第27話:Means

 土産を手にアイリーンの自宅を訪ねるが、扉を開けた揺れで鳴る鈴の音だけが空しく響き、いつもの元気なアイリーンの声がない。


「アイリーン!?」


 菫の手から土産が落下する。

 通常であれば、情報収集や買い物などで外出している可能性を考えるが、荒らされた室内を見れば何かが起きたことは一目瞭然だ。

 人の気配はない。

 留守中に強盗が押し入っただけならば問題はないがアイリーンは稀有な白髪赤目の持ち主だ。アイリーンが目的の可能性は大いにある。

 ノエと菫が手分けして各部屋を見て回るが、アイリーンの姿はどこにもなく、隠れている可能性は除外された。


「……目的は、アイリーンか」


 二階は荒らされた形跡がなく、普段通りの光景だった。となれば強盗目的である可

能性も消える。

 元々はバーだった一階で、グラスを手当たり次第に投げたのだろう硝子の破片が散らばっている床に両手をつき、地面に血痕などの痕跡がないかどうかを菫が念入りに顔を近づけて確認するが、血の跡は見当たらない。


「大丈夫かな……アイリーン」


 心配で表情を歪めながらも何か手がかりはないかとノエも周囲を隙なく見渡す。

 目ぼしい情報はないと次の部屋に移動する。衣装ダンスや裏口がある部屋だ。

 衣装ダンス引き出しは開かれ、無造作に投げたと思しき服が散らかっている。

 室内を見渡し手がかりを探していると


「あっ!」


 ノエが声を上げて衣装ダンスの隙間に手を伸ばす。

 手に当たった堅い感覚を掴んで取り出すとアイリーンがいつもお団子に着けている蝶の簪だった。先端が折れて欠けている。

 床に散った服を一か所に固めると、床に真新しい傷を発見する。付近を指でなぞると、指先が濡れた。菫は顔を歪める。


「恐らくアイリーンは此処で誘拐された……けど、なんでだ? 多少、瓢で抵抗したあとはあるが……アイリーンらしくない」


 戦う術を持たないわけではない。自分の身は自分で守れるだけの力量がアイリーンにはある。

 複数の人間が侵入したと思しき痕跡はなく、せいぜい侵入者は多くて二人だし、その一人ないし二人が格上だったとしても、アイリーンの抵抗の仕方がやや異様だった。

 普通抵抗するなら武器である標を使うだろうが殆ど使った痕跡がない。

 何より、散らかったグラスや服は、手に触れたものを無造作に投げたとしか思えない。

 恐怖から来た行動が、アイリーンに正常な判断をさせなかった、そう考えた方が状況から言って辻褄があうが、果たしてその恐怖が何であるかがわからない。


「……くそっ」


 菫は壁に拳を強く叩きつける。

 床が濡れたのは涙の跡だと思うといてもたってもいられない。


「ノエ。いったん自宅へ戻る。ここにいても埒があかない」

「わかったぞ、急ごう」


 菫とノエが全速力で自宅へ戻ると、フェアが苦いコーヒーに顔を顰めながら飲んでいた。

 慌てて戻ってきた二人に、フェアはコーヒーを飲むか? と呑気に尋ねる。


「いや、いらない。アイリーンが何者かに誘拐された」

「あの情報屋が? ……白髪赤目だからか?」


 苦いコーヒーをテーブルの上に放置してフェアは菫、ノエと向き合う。


「恐らくな。けど……どうして今更? アイリーンが白髪赤目だって見られたのは結構前だ。その後、白髪赤目の情報が出回っている噂は耳にしていないし誰もアイリーンを襲う輩はいなかった」

「なら、水面下で何かが動いていたのだろうな。それに、白髪赤目の存在を知ったうえで、わざと時間を置いた可能性もある」

「どういうことだ?」

「確実に、手に入れるためだ。噂の種を、誘拐したい本人が消して回りそもそも噂すら発生させず、事態が落ち着いた頃合いで――アイリーンやお前が油断した頃合いで誘拐しようと動きだす。そう考える輩がいたって不思議ではないだろう。白髪赤目ならば喉から手が出るほど欲しがる輩は山のようにいる。特に、貴族にはな」

「っ……そういうことか」


 忌々しく菫は舌打ちする。

 フェアの言葉通り、噂もないしアイリーンを襲う輩がいないから白髪赤目の存在は広まっていなかったのだと菫は安心してしまっていた。


「アイリーン……大丈夫かな。早く助けないと! オレ心配だ……」

「少なくとも、白髪赤目だ殺されることはないだろう」


 ノエの心配に対して、淡々とフェアが答える。


「貴族が喉から手が欲しいと考えると、レーゲース街にアイリーンがいる確率が高いか。誘拐した本人がモルス街の住民だったとしても、貴族の誰かに売る。白髪赤目の存在をモルス街で飼うなんて、手に余る。いや……唯一可能なところがあるか……」

「菫、それはどこだ?」

「劇団だ。あそこも貴族同様白髪赤目を見世物として欲しがる」

「なら、どうする? まずは劇団へ行くか?」


 フェアの提案に菫は首を横に振る。

 確率で考えるならば、劇団よりレーゲース街の貴族の方が高い。

 一刻も早くアイリーンを助けたい。空振りに終わって時間を無駄にしたくはない。


「千鶴が劇団に知り合いがいると前に言っていた。千鶴を巻き込んで劇団には千鶴を回す……千鶴の元へ移動しよう」


 アイリーンが白髪赤目であることを教えなければならないが、状況が状況だ背に腹は代えられない。

 それに、千鶴ならば信頼してもいいと菫は思っていた。

 センター区からレリック区へ移動し、雑多な空間から抜け出すと、寂れた雰囲気に変わり、やる気のない斜めにかかった看板のある千鶴の自宅へ到着する。扉を壊す勢いで開けると、受付の木製テーブルでうたた寝をしていた千鶴が音に驚き殺気を放ちながら音の方へ視線を向けると見知った顔だったので、ため息をつく。


「ちょっと菫。もっと丁寧に、しかも人の安眠を邪魔しないでくれる?」

「千鶴。手伝え」

「は? 何をってちょっ」


 ずかずかと菫は千鶴の元へ近づき乱暴に腕を掴んで診察室まで引っ張る。

 診察室にフェア、ノエが入ると扉を閉めて、人に聞かれないように菫が事情を説明すると、みるみるうちに千鶴の顔は嫌な表情に変わる。


「あのさ、めっちゃ面倒ごとに僕を巻き込んでくれたね、僕面倒ごと嫌なんだけど」

「もう巻き込むことにしたから諦めろ」

「事後報告やめてよ。まったく、アイリーンが普段からフードを被って素性を隠していると思ったらそういう理由があったわけ。まぁ仕方ない、いいよ。劇団の方は僕が当たってあげる。でもさ」


 千鶴が言葉に含みを持たせながら続ける。


「菫たちはどうやってレーゲース街にいくつもりなの?」

「それは……」


 モルス街とレーゲース街には門がある。モルス街の住民がレーゲース街に足を踏み入れるためには、身分証が必要だった。

 そして、その身分証をモルス街の人間は持っていない。


「無理だよ。僕らがレーゲース街に行くことはできな」

「できる」


 千鶴の言葉をフェアが遮る。


「クロシェに身分証を発行させればいいだけのことだ」

「クロシェ? あの道楽貴族? ……そうか、虹彩異色症の君は、元々クロシェの飼い猫だったってわけか」

「クロシェにもアイリーンが白髪赤目であることを告げる必要はあるが、告げれば間違いなくクロシェはお前たちの身分証を発行してくれる――面白いってな」

「お前たちって君は持っているような口ぶりだね」

「クロシェが私の身分証なら持っている」

「さすが、貴族様。でもさ」


 望まない言葉が続けられるとわかっていても、菫とノエが耳を塞ぐわけにはいかない。


「クロシェって今、レーゲース街に戻っているって話だよ。レリック区が噂していたから。数日間は戻ってこないって」

「は……?」


 フェアが露骨に顔を歪める。クロシェが根城にしているのはレリック区の外れだ。クロシェの噂が立つものレリック区だし、センター区はつまらないといって足を運ぶこともめったにない。

 真偽を確かめにクロシェ屋敷へ赴く必要はあるが、千鶴がここで嘘を言う理由はない。


「あの男はどうしていつも使えるときに役に立たない? 都合よく役に立たないための技術でも持ち合わせているのか?」

「流石にそれは酷い八つ当たりだと思うけどね。で、頼みの道楽貴族がいないとなると、もう手段がないと思うよ。門を強行突破することはできない。仮にできたとしても軍属が襲ってくる。その猛攻をかいくぐりながらアイリーンを見つけ出すなんて不可能だよ。諦めたら?」

「誰が諦めるか」


 菫が睨みつけると、千鶴は飄々と肩を竦めた。


「……ウルド、に聞いてみるのは、どうだ?」


 ノエが菫を見上げながら意見を出す。


「ウルドか? だが、審判に話をきいたところで……審判は、身分証がなくても審判であることを証明できれば自由に門を行き来できる唯一の職業だが、しかしモルス街の人間をレーゲース街に入れるための身分証は発行できない。それができるのは、貴族だけの特権だ」

「それでも、オレたちが知らない方法を何かウルドが知っているかも知れない。ウルドは非番だし今日の夜レーゲース街に戻るって言っていた」

「……確かに、クロシェがいつ貴族街から戻ってくるのかがわからない以上、俺たちよりレーゲース街の知識があるウルドを頼るのは手段としてはありか。それに、夜レーゲース街に戻るってことは、まだ戻っていないことは確実だ。一刻も早くアイリーンを助けに行きたいが……何も知らないまま無防備に動いても結果として時間を無駄にする可能性はある……か」


 クロシェがいつ戻ってくるかわからない以上、他に可能性があるのならば僅かな確率でも縋りたいし、もしウルドが妙案を持っているのならば頼りたかった。

 ウルドは審判だが、非番の時には審判とは思えない行動の数々を平然と行っていた。ならば、頼ることも不可能ではないと思えた。

 吸血鬼で虹彩異色症のフェアを手元に置いて首輪をつけていたいい噂を聞いたことは一度もない――審判のいい噂も同様にないが――クロシェよりも、ウルドの方が信頼できる。

 何よりクロシェに白髪赤目の存在を公にしたくはない。

 尤も、クロシェしか手段がなければどんな手段を使っても、身分証を発行させる心持ではある。


「よし、夜まで情報を集められるだけ集めて、夕刻から門の前で待ち構えてウルドに会う。それまでの間、ノエとフェアは一緒に行動してくれ。フェア。門の前はわかるな?」

「あぁ」

「じゃあ、そこで集合だ。千鶴は劇団の方を頼んだ」

「わかったよ」


 ひらひらと千鶴はやる気なさそうな動作で手を振りながら、診察室の扉を開けて受付に戻り上着を羽織ってから外に出る。


「さて、リリィの元にいこっか」


 背伸びをしながらの独り言は診察室までは届かない。


「菫。アイリーン、絶対助けような!」

「あぁ、もちろんだ」


 ノエの言葉に菫は力強く頷き返した。

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