第41話:I can not forget it
アイリーンがリリィの手当をしている間、菫から吸血したとはいえ意識が若干朦朧としているノエを菫は抱きかかえて二階の部屋へと運ぶ。
片手で寝室の扉を開ける。荒れに荒れた一階とは違い、整理整頓がされた光景は殺風景で簡素だ。
薬草の種類や用法などを中心とした書籍が収納されたサイドテーブルにあるランプで明かりをともしてからノエを快適に寝るために用意された広々としたベッドに横たわらせる。
背もたれのついた木製の椅子に菫は座りノエの頭を撫でる。
「別にクロシェの家にはすぐに戻らなくても大丈夫だろうから少しノエも休め」
「わかったぞ」
「なぁ……ノエ」
「なんだ?」
「一つ聞きたいことがある。ノエは裏切り者の吸血鬼ユベルを殺すことが目的なんだよな」
「そうだぞ」
「それはユベルを放置していたら吸血鬼が滅ぶからだよな」
「そうだぞ」
「集団でユベルを殺そうとして失敗したあとなんだよな?」
「……そうだぞ」
本題がつかめず、ノエは困惑する。
「だったら――仲間を殺したユベルに復讐をしたいとは思わないのか」
復讐の道へ引きずり込みたいわけではない。
ただ菫はずっと疑問だった。
仲間を殺害されたのならば、裏切り者の吸血鬼に限らず、審判そのものへ復讐心を抱いてもおかしくはない。
けれどユベルを殺すとは口にしても、ノエの瞳からは菫やリリィのように確固たる復讐と憎悪、殺意に塗れてはいない。
何処までも純粋で、何処までも無垢な瞳をしている。
復讐を推奨する気はない。殺意がないから薄情だ、冷淡だとは思わない。
薄情でも冷淡でもないのはノエの言動を見ていれば痛いほど理解できる。
だから不思議だった。
何故、何も言わないのか。わからなかった。
「……忘れろ、って言ったんだ」
ノエはタオルケットを握りしめる。
「エルミが『私たちのことは忘れて、幸せに生きろ。ノヴェスタ』って。だからオレは復讐したいとは思わないし言わない。復讐はエルミの言葉を無視することになるからな」
ノエは横たわっていた身体を起こし、菫と視線を合わせる。
瞼を閉じれば、自分に世界の広さを教えてくれたエルミの笑顔が蘇り、涙が零れそうになるのをこらえる。
「あ、エルミってのは、オレの初めての友達で、裏切り者の吸血鬼を殺す組織のリーダーだった人だぞ」
エルミについてノエが手振りをしながら伝える。
「……ノヴェスタってのは?」
「ノエはオレの愛称で、本名はノヴェスタ・ノエノ。ノエって愛称をつけてくれたのもエルミだ」
「そうだったのか」
「『君を巻き込んでゴメン』『君は君の道で幸せになるんだ、そこに私たちという思い出がいては、君の幸せを壊してしまう』『悲嘆にくれるな。復讐しようと思うな。嘆くな。忘れろ、忘れられるだけ忘れろ』『私たちが願うのは、ノエの幸せだ』……そういってくれたんだ……言葉を覚えている時点で、忘れられていないな……忘れられるわけがない」
悲痛な顔をするノエに菫はかける言葉が見つからない。
「でも、エルミたちが命がけでオレだけはせめてと逃してくれた。だから、忘れようと努めるだけなんだ……裏切り者吸血鬼を殺すことに復讐を入れてはいけないんだ」
忘れることはできない。
けれど、彼女らが願ったことを無視することはできない。
だから、覚えているけれども、口にしようとはしない。忘れられないけど、心にしまうだけにしてきた。
嘆いたり、復讐しようとしたり、悲嘆にくれることはしないでいようとノエは決めていた。
それでも一度言葉にしてしまうと涙があふれてくるのを止められない。
零れた涙をおかしいなとノエは笑いながら拭う。
「……オレを逃してくれたのは、オレが元々組織の一員じゃなかったからだ。エルミの元に集った吸血鬼は、エルミを含めて誰も人間か吸血鬼化を判断できなかった。間違えて人間を殺さないために、エルミは区別できる吸血鬼を欲しがった。そしてオレを見つけたんだ」
吸血鬼を守るために人間を殺しては意味がない。
殺すべき対象は吸血鬼の平穏を壊す裏切り者ただ一人だ、とエルミは誓っていた。
人間と吸血鬼を区別できる
裏切り者を殺せない、力が足りないと分かったときならば――と、ノエを逃すために死力を尽くした。
「エルミはな、凄いんだぞ! 外見はオレと同じくらいの少女だったけど、でも裏切り者の吸血鬼程じゃないけど長命で、博学で、実力も強いんだ。エルミだけじゃない、皆凄かった。皆……凄かった、オレはそんな中に加えてもらえてうれしかったんだ……けど皆が死んでいくのに、オレを生かそうとした。一人だけ逃げるのは悲しかったしつらかった……でも、でもだ。そこまでしてオレを助けてくれた。忘れろって願ったんだ、なら……忘れるしかないだろ」
「ノエ」
「ずっと、我慢してきたんだぞ……菫……オレは……」
誰にも言わず、誰にも告げず、ただ胸の内に彼女らとの日々をしまって生きてきた。
それでも一度言葉にしてしまうと、初めての友達になってくれたエルミを、優しくしてくた仲間のことを思うと思いはとまらないしとめられない。
決壊した涙は零れ続ける。
「なら、今だけは好きに泣け。俺は何もみていないから」
菫がノエを抱きしめる。
「辛いことを聞いて、悪かった……」
「いいんだぞ……聞いてくれて、ありがとうだ」
頭を胸に埋めたノエは、ううっと菫の服を強くつかんで号泣する。
ため込んだ涙を全て吐き出すように、泣いた。
◇
アイリーンがリリィの手当を一通り終えて、元の場所に処置の道具をしまう。
「うん、これで大体いいでしょ」
手際が良いとは言えないし、千鶴のように知識が豊富ではないが、上出来だとアイリーンは自画自賛する。
手首に巻かれた包帯をリリィは眺める。渇望が収まったのと、鎮痛剤の力で痛みは多少緩和した。
「少し休んだら、クロシェの家に行こうね。リリィさんも一緒に」
「……あぁ」
「もうリリィさんも菫ちゃんと一緒に復讐する仲間なんだから単独行動はダメだよ」
「わかっている」
手当を受けている最中、リリィは一通りの事情と、アイリーンが白髪赤目であることを知った。
千鶴には最後まで見せることがなかった――その白さと、赤さを笑いながらアイリーンはリリィに見せた。
見せたかったなとアイリーンは心から思う。
千鶴の驚きを見たかった。
もっと早く千鶴を信用して素顔を明かしたら、親しい交流がもっとできたのではないかと後悔が後から後から増える。
「アイリーン」
リリィが名を呼ぶ。
アイリーンが何? と柔らかい表情を見せるとリリィの手が伸び、肩を強く推して壁へ華奢な身体を押さえつける。
「ちょ、ちょっと?」
アイリーンの困惑を無視してフードを外したローブを破り取ると瑞々しい首筋が露になる。
口を開いて顔を近づける。人間の血を飲もうとしていると察したアイリーンは力強く押さえつけられる肩の痛みを我慢し、抵抗せず口を閉じる。
リリィの顔は苦々しく歪み、身体は震えている。
傷のない首筋に八重歯を突き立てようとする意志に反して口が閉じようとする。中途半端な形で開かれた口からは涎が零れアイリーンの服を濡らす。
荒い呼吸。歪んだ表情は泣きそうな程に辛く、頭を揺らせば桜色の髪が肌を撫でる。
牙を突き立てて血を啜ろうと思う意思があるのに、人間の血を吸いたくないと拒絶する心が強い。
口を近づけては離すを繰り返す。
やがてリリィはアイリーンの肩から手を離し地面へ座り込み頭を抱える。
「リリィさん……」
「ずっと俺があの子供から血を貰うわけにはいかない……」
震えた手は救いを求めているようにアイリーンの瞳には映った。
「子供の身体で、俺に血を与えたらそんなもの血があっという間に欠乏してしまう……だから、お前の血を……」
ノエならば頼んだからいいよと笑って血を上げることはアイリーンにも想像がついた。
けれど小柄で十歳前後の子供にしか見えないノエが、成人男性の吸血鬼が求める血を提供し続けたらどうなるかも容易に想像ができてしまう。
「人間の血なんて飲みたくない。人間の血なんて気持ち悪いだけだ、まずいだけだ。吐き気がするだけだ……だが、それでも俺は血を飲まないと……」
魔術を普段から酷使するわけではないが、千鶴の血が美味しいから、好きだからと飲み続けていたからリリィにとって血は食事も同然だった。
ノエのように魔術さえ使わなければ暫くの間、吸血しなくても平気とはいかない。
血を求めてしまう。血を欲しがってしまう。
人間の血を飲もうと決意して、アイリーンの血を奪おうとした。
だが、心が拒絶して叶わなかった。
「リリィさん……まだ、無理をしなくてもいいと思うよ。いっぺんに一気に解決なんてできない。貴方は今までずっと吸血鬼の血を飲んで生きてきたのだから」
千鶴の、とはあえて言わなかった。
吸血鬼であるノエの血なら飲めたのだから、リリィは人間の血が嫌いで飲めないだけだ。
「何年も何年もずっとそうしてきたことをすぐに変えられるなんてことはない。だから、ちょっとずつ変えればいいよ」
「……そうだな」
「今は僕の血を吸おうとしたことが一歩前進だって思ってさ」
「あぁ」
「でも、渇望状態にも耐えて人間の血なんていらないってしていたリリィさんがどうして急に? あ、悪いっていっているわけじゃないからね」
輸血用のパックから血が零れて床に血だまりを作っても、リリィは人間の血は飲みたくないと拒絶して飲まなかった。
その時からまだ一時間も経過していない。
心境の変化がアイリーンは気になった。
「ノエに悪いと思ったからだ。千鶴以外は、どうでもいい。千鶴だけ俺にはいれば良かった。でもそんな俺だって子供の吸血鬼から血を貰い続けるわけにはいかないってことくらいわかる……何より」
「何より?」
「千鶴が、吸血鬼だったから」
声を絞りだす。
「千鶴は俺に血を吸わるたびに凄く苦しかったはずだ……俺が吸血したら満足してすぐ毎回帰ったわけじゃない。リリィの家に居座ったり、そのまま泊まったりだって何度もした。すぐに帰るほうが珍しかったくらいだ。だが俺は千鶴が吸血鬼だとは気づかなかった。血を吸われて、血が欲しくて欲しくて欲しくてたまらないはずなのに、顔にも言動にも一切不審に思われないように動いていた。どれだけ千鶴は苦しかったんだろう。どれだけ千鶴は我慢したんだろう。吸血鬼なのに。だから、このままずっと吸血鬼の血を吸い続けるわけにはいかない」
渇望が収まり冷静になったから思考が回った。
何のためらいものなく吸血鬼でありながら吸血鬼に血をくれたノエのことを思うと、吸血鬼の血に縋り続けられない気持ちが芽生えた。
躊躇しない真っすぐな瞳は、心は、出会った時の千鶴を彷彿させたから。
何より、吸血鬼なのに血をくれ続けた千鶴に対して、悪いと思った。
「そっか。なら、がんばろ。僕の血なら欲しかったらあげるから。あぁ、でも吸血しすぎないでね。僕、菫ちゃんとは違って血の気多くないから倒れちゃう」
冗談めかしてアイリーンが告げるとそうだなと堅かったリリィの表情が和らぐ。
「腕を掴んだらポキリと折れそうなお前じゃ、すぐに死んでしまいそうだ」
「だから、まぁ……少しならあげるけど、たくさん欲しい時は道楽貴族のクロシェからでも貰って」
「菫じゃないのかよ」
「菫ちゃんはだーめ」
「じゃあ俺は少し休む」
「うん。リリィさん、おやすみ。ゆっくり休んでね」
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