうだ?」

「……まぁ快適だよ」


 表現に迷いながらメイゼンが口に出す。

 琴紗の屋敷の地下牢で五年間、手錠と足かせで拘束されてきた。時折、地下牢から出されることもあったが、メイゼンに脱出の機会を琴紗が与えることはなかった。

 それと比べれば自由に手足を伸ばし己の意思で身体を動かせる屋敷は快適の一言だ。

 四方を壁に囲まれ、庭園の様子を外から覗かれることもないから、鍛錬もできる。

 手入れのされた花壇の香しさは心をいやす。

 室内にも闘技場をモチーフとした作りの部屋がありそこでも訓練ができる。但し、クロシェが何のために作り何に利用しているのかが嫌というほどわかってしまい心境は複雑だった。

 面白いことを求めるクロシェは、金に物を言わせて人間同士を遊ばせることを日常的に行っている。

 それでも、文句を言うことは出来なかった。

 目的は親友を殺すこと。

 優先順位を間違えてはいけない。


「じゃあクロシェとフェアを捕まえてくるわ」


 菫は抱きかかえていたノエを降し、耳をしまして賑やかな方へ進む。


「メイゼン……本当に琴紗を殺したいの?」


 エントランスから菫が飼い主と猫を捕まえに行ったのちアイリーンがメイゼンに尋ねる。赤い瞳には心配の色が浮かんでいる。稀有ゆえに存在を狙われる白髪赤目の色合いにメイゼンは背を向ける。


「あぁ、殺すよ。でも……アイリーンには悪いが、琴紗のことは親友だと思っている」


 親友だった期間が長すぎた。許せなくても殺したくても親友ではないと否定はできない。


「僕に悪いって思う必要はないよ」


 白髪赤目の子供は随分と大人びたと実感する。

 守ることが出来なかった五年の間、したたかに困難を乗り越えて生きてきたのだろう。


「ごめん。俺はお前を守ってられなかった」

「そんなこと、メイゼンが気にすることじゃないし、僕はもう十分守ってもらえたよ……メイゼンこそ、僕のためにごめんね」

「お前が謝る要素はどこにもない」

「そっか、ありがと」


 メイゼンの父親を彷彿させる大きな背中にアイリーンへ手を当てる。伝わる温もりに双方、顔を見合わせなくても微笑んでいるのがわかる。


「さて、ここで会話をしていても仕方ないな。リビングへ行こう、案内する」


 勝手知ったる振る舞いで、メイゼンがリビングを目指す。

 ノエ、アイリーン、リリィはそのあとに続く。

 リリィは豪華絢爛の言葉が似合う豪邸が、貴族を満足させるために華美に着飾った劇団の舞台を思い出して不快になる。

 胸が重くなり、人を殺して安らぎたいと思うが、千鶴を殺したイクスを殺すまでその殺意は取っておくことにした。

 

 ――どうせ、誰かを殺したところで千鶴がいない今、安らげるときなどありはしない。

 

 広々としたリビングに到着するとリリィは椅子を手に取り深く座る。椅子は身体にフィットするように心地よく沈み、蓄積された疲労と痛みが程よく和らいでいく。

 ノエとアイリーンも隣同士で椅子に座る。メイゼンが常備してあった冷たい紅茶をグラスに注ぎテーブルに並べ、菓子もおく。

 ノエとアイリーンが紅茶で喉を潤していると首根っこを掴まれたクロシェと、気持ち肌が艶々として満足な表情を浮かべるフェアがやってきた。


「鬼ごっこの勝者は菫みたいだな」

「そうだね」


 メイゼンの言葉に笑いながらアイリーンが頷く。

 掴まれた手を離されたクロシェは椅子へ大雑把に座りテーブルに顔を伏せる。


「血が……足りない……うちの猫容赦ないんだけど」

「クロシェの血は一番うまいから無理だ。もっと貰っていいか?」


 じゅるりと効果音が聞こえてきそうな言葉にクロシェが首を横にぶんぶんと音を立てて振る。


「流石に無理! 死ぬ! 倒れる!」

「お前だって気持ちいいだろ。楽しいのは好きだろ? ほらほら」

「そりゃそうだけど! でも! 針がちくっとする感覚は嫌なの!」


 フェアが楽しそうにクロシェの頭に顔を近づける。


「別に吸血は注射じゃない」

「似たようなものだろ。体内から血が外に抜けるんだから」

「はいはーい。そこまで」


 空気を無視して会話を始めたら止まらないクロシェとフェアの二人へ向けて両手でパンと音を立てて菫が中断させる。

 一晩連絡なしで休息してきたノエ達に対する心配がメイゼンとは違い見えなかったが、薄情なわけではない雰囲気を菫は感じていた。

 信頼とも違う。だが、何も問題ないとクロシェとフェアは確信していた様子だ。

 クロシェが頭を伏せたままフェアの首を掴もうとするが首輪のない感触が寂しくてやめる。


「ここまでの状況を話してもらえるか?」


 メイゼンがリリィの方を向きながら菫に尋ねる。菫は頷いて別れた後の出来事を包み隠さず話す。

 千鶴が殺害されていたこと、殺害したのは審判のイクスであること、イクスを殺すためにリリィと手を組んだこと――そして、ノエの初めての友達で裏切り者の吸血鬼ユベルを殺そうと組織を立ち上げたエルミのことを。


「なるほどねぇ……ところでさ、ノエ。ユベルの命を狙う吸血鬼って外にたくさんいるのか?」


 クロシェが疑問を投げかける。

 この国は他国との交流を最低限に限り断っている。

 そのため貴族でも他国の情報は殆ど入ってこない。

 侵入者は人間であろうが吸血鬼であろうが断罪の対象だ。


「そうだぞ……オレが生まれ育った国や違う国でも裏切り者の吸血鬼のことについては度々審議されていた……放置しておけば、吸血鬼は滅びるからな。他国との交流を拒んでいるこの国だけど、吸血鬼封じの――魔術を封じる魔具は流出させている。人間にこれで吸血鬼の特異性を抑えることが出来るって」

「これか」


 クロシェがふらつく足で立ち上がり、引き出しを開けると吸血鬼が忌み嫌う首輪が出てきた。

 リリィは自然と出てきたそれにぎょっとしながら睨みつける。


「なんでそんな自然と出てくるんだよ」

「いざというときのために屋敷に何個か隠してある」


 クロシェはあっけらかんと答える。


「よし屋敷を燃やそう」


 名案が浮かんだとフェアが青い炎を指先にともすと、リリィもいいなと同意を示す。


「いや待て、住む場所がなくなるのは困るって。お前らだって寝床なくなるぞ……」


 クロシェの言葉に仕方ない、とフェアは青い炎を収める。


「屋敷燃やされたくないからお前に首輪していたんだし……でも、この魔具って未完成だろ?」


 虹彩異色症で猫耳のような独特の髪型に、ゆったりとしたローブに身を包んだフェアへクロシェは視線を向ける。

 菫に魔具を外される前でも、フェアは普段より威力は落ちるが魔術を行使することが出来た。尤も魔術を行使した後の渇望状態は酷かったが、それでも封じられていない。

 力の強い吸血鬼であれば完璧に封じられない未完成品だ。


「なら、そこまで危険視する必要があるのか?」


 ノエや今日知り合ったばかりのリリィへ目を向ける。

 二人にこれが通じるかは知らないが、フェアに通じない時点で欠陥品だ。


「あるぞ。確かに魔術封じの魔具は全ての吸血鬼の力を封じられるわけではない、けど……吸血鬼は年々弱くなっているんだ、今はよくてもあと二十年後、三十年後、百年後はわからない」


 吸血鬼は人間との共存の道を選んだ時から、その特性が弱まりつつある。

 夜行性だった吸血鬼は昼間に行動できるようになり、太陽は弱点ではなくなった。

 長命だった命は人間と同程度になり、魔術や血を失う行動をしなければ吸血しなくても生きていられる。

 無論、過去の特性を色濃く有した吸血鬼も存在する。

 だが、それもいつまで続くか謎だ。

 特性の強い吸血鬼は年々減少の一歩を辿っている。


「今は不完全でもいずれ完全になり替わる可能性があるんだ。そうなればこの国のように吸血鬼と人間の均衡は崩れ共存は出来なくなる……オレの故郷も、割と……人間が吸血鬼を排除しようとする動きが活発になっている、元々は一緒に生きていたのに、だ……ってきいた」

「きいた?」


 菫が首を傾げる。

 ノエは生まれ故郷について話す際の情報が曖昧で、知識が少ない。


「……オレはあんまり外と交流がなかったんだ……エルミと出会う前は。だからオレの知識の大半はエルミからきいたものなんだ」

「エルミが色々と教えてくれたんだな」

「そうだぞ。故郷は力の強いエルミがいたからまだ人間と吸血鬼は友好的だった。エルミは裏切り者の吸血鬼と比べれば吸血鬼としての特異性には劣るが、長命だったし魔術の実力も高かった。人間との共存が崩れないよう自ら魔具を装着して魔術を行使する力を見せつけて、魔具は役に立たないと証明したこともあるんだぞ」


 果たしてそれは共存なのだろうかとアイリーンは率直な疑問を抱いたが胸に秘めておくことにした。


「けど、エルミだっていつまでも生きていられるわけじゃない。少なくとも裏切り者の吸血鬼より寿命は短い。だから吸血鬼を守るために、吸血鬼を集めて部隊を編成した。でも、勝てなかった。力が及ばなかった」


 圧倒的な実力を有するユベルの前では歯が立たなかった。


「きっと……エルミがいなくなったことで今まで様子見で動かなかった吸血鬼たちも裏切り者の吸血鬼を殺すために動いている」

「へぇ、なら審判を狙っていたら他国の吸血鬼と出会える可能性もあるのか、それは面白いな」


 クロシェは楽しみが増える一方だと表情を嬉々とさせる。

 先ほどまでの血が足りなかった顔とは別人のようだ。歪みがなく、歪んでいる。


「かもしれないぞ」

「なら期待しておこう。ユベルを狙うくらいだ、強い吸血鬼だろ? 首輪をつけても魔術が使える吸血鬼かー、フェアと一緒だな」

「……エルミの想像なんだけどな」

「ん?」

「裏切り者の吸血鬼は、わざと魔具を未完成品にしているんじゃないかって言ってた」


 子供の手がクロシェが未だ腕輪のようにして出したままの魔具を指さす。


「――どういうことだ?」


 看過できない言葉にリリィは黒く淀んだ瞳をノエへ向ける。


「裏切り者の吸血鬼は人間を信頼していない。いくら吸血鬼を裏切っていても人間じゃない。完璧な魔具を完成させてしまえば」

「人間が裏切ってきたときに、ユベル自身が困るってわけか」


 リリィが言葉を重ねるとノエが頷いた。


「そういうことだぞ。だから、あえて不完全品を流通させているって」


 推測の域を出ないものだが、アイリーンにはそれが正解に思えた。

 不完全であれば人間が裏切り、ユベルを魔具で拘束したところで意味がない。

 劣化していたところで、ユベルの前では人間も無力同然だ。

 だから吸血鬼を滅ぼすための力を十全にはしない。


「なら、もし他国の吸血鬼に出会ったら仲良く手を組もうぜ!」


 愉悦するクロシェの表情にはユベルに対する恐れはない。

 人間だから、ではなく単に面白いから死の可能性を考慮にいれていない。


「……確かに、それはいい方法だろうな。だが、俺の目的はノエとは違う。『審判』という狙うべき場所は同じだが、相手は違う。ユベルには興味ない。俺にとって一番は千鶴を殺したやつを殺すことだ」


 リリィの言葉にノエは瞼を伏せる。


「まぁけど……『審判』に目的が終結しているのはちょうどいい。俺が殺したいやつも、ノエが殺したいやつもぜーんぶ審判に固まっているんだから。あぁ……メイゼンだけは別か、まっ琴紗も審判に追われていると考えれば一緒だけどな」


 菫の目的とリリィの目的は同じ。復讐。相手は審判のイクス。

 ノエの目的は裏切り者の吸血鬼ユベルの殺害。相手は審判のユベル。

 クロシェの目的は面白いから一緒に行動する。

 フェアは菫に恩を返すと宣言しているし、ノエに協力している。

 アイリーンは菫に復讐してほしくなくて情報を黙殺していたが、菫の味方だ。

 メイゼンだけは琴紗が目的で別だが、琴紗は審判に追われている。『審判』に目的が固まっているのはリリィとしてはありがたかった。無謀な復讐に一人で挑むことがなくなる。

 イクスは強かった。

 吸血鬼の証である魔術を行使したのにそれでもなお埋められない力の差があった。

 だが、数で押せば別だ。

 殺したい相手も邪魔する相手も全て殺せばいい。

 殺せれば、生きていたいと思う心も消える。


「リリィの体調が回復して、メイゼンもよくなったら向かうか」


 菫は復讐を憎悪を瞳に宿らせる。

 復讐を終わらせに。

 復讐を達成しに。

 ノエの寂しい表情に菫は気づかない。

 アイリーンが、ノエの表情を汲み取ってこっそり膝に手を置いた。ノエは手を重ねる。暖かかった。


「よし、話がまとまったところでアイリーン」


 クロシェは吸血鬼封じの魔具を引き出しにしまおうとするが菫に取られる。


「何?」

「服を脱げ」

「え?」

「いやだってお前が男か女か聞いてもこいつら答えてくれないんだもん。剥いた方が早いだろ」

「はぁ!? 嫌だよ! 大体脱げって言われたら益々脱ぎたくなくなるって……剥く!?」


 アイリーンは両手でフードをがっちりと握りしめる。

 クロシェは本当に空気を読むつもりがない――いや空気を頑張って読んだ結果かと菫は呆れながらも、クロシェを羽交い絞めにする。


「剥く。菫離せよ、嫌がるなら剥いた方が早いだろ」

「駄目に決まっているだろ、そもそもお前はどっちだったらいいんだよ!」

「そりゃ男! 男だったらクロシェと一緒に飾っておきたい」

「お前のコレクションは私一人で十分だろ」


 フェアが両腕を組みながら不服そうに虹彩異色症の瞳でクロシェを睨みつける。


「そりゃそうだけど、でもやっぱり両方飾りたい気持ちもあるんだよ! 俺は欲望に忠実なの! 女だったら周りがうるさい。やれ結婚だやれ見合いだ、やれいい人はいるか、やれ身分はどうだとかうるさすぎるので男希望! 俺はもっと自由を謳歌していたいんだ!」


 話しがどんどん逸れていっているなら寝るか、とリリィはテーブルに顔を伏せる。


「いくつまで謳歌したら結婚を考えるつもりなんだ?」


 クロシェの嗜好は置いておいて貴族も大変だなと菫が尋ねる。


「最低でも三十までは結婚したくないね。そもそもさ! なんで俺は一人っ子なわけ!? なんで両親は俺にお兄ちゃんか弟をくれなかったのさ、そしたら俺は悠々自適で生涯遊びつくせたのに!」

「あぁなんかもううるさい」


 貴族も大変なのかもしれないと僅かばかりに思った気持ちが菫から消えたので、クロシェをそのまま黙らせることにした。




 ◇

朝霞あさか、朝霞! 早くユベルを殺そうね」


 少女は、赤が鮮明に彩られた番傘を無邪気にクルクルと回して遊びながら跳躍するとぽちゃんと水たまりが跳ねた。

 靴が濡れた、と拗ねながら屋根の上に飛び移る。見下ろせば混沌を詰め込んだような雑多な景色がうるさく映る。


「そうだな。ユベルを殺せば、俺たちは平和に暮らせる」


 少女の無邪気な言葉に、続いて屋根に飛びのった青年が微笑みながら答える。

 風が靡くと、灰色と裏側が紫の艶やかな髪が幻想的に舞う。


「うん! 朝霞とずっと一緒にいられるの楽しみだよ」


 少女は背後を振り返り、未来を想像し幸せに満ちた笑顔を浮かべる。


「俺もだよ、セン」

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