第30話:人間か、吸血鬼か
菫はやっとアイリーンの元にたどり着けるとクロシェをせかしながら夜道を走る。先導するクロシェに菫とノエが続き、やや遅れてフェアが息を切らせながら続く。
「子供はともかくフェアは抱えて走りたくないぞ、ってか無理だからな」
「うるさい黙れ。そもそも私に運動をさせるな」
背後を一瞬振り返ったクロシェは、フェアが遅れているのに気づき声をかける。
「ははっ、まぁでも
「……わかっている」
「って魔術使う気だっただろお前。さて、もう少し行けば、琴紗の屋敷が見えるわけだが、どうするんだ?」
クロシェは少し速度を落としクロシェは菫と並行し問いかける。闇夜を照らすのは月ではなく無数のほの明るい街頭。等間隔でもたらす明かりは常に一定の明度を保っている。
昼夜の見分けをなくすような無造作に明かりをともすレリック区とは違い、それは夜を保っている。
「やっぱ、強行突破だろ」
あっけらかんと菫が答えるとクロシェが笑った。
「最初の無策は変わらないってか、いいよ。作戦も策略も見通しも何もない、行き当たりばったり凶と出るか吉と出るか、藪から出てくるのは何か、わからないのは――面白い」
クロシェが駆ける速度を上げ前に出ると左へ曲がる。等間隔で計算された歩道の先には周囲一帯を柵で囲われ、隙間から広々とした庭が目に入る。大木が他の木々とは違う樹齢を見せつけるかのように主張して圧倒してくる。
柵に沿い進むと門扉に到着する。門番の類はなく、静寂。周囲に人気はなくほかの貴族邸もない。
クロシェが歩みを止め、こんっと門扉を叩く。
「ここが、琴紗の邸宅だよ」
「そうか」
菫が目を細める。クロシェ邸に負けず劣らずの豪邸の窓からは仄から明かりがカーテンの隙間から零れ、誰かが在宅しているのは間違いない。
果たしてそれは琴紗か。
普段は布で覆っている銃を取り出し菫は握りしめる。フェアが息を切らしながら遅れて到着した。
「行き当たりばったりだが、流石に全員ではいかない。クロシェとフェアは待機してくれ。ノエ、行くぞ」
「わかったぞ」
ノエが力強く頷く。
フェアとクロシェも異論はない。クロシェは腕を組み、さっさと行って俺に面白いものを見せろと目で合図する。その一貫した態度には腹立たしいといった感情はわかず、クロシェとはそういうものだ、と受け入れ始めていた。
門扉を開く。鍵はかかっていなかった。音は殆どせず邸内に足を踏み入れる。
「オレが最初にチャイムを鳴らすから、菫は少し隠れていてほしいぞ」
「どうしてだ」
「子供が出たほうが警戒されないからだ」
「……そうだな。迷子で家に帰れなく困っている子供の方がいい」
モルス街であれば深夜に子供が出歩くことも珍しくないが、ここは法に守られたレーゲース街の、さらに貴族街だ。
子供が出歩いていることは不自然。
真偽はともかく、表面上は好青年の琴紗が変な対応をするとは思えない。
菫が物陰に隠れ様子を伺う。ノエが紐を引いて鈴を数度鳴らしたが応答がない。ノエが首を傾げているので菫が表へ出て扉に耳を当てると、かすかだが音が聞こえてくる。
「どうしたんだ?」
「何か、変だ」
ノエも菫に倣って扉に耳をつけると、確かに音が聞こえてきた。
それは金属同士がぶつかりあうような、非常に耳慣れた音。
「――!」
菫が扉を開けようとするが、門扉とは異なり鍵がかかっていた。舌打ちしながら数度発砲する。閑静な時間を打ち破る銃声が響く。壊れた扉に菫が蹴りを加えると音を立てて倒れた。障害物だった扉はなくなり、白の大理石を基準とした一面清潔で保たれている空間を走り音が聞こえる方へかける。徐々に金属音は大きくなる。
廊下を走り到着した場所にアイリーンがいるとノエと菫は確信できた。
何が起きているのかは不明だが、何かが起こっているのは間違いない。
お互いに顔を見合わせ頷きあい突入すると、黒髪で長身の男が全身に傷を多いながら大剣を振るい、その先には一面を黒で覆い影が形と化したような大鎌を手にするモルス街で目撃した薄茶色の髪にリボンを止めた琴紗がいた。
黒髪の男の背後には、簪で纏めていた髪が解けた白髪に焦点の合わない赤い瞳が虚空をさ迷い、両肩を抱きしめ震えるアイリーンの姿があった。
震え、涙する瞳には乱入者のノエと菫は映っていない。
「――誰だっ!」
侵入者にようやく気付いた琴紗が鋭い視線をノエと菫に向ける。
「あっ……人間なのに、吸血鬼の」
鋭い視線ではなく琴紗の纏わりつく雰囲気にノエは怯む。掠れた言葉を聞き取った琴紗の端正な顔が歪む。
「なるほど、吸血鬼か」
琴紗はノエを一瞥してから黒髪の男に向き合う。血が滴り、今にも倒れそうな程に弱り切っているのに不屈の闘志とアイリーンを守る意思だけは失われていないかつての親友に目を細める。
「折角の愉悦を邪魔された。まったく――全員殺さないといけないじゃないか」
苛立ちを隠し笑顔を見せる。影が膨張した、と菫は思った。目の錯覚かと最初こそ疑ったが、錯覚ではなく事実。不可解な形状を伴い、影が蠢く。
それは、魔術。
影が意思を宿したかのように殺意を持って侵入者であるノエと菫を襲う。
ノエが一歩前に出て氷の魔術を展開し壁を生み出す。
氷に無数の影の刃が突き刺さり、青が黒に偏食する。
「下がるぞっ!」
「あぁ」
ノエの言葉と共に菫が後方へ跳躍すると氷が割れて砕け散る。反射し輝く氷と、反射を飲み込む影が交互に宙を舞う。
「流石にさ、生かしておくのはまずいんだよね。俺のこと、知られるわけにはいかない」
空間が歪み、霧が生み出した迷路に閉じ込められた感覚に菫は襲われる。気持ちが悪く吐き気がこみあげてきたが、ほどなくして空間がは晴れる。気持ち悪さは失われた。
「何がどうなっているんだ? 何故吸血鬼が?」
窓を破って琴紗を挟み込むように現れたフェアが怪訝する。
今の術は紛れもない幻術だった。
だが、話に聞く限り琴紗は人間の貴族。
けれど人間に魔術は扱えない。
「吸血鬼じゃない。人間だ」
フェアの疑問にノエが叫ぶように答える。その声には混乱が明確に読み取れた。
「は――? どういうことだ人間に魔術は使えない……まぁいい」
幻術には幻術だ、とばかりにフェアが幻術を生み出そうとするが、瞬間幻術を消される。
「……何?」
フェアが琴紗の幻術を打ち破ったのよりも的確な相殺に唖然とする。
フェアは舌打ちしながらも琴紗は一旦視界から外し、黒髪の男を見る。
アイリーンを守るように動き、突然の侵入者に対しても警戒の瞳を怠っていない事実に敵ではないと判断し前に立つ。
「お前たちは……何者だ」
「
「今、状況を説明している暇はない。琴紗はお前たちもろとも殺すつもりだ。オレは何としてもアイリーンを守りたい」
「わかった。クロシェ・ランゲーツの自宅はわかるか? わかるのならばそこで合流だ」
琴紗が大鎌を振るうのを魔術で受け止めながら小声で男と会話する。
周囲に火柱を放つ青い炎が琴紗から二人の姿を覆い隠す。
琴紗の背後を狙って菫が銃でけん制しながら琴紗とフェアの距離が詰まることのないように調整している。
「あ、あぁ……大丈夫だ」
「私たちを信頼する必要はない。お前のことも私は知らない。だが、今の優先事項はリボン男を何とかすることだ」
フェアの淡々とした物言いに男は頷く。琴紗に羽織らされた懐かしい思い出が詰まる黒のコートの端をアイリーンのか細い指が震えながら掴んでいた。
視線は虚に彷徨い、目線が合わない。弱弱しい姿に心を痛ませながらも男は優しくアイリーンを担ぐ。
「行け。私たちはあとからいく」
「わかった」
「詳しい話はあとでだ」
男は手放さなかった大剣を床に置き、フェアが割って入った窓から脱出する。
「あっ――! 逃がすか!」
琴紗が気づき慌てるが、フェアの駆使された魔術に阻まれて先へ進めず地団太を踏む。
背後から菫が蹴りを入れてくるのを回避して鋭い大鎌を振るうと、菫の銃が真っ二つに割れた。
菫が慌てて距離をとりホルスターから拳銃を取り出し発砲するが、琴紗の大鎌が意思をもって盾となる。隙を見てノエが氷の刃を飛ばすが、紙一重で琴紗は回避を続けた。
「お前は何者だ。人間が魔術を扱えるわけがない」
フェアが尋ねると琴紗は妖艶に笑うそれは菩薩のようであり邪悪のような雰囲気を纏っていた。
「蟲毒って知っているか?」
「――は?」
「まっ今、君たちに答えるつもりはない。それより勝手に侵入してきて俺の物を奪うとか、酷いな」
「それはこちらのセリフだ、何故アイリーンを連れて行った?」
菫が会話に割り込みながら、琴紗を捕らえようと動く。
「決まりきった答えだな。白髪赤目だからだ」
琴紗は軽やかに交わしながらそれ以外の回答など存在しないとばかりの断言で返答する。
「五年前か。初めて見たときは目を奪われたよ。貴重なものは手に入れて傍に置いておきたい。鑑賞するに相応しい品だ」
「ふざけるな」
「ふざけているのはそっちだ。あの時、メイゼンのせいで逃げられたものがようやく俺の前に戻ってきたのにまた逃げようとする。あれは、俺のだ」
琴紗の鋭い視線から殺気があふれる。殺気に呼応するかのように闇が膨れ上がり、足元に渦が巻く。
「外道がっ!」
菫が激怒したところで、横をナイフが通り抜ける。大鎌がそれをはじく。
「フェア。魔術でノエと菫を移動させてここから退避させろ」
フェアは返事もせず魔術の網を展開し、ノエと菫を包みこむ。霧が生まれ周囲に青い炎が立ち込めて琴紗を焼き殺そうと襲う。
琴紗も魔術でそれを打ち払った時には、周囲は一人の男を残して消えていった。
白昼夢のように存在が消え争った痕跡だけが現実として残っている。
「……お前は、クロシェか」
琴紗は忌々しそうに新たな乱入者の名前を呼ぶ。
「やぁ」
一方クロシェは気軽に、友人へ接するような飄々とした態度とる。
「俺もさ、白髪赤目欲しいんだよね。だから、あんな綺麗なものは手元に置いておきたいと思うのは当然だ。けどまっ、俺には猫がいるから別にいいや。それよりさ、優等生で裏表がなくて評判のよさの塊の琴紗が」
一旦クロシェはわざと言葉を区切った。
「死んだはずのメイゼンを生かしている。そして魔術を扱える人間。なんて周りが知ったら今まで積み上げてきた評価が全て瓦解するな!」
楽しそうに、クロシェは笑うの琴紗は忌々しそう顔を歪める。
黒髪の男の名前はメイゼン。かつて裏切り者として親友の琴紗に殺されたはずの人間。
「何故、裏切り者のメイゼンが生きていたのか、推測はいくらでも立つが、それは別に今はいい。メイゼンが生きたまま逃げ、魔術を扱える証人が数名いる時点で、果たして君はこれからどうなるのかな。貴族だから、君の積み上げてきた信頼があるから、軍属ならば丸めこめるだろう。俺の悪評と君の好評を比べれば当然でもあるよ。けれども、悪評だろうと有象無象だろうと審判は関係ない。吸血鬼と聞けば嬉々として殺戮する集団だ。ならば、君はどうなるのかな、楽しみだよ」
手を振りクロシェは会話ができたことが満足だと琴紗に背を向けて歩き出す。
琴紗は大鎌でクロシェの身体を抉り、惨殺しようと一歩前に踏み出したところで踏みとどまり、術を用いてその場から姿を晦ませた。
「正解。俺をここで殺したところで無意味。審判が君の審議を確かめに動くまでに、その状況を打破する方が先決さ」
これからの出来事が楽しみだとクロシェは期待に胸を躍らせる。
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