第26話:奇妙な男
ノエが千鶴の元から菫の自宅へ戻り、幾日後の朝。
フェアは眠いからと留守番で、菫とノエが日用品の買い物に出かけていると、商店街近くの道中でノエの視界に緩やかにウェーブがかかったプラチナブロンドの髪をとらえた。
以前助けてくれたウルドに間違いがなかった。
ぴょこぴょこと跳ねながらウルドの様子を見ていると、老人の手を引いて、老人の自宅と思しき場所まで連れて行っていた。
「どうした」
「ウルドがいたんだ!」
菫が怪訝な顔で尋ねるとノエが、嬉しさと複雑さを併せ持った声で答える。
ウルドに声をかけたい心境だが、彼は審判で吸血鬼の敵だ。ノエの言葉に菫は布を巻いて持ち歩いている銃を自然と強く握りしめる。
「どいつだ」
ノエが指した指の先には、プラチナブロンドの髪に、膝丈の茶色のコートを羽織り、手には白の布に赤いリボンを巻きつけた――イクスを彷彿させる刀――を所持した男がいた。
「……話しかけるか? もしかしたら今日は非番の可能性がある。審判は白と赤を基準とした服を着て一目でわかる恰好をしているんだ。けど、今のウルドはそうじゃない」
非番の時には敵である吸血鬼ですら助ける男。
ノエの言葉に菫は頷き、思い切って話しかけることにした。失敗したら刃を交えればいい。
「ウルド!」
小走りでノエが近づき明るい声をかけると、ウルドが背後を振り返りノエの姿を見て表情を柔らかくした。
「ノエさん。お久しぶりですね。そちらの方は?」
「俺は菫。ノエが迷子になったとき、助けてくれたそうでありがとう」
「礼には及びませんよ」
温厚で物腰が柔らかい態度は、菫の知る殺戮を好み虐殺を愛する審判とはかけ離れていた。
「ウルドは今日、非番か? 話しても大丈夫か?」
ノエが嬉しそうに尋ねる。
ユベル直属の部下ある審判の人間に嬉しそうな顔がとれるノエを不思議に思うのと同時に、話しかけたいと思わせるだけの殺意のなさがこの男にはあるのだろうと菫は思った。
「えぇ。明後日まで休みです。所要で明日は一度レーゲース街に戻るものですので。折角だからゆっくり休暇も取ってきてくださいと部下から言われてしまい、休みが一日増えました」
ノエと目線を合わせるためにウルドが屈む。
「……ウルド。オレ、ウルドが審判だって知って、驚いた」
「私が審判だと知ったのですね。ならば、なおさら言っておく必要がありますね。仕事中の私には、出会わない方がいいですよ。仕事の日は、仕事をしますので」
「……うん。わかったぞ」
ウルドが非番だと知った安堵からか、ノエの嗅覚に吸血鬼の香りが漂ってきた。
「……この間より、ウルドから吸血鬼の匂いがする。審判だからか?」
吸血鬼を殺しているからか――とは尋ねられず別の言葉で尋ねる。菫が眉を顰めながらノエの手を握る。
「吸血鬼ならば既知でしょうが、審判にユベルがいるからでしょうね」
「え?」
予想外の言葉にノエは目を丸くする。
「ユベルは血が主食ですから、偶に血を上げています。普段は輸血パックでユベルは血を補っているのですが、毎度そうとはいきませんからね」
ノエが手を伸ばしたがったので菫は握っていた手を離す。ウルドが着ている白いシャツを肩が見えるように軽く引っ張ると、牙が食い込んだ後が残っていた。
「審判なのに血をあげるのか?」
驚きながら菫が尋ねる。
吸血鬼なのに審判であるユベルが一番おかしいのだろうが、審判なのに吸血鬼に血を上げるのもまたおかしい。
審判は吸血鬼を殺す存在だ。
「別に審判だから吸血鬼に血を上げてはいけない規則はありませんよ」
不思議そうにウルドは首を傾げるので、確かにこれは変わり種だと思わず菫は苦笑いをしていると、ノエの小腹が鳴った。
「あう」
「この辺に美味しいデザートを提供してくれるお店がありますので、そこで何か食べますか?」
「アップルパイはあるか!」
顔を輝かせてノエが言うので、ウルドはメニュー表を思い出す。
「確か、あったと思います」
「行きたいぞ!」
「では行きましょう。菫さんも一緒にどうぞ。代金はこちらで持ちますので」
「あぁ……だが、奢ってもらうのは悪い」
「私が誘ったのですから気にしないでください」
裏表のない笑顔から悪意は感じ取ることが出来ない。菫はウルドの申し出を受け入れることにした。
「では、行きましょう」
ウルドが颯爽と歩きだし一歩下がったところで迷子防止にノエと手を繋いで歩いていた菫だが、突然ウルドが走り出した。何事かと歩みを止めたが状況をすぐに理解する。
前方で子供が性質の悪い大人に囲まれて今にも暴力を振るわれそうになっていた。
菫も駆け出そうとしたが、それより早くウルドが白い布から鞘を取り出し、抜刀はせずに大人たちを次々と昏倒させていく。
華麗な動きは洗練されていて一切の無駄がなく、菫が駆けつける前に事態は収拾していた。
ウルドが子供の無事を確かめると、柔らかい表情を見せながら子供の汚れた手に白いハンカチを載せた。
感謝も何も求めず、ウルドが立ち去る姿に菫とノエは慌てて駆け出し続く。
菫はこの男は何故審判になったのか、理解が出来なかった。
眼下で起こった光景は審判のイメージとは全く異なるものでしかない。
菫が無言でウルドの背を見て続くと、露店ではなく店内に店を構える古びた茶色の建物の中へ扉を開けて入っていく。鈴の音が心地よくなる。
テーブルカウンターが一つあるだけの小さくて質素な店だが、清楚感があり雑多な雰囲気はなくウルドの佇まいに似合うと菫は感想を抱いた。
「いらっしゃいませ。あぁ、ウルドさんでしたか」
店主がウルドの姿を見かけると顔をほころばせ暖かい笑顔で迎えた。
「アップルパイと紅茶を三つお願いします」
礼儀正しくウルドが注文をして、椅子に腰かける。隣に座ったノエは身長の関係で足が床につかず宙をぶらぶらとさせながらアップルパイが届くのを心まちにしている。
「知り合いなのか?」
「非番の時にはたまに足を運んでいるのですよ」
「お前、本当に変なやつだ」
「よく言われます」
「だろうな」
本拠地のレーゲース街のほかに、モルス街のレリック区とディス区に拠点を持つ審判だが、非番の時にモルス街で過ごす話は殆ど聞かない。
イクスのような例外を除けば審判の出身はレーゲース街なのだ。モルス街の生活が肌にあうとは到底思えない。
菫はそっと布に包んである銃をノエ側の方に置く。
イクスには布に包んであるだけで銃だと判明した。銃から処刑人であることを推測されるのは都合が悪く、なるべく目に触れさせたくはなかった。
尤も、審判に戻ったイクスがすでに処刑人の正体を告げている可能性はある。
それにしては審判が襲撃してこないことが菫には不可解ではあったが。
程なくして、店主が焼きたてのアップルパイを運んできた。
こんがりと焼けた焼き目に溢れるばかりのリンゴが詰まったしなに菫も思わず喉がなる。
ウルドが数枚の紙幣を――アップルパイと紅茶の値段より高いチップを上乗せしておくと店主は無言でその場から姿を消した。
ノエが目を輝かせてアップルパイにかぶりつく。
「あんた、なんで審判をやっているんだ」
「どうしてそのようなことを?」
「審判が、子供を助ける場面を見たら誰だってどうしてって言葉を口にするさ」
菫は疑問をぶつける。
審判はモルス街で恐怖の対象であり、吸血鬼と疑われれば生が消え去り、死だけが残る。
傍若無人にして悪逆非道。悪名を欲しいままに手にする殺戮集団。
だが、今日出会ったばかりのウルドは、その言葉が何一つ当てはまらない。
いくら仕事中と休日を分けて切り離しているとしても、その性格自体が変わるわけではない。
「元々、軍属か審判の道を選ぼうと思い騎士学校に入りました。審判を選んだのは、親友が審判の道を選んだからです」
「自分の意思で選んだわけではないのか?」
「いえ、自分の意思ですよ。私が審判にならなければ親友が死ぬとわかっていましたからね」
「それは?」
「親友は吸血鬼が嫌いでしたから」
「もしかして――イクスか」
「えぇ。そうです」
ウルドは柔らかい表情のまま頷いた。
イクスは吸血鬼を恨んでいる。
審判に所属した人間は吸血鬼ユベルに従えるかどうかの試験があり、従えない場合殺される。
それを危惧してウルドはイクスと同じ道を選んだのか。
しかし、アイリーンの口ぶりからいってユベルの正体は機密事項で、その場合ウルドは何故正体を知っていた疑問が生じる。
それとも死亡率が高い審判を選ぶイクスが死に走ることを危惧して守るためか。
「イクスはどうして吸血鬼を恨んでいる」
「それは私が答えるべきことではありません。知りたければ本人に直接問うて下さい」
やんわりとした口調だがはっきりウルドが断ったので菫はそれ以上尋ねることはやめた。
ノエがいつの間にかアップルパイを食べ終えている。
「美味しかったですか?」
「うん! 美味しかったぞ」
ノエが笑顔で喜ぶので、良かったですといいながらウルドはノエの頬に就いた食べかすを紙で丁寧にふき取る。
「菫さんもどうぞ、食べてください」
「あぁ、いただく」
未だ手を付けていないアップルパイを菫は両手で握って口に含むと、審判が足を運ぶだけあって、モルス街とは思えない美味だった。ウルドもアップルパイと紅茶に手をつける。
「では、私はそろそろお暇します」
「もうすぐにレーゲース街に行くのか?」
ノエの言葉にウルドは首を横にふる。
「いえ。レーゲース街に戻るのは、今晩です」
そう答えてからウルドは店を後にした。菫もアップルパイを急いで食べ終えてノエと共に店を出る。
「買い物終わったらアイリーンのことにでも行くか」
「うん! 行くぞ。遊びたい!」
けれど、遊ぶことは叶わなかった。
自宅へ訪れた菫とノエは唖然とする。
室内は荒れ、アイリーンは消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます