第31話:I want to help you

 クロシェの屋敷に戻ると、応接室のソファーにアイリーンを寝かせ、その横に座り髪を優しく撫でている満身創痍の男がいた。

 ノエがアイリーンに駆け寄ろうとしたが、駆け足は直にゆっくりとしたものになり、やがて止まる。不思議に思いながらも菫はノエの横に並び、やや距離を開けてアイリーンを見る。

 横たわるアイリーンの手が、弱く男の手を握られ瞳は閉じられている。目立った外傷はやはりなかった。

 フェアは机の引き出しを泥棒のように開けては何かを探している。


「……メイゼン。どうして


 菫が重たい口を開く。全身を傷だらけにした男に菫は見覚えがあった。

 その男の名はメイゼン。かつてモルス街に希望を与え、絶望を与えた裏切り者。

 勝手に期待して、期待を裏切ったから裏切りもの扱いは理不尽だが、同時に仕方なさがあった。

 そう思わせるほどメイゼンは死が容易で生が困難な土地に生きる希望を与えたのだ。


「それに、メイゼンは国を裏切った反逆者として琴紗ことさに殺されたんじゃなかったのか?」


 全てはクロシェから聞いた情報。


「裏切り者は、オレじゃなくて琴紗だ」


 琴紗と名前を呼ぶときだけつらそうに表情を歪めて嘆息しながらメイゼンは答える。

 その答えに驚愕はなかった。

 琴紗は人間には扱えない魔術を扱った。けれど吸血鬼ではなく人間という異様の存在であり、アイリーンを誘拐した張本人だ。

 既に菫たちの中に優等生の琴紗といった人物像は存在していない。


「琴紗は自分が裏切り者である証拠を用意して、全ての罪をオレに擦り付け、そしてオレを殺したことにした」

「裏切り者がいると軍に疑われたから、矛先をずらすためにメイゼンを利用したのか?」

「違う。軍は裏切り者がいると情報を掴んでいるものはいなかったし、仮にいたとしても疑惑の対象は琴紗ではない」

「なら、何故」

「簡単だ」


 メイゼンの瞳が切なくアイリーンを見る。


「アイリーンが、欲しかったからだ」


 淀みなく答える言葉に、アイリーンの身体が震えたのが菫にはわかった。一歩、近づこうとするとアイリーンが飛び起きてメイゼンにしがみついた。


「あいりー……ん」


 菫は言葉が途中で止まる。その瞳に映しているのは恐怖のみで、菫の姿が映っていない。

 だからノエが途中で歩みを止めたのか、と気づく。


「アイリーン。大丈夫だ、もう琴紗はいない。彼らは、君の友達だろう」


 メイゼンが優しく声をかけるが、暫くは反応がなかった。


「……ちょっとどいていろ」


 無言だったフェアが声を発し、怯えるアイリーンに近づき目元に手を当てる。アイリーンは力が抜けメイゼンに身体を預けた。


「何をしたんだ?」

「眠らせただけだ。短い時間の眠りだが、少しは落ち着くだろう」


 健やかな寝息を立てるアイリーンをメイゼンが横たわらせると、ノエが自分のマントを脱いでかける。


「オレはモルス街出身だったアイリーンを引き取って、母子ともにうちに住まわせていたんだ」


 ノエが横で拙い手つきでフェアが引き出しを漁って用意した包帯をメイゼンの怪我した身体に巻いていく。


「アイリーンと出会ったのは、モルス街でだ。白髪赤目だったのはアイリーンだけで母親は違った。父親のことは聞いたことがないので知らないが、恐らく生きてはいないだろう。母親は、アイリーンが白髪赤目だとばれないように隠しながら生きてきた。だが、無理がたたって身体を壊してしまった。このままでは生活が成り立たない。愛してくれた母親を助けたかったアイリーンが……白髪赤目であることを利用して金を手に入れようと、貴族であるオレに声をかけてきたんだ」

「……そんなことが」


 メイゼンの語るアイリーンの過去は、菫の知らないことだった。

 アイリーンは一度も自らの過去のことを話すことはなかった。


「あぁ。オレはアイリーンを放っておけなかった。このままにすれば白髪赤目を手に入れようと躍起になる存在が湧いて出てくる。危険だと判断したオレは、母子ともにレーゲース街のオレの屋敷へ連れてきた。母親には治療をうけさせたから暫くの間は体調も回復したんだが……結局、助けられなかった。アイリーンには申し訳ないと思ったが、レーゲース街でも……いや、レーゲース街だからこそ安心して外に出すわけにはいかず、屋敷の中でこっそりと過ごさせていた」

「なら、何故琴紗が?」

「琴紗はオレの親友だ。だから、隠し事をしたくなかったオレは、琴紗にアイリーンを紹介した」


 それが全ての間違いだった、とメイゼンは片手で額を覆う。


「オレは軍人だ。いつ命を落とすとも限らない。アイリーンのことを知っている人間がオレだけだとまずいとも思っていた。琴紗は親友だし、信頼できる相棒だ。琴紗になら教えられる――琴紗にしか教えられないと確信していたんだ。けど、現実は違った」


 琴紗は平然とした顔で、平穏をぶち壊した。


「琴紗の本性をオレは知らなかった……。親友だと思っていたのはオレだけだったんだ……あいつはオレが裏切り者だと偽造して証拠を作り上げ部下と共に屋敷に乗り込んできて、部下をその場で惨殺した。油断していたオレはつかまり、琴紗はアイリーンを手に入れようとした。オレは何とか、琴紗の拘束を振りほどいてアイリーンだけを逃したんだ。琴紗はオレを殺さずに生かして監禁した。何故だかわかるか?」


 自嘲気味にメイゼンが菫へ尋ねる。

 菫は首を横に振る。


「琴紗はアイリーンに執着していた。手段を択ばず手に入れようとした。だから、アイリーンの心を壊そうとしたんだ。アイリーンを捕まえたら、オレを目の前で殺すために生かしていた。監禁していたオレに大剣を手渡したのも、絶望を演出するための手段でしかなかった」

「外道だな」

「……そうだよ。琴紗にとってアイリーンは手元に置きたい美術品なんだ。だから危険を犯してでも、アイリーンを手に入れようとした。それを優先した」


 けれどアイリーンも琴紗が狙っているのは嫌という程、心に染みついている。それ以前に白髪赤目に味方はいない。正体を隠しモルス街でそっと暮らしていた。

 だから今の今まで琴紗にアイリーンを見つけることが叶わなかった。


「――アイリーン」


 眠るアイリーンにメイゼンは慈愛に満ちた瞳を向ける。


「五年前、助けてあげることが出来なくてごめん……でも、生きていてくれてありがとう」


 五年前の当時アイリーンは十二歳。

 レーゲース街の外に出したことがないアイリーンが突如外の世界――それも回りは白髪赤目を狙う敵だらけの中、放り出された。

 琴紗にとらえられるよりはましと判断したにしろ、それ以降安全に生きていられるかはメイゼンの賭けだった。


「一通り、オレは話した。次は、君たちにお願いしたい」

「あぁ。わかっているよ」


 菫は一通りこれまでの経緯を説明する。メイゼンの知らないアイリーンを。情報屋として年齢を偽ってしたたかに生きてきたことを。モルス街であった出来事を、自分たちがアイリーンとどんな関係であるかを。


「そうか。アイリーンと知り合ってくれてありがとう」


 ひとしきり話を聞いたメイゼンは、菫とノエ、フェアに深々と頭を下げた。

 その姿は、父親のようだ、と菫は思う。

 菫が優しくいつくしむ手つきでアイリーンの頬を撫でると、眠っていたアイリーンの瞼がゆっくりと開く。濁りは薄れ赤い眼が菫を認識した途端、錯乱した悲鳴が上がる。


「アイリーンどうした、俺だ。菫だ」

「いやっ……」


 両手で顔を抑えながら嫌だと顔を振る。


「アイリーン! どうしたんだ」


 メイゼンの手に包帯を巻いていたノエが包帯を手から落とし、アイリーンの背中に抱き着く。しかし、その温もりを怖いと声を上げる。

 宝石より澄んだ瞳から透明な滴が無数に零れる。


「いやだっ、いやだっ。菫ちゃんっ……しなないで、やめて、殺さないでっ」

「どうしたんだ、アイリーン。俺は、生きている」

「いやだっ怖い……助けてっ」


 恐慌状態に陥っているアイリーンの身体からノエは決して手を離さない。


「大丈夫だ。オレがアイリーンを助ける。菫もアイリーンを助けるぞ」


 魔法のように浸透する言葉にアイリーンが一瞬だけ表情を和らげた。


「ありが……」


 夢と現実の狭間を行き来するような虚な視線でアイリーンは意識を失う。

 見かねたフェアが再度、夢の世界へいざなったのだ。


「何があったんだ」


 菫の言葉にメイゼンは顔を苦渋に歪めながら答える。


「琴紗は幻術でアイリーンを苦しめていたんだ。幻術と現実の狭間を行き来させ、区別を曖昧にした。幻術世界でオレを殺害したり――きっとアイリーンが心を許している相手も、幻で惨殺した。それがアイリーンの心を壊す手段だったんだ」

「……」

「お前たちにとって琴紗は許せない相手だろう。けど」


 メイゼンは掌を見つめる。かつて拳を合わせた。背中合わせで阿吽の呼吸といわれるほど抜群のコンビネーションを見せて戦った親友を思う。


「けど、琴紗を殺すのはオレだ。お前たちは、琴紗を殺さないでくれ」

「その割には、殺意がないように見えるけどな」

「琴紗はアイリーンに酷いことをした。それは許せない。それでも、親友だと思ってしまう心がオレにはあるんだよ……例え、琴紗がオレのことを利用価値のあった道具としか思っていなくても」

「甘いねぇ」


 ケラケラと笑ったのはいつの間にか帰宅していたクロシェだった。応接室の扉を背もたれにし、腕を組んでいる。


「それでも殺せるんだ?」

「あぁ。それでも殺すよ。親友でも、あいつは……許せないことをしたんだから」

「その許せないことに五年間の君の監禁が入っていないあたり、甘い」


 侮辱する意図はなく、ただ思ったことをクロシェは告げる。口と思考が一緒のような思ったことが言葉になる男だと菫は思った。


「それは別にどうでもいいことだよ」


 琴紗が五年自分を監禁しようがそこに怒りはなかった。

 親友としてやり直そうと琴紗が笑いかけてきたらその手を取っただろう。

 けれど――それはアイリーンが関係していなければ、の話だ。


「ダメだぞ、まだ全然ダメだ。怪我も治っていない、外に出たらダメだ」


 メイゼンの行動を先読みしたかのように、立ち上がろうとした彼の腕をノエが掴む。

 ピンクの眼差しがメイゼンを見据える。真っすぐで、裏表のない瞳。

 裏があった琴紗とは異なる、裏がない瞳にメイゼンは微笑む。


「それでも、もたもたはしていられない」

「それでも、だ。アイリーンは起きたときにメイゼンがいなかったら悲しむ。五年もの間、アイリーンはメイゼンが死んだと思い続けている。それをそのままにして、メイゼンは立ち去るのか?」

「オレが生かされていたことをアイリーンはすでに知っているよ」

「幻術と現実の狭間を行き来させられていたアイリーンに、その時の光景を現実だと正常に判断することは出来ないはずだ。幻術で苦しめられたアイリーンを、メイゼンは現実で苦しめるのか」


 ノエの言葉がメイゼンの胸に刺さった。


「笑って。生きているよって、メイゼンはアイリーンに証明しないと、ダメだ」

「――わかった」


 メイゼンは立ち上がろうとした身体をもとの体制に戻す。


「それでいーんだぞ」


 ノエが柔らかく笑った。


「……ノエ。俺たちはちょっと外で話してくるからアイリーンを見ていてくれ」

「わかったぞ!」


 びょんと手を挙げてノエが胸をはった。

 菫とクロシェ、それにメイゼンとフェアが廊下に出る。

 ノエを残したのは、アイリーンが目覚めたときに大人がいるより無害の子供がいたほうが心は乱されないだろう、何より怯えさせたくはなかった。落ち着く時間を設けさせるために、移動をした。

 広々とした廊下に出るとクロシェが自室に案内する。

 廊下の数倍広々とした部屋で、調度品は豪華だが簡素で部屋の広さや品々の豪華さとかみ合っていない部屋だ。

 天蓋ベッドにクロシェが足を組んで座る。


「さて、メイゼンはさ。琴紗を殺すのはおれだーって断言したけどさ。俺、もう審判に密書出してきたから」


 クロシェが悪だくみを成功させた子供の用に微笑み告げる。


「琴紗は人間にも関わらず吸血鬼の魔術を扱えるってね」

「なっ――!」


 メイゼンが目を見開く。


「怒る? けどもう賽は投げてきた。あとは審判がどう動くかだ。それに審判が動けば不用意にあの男だって動けないでしょ。また白髪赤目アイリーンを狙ったら面倒だ」

「……」

「なんだろうメイゼンを見ていると、殺したい相手を審判に横取りされたくないっていう感情より審判に捕まらないでほしいという心配の感情が見えてくるよね」


 クロシェが挑発するように言うが、メイゼンは言葉を返さない。


「にしても、フェア。どういうことだと思う? 人間に吸血鬼の魔術を扱うことは不可能だろ?」

「当たり前だ。今までそんな前例を私は知らない」

「だが現にあれは」

「あぁ魔術だった。そしてノエは琴紗を人間だといった。ノエの人間と吸血鬼を見分ける感覚は正しい……なら……」

「フェア? どうした」


 途中でフェアの言葉が考え込むように止まったので菫が尋ねる。


「……クロシェ、私に血をよこせ。喉が渇いた。思考がまとまらない」


 魔術を行使させられたのだから血を貰うのは当然だ、とばかりにフェアが牙を見せながらクロシェに近づく。

 クロシェはフェアに血を吸われたときの感覚を思い出して肌が泡立つが、同時に逃げるように両足をベッドにのせて背を向けようとする。


「いや、待て……」

「なんだ? 何か問題でも?」

「フェアに血を吸われるのはこう癖になりそうでよかったんだけど……針が刺さるような感覚はごめんだ! 俺は、注射とかそういった類が嫌いなんだから!」

「注射ぐらいでぎゃーぎゃー騒ぐな。私に血をよこせ!」


 逃げようとするクロシェを魔術で身拘束してからフェアは首元に噛みつく。牙が肌に侵入する。血が失われていく感覚と合わさってむず痒いような快感が訪れクロシェは身を捩じろうとするが魔術の拘束で動けない。

 独特の、普段味わうことのない快楽の渦に浸っていると牙が身体から抜ける。

 名残惜しそうに顔を歪めたのがフェアの瞳に移り、笑いながらもう一度首元にかぶりついて、フェアは血を味わう。


「ちょっフェア――っ!?」


 クロシェが唇を噛みしめて声が漏れないようにする。暫くすると満足したフェアが今度こそ首筋から顔を離す。血を失ったクロシェがベッドにそのまま倒れた。



「血、吸いすぎ……」

「私に吸われて楽しかっただろ?」

「……そりゃ楽しいけど、でもやっぱりこう針が刺さる感じ嫌い……だ」

「ナイフ振り回している奴が何を言っているんだ」

「それとこれとは話が別なのー」


 どの辺が別なんだろうと菫とメイゼンは顔を見合わせる。

 クロシェとフェアの関係が謎だと思っていた菫だったが、ここにきてしっくりくる表現を見つけた。

 飼い主と、猫だ。

 そう思ってみるとフェアのネコミミが本物のように見えてくるから不思議だった。

 それと同時に、菫の元へフェアが住み込んでいるのは気まぐれな猫の家出か、と判断する。


「……そういえば、今更だけどメイゼンは吸血鬼平気? 平気じゃなくても黙っててもらうしかないんだが」

「別に気にしない」

「そりゃよかった」



 夜道を駆けるがその先を見定めてはいない。

 とにかく、正体は露見していないにしろ人間でありながら魔術を扱えることが知られてしまった以上、審判が動く。

 審判につかまる前に、何処かへ逃げなければならない。


「どこへ行くんだ?」


 けれど琴紗の思考を読んだかのように、暗闇に照らされる一つの影が眼下に顕現する。

 琴紗は顔を歪めて笑った。その手には魔術で生み出した大鎌を握る。


「――そりゃ、ユベルに会わない場所へだ」

「それは無理だな。俺からは逃げられない」


 審判を創設した裏切り者の吸血鬼ユベルは、不敵に笑った。

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