第37話:That's fine

 イクスは欠伸をする。少々眠い。

 ユベルが離れてから、眠気を感じるまで琴紗を尋問していたが成果はなかった。


「何か答えてはくれませんか?」

「答える、つもりが……あるなら、最初っから、答えているさ」

「それもそうですね」


 無駄な問いだった。琴紗は何をしても何も喋らない。下手をすれば薄ら笑いを向けてさえくる。

 普通の吸血鬼だと疑われた人間ならばとっくの昔に吸血鬼だと認めて、惨殺されている頃合いだが、琴紗は他国の人間で特異な存在。

 いくら口を割らせようとしても琴紗は苦痛を流して平然とした顔を作り上げる。


「俺にとって、それはんですけど」


 琴紗が眉を顰める。しまったとイクスは思った。思考をそのまま口に出していた。

 このままでは眠気から加減を間違えて琴紗を殺してしまう。

 今すぐその口を塞ぎ喉に刃を突き立てたい衝動を抑えながら行動しているというのに眠気で殺してしまっては意味がない。

 吸血鬼リリィを殺そうとして別の吸血鬼千鶴を殺す前も、吸血鬼を探してイクスはモルス街をさ迷っていたし、その前は仕事に精を出しすぎて碌な睡眠をとらなかったせいか、と己の失態を実感する。


「ちょっと仮眠してきます。貴方もせいぜいつかの間の休息を楽しんでください」

「楽しめる、じょうきょうなら……良かった、けどね」

「それもそうですね。では」


 紐を引き、鈴を鳴らすと音伝わり程なくして牢屋へ審判が現れる。

 仮眠をとる間、琴紗を見張るよう頼みイクスはその場を後にした。

 見張りを引き受けた審判の男は、木製の椅子に座り何もせずただ黙って琴紗を眺める。

 琴紗はやっとあの男がいなくなったと瞼を閉じて、呼吸を整えてから目を開く。

 鎖で首がまともに動かない中、瞳を動かして見張りへ訴えるような視線を作り上げて送る。


「……なんだ」

「はなしたい、ことがある、んだ。もう、げんかい……なんだ」


 弱弱しい言葉は今にも掠れそうで、見張りは立ち上がる。自白を一言一句聞き逃さないため琴紗へ近づいた。


「ねぇ。蟲毒って知ってる?」


 琴紗が笑った。

 その声は、先刻とは違い明瞭。


「良かったよ。やっとあの男どもがいなくなってくれて」


 演技だったと気づいたときには手遅れ。見張りの視界が歪み、霧に包まれたように曇り前後不覚に陥る。


「君ならあの二人よりは弱いから、成功率が上がる。君は俺が脱走するのをさ。手伝って。もちろん、ただとは言わない。俺の秘密を教えるよ」


 覚束ない中、明瞭な声が脳に直接響いた。惑わされた中で見張りは懸命に幻術を打ち破り理解不能な状況を打破しようとして――動かした身体はイクスから託された鍵で琴紗を解放していた。



 イクスが一時間の仮眠から戻ると、鎖で雁字搦めに拘束していた琴紗が消えていた。


「……琴紗はどこだ」


 冷静に状況を観察する。冷たい床には見張りの男が血まみれで転がされている。

 急所を外しているが腹部から流れた出血量は多く、息も絶え絶えで下手をすればすぐに死ぬ。

 辛うじて命を繋いでいる状態。

 琴紗を拘束していた鎖は無造作に外されて転がっている。鎖が引きちぎられた様子はなく鍵で開けたように思えるが、鍵は落ちてない。

 イクスはすぐさま琴紗を追おうと踵を返そうとしたがうめき声の中に言葉が混じっていたので、見張りの彼を抱き起す。


「ことさ……が、話したじょうほうを、おしえ……ます」

「わかりました」


 開かれた鉄格子を一瞥してから、イクスは見張りへ顔を近づけ掠れた声を聞き取り知りうる情報を一言一句逃さないよう頭へ叩き込む。

 傷の手当をするという思考はなかった。助かる見込みは低い――何より、そんな暇はなかった。


「いじ……」


 最後の言葉を言い切る前に、彼は生き途絶えた。イクスは彼を床に寝かし見開かれた瞼を閉じる。審判の部下を呼び出し、琴紗の捜索をしたが芳しい結果は得られなかった。

 既に琴紗はどこかへ逃走をして姿を晦ました。そう判断し捜索は部下に任せたままイクスはユベルの執務室へ向かい、そこで情報を共有する。


「なるほどな」


 忌々しいとユベルは舌打ちする。

 琴紗を拘束していた鎖は、見張りが持っていた鍵が使用されたが、見張りが裏切った可能性は限りなく低い。

 裏切るような人間は最初からユベルが殺している。

 ならばユベルがたどり着いた答えは一つだった。


「あいつの魔術の腕前は吸血鬼の脅威にはならない。吸血鬼の力を封じられる魔具であれば魔術を使えないと思っていたが、どうやら違ったようだ」


 吸血鬼の力を封じる魔具は完全ではない。力の強い吸血鬼では全てを封じることは出来ず弱体化することしかできない。


「あの男は魔具をはめられていても魔術を扱える程度には強い」

「俺も、ユベルも、最初から琴紗の作戦の上で踊らされていましたか」

「そのようだな。俺があいつと戦った時に扱った魔術の腕前なら魔具で十分だった――つまり、魔具で封じられる程度の実力しか発揮しなかったんだ。全力で戦ったところで、勝ち目がないとあいつは分析していた。計算したうえで武器を手にしていた」

「勝てないのならば、隙を見て逃亡。確かに利口なやり方です。どの道、捕らえられるのならば全力で戦うと拘束が厳重すぎて逃げ出す暇なんて与えるわけがありませんでしたしね」


 此方で完璧だと思っていても琴紗は力を隠し切り札を持っていた。

 それによって破られまんまと逃亡を許してしまった。


「あぁ。そうだ。だから審判が№Ⅱのお前じゃないときに、幻術を使い、対象を惑わし拘束を外させた。鍵を持って悠々と牢屋から出る。幻術で審判を騙しながら脱出したわけだ」


 実際には満身創痍の状態だった琴紗が悠々と脱出できたわけではないだろうが、それでも逃げられた。


「それにしても人食い蟲毒か。馬鹿なことを考える国もあったものだな」


 ユベルは椅子に腰を掛けながら足を組む。引き出しから封をしてある血を取り出しグラスに注ぐ。イクスは露骨に嫌な顔をしたが、気にせず血を飲む。

 美味しくなかったが、今は求める血がそばにないのでユベルは諦める。


「吸血鬼の肉を食わせた人間を殺し合わせて、勝者が敗者の肉を食らう。それを続けて吸血鬼に身体を慣れさせる実験」

「吸血鬼と人間の間に子供は生まれない。ならば魔術を扱うためには、吸血鬼を人間の体内に取り込もうという試みが生まれるのは不思議ではありませんけどね」


 魔術という人間には未知で恐怖の対象であるものを、自らも得ようと手を伸ばすことは異様ではないとイクスは掌を眺める。


「そうだな。だが、直接吸血鬼を取り込むと拒絶反応が強すぎる。だから、少量ずつ食べさせた。血を、肉を。少しずつ。少しずつ。歳月をかけて。そしてそれが馴染んだ人間の肉体を別の人間が食べる。元が人間同士だから異物を馴染ませるのも異種よりはましだってことだろ。徐々に肉体に、吸血鬼をしみこませ続ける」


 吸血鬼を少量食わされた人間同士が互いに食らい、食らい、食らって徐々にその吸血鬼の割合を増やしていく。

 飽くなきほどに食らい続けて食わせ続けて、そして『魔術』が扱える程に吸血鬼をしみこませた。

 果たしてそれはどのような月日の遠くなる年月を有したのかと想像するとイクスは殺したい程に吐き気がした。


「まっ結局琴紗の言葉を信じるなら、それだけの屍を積み上げても一人の人間しか魔術を扱えるようにならず、コストと利益が釣り合わないから研究は凍結されたと」

「鵜呑みにはできませんけどね」

「そうだな。けどそんな研究がほいほい成功するとも思えない。途中で精神が狂う確率の方が圧倒的に高い。だから今まで俺の目に留まることもなかった。もし琴紗が嘘をついていたとしても可能な人間はせいぜいあと数人程度だ」

「……そうですね。しかし苛立ちますね。人が尋問している時は何一つ話さないくせに、脱走するときには手段として利用するなんて」


 イクスは苛立たしく吐き捨てる。

 琴紗は見張りの審判を殺して逃げればよかった。審判の武器を奪ったのならば殺害することなど容易だったはずだ。死人にくちなし。

 けれど琴紗はそれをしなかった。

 理由は明白。

 逃走の成功率を高める。それだけだ。

 死体であればイクスはすぐさま琴紗の脱走の跡を追った。

 幻術が扱えようと審判本部で満足に動けない身体での脱出は容易ではない。時間を要するが故に捕まえられる可能性はあった。

 そのため、時間稼ぎに琴紗は見張りを利用した。

 有益な情報を持ち、いつ死ぬともわからない人間がそこにいればイクスはそれに耳を傾けることしかできない。

 死んでしまえばそれまで。情報は失われる。

 イクスが一人しかいない以上、両方のことを同時にこなすことは不可能。

 だから情報をイクスが優先するために、イクスが耳を傾ける情報を琴紗はおいていった。

 それがわかっていながら琴紗の策に従うしかなかったことが忌々しくてイクスには腹立たしかった。


「あぁ。話なんて聞き出そうとせずに殺してしまえばよかったですよ」


 失敗したとイクスは舌打ちをした。

 吸血鬼も魔術を使える人間も、全部殺してしまいたいのに、と吐き捨てる。




 琴紗は審判本部から脱出し周囲に幻術で惑わせた結界を張りながら、木々に囲まれた公園の片隅で、木を背もたれにして休む。


「はぁ……まったく、裏切り者の吸血鬼も、吸血鬼を殺したくてたまらない男もどちらも容赦なさすぎだ」


 身体が酷く痛む。少し休憩してからでないともう体力の限界だった。

 レーゲース街に住む子供たちの幸せな遊び声が子守歌のように耳に響く。


「ここまで逃げたら……少しは、大丈夫だろう……が、休んだらすぐに移動しないとな……」


 瞼を瞑る。

 琴紗は他国の人間で、この国の情報収集するために忍び込んだ。

 病弱で滅多に外に出ることがなかった自分と同い年付近の少年を見つけて幻術でなり替わった。

 その少年の両親を騙して、周囲を騙していつしか嘘を本当だと思い込ませて貴族の地位を手に入れた。

 周り全てを騙して周囲に優等生だと振る舞い、誰に対しても優しくて親切な琴紗を演じた。

 裏切り者だと誰もが思わない盤石の布陣を常にひいてきた。

 けれどもそれが狂った。

 偽りの親友メイゼンが、白髪赤目の子供を連れてきたから。

 珍しくて美しいそれを、どんな手段を用いても欲しいと思ったから。

 国のためではなく自分の欲望のために動いたから、完璧だった布陣は崩れ去った。

 結果、今の状況がある。

 それでも琴紗は構わなかった。

 最後に、白髪赤目アイリーンを手に入れられるのならば。

 それでよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る