第28話:優しさの意味

 夕焼けが沈み、月が顔を出し夜空に明かりをもたらす頃合い。

 レーゲース街とモルス街を繋ぐ門の入口付近の端――門番には見つからないよう物陰に隠れ集合する。

 ウルドの様子を伺いなら状況を報告していると、背後からひょっこり千鶴が現れた。


「千鶴……どうした?」


 千鶴まで集合する約束はしていなかったと菫が尋ねる。


「ん? 別に義務はないけど一応、劇団の方にはアイリーンはいないみたいだよって教えにきたのさ」

「本当か?」

「本当本当。確かな情報源だから、間違いないよ。教えておいた方が君たちはモルス街にアイリーンはいない、レーゲース街だって集中できるデショ」

「あぁ……サンキュ。一緒に行くか?」


 千鶴は嫌そうに眉を顰めてから首を横に振る。


「ヤダよ。あぁ、そうそ、最近レリック区界隈でいい年こいて頭にリボンしている男の目撃情報が多かったよ。関係あるかもしれないし、ないかもしれないけどね。一応教えておくよ」

「いい年こいて袴の隙間から足見せている男がいうなよ」

「殴るよ」

「リボンした男……軍人の琴紗ことさか」

「そう。かつていた物好き軍人メイゼン程ではないしろリボン男もそこそこ親切で評判だけど、あくまで軍の仕事次いでだった。けど、最近は部下を引き連れていないのに足を運んでいる姿が多々目撃されている。リボン男だから皆気にも留めていなかったけど。さて、僕は帰るから死ななない程度に頑張れば?」

「――そうだな。死なないで皆で戻ってくるよ」


 千鶴がもたらした情報は、無関係だと判断するには琴紗の存在は異質だし、けれど関係があると判断するには情報が足りない。

 それでも無視するわけにはいかないと、琴紗の名前を脳裏に深く刻む。


「はっ。楽観的ダネ。……まぁそれ以前に、レーゲース街になんて早々うまく入れることはないと思うけど、じゃあね」


 千鶴は菫に背を向けて、手を振りながら悠々とした足取りで帰っていった。

 面倒ごとには巻き込むなと文句を言いながらも、頼まれたこと以上のことをしてくれる千鶴に菫はありがとうと感謝の言葉を口にする。


「これで、アイリーンはほぼ確実にレーゲース街にいるとみていいな」


 菫の言葉にノエとフェアが頷く。

 ノエの視線は先ほどから落ち着かなく門の周辺を見ており、ウルドを今か今かと待ち望んでいる。


「あっ――! ウルド!」


 ノエが門へ向かって整備された道を歩く茶色のコートを羽織ったプラチナブロンドの髪を持つ男の方へ走り出す。

 ノエの姿を見とめたウルドが歩みを止める。ノエがウルドの腰に両手を回して勢いよく飛びつく。

 菫とフェアも歩きだし、ウルドの前に立つ。フェアとは初対面だからかウルドが軽く会釈する。


「どうしたのですか?」

「……レーゲース街に行く方法何か知らないか? どうしても、オレはレーゲース街に行きたいんだ」


 抱き着いたままノエが上目遣いで尋ねるとウルドは微笑んだ。


「では、一緒に行きましょうか」

「は? 審判は……他人をレーゲース街へ連れていくことはできないぞ?」


 あっさりとしたウルドの言葉に、菫は茫然としながら当たり前の疑問を尋ねる。


「そうですね。でも、それを可能とする方法があるじゃないですか」

「……おまっ貴族なのか!」


 死亡率の非常に高い審判には軍属とは異なり貴族の数は非常に少ない。

 審判全体で、三人いればいいほどだ。貴族で武に身を置くものは大半が軍属の道を選ぶ。


「えぇ」


 思わぬ流れに菫は感情がついてこない。一方ノエは嬉しそうに満面の笑みをウルドへ向ける。


「レーゲース街に行きたいのでしょう? でしたら私がお連れしますから何を戸惑っているのですか?」

「理由も、聞かずに……俺らモルス街の人間を、それにノエは吸血鬼だ。連れて行っていいのか?」


 吸血鬼の部分は誰にも聞かれぬよう声を最小にする。不思議そうにウルドは微笑む。


「勿論ですよ。貴方がたはレーゲース街に行きたいといった。私は連れていく術を持っている。だから連れていく。それだけです」


 喜ぶノエと、無表情のフェアとは対照的に菫は鳥肌が立った。この男は恐ろしい――と恐怖を抱くが明確な理由まではわからなかった。


「では、参りましょうか」


 ウルドに促されて門番の前に進む。ウルドの姿を確認した門番が規則正しい一ミリの乱れもない敬礼をする。


「ウルド様」

「こんばんは。お仕事ご苦労様です」

「恐縮です」

「今日は彼らも一緒にレーゲース街へ行きたいと思っていますので、身分証の発行をお願いします」

「わかりました。本来ならばウルド様のお知り合いでしたら身分証なくお通りくださいと言いたいところなのですが、規則ですので申し訳ありません」


 深々と頭を下げる光景に、菫は頬を引きつらせる。

 門番の前に立つことが今まで一度もなかったゆえに、本来貴族と門番の会話がどのようなものであるかは知らないけれども、ここまで遜る態度をいくら貴族でも門番がとるはずがないと菫は思った。


「……ウルド、お前何者なんだ」


 ウルドと呼び捨てにしたことに門番は無礼千万だ、失礼にも程があるという感情が露骨に伝わってきて、だからお前は何者なんだと菫は困惑する。


「私の名前はウルド・ユーツヴェルです」

「……なんですと」

「は?」


 今まで無関心を貫いてきたフェアも、ウルドの苗字を聞いて驚き菫と顔を見合わせる。

 この国の知識が少ないノエだけは意味が分からず小首を傾げていた。


「……ちょっと、尋ねてもらいたいことがあるんだが、いいか?」

「構いませんよ」


 菫がウルドを引き寄せ耳打ちする。


「すみませんが、今日、ここを通った貴族の中で大きな荷物、あるいは人間を連れて行った方はいますか?」

「えぇ。一人いますよ」

「どなたでしょうか」

「琴紗様です」


 琴紗がアイリーンを誘拐した張本人ないし誘拐した犯人から手に入れた可能性が高い。思わぬ手がかりに菫は情報を入手してくれた千鶴に感謝する。

 身分証が発行されたのでウルドはそれを菫たちに手渡し一緒にモルス街からレーゲース街へと移動を始める。

 整備された門の中を進むと、ノエが門番に向けてパタパタと手を振った。

 ウルドがそばにいるからか、門番も笑顔で子供のノエに手を振り返してくれた。

 門の天井は余裕があり、狭さを感じさせない。天井からライトが照らされており四方がコンクリートの壁になっているにも関わらず柔らかい色味を出している。


「ウルド……お前、王家に連なる大貴族ユーツヴェルの出身かよ」


 門番の姿が見えなくなったところで、ずっと喉から吐き出したくてたまらなかった言葉を菫はようやっと吐き出せた。

 ユーツヴェル家は王家の血筋を汲み、王家に次いで権力を有する貴族だ。


「えぇ、そうですよ」

「ユーツヴェルがどうして審判をやっているんだよ……普通、軍属にしろそういった死の危険がある場所と関わり合いにはならないんじゃねーのか?」

「弟が家督を欲しいといったので、私は審判の道を選んだというだけですよ」

「は?」


 開いた口が頑張っても閉じない。


「ですから、弟が家督を欲しいと言われたので譲っただけです」

「はぁあああ!? 普通そんなことする貴族様いるのかよ! 欲しいと言われたから、あげたのか!?」

「えぇ。そうですよ? それ以外に何かありますか?」


 理解できないと表情を困らせるウルドに、理解できないのはこっちだと怒鳴りたくなった。

 しかし審判の姿が見えないからと言って怒鳴れば審判が駆けつけて自分を連行してきそうなのでぐっとこらえる。

 ノエが不思議そうにウルドと手を繋ぎながら菫を見ている。


「……よくわからねぇな。お前は」

「よく言われます」

「優しさも、そこまでいけば、怖いだけだよ」

「優しくはありませんよ」

「優しいだろ」


 審判という職業を除きウルド個人としてみると、菫が知っているウルドには優しさしかない。それがいくら不気味だったとしてもだ。表せる言葉はほかにない。


「イクスは、私を優しいとは言いませんでしたよ。イクスは――私が優しさを理解できないから、『優しい』という意味で行動しているだけだとね」


 ウルドの言葉を菫は理解できなかったが、それでもイクスの言葉を的外れだとは思わなかった。


「イクスは、元気か?」


 ノエが遠慮がちに尋ねる。


「えぇ、息災ですよ」

「そっか、良かったぞ」


 ノエが笑顔を見せるので、菫は胸がちくりと痛んだ。けれど、イクスへ復讐をする意思は変わらないし変えられない。

 閉ざされた視界が開け、一面にレーゲース街の光景が広がる。

 退廃したモルス街とは別天地。全てが均等に整備され、設計された美しさに満ちている。

 夜の光景を邪魔しない仄かな街灯が道を照らし、左右が統一された歩道の植え込みに咲く花はレーゲース街の住民を歓迎するかのように花開いている。

 生い茂る木々は建物を覆い隠さず、けれど自然の雅を損なわない絶妙な配置。

 綺麗な街並みにはごみ一つ許さない荘厳たる空気を醸し出している。


「……これがレーゲース街」

「えぇ、そうです。ここから先はどうしますか? 私の家で良ければよっていきますか? 本邸は無理ですけれども別邸でしたら泊まる場所用意しますよ」

「心配には及ばない。クロシェの元を私たちは尋ねる」


 菫が返答に迷うより早くフェアが断りを入れる。フェアがウルドの優しさには裏があるのではないかと警戒を始めたのだと菫は気づく。


「わかりました。それでは私は失礼しますね」

「お前がレーゲース街に戻る用事はなんだったのだ?」


 フェアの不躾な質問に菫はウルドが答えないだろうと思っていた。だが、予想に反してウルドは秘密など存在しないとばかりに顔色一つ変えず話す。


「婚約者の墓参りですよ」


 優しい笑顔で、婚約者に対する愛を感じさせる感情がそこにはあった。

 フェアは悪いことを聞いたとバツが悪そうになりながらも、何も言わないわけにはいかないなと思い続ける。


「病気か?」

「いいえ。


 優しい笑顔で、ウルドは答えた。

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