第39話:I'm home

 アイリーンがノエと一緒に一休みしている間、菫、メイゼン、フェア、クロシェが今後の行動について話し合っていると菫の脳内に千鶴の姿がよぎった。


「一度モルス街に戻って千鶴にアイリーンが無事だったことを俺は伝えたいな」


 千鶴? とクロシェとメイゼンが首を傾げたので薬師でアイリーンが誘拐されたとき一緒に探してくれた人だと簡単に説明をする。


「それは心配しているだろうし一度戻ったほうがいいな」


 メイゼンの言葉に菫は頷く。

 他人に興味がない、他人がどうなろうが関係ないと千鶴は言い切るような性格をしているが、それでも口では文句をいいながら危ない橋を渡ってくれるし協力もしてくれた。


「じゃあアイリーンとノエが起きたらモルス街へ戻るか。メイゼンも一緒に来るだろ」

「……そうだな、そうさせてもらう」


 琴紗を追いたいが、怪我が万全ない状態で挑むべきではないともう諭されている。

 何より、アイリーンと暫くは一緒にいたい気持ちもあった。

 メイゼンは琴紗の腕前を嫌というほど知っている。

 ずっと隣で相棒として親友として一緒にいたのだから。

 そして、琴紗はその親友に魔術を扱ることを隠していた。

 ならばその実力はメイゼンが知るものより高い。

 何より五年余り拘束されていたメイゼンでは今の段階で琴紗に勝てるとは思いあがることは出来ない。


「アイリーンも心配だから……暫くはうちに置いといて、メイゼンも一緒にいよう」


 菫は対して広くもない自宅を思い浮かべる。

 アイリーンは人数のうちに入らない小柄な体格だが、しかし実際に人数に入らないわけではない。

 ノエと一緒に寝かせようにもシングルベッドでは聊か狭い。

 だからといって一階の床で寝かせるわけにもいかない。

 以前、一緒にいたイクスがいないからといって二人増えたら窮屈だ。

 いっそ、自宅より広いアイリーンの家に暫くは住まわせてもらおうか、と菫が思考している時空気を読むつもりのないクロシェが気軽に言った。


「なら、全員暫くうちに来る?」


 レーゲース街のクロシェ・ランゲーツ邸と比べれば聊か劣るものの十分な敷地面積を誇る場所であれば、寝床の心配をする必要はない。

 だが、と菫は黙って思案しているとクロシェが明るい調子で言葉を続ける。


「それにメイゼンはおいそれとは外に出られないぞ。モルス街ではメイゼンは有名人だ。道を出歩けば背後に注意しなきゃいけない。うちの敷地ないなら自由に出歩いても問題ないし、鍛錬だってできる」

「それは……そうだが……」


 モルス街に希望を与え裏切ったとされるメイゼンは街を自由に闊歩できる身ではない。

 それは国を裏切ったスパイとされているレーゲース街でも変わらない。

 ならば、自由に動ける範囲が他よりも広いクロシェの家にいるのは選択として間違ってはいない。


「家出猫も戻って来いよ。ふかふかのベッドで寝られるぞ」

「……」

「ついでに首輪も」

 

 手で首輪をつける動作をクロシェがする。

 

「それは断る。そもそも首輪は私がつけたい」

「お前らの会話はいいから置いといて。どうしてだクロシェ」


 フェアとクロシェが楽しそうに会話するのをよこはいりして菫が尋ねる。

 クロシェは慈善事事業家ではない。

 悪趣味な道楽貴族だ。

 手元に白髪赤目を置いておきたいから、と言い出す可能性は大いにある。


「お前らと一緒なら――面白い、と思ったからだ」


 白い歯を見せながらクロシェは笑った。

 歪みなく、ただ面白いを求めている顔。


「俺は面白いのが好きなんだ。だったら面白いと思った相手と一緒にいる。それだけだろ」

「……」

「そりゃ手元に虹彩異色症の白髪赤目を並べたら圧巻だし、最高だけど。でもコレクションよりも俺が一番に求めるのは面白さだ。優等生だと信じて疑われなかった琴紗が他国の人間で魔術を使えて、しかも白髪赤目をつけ狙っている。死んだはずのメイゼンが生きてる。ノエとフェアは吸血鬼。面白いことしかないだろ!」

「ついでにいうとノエは審判のトップを狙っているぞ」

「最高!」


 菫が付け加えた言葉に、クロシェは満開の笑みを浮かべながら両手を広げる。

 菫はため息をつくが、その言葉は信用が出来た。

 その言葉だからこそ信用が出来たと言い換えても間違いはない。


「わかった。なら邪魔する。フェアはどうするんだ? 一人でうち使うなら使っても構わないが」

「は? 何を言っている。私もお前たちと一緒に行く。恩を返してない」

「あぁ……そういえばそういう話だったな」


 すっかり忘れていたよと笑えば笑うなとフェアが文句を言う。


「もう家出猫じゃないな」

「私は猫ではない。吸血鬼だ」

「いや、どうみたって猫だろ」


 猫ではないと否定するフェアの猫耳のような髪の部分をクロシェは引っ張る。特に特別な手入れをしているわけでもないのに出会ったときからすでにフェアの髪は猫耳だった。


「お前ら、仲良しでいいな」


 緊張感のない空気にメイゼンは切ない笑顔で笑った。

 嘗て、琴紗と親友だったころはお互いに笑っていた。背中を預けられる誰よりも信頼できる親友だと思っていた。

 だが、実際は違った。

 それでもあの日々が全て偽物だとは思いたくなかった。



 翌日。ノエとアイリーンが起きたので菫は仮眠から目を覚まし、モルス街へ戻って千鶴へアイリーンの安否を教えると伝える。

 その際にアイリーンが白髪赤目であることを勝手に千鶴へ告げてしまったことを菫は謝る。


「別に千鶴君ならいいよ」


 アイリーンが気にしないで、とほほ笑む。ストールを羽織り微笑んだまま一歩進むと降ろしたままの白髪が動きに合わせ靡く。血のよう濃く、宝石よりも美しい赤の瞳が見据える。


「折角だし僕の素顔を見せて千鶴君を驚かせよう。あとあと、僕が年齢を偽ってたことも告げちゃって、実は君より結構年下だったんだーってやろうかな」


 嬉しそうな表情をするアイリーンに菫もつられて表情が柔らかくなる。

 白髪赤目であるがゆえに、素顔を見せなかったアイリーンだが、秘密を秘密として隠すことがない安らぎを本心では求めているのが如実に伝わってくる。


「君付けはやめろって言われるぞ」

「そだねー。じゃっ菫ちゃん。戻ろうかモルス街へ」

「あぁ。そうだな」


 外へ出る前にクロシェが用意した服へ着替え、メイゼンとアイリーンは素性を隠すようにフードを目深にかぶる。

 クロシェが先頭に立ち、モルス街とレーゲース街を繋ぐ門を通る。

 モルス街からレーゲース街への出入りは厳しく管理されているが、その逆は自由に出入りができた。

 それを利用して嘗てアイリーンも琴紗の魔の手から逃れモルス街へと戻った。

 門番に一礼をしながら通る。

 綺麗で正常な空気が闇を飲み込むように淀み死をまき散らす色へ変化する。

 死と生、娯楽と絶望、悲鳴と歓喜、絶叫と歓声、快楽と苦痛、様々なものを全て一つに詰め込んで混ぜて煮たレリック区が姿を見せる。

 朝日が昇っているのにも関わらず点灯が消えることなく明かりは弱弱しく存在を主張し、目に痛いほどの旗が一面を覆い隠すように垂れ下がり、人々の猥雑はうるさい。


「何度きてもこの欲望に塗れた感じはいいよな」


 クロシェが目を細めて笑う。刺激のない平穏そのものであるレーゲース街はクロシェにとって酷くつまらないものだった。


「お前のような貴族がいるからモルス街はずっとこのまんまなんだよ」


 菫が嫌味を言うも、クロシェは笑う。


「そりゃそうだろ。利益と特権、快楽と娯楽。王様のようにふるまえるこの地を改革して既得権益を手放したいと考える馬鹿なんて早々いない」


 尤も、クロシェは馬鹿代表がここにいるけどなと視線をメイゼンへと向ける。


「だからモルス街は変わらない。いつまでたっても、貴族が蹂躙して遊ぶ娯楽場から抜け出せることが出来ない。抜け出せない以上、モルス街は死に近づいていく。貴族が搾取し、モルス街の住民は搾取されながら死んでいく。ここはそういう場所で完成されてしまっているんだよ――でもさ」

「……なんだ」

「壊れないものなんて、何一つない」


 クロシェの言葉に菫は咄嗟に言葉を返せなかった。

 レリック区の喧噪を歩きながら全員で千鶴の自宅へ押しかける必要はないので、クロシェとメイゼン、フェアは先にクロシェの自宅へ向かい、ノエ、菫、アイリーンが千鶴の元へ向かうことになり、二手に分かれる。

 ノエはスキップをしながら千鶴の自宅へと足を進める。


「おい、迷子になるなよ」

「ならないから大丈夫だぞ!」

「それでも心配なんだよ」


 迷子の前科があるからなと菫が言うと、ノエが頬を膨らませて抗議する。

 千鶴のやる気がない店の看板が見えたのでノエが走る。


「ったく」

「ふふ。ノエ君は元気だよね」

「お前も若いんだから続け!」

「はいはーい」


 ポンっとアイリーンの背中を菫が押すと、アイリーンも駆け出した。

 菫はゆったり歩いていると先に千鶴の自宅へ押しかけたノエとアイリーンのえっ! という声が聞こえてきて何かあったのかと慌ててかける。

 室内へ入ると、受付が強盗にあってもここまで酷くは荒らされないと思うほどに荒れていた。

 物は散乱し、受付の机はひっくり返りさらに粉々に砕けている。

 壁に固定されている無数の引き出しは全て中身がひっくり返り、穴がボコボコに開いている。

 床も無数に罅が入りささくれ、床の色を侵食するように赤黒い血が広がり、その中心にうずくまるようにして横たわっているリリィがいた。

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