第25話:Revenge never stops.

 ◇

 茶色の絨毯が正方形に敷かれたフローリングの床に座りながら、透明な小皿に分けた瑞々しい果物をフォークで刺しながら食べる。

 口の中が満たされるおいしさにノエが名残惜しそうに空になった皿を眺めた。


「また今度一緒に食べようね」

「うん!」


 アイリーンとノエが顔を見合わせて笑う。

 菫が空になった皿を回収して洗い物を済ませてから、ノエへ向き合い、胡坐をかいて床に座る。

 自分の復讐相手がイクスであった事実を伝えようと息を吸い込んだ後で千鶴の姿が目に入った。


「千鶴。話をするから出てけ」

「なんの話をするつもりなのかは知らないけど、吸血鬼を治療させておいて、事情も話さず追い出すなんてひどくない? 別に僕は口外するような、情報を売る仕事はしていないよ」


 ニヤリと意地悪くアイリーンへ向けて千鶴は言うが、アイリーンは無視する。

 肩を竦めて仕方なく事情を菫は一通り説明した。

 その中には、イクスが審判であったことも含まれている。


「で、僕を追い出したかった本題は?」


 話しが長くなると判断した千鶴は木製の折り畳み椅子を奥から引っ張り出してきて、足を組んで座る。


「お前は右から左に流すだけでいい」


 ノエの澄んだピンク色の瞳を菫は正面から見据える。


「ノエ。イクスは俺の復讐相手だった」


 ノエの目が見開かれ、悲しみを宿す。


「そ、う……か……菫は、イクスを、殺すのか?」

「あぁ。殺す」


 悲しみを増長させる行為だと知りながらも、迷いなく菫は断言する。

 親友を殺された日から、誰が相手でも誰が犯人でも迷わず殺すと決断していた。それがイクスだと判明したからといって意思が揺らぐことはない。


「ノエはあんな目に合わされてもイクスを恨まないのか?」


 回復力がなければ死んでいた大怪我をさせられてもノエの瞳からはイクスに対する恨みが感じ取れない。

 会話の成り行きを見守ろうと、イクスが菫の復讐相手だと初めて知りながらもフェアは両腕を組んで黙っている。


「オレは、イクスを恨まないぞ。イクスは、審判だったんだな」

「驚かないのか?」

「イクスは……吸血鬼が嫌いだったからな」


 ノエの声にはイクスが審判だと知った驚きはない。


「イクスが吸血鬼を嫌いで、オレを殺したかったとしても、だ。イクスはオレを助けてくれた。だからオレはイクスを恨んだりはしないし、恨みたいとも思わない。だって、イクスが今までオレにしてくれた優しさは、全部事実なんだからな」


 柔らかく表情を崩すノエの言葉にはイクスへの恨みどころか、イクスがこの場にいないことが寂しい。

 戻ってきてほしい、思いすら込められていて菫は感情が歪む。


「……けど、悪いなノエ。ノエがいくらイクスを大切に思っていたとしても、俺はイクスが復讐相手だと知った以上、イクスにどんな理由があったとしても殺すって決めているんだ、それだけは譲れない」


 ノエを傷つけたことも許せないが、そのことをノエに告げる必要はないと言葉を押しとどめる。

 告げたらノエはオレのせいでと落ち込む。落ち込んだノエの姿は見たくない。


「ノエが、もしイクスを守りたいと思っているなら――俺を殺すつもりでとめるんだ」

「……すみ、れ」

「復讐を、俺はやめるつもりはないからな」


 親友の無造作に投げ捨てられ誠意の一切が取り除かれた無残な死体が脳裏に焼き付いている。あの顔だけは何年たとうが忘れることはできない。


「アイリーン。一つ疑問がある。手持ちで足りるかわからないが……」


 菫はノエから視線をアイリーンへ移動する。フードを被って素性を隠した優秀な情報屋は財布を菫が取り出そうとするのを手でとめる。


「イクス関連なら追加料金は不必要だよ」

「イクスが審判ってことはレーゲース街の生まれってことだよな? それにしては……なんというか、モルス街が馴染んでいて違和感があったんだが」


 審判になるためにはレーゲース街にある学校を卒業する必要があり、故に審判になるものはレーゲース街の住民でなければならなかった。

 けれどイクスの振る舞いはモルス街の住民としてのそれが染みついていた。

 元々レーゲース街の住民で軍属だった、家族で師匠だった人は退役して自暴自棄に家財道具を背負いモルス街に住み着いた変わり種だが、病気で死ぬ時までモルス街に染まりきることはなかった。


「違うよ。イクスはモルス街出身だ」


 菫の違和感を肯定するようにアイリーンは答える。


「なら、どうして審判になれた? モルス街の人間が審判になれるわけがない」

「これは審判の間では割と有名な話らしいんだけど、イクスは吸血鬼を殺したいから、審判のある男に直談判したんだ。誰もが恐れる審判に面と向かって意思を伝えたことか、その瞳の憎悪を認めたのか、物好きだったのかはわからないけれども、その男はイクスを審判にすることにした。男は審判では稀な貴族出身で、レーゲース街にモルス街出身のイクスを連れていく手段を有していたんだ。イクスはその男の養子となり、レーゲース街の学校に通い審判になった」

「なるほどな」

「何故イクスが吸血鬼を恨んでいるのかとかはわからなかったけれども、大体そんな感じ」

「ありがとう」


 菫のお礼がアイリーンには胸が苦しかった。

 ノエはイクスについて思案しているのか、顔を伏ふせている。

 千鶴は壁際の時計を見て時刻を確認し、話も終わったことだし下へ降りるかと思っていると、玄関の扉が開く鈴の音が鳴った。

 廊下へ続く扉を開き階下を横目で眺めていると、診察室へ入っていく足音が響く。

 この足音には聞き覚えがあった。


「ちょっと、僕は下へおり……」


 る、と続けようとしたが桜色の髪を靡かせながら男が階段を駆け上ってきた。


「リリィ。今降りていくとこだったんだけど」


 千鶴が笑いながらいうとリリィと呼ばれた男は客がいることが意外だったのか驚きながら、そのうちの一人が病院服を着た子供であったことでさらに驚き黒い瞳を見開く。


「……何故病人がいる」

「僕、薬師だから」


 千鶴が自分を指さしながら答えるが、うさん臭い目をリリィはしながら千鶴を見る。


「ヤブのくせに?」

「違うって」

「そうだな。ヤブに失礼だ」

「ちょっと、どういうこと」

「治療をしてあげようという意思のあるヤブのほうがましだ」

「僕はお金をくれたらちゃんと治療するってー」


 千鶴が抗議をするが、やっぱりヤブのほうが親切だとリリィは取り合わない。

 リリィは足首付近まである長い桜色の髪を毛先付近だけ三つ編みで纏めており、光の薄い黒の瞳を持ち、黒い外套を羽織り、首元からは赤いリボンが見えている。スリットの入った足元までの布の間からは、黒のサイハイが見え隠れしている。


「千鶴。下へこい」

「じゃあちょっと僕は席を外すから、秘密の会議でもなんでもどーぞ」


 ひらひらと手を振り千鶴はリリィを先に階段へ追いやる。階下へ降りる前にノエの方へ視線を向けるとリリィの姿に驚いた表情をしていたので、やはり吸血鬼だと気づいてしまったかと心中で舌打ちする。

 受付の上にリリィは外套を脱ぎ捨てて、診察室へ移動する。


「千鶴。血をくれ」


 二階に客がいるからか、普段より小声で吸血鬼であるリリィは吸血鬼の千鶴へ血を求める。


「うん。いいよ」


 シャツを緩め、首元を千鶴が露にすると、リリィが飛びつき牙を突き立てる。

 吸血鬼である千鶴にとって吸血とは苦痛。苦痛と快楽が入り乱れる感覚に耐える。

 リリィは千鶴が吸血鬼だと知らないから、知られないように血が失われることによって生じる渇望に耐える。

 血に満足したリリィが首元から牙を抜き、袖口で唇に付着した血を拭う。


「今日はどうしたのさ。仕事があるから来ないっていってなかった?」

「血が欲しくなったから来ただけだ」

「そっ」

「じゃあオレは仕事に向かう。またな」

「うん。またね、リリィ」


 傷口に手を抑えながら千鶴は仕事へ向かうリリィに手を振る。リリィがいなくなったところで、床に座り込む。呼吸が荒くなる。血が欲しい。血が欲しいと身体が血を求めている。

 だが、このまま血が入った棚へ手を伸ばせば、引き出しを落として物音を立ててしまい菫たちが受付に駆けつける可能性がある。

 そうなれば血を我慢しなければいけない。


「ノエ! ちょっと降りてきて」


 思案した結果は吸血鬼であるノエに引き出しを開けさせて血を取り出させることだった。パタパタとした音と共に、吸血鬼のノエが現れる。


「どうしたんだ?」


 ノエが千鶴を見て、驚いた表情を見せるので笑みを返してやりたかったが、その余裕はなかった。額から汗が零れる。


「ちょっとそこの戸棚開けて。そう、一番上の、右端……」


 千鶴の指示に従って布に包まれたものをノエが取り出すと、千鶴が我慢できないとノエの手から奪い取り、布を破き捨てる。

 姿を見せた輸血パックの切り口を乱暴に開いて血を口元に運ぶ。

 ごくごく、と血を飲み干してから乾きが植えた身体でほっと一息つく。


「ありがとう」

「……リリィは吸血鬼だった。吸血鬼に、血をあげたのか?」

「そう、だよ」

「どうして?」


 純粋な疑問だった。吸血鬼は血を失うと、血を渇望し求め飢える。

 人間に吸血鬼の血を飲ませることは猛毒で外傷なく多大な苦痛を負わせるが、吸血鬼から吸血鬼の血を飲むことは問題がなかった。

 但し、吸血される側の吸血鬼は血を失った状態となり、血をひどく渇望するようになる。

 だから通常、吸血鬼が吸血鬼に血を上げることはないし、吸血鬼が吸血鬼から血を貰うこともない。


「……あいつは、僕が吸血鬼だって知らないからだよ」

「どうして、教えないんだ? 吸血鬼が血を失うことはつらいことだ」

「あいつは、僕の血しか吸えない。僕の血以外飲みたがらない。そんなあいつに僕が吸血鬼だと告げてどうする。そんなことはできない。僕が苦しいのを我慢すればいいだけだ。僕は薬師でちょうどいいことに裏ルートを使って血を入手しても怪しまれないからね……だから、僕はリリィに血をあげるんだ」


 千鶴が柔らかく微笑む。

 千鶴が吸血鬼を誰にも知られないよう秘密にしている理由は、リリィがいるからかとノエは思った。


「オレは、約束通り。千鶴が吸血鬼だってことは、誰にも言わないぞ」

「ありがとう。僕はね、別に吸血鬼や人間がどうなろうが興味ないし構わない。でも、リリィだけは別だ。リリィだけはどうでもよくない。だから僕は吸血鬼であることを誰にも告げない」


 リリィが血を求めるのならば、最後の一滴だってあげていいと千鶴は思っている。

 渇望状態が収まったので周囲に血が零れていないかを確認して袖口に血が付着していたのに気づいた千鶴は顔を顰めてからの上着を脱ぐ。


「菫の元に戻ろうか……と、その前に一つ。菫は宣言していた通り、復讐を実行するよ。例え。イクスって男のほうが強くて死ぬだけだったとしても」

「――!」

「菫は復讐を止めたければ自分を殺すつもりでとめろって君にはいっていたけれど、それ以前にイクスが菫を殺す展開だって大いにあるし、その可能性のほうが僕は高いと思っている」


 千鶴はアイリーンの態度を思い出す。

 菫が復讐を望みながらも、復讐相手を知らなかったのはアイリーンが情報を隠蔽していたからだろう。

 菫を信頼しているアイリーンが情報を隠していたことを考えると、菫の復讐相手が菫より強く、菫が殺される確率が高いとアイリーンが踏んだからだと推測ができる。

 そのことをノエに伝えておこうと思い口にした。


「まっ、僕には興味ないことだけどね」

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