第36話:出来損ないだとしたら

 同胞を連れて一度イクスは審判の制服へと着替えてから、レーゲース街とモルス街を繋ぐ門へ向かい、レーゲース街へと戻る。

 ユベルは滅多にモルス街には現れない。

 現れたとしてもイクスにとっては忌々しいことにウルドへ血を貰いにやってくるくらい。

 人を呼び出すのだから部下を使わず自らの足で呼びに来いと思いながらイクスは門を抜け、レーゲース街へ出る。

 整備された美に包まれた、統治と統一がされた荒廃とは無縁の地。モルス街の人間からすればそこは楽園と称しても誇大表現ではない光景が広がる。

 清涼な空気に包まれるたびにモルス街出身のイクスは忌々しい暗い感情が胸に宿る。

 心地よい空気は心地が悪いと速足で審判の本部へ向かう。

 貴族街と住民街とは反対側の人気のない場所に塔のように聳え立つ白の建物。

 雲と同化するように伸びた塔は、モルス街にある拠点よりも三倍程巨大で、さらに広大な庭が広がり木々が柵のように四方を囲んでいる。木々は外部からの視界を閉ざす壁にもなり閉塞的な空間を生み出している。

 門扉を開けて、中へ踏みいれる。アプローチの周りは来訪者を歓迎しているかのようにシンメトリーに花々が咲き誇る。

 玄関の重厚な扉を開けてエントランスに入る。形だけの受付には、白と赤の制服をまとった審判の同胞が書類を整理していたが、来訪者がイクスだと気づくと立ち上がる。

 エントランスの奥に広がる人が五人横に並んでも余裕で通れる廊下の床は綺麗に掃除されているが、染みついて落ちない赤黒い染みの痕跡があるのを横目にイクスは尋ねる。


「ユベルはどこですか?」

「地下にいます」


 無駄な装飾のない白い廊下を進む。途中上階へと上がる階段を通り越して、廊下の行き止まりへ到着する。白い壁の窪みに手を入れて鍵を取り出す。白に紛れる鍵穴に先ほど取り出した鍵を入れて回す。かちゃりと音がしたので、壁にしか見えない扉を開けて地下へと降りていく。厳重な扉を開けて地下へと降りていく。

 薄暗い明かりの中進む。

 階段を下り終わると扉。


「いつも思いますけど、ここまで厳重にしなくても誰も逃げられはしませんのに」


 面倒だとイクスは思いながら、開錠してから扉を開けると、ユベルが壁を背もたれにし両腕を組んで待っていた。

 七分袖の白いシャツの背中には細身の赤いリボンをベルトのようにまき、黒いズボンを履いている。


「来る頃だと思ったぞ」

「ユベルの命令は無視しようと思ったんですが、人間なのに魔術が扱えるなんて興味深いから来ました」

「上司の命令無視するなよ」

「嫌ですよ、吸血鬼の命令をきくなんて」


 本心からの言葉にユベルは呆れる。


「本当に吸血鬼が嫌いだな」

「えぇ。大嫌いです」


 それに対しイクスは殺意の籠った笑顔で答える。


「それにしても、どうして俺だったんです? ウルドを呼べばよかったじゃないですか」


 ユベルが歩き出したのでイクスは続く。無数にある牢屋は全て空っぽだ。吸血鬼がいれば殺そうとイクスは思っていたのに残念だったと舌打ちする。


「ウルドは休日だ」

「俺だって休日ですけど?」

「お前なら無休だろうと問題ないが、ウルドの休みを潰したくはない」

「はっ! くせに何を言っているんですかね。ウルドが休暇を取る日は、婚約者の月命日だって知っている癖に!」


 イクスは嘲笑する。

 ウルドの婚約者の女性はお淑やかで上品。慈愛に満ちた瞳を持ち、清楚でたおやかな人だったと、イクスはウルドに紹介された婚約者の姿を思い浮かべる。

 ウルドを愛し、ウルドもまた彼女と結婚することを決めていた。

 それをユベルは奪った――ウルドが結婚したら審判を辞めるのではないかという不安にかられて。


「……ウルドには俺が殺したことは言うなよ」


 ユベルは婚約者が一人になった時を狙って、人間の犯行に見せかけて殺した。

 ウルドにそのことをユベルは告げていない。

 ウルドの婚約者が殺害された事件は軍が大々的に捜査をしているが、犯人は現在も不明で捕まっていない。

 目の前に犯人ユベルがいるのに軍は無能なのだろうかとイクスは思うものの、軍に逮捕されてはユベルが殺せないから無能でよかったと相反する感情を抱いている。


「はっ、馬鹿か? 貴方が言わなくてもウルドはとっくに婚約者を殺したのがユベルだって知っていますよ」


 裏切り者の吸血鬼は愚かだ、とイクスはあざ笑う。

 それに対してユベルは答えない。

 眉一つ動かさない表情を見てイクスはユベルも気づいていることを知る。気づいたうえで、ユベルもウルドも何も言わない。苛立ちから舌打ちをする。


「なんだ、ユベルも気づいていましたか。けど直接口に出して確定してしまうのは怖いんです? 馬鹿じゃありませんか! ウルドはそんなことを気にしたりはしない! そんなことユベルだってわかっているだろうが」

「わかっている……が、それでも別だ」

「ウルドは『感情』を理解できません。だから定義を付けて振舞っているだけです。ユベルが殺したといったところで、『知っていますよ』の一言で終わりますよ。責めも恨みもしない。……目の前で婚約者が襲われていれば全力で助けますが、殺されて助けられなかったのならばそれは仕方がないことだと割り切り、彼女が『婚約者』であるから、月命日に墓参りをしているだけにすぎませんよ」

「わかっているだが、俺の感情は別だ」

「ホント、めんどくさい吸血鬼ですね。ウルドに全て話してしまえばいいのに。どうせ受け入れられるのに」

「……お前の、そのウルドのことは俺よりわかっている、みたいな態度がムカつく」

「だって実際俺はユベルよりもウルドをわかっていますよ! 親友ですから」

「殺すぞ」

「ウルドの婚約者を殺した次は、親友を殺すのですか?」


 イクスの挑発的な物言いに、瞳に殺意を宿らせていたユベルだが、思いとどまり、会話を打ち切る。

 最奥の牢屋にたどり着いたからだ。

 牢屋の中では一人の青年が鎖で両手を拘束され、両膝をついた状態で囚われていた。

 薄茶色の髪からはピンクのリボンが垂れている。白の瞳が意思を保ったままイクスとユベルを睨んだ。

 その顔には見覚えがあった。


「軍の……琴紗ことさ。彼だったのですかユベル?」

「そうだ」

「しかし人間が吸血鬼の魔術を扱えるなんてとうてい信じられませんよ」

「俺もだ。だが、事実魔術を使ったし、この男が人間なのは間違いない」


 ユベルの言葉を疑う余地がなかった。

 何より以前琴紗を目撃したノエが――ノエの笑顔を思い出すとイクスの胸が痛んだ――琴紗に対して得体のしれない不気味さを感じ取っていた。

 その答えが、人間であり吸血鬼しか扱えない魔術を扱えるが故のものならば納得がいった。


「なるほど、で何か吐いたんですか?」

「何も」

「でしょうね。だからユベルは入口で待っていたのでしょうから」


 審判の手段で吐く情報などないと琴紗が余裕の笑みを浮かべていたのが、イクスの癇に障る。


「俺が尋問していいんですか?」

「あぁ。そのために呼んだ。だが少し待て。琴紗は好きにしていいが、その前に少し試したいことがある」

「なんで試していなかったんですか」

「お前も見たいと思ったからだ」

「で、試したいことは?」

「吸血鬼の血を人間が飲むと猛毒だ。異物を排除しようと血が蠢き身体を体内から破壊するような痛みに襲われる――この男には、果たしてそれがきくのかどうか、気になってた」


 ニヤリ、とユベルが笑う姿は悪の親玉のようだとイクスは思った。

 一歩琴紗と距離を縮める。


「それに、喉が渇いているんじゃないのか」

「なにを?」


 琴紗がわからないなとばかりに笑みを浮かべる。


「これ、だ」


 ユベルが懐から取り出したカプセルに、琴紗は舌打ちする。


「なんですかそれ?」


 イクスが尋ねる。

 食べてみるか、と手渡してきたがユベルが渡したものを口に入れるつもりはなかったので手で払うとカプセルが床に転がった。

 ユベルはそれを踏み潰す。


「この中には血が含まれていた」

「血――ですかって、血を俺に食べさせようとしたのですか?」

「別に死にはしない」

「吸血鬼の血ですか?」

「いいや、人間の血だった」

「ということは、人間でありながら魔術を扱い、人間でありながら血を飲むということですね?」

「そういうことだ。琴紗の持ち物を没収した中にあった。薬に擬態させてはいたが血の匂いを漂わせていた」

「ユベルは犬でしたか」


 犬、の言葉にユベルは眉を顰めたが、取り合うだけ時間の無駄だと判断した。

 ユベルは琴紗の前に立ち、口を無理やり手で開かせる。


「しかしこの男は吸血鬼ではない。したがって、血を直接吸うことは叶わないのだろう。だから、こうしてカプセル状にして持ち歩いている」

「まるで出来損ないの吸血鬼ですね」


 イクスが冷笑する。憎悪しかない瞳は、琴紗の素性こそ不思議には思うもののそれ以外の感情は殺したい、しかない。


「それに、血を取らないと生きていけないなんて人間としても出来損ないです。ユベル。試してみてくださいよ、出来損ないの人間でも、吸血鬼の毒がきくのか」


 平然と吐かれた残酷な言葉に、同じく残酷な笑みを浮かべたユベルが琴紗の口を開かせていない左手腕を横に伸ばす。イクスが白の刀を抜き取り肌が見えている手首へ刀で腕を落とさない程度に切り付ける。

 ――あぁ。実験のためにユベルは七分丈の肌が見える服を着ていたのですね

 血しぶきが上がる。驚異的な回復力を持つユベルは、その傷が塞がる前に琴紗の口に腕を押し付ける。深々と切り付けられた腕にたっぷりと流れ出るおびただしい血が容赦なく琴紗の口に侵入する。


「――!!」


 琴紗が目を見開いて暴れるががんじがらめに拘束された鎖はびくともしない。塞がれて声を封じられた悲鳴がイクスの耳に心地よく響く。

 ユベルは腕が再生したのを実感すると口に押さえつけていた腕を離す。

 声を封じていた腕が離れた途端、喉を焼くような悲鳴が音になる。鎖で拘束されていなければ、痛みのままに転げまわっていたことだろうと思うと、鎖の存在がイクスには邪魔に思えたが、流石に拘束を解く真似はしない。

 程なくして、血の効果が薄れたのだろう琴紗の悲鳴は収まる。


「はぁ……はぁ……はっぁ」


 息も絶え絶えな荒い呼吸を繰り返す。


「やはり、その存在自体は人間のようだな」

「ですね」

「俺の感覚に間違いがないのは当然だが、しかし益々もって不可解だ。どうして人間が魔術を扱える」

「お……し、えると、おもう、か?」


 琴紗が顔を歪めながらも、答えを拒絶する。


「――凄いな」


 その答えにユベルは素直に感心した。


「俺の血を飲んで、拒絶できるやつなどいない。何より、俺の血を飲んで正気を保てることが凄い」


 吸血鬼の血の毒としての効果は、吸血鬼としての力に比例する。そしてユベルは現存する吸血鬼の中で最たる力を持つと謳われている裏切り者の吸血鬼。

 血の効果は、どの吸血鬼よりも強烈で熾烈な痛みを身体に叩き込む。


「だが、二度目はどうだ?」


 びくり、と琴紗の身体が震えた。


「二度も俺の血を飲んで正気でいる人間を、俺は一人しか知らない。果たしてお前はどうだろうな」


 楽しそうに、ユベルがいうので琴紗ははっと弱った身体であざ笑う。


「なら、試してみろ。俺は――これでも毒には慣れている」


 強気の態度に思わずユベルとイクスは顔を見合わせる。


「ならその言葉通り試そう」

「情報聞き出す前に、壊れたらどうするんです?」

「今更だな。最初で壊れる可能性はあった」

「その時はその時ですよ。利くかは俺も興味がありましたし」

「二回目をイクスはやめてほしいのか?」

「まっさか」


 イクスは鼻で笑う。


「けれど、情報がないままに壊れられても困りませんか?」

「そうだな。困りはする、けどそれだけだ。人間が魔術を扱えるなんて異例ではあるが、頻発している自体でもない、この国の出来事ではない。他国の出来事――時間はかかるが実例がある以上その実態を俺ならばつかめる」

「なるほど、なら――安心ですね」


 不安は消えたとイクスは笑顔になる。


「さて、どうする? 一応再度聞いてやろう。教えるか、教えないか」

「誰が、教えるか」

「そうこないとな」


 ユベルは楽しそうに笑いながら、今度は自分の鎖で腕を再度切り裂き、血を流す。琴紗の口を開かせて血を流す。

 琴紗の身体に襲いかかる、内側を破るような荒々しい激痛。

 だが、吸血鬼の毒は長くは続かない。

 やがて鎮静していき消える。

 琴紗は全身に汗を流しながらも、ユベルを睨みつける。


「ははっ……ざまぁみろ。俺は何も、しやべる……きはな……い」


 途切れ途切れだが意思をはっきりと告げる琴紗にユベルとイクスは口元が歪む。

 楽しい獲物を見つけた、とばかりの表情に琴紗は眉を痙攣させる。


「イクス、あとは任せる。お前が休むときは適当にその辺のやつを見張りにつけさせろ。情報を吐いたら、すぐに知らせろ」

「そうします。どうせ、動けないでしょうから」

「あぁ。そんなに強くもなかったしな」


 魔術を併用して扱った琴紗は、確かに軍人としての実力はあるようだったが、魔術の実力はあまり高くないし何よりユベルの敵ではなかった。鎖で拘束し、吸血鬼の魔術を封じる首輪をつけられた琴紗が何かをできるとは到底思えない。

 吸血鬼の血には屈しなかった琴紗だが、果たしてそれがいつまで続くのか。


「一つ質問……いいか? 裏切り者の吸血鬼」


 痛みが先刻より薄れたのだろう、額から汗を流しながら琴紗が弱弱しく声を発する。


「なんだ?」


 背中を向けていたユベルが振り返り、琴紗の言葉を待つ。


「君の血を、二度も飲まされた哀れな人は、一体誰なんだ?」

「――ウルドだ」

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