第24話:約束

 同時刻

 白く聳え立つ審判の塔は荘厳で、異様な雰囲気を纏い近づくものを拒絶する悍ましさが純白の中に確固として存在した。

 審判内部の一室。広々とした空間は物寂しいほど整然として事務机の背後にある腰高窓が悲しいくらい存在を主張している。

 部屋の隅には飾り気のないベッドがあり、ウルドが眠っている。

 死んだように眠るウルドの様子をイクスが入口付近の扉を背もたれにして気に入らない態度で眺める。


「……ユベル、お前はウルドを殺してしまうつもりですか?」

「俺がウルドを殺すわけないだろ」


 イクスの隣に並び、腕を組んで立っていたユベル――審判の創設者にして裏切り者の吸血鬼と呼ばれる男が返事をする。


「限度をわきまえないと殺してしまいますよ」


 ウルドが寝込んでいるのは、吸血鬼のユベルが昨夜吸血しすぎたからだ。


「なら、お前が血をよこせ」

「は? ふざけるな。誰が吸血鬼なんかに血を上げるものですか」


 取り付く島もなく冷淡に切り捨てる。

 吸血鬼に血を上げるなど、悍ましさしかない。


「拒絶するくせに、ウルドの血は吸いすぎるなって文句をいうのか?」

「当たり前です。大体、血なんてそこらへんにいくらでも転がっているでしょうが」


 吸血鬼としてユベルは異様な程に失われた過去の力を有しており、血を食事として求めている。


「それとも俺が戻ってきたから感情の制御が出来なくてウルドから血を貪ったのですか?」


 普段は輸血用の血を代用しているが、感情が不安定になるとウルドから吸血をしていた。


「は――笑止!」


 イクスの疑問をユベルは笑い飛ばす。


「俺が戻ってきたことが気に入らず、ユベルなら俺を殺す可能性も考えていましたよ」

「なら、今殺してやろうか」


 ユベルが腰のサーベルに手をかけたのでイクスは真白の刀に手を置きながら睨みつける。

 一触即発の雰囲気が漂い空気が重たくなるが先に矛から手を外したのはユベルだ。


「……お前が審判を辞めて勝手にいなくなったときは、確かに殺してやろうと思った。けど」

「けど?」

「ウルドが『イクスの居場所は此処だけです。だからいずれ戻ってきますよ』と言っていた。その通りにお前は戻ってきた。だから殺さないだけだ」

「ウルドには全てお見通しですか」

「そうだ。イクス」

「なんですか?」


 人の命など簡単に奪えると冷え切った声でユベルはイクスへ詰問する。


「ウルドを殺すつもりはないだろうな?」


 返答次第では、今すぐ首を掻っ捌くとばかりの物騒さにイクスは、この男は本当にウルドしか見ていないと失笑しながら返答する。


「ウルドを殺せば、貴方が死ぬからですか?」

「あぁ。ウルドがいない世界で生きている意味なんてない」


 断言するユベルの碧眼は本気で、イクスは舌打ちする。吸血鬼のくせに、と暗い感情が渦巻く。

 ユベルは長命な吸血鬼で、人間の寿命を超えて生きている。

 吸血鬼として異端故に、吸血鬼を裏切り人間の側についた。

 けれど、それは全ての吸血鬼を滅ぼすために人間と手を組んだに過ぎない。

 人間はユベルを味方だとは思っていないし、ユベルもまた人間が味方だと思ってもいない。共通の敵を殺すために利害が一致したから組んでいるだけだ。

 それでも、過去に何度かユベルは信じられる人間と出会い、信じた。大切に思った。

 だが、彼らは悉くユベルを裏切った。

 裏切られ続けて精神が摩耗した中で、ユベルは裏切らない人間であるウルドと出会い、彼に依存した。

 ゆえに、ユベルは断言できるのだ。

 ウルドがいない世界で生きている意味がない、と。

 ウルドが死ねば、自らの手でその命を終わらせるのだ、と。


「はっ、見くびるな! 友を殺してまでお前を殺したいとは思いません」


 詰問を鼻で笑いながらくだらないと切り捨てる。

 ユベルにとってウルドが依存できる相手ならば、イクスにとってウルドは唯一の親友だ。


「ならいい」

「当たり前でしょう。俺は吸血鬼が嫌いだ。けれど友を殺してまで吸血鬼を殺すつもりはない。それに、ウルドがいなければ俺はユベルに殺されていた命です。ウルドは友であり、命の恩人ですよ。殺すと思いますか?」

「そうだな……」

「まぁ、その結果。俺も貴方も、ウルドに負い目があるんですけどね」

「そう……だな」


 瞼を閉じればイクスもユベルもあの時の光景が鮮明に蘇ってくる。

 二人が負い目に感じている出来事を、ウルドは全く気にしていない。

 それを承知の上で、自分の心が許せず負い目として持ち続けている。


 過去――イクスが審判としての正式な試験を受けたとき、初めて審判のトップが吸血鬼であることを知った。

 一対一の面接で知らされた事実にイクスは激昂してユベルへ刃を向けた。

 冗談じゃない。吸血鬼を殺すために審判になったのに、吸血鬼に仕えるなどふざけるなと怒りのままに刃を振るったが、吸血鬼として強大な力を持つユベルと、二十歳にも満たない少年の前では力量さは歴然だった。

 赤子のように、歯が立たなかった。

 無数の傷が、激痛が身体を呼び起こし、血まみれで何度も何度も地面に倒れる。

 それでもイクスは足掻いた。足掻くたびユベルの魔術が身体を突き刺す。

 ユベルは今まで何人もの自分に従えなかった審判候補と同じように、殺そうとサーベルを抜き取り一歩、一歩と近づいたとき、イクスを助けるためにウルドが割って入った。

 白い服と、プラチナブロンドの髪、白い刀、白い意思は汚れを知らずに存在を主張する。


「すでに試験に合格したお前が、この男を助けるというのか?」


 ユベルは理解できないと顔を顰めながら、ウルドに尋ねる。

 血濡れたサーベルを振るえば、血が地面に飛び散る。


「親友ですから。友を助けようと思うことは、当たり前でしょう」

「助けられはしない。俺とこいつの力量差が明確なように、お前と俺の力量差もまた明確だ。勝てる見込みなど万に一つもない」

「そうでしょうね。けど、


 真正面からウルドが見据える。揺らぎのない真っすぐな瞳。


「そうだな」


 ユベルは笑う。確かにウルドの言葉通りだった。


「お前を殺すことはできない。けど、痛めつけることはできる」


 口を歪めユベルは楽しそうに笑った。

 結果として、ウルドが助けに入ったお蔭でイクスは命を繋ぐことが出来た。

 けれどユベルは吸血鬼。

 吸血鬼を殺したいイクスの敵意や殺意が薄れたわけではない。

 生き延びた以降も審判としての業務をこなしながらユベルの姿を見るたびに殺したい衝動に襲われる。

 ウルドに守れたら命でなければ、刀を向けていた。

 ウルドが守る命でなければ、命を散らしていた。

 ユベルを殺そうとし、再びウルドに守られる結末だけは避けたい。

 自分が傷つくのは構わない。吸血鬼への憎悪が増えるだけだ。

 けれど、ウルドの悲鳴を聞きたくはない。あの涙を見たくはない。

 だから殺意を押し殺して、ユベルに仕える日々を送っていた。

 そんなある日、イクスはユベルの元に呼び出された。

 執務室へ入ると赤い絨毯が血痕を彷彿させ、赤い椅子に腰を掛けてユベルが座る様は、悪趣味だと率直な感想を抱きながら、机を介して向き合う。


「なんですか」


 苛立たしい態度を隠そうともしないイクスにユベルは余裕のある笑みを浮かべる。


「俺を殺したいだろ?」

「当たり前でしょう。貴方は吸血鬼だ。殺したいに決まっている」

「イクス。俺も吸血鬼を殺したい、だからさ」

「なんですか?」

「それは」

「どうせ簡単には吸血鬼を全て滅ぼすことはできない。時間がかかる、けれど滅ぼしたら俺はお前に殺されてやる。真っ向勝負をすれば、お前は俺を殺すことが出来ない、そんなことお前だって承知の上だろ?」

「――っ!」


 屈辱だがその通りだった。ユベルの実力は高い。殺したくても殺せない。


「何故、そのような申し出をするのですか。貴方は、吸血鬼を殺し終えた後でも生きながらえる長命さがある。あと百年だって二百年だって生きられるでしょう」

「ウルドが生きていない世界を長々と生きていてもつまらないと思っただけだ」


 審判の日々を送る中で、ウルドにユベルは徐々に依存していっていた。

 ウルドは裏切らない。ウルドは拒絶しない。


「はっ。ウルドに依存しすぎですよ。確かにウルドは貴方の望むように、貴方を裏切らない人間だ。だからといって」


 イクスは一笑する。

 ウルドがユベルを裏切らないことは断言できる。

 太陽が太陽であるように、月が月であるように、ウルドはウルドとして変わらない。ゆえに、裏切る行為は存在しない。


「だからだ。ウルドがいない世界で生き続けていてどうなる。なら、俺は吸血鬼を全て滅ぼし終わった後お前に殺されてやる」

「……そうですか」

「ウルドと同じ時を生きることは叶わない。その後の未来に意味がないのならば、未来に価値なんてない」

「わかりました。俺は貴方が望む吸血鬼がいない世界を作るための手足になりましょう。その代り、ユベル。お前をこの手で殺させてもらう」

「あぁ、約束だ」


 話しはまとまったとばかりに椅子から立ち上がり執務室からユベルは出ていこうと扉に手をかけたところで立ち止まり背を向けたまま口を開く。


「そうだ、もう一つ約束だ」

「なんですか?」

「ウルドを、殺させるな」

「そんなこと、吸血鬼に言われるまでもない」

 

 過去、ユベルとイクスの間に交わされたウルドの知らない約束。



「にしてもお前、本当に俺に対しては口の悪さが滲みでているよな」


 現在に時は戻り、ユベルは笑う。

 普段は丁寧な言葉遣いのイクスだが、ユベルに対しては時々乱暴になる。


「はっ、当たり前でしょう。ユベルに対して敬意なんてないのですから」

「上司だろ」

「部下に依存している男のどこに敬意を持てとか、無理難題すぎるだろ」


 イクスが口調を崩すのは、ユベルを殺したいからだ。

 約束があるから、刃を向けないだけ。

 殺意は、未だって隠しきれてはいない。

 それを承知の上で、ユベルも約束があるからイクスを殺さない協力関係が成り立っている。


「ウルドが上司だったら敬意持つのか?」

「当たり前です。ウルドほど素晴らしい上司はいないと思いますよ。ユベルと違ってな」

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