第34話:君が生きてくれるのならば

 白銀が刹那に輝くのを見過ごさず、真白の刀が一閃すると糸は強度を失い弱弱しく地面へ落ちる。

 落ちた糸を靴で踏みつけ、リリィは身体を回転させながらナイフを無数に投擲するが、悉く縦横無尽をかける刀に弾き飛ばされる。

 一歩距離を取ろうと跳躍したのを見越した刀が、向きを変えリリィを切る軌道へ入る。

 慌てて回避しようとするが間に合わずリリィの腹部をかすめる。


「くそっ」


 掌で遊ばれているような相手の技巧にリリィは舌打ちする。

 血肉わき踊る殺し合いがしたいわけではない。

 ただ殺したいだけだ。

 人を殺せば、自分が生きている、ここに存在する安堵が得られた。

 だから、リリィは人を殺す。

 なのに、殺したいだけだったのに狙った獲物は強かった。

 このまま刃を向けていても勝ち目はない。

 鋭く踏み込まれ切り裂かれる。急所は避けているが、いつまで持つかも定かではない。

 仕方ない、とリリィは戦術を変えることにした。

 ナイフを左手に刀と撃ち合う。ナイフが弾き飛ばされる。

 刀を操る男が、捕らえたとばかりにリリィを袈裟切りするがそれは霧となって消えた。


「――!」


 驚いている隙に背後へ回り好機とナイフを突き刺すが、背後を振り向きもせず回された刀で受け止められる。

 その瞬間、ぞくりとリリィは鳥肌がたった。

 この場にいてはいけない感覚が全身を支配して後退する。腹から流れる血が、整備のされていない凸凹の地面に零れる。


「貴方は、吸血鬼だったんですか」


 振り返った男は嬉しそうに微笑んでいた。


「吸血鬼は、殺さなければいけませんね」


 喜びに満ちた顔は、吸血鬼を殺したくて殺したくてたまらない顔。

 リリィは舌打ちする。この男を殺そうと思ったのは最悪の選択だったと後悔する。


「まさか劇団の主役ともいうべき演者が、吸血鬼だとは思いませんでしたよ」


 正体が知られていることに、リリィは顔を歪める。


「全く、劇団もいけませんよね、まだ吸血鬼を飼っていたなんて」


 男の斬撃が速度を増した。

 リリィは幻術を組み合わせて回避するが、幻術を全てねじ伏せればいいとばかりに襲いかかる猛攻に、無数の傷を多い血を流す。

 傷は深くないが、何度も何度も身体を痛めつけられる感覚、肌を切り裂かれる苦痛。寸前のところで悲鳴だけは押さえたが、痛みは断続して襲ってくる。

 流れる血を見ると、血が欲しいとリリィは思った。


「ははっ」


 リリィは笑う。足元がおぼつかない。刀で太ももを切り裂かれ片膝をつく。刀が抜き取られ鮮血に染まる。

 交わす力はもう殆ど残っていない。駆使した魔術も男には通じなかった。


「お前、もしかして審判だった?」


 吸血鬼を殺したいのならば、審判の可能性があると思い尋ねた。相手の正体を知らないまま、死ぬのは嫌だった。


「えぇ、審判のイクスといいます」


 丁寧な口調とは裏腹の、冷徹で冷淡な金色の瞳が見下しながら答える。


「そっか」


 戦う力は残っていない。審判が相手では、逃走は不可能。

 誰かが助けに来る可能性も皆無。路地裏で、しかも他人の生死に興味がないモルス街で、さらに吸血鬼を助けに入る馬鹿はいない。

 死ぬのならば、最後にリリィは千鶴の血を吸いたかった。

 人間の血はまずくて嫌いだ。嫌いだから飲みたくなかった。けれども、千鶴の血は美味しかった。今まで飲んだ血とは格別に違った。

 千鶴の血を最後の一滴まで飲み干してしまい欲求に毎度抗わなければいけない程に、美味しかった。

 けれど、もうそれは叶わないな、と笑う。

 抵抗を諦めたリリィへイクスがあざ笑うかのように刀を振り下ろす。


「リリィ!」


 けれど振り下ろされた凶器はリリィを貫かなかった。

 金属がぶつかりあう音がする。

 間に無理やり割って入った人物に、リリィは信じられないと驚愕する。

 赤い衣を躍らせながらイクスと打ち合うのは、リリィが吸血したくてたまらなかった千鶴だった。


「ち……づる、どうし」

「リリィ、逃げろ」


 何度か刀と撃ち合い形が変形して使い物にならなくなったパイプを千鶴は投げ捨てる。

 突然の乱入者に、様子を見るためかイクスは距離を置き、隙なく刀を構える。

 千鶴はリリィをかばう様に前に立つ。


「無理、だ。逃げる体力はない……」

「そうだね。僕が担いでも逃げられそうもないや」


 千鶴が笑ったのが背中越しにリリィにはわかった。どこか緊張感のない姿に違和感を覚える。


「全く、なんで審判なんてものを相手にするかなー。でもまっ、仕方ないよね、そんなときもある。リリィが人を殺していれば、その辺を偶々歩いていた審判イクスを選んでしまう確率は零じゃないんだからサ」

「千鶴?」


 背中越しに語られる態度が、普段とどこか違ってリリィは困惑する。

 嫌な予感がする。


「だから、リリィ。さようなら」


 敵に背を向けるのは死を意味するほど無謀な行為と理解しながら千鶴はリリィを振り返る。

 リリィが見た千鶴の顔は、笑顔だった。

 一点の曇りのない笑顔。

 片膝を付き、逃げる気力も戦う気力もないほどに消耗したリリィの周囲に突風が吹き荒れる。乱暴ともとれる風はリリィの身体を無理やり宙へと浮かせた。

 それは――魔術。


「おい、千鶴! お前――まさか! まさか!」


 魔術を使えるのは吸血鬼だけ。千鶴が魔術を使ったということは、即ち人間ではなく吸血鬼。


「コントロールできるほど腕前ないからさ、どっかに投げ捨てるからあとは――逃げて、生きて」


 リリィの言葉を無視して千鶴はバイバイ、と手を振る。

 リリィは離れたくなくて魔術を使おうとするが、満身創痍の身体ではうまく力を練ることが出来ない。千鶴へ手を伸ばすが、風はリリィをどこへと乱暴に飛ばした。

 想定外の出来事に、イクスはすぐさま対応しようとするが千鶴が間に入って止める。横に薙ぎ払われた刀を、金属を仕込んだ靴で千鶴は受け止める。

 宙を飛び、地面に着地すると靴で何度か地面をたたく。

 真っすぐな視線が、イクスを正面からとらえる。


「吸血鬼を殺したいイクスの気持ちなんて絶対理解するつもりはないけど、殺しに行きたいって衝動はわかる。けど、ゴメンネ。行かせないから。ここから先は、通さないよ」

「俺のことをご存知で?」


 乱入者の前では名乗っていないため、名前を呼ばれたことに疑問を抱く。


「勿論。菫やアイリーンからよーく聞いているからね」

「菫たちの知り合いでしたか。それにしても菫も吸血鬼を隠しておくとは、いけませんね」

「あはははっ」


 千鶴は腹を抱えて笑う。


「隠していたんじゃないよ。僕が菫たちに吸血鬼だって教えていないだけさ、人間を信用するわけないじゃないか! まぁ、ノエには気づかれちゃったんだけどね」


 菫の親友を殺した人間であり、ノエに大怪我をさせたイクスへ向かって鋭い視線を千鶴は向ける。


「ノエは吸血鬼と人間を区別できますからね」

「そうそ。でもよかったよ、リリィが殺される前に間に合って」

「割り込みがあるとは思いませんでしたよ。けれど貴方も愚かですね。見なかったことにして見捨てれば、吸血鬼だと知られて殺されることもなかったのに」

 

 此処はモルス街。誰もが自分に火の粉が降りかからない限り対岸の火事として興味を示さない場所。割り込みをイクスは想定していなかった。

 

「そうだね。けど、仕方ないじゃん」

「何がですか?」

「だって、リリィを見捨てるなんてこと、僕にはできないんだから」

 

 ――リリィは、大切な友達。だから。


「今日さ、仕事が終わったリリィはうちにくるはずだったんだ。でも来るのが遅いから嫌な予感して探し回ったよ。僕の予感も中々に精度がいいネ」

「では、その精度に感謝しないといけませんね、何せ今日をいい日にしてくれたのですから」

「ナルホド、吸血鬼を殺したくて仕方ないイクスは、一日に二人の吸血鬼に出会えてうれしいって?」


 茶化すように千鶴は両手を広げながら質問をすると、イクスは頷いた。


「勿論です。吸血鬼は、殺さなければいけませんから。貴方も、彼も、ね」

「ダメだよ、イクス。リリィには手を出させない。リリィだけは僕が守る」

「貴方は俺に勝てるつもりで?」

「いいや、僕は吸血鬼としては弱い――そもそも、リリィが勝てない相手に、僕が勝てるとは思わない。でも、リリィを逃がすことはできる」

「逃がす? そんなこと、俺が許しませんよ」

「大丈夫さ、時間さえ稼げばリリィは、逃げてくれる。そもそも君さ」

「なんですか」

「吸血鬼を簡単に殺せる性格じゃないでしょ? 


 なら、時間稼ぎは君がしてくれる、と千鶴は微笑んだ

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