第23話:It is special
菫が鞄を担いで、薬師の元へ戻ると、受付の椅子にフェアが座って待っていた。
「アイリーンの元へ行ってきたんだな」
「知っていたのか」
「医者が言っていた」
「千鶴は医者って呼ばれるの好きじゃないみたいだけど」
「私の知ったことではない。あいつは中にいるぞ」
フェアが不機嫌な態度で奥の治療室を指さすので、千鶴のことが気に入らないんだなと気づく。
「菫」
「なんだ?」
「金をどうしても工面したいときは、これから私に言え。クロシェに貢がせる」
千鶴の思惑に乗っかるくらいならば、クロシェを利用した方がいいとフェアが告げる。
「それにアイリーンから借りた金も、クロシェに返させれば問題ない」
クロシェを考慮していない言葉だが、そこにある感情は嫌いだから利用するのではなく、十年来の付き合いがあるから利用するように受け取れた。
「気遣いはありがたいが、クロシェに金を集るつもりはない。第一、お前はあいつの元からいなくなる道を選んだ、なのにまたクロシェと関わるつもりか?」
「構わない。それにクロシェならば面白いことを提示できれば、文句を言わない。面白ければ両手から金をばらまいてくれる」
「はは……流石貴族様。けど平気だ。この金は、返さなくていいものだから」
やりきれない表情をする菫に、何があったのか尋ねてはいけないとフェアは腕を組んで瞼を伏せた。
菫が治療室の扉を乱暴に蹴って開けると、中にいた千鶴が顔を顰める。
「ちょっと、壊したらどうするの」
「風通しがよくなっていーんじゃねぇか」
「強盗入り放題じゃん」
「鍵ついてないだろ。ほら、金だ」
床にどさっと鞄を置く。
千鶴は菫が鞄の中に新聞を詰めて紙幣のように偽装するような真似も、金銭の枚数を誤魔化すことも知っているので中身は確認しないで、鞄を受け取り棚の上に置いた。
友好関係を築いているわけではないが、菫の性格はよく理解している。
「ノエはどうだ」
「さぁ。治療できる限りのことはしたけれども、元々死ぬような怪我だ、生き返るようなことがおこるとは思えないけど」
いずれノエが吸血鬼だと露呈することは間違いない。ならば、今告げるべきだと菫は口を開く。
「生き返るようなことはおきる」
「は? どういう――まさか!」
「そうだ。ノエは吸血鬼で、瞬時に傷は治せないが、回復が早い。手当さえしてもらえればあとは自力で治せる」
ぽかんと口を開けて呆ける千鶴の横を通り、安らかな表情で寝息を立てているノエを優しく撫でる。
「千鶴。審判は呼ぶなよ」
「……呼ばないよ。治療代金を受け取った以上、一応最後まで面倒は見るつもりだけど、吸血鬼を連れてくるとか、そんな厄介事僕の元へ持ち込まないで」
「別にお前は吸血鬼だろうが人間だろうが興味ないんじゃないのか? なら吸血鬼を連れてきたって問題はない」
「どうしてそう思うのさ」
「人間相手にも雑な治療しかせず、金を積まれたときだけしっかりとするやつが、人間に博愛精神を持っているとは思えない」
「そうだよ。別に僕は人間がどうなろうと興味ない。つまり吸血鬼がどうなっても構わない。けど、僕が巻き込まれるのは勘弁だ。それにそれとこれとは話が別だよ」
椅子に座り足を組みながら千鶴は菫を見据える。
「審判は呼ぶな」
「念には念の入れようだね……僕が審判を呼ぶと言ったら実力行使すら辞さない構えかな?」
この界隈では高価で珍しい銃を包んだ布に千鶴の視線は向く。
「あぁ。ノエが元気になるまで柱にでも括り付けさせてもらう」
「強盗より性質が悪いな。いつから菫はそんな悪人まがいのことをするようになったのかな」
「ここはモルス街だろ。俺は元々悪人だ」
「善人だとは思わないけど……悪人という自己評価には意義を唱えたいところだね、まぁいいけど。わかったよ、治療してしまったものを悪化させるのは面倒だし、要求された金額を菫が用意した以上、最後まで仕事はするし審判も呼ばない。審判なんて厄介事の極みみたいなものじゃないか、僕は平穏に暮らしたいんだ」
はぁと千鶴がため息をついたのと反対に菫は安堵する。
普段は怪しい薬品や麻薬などを平然と治療に使う千鶴だが、金を払えばまともな治療をするしその腕前は確かであることは知っている審判さえ呼ばれなければ問題がない。
あとはノエが元気になるのを待つだけだ。
ノエが心配なので夜は千鶴の自宅兼医療所の二階で菫とフェアは一晩泊まることにした。
堅い床で横になり、一枚しかない毛布を半分ずつかけると長さが足りなくて肌寒いので毛布はフェアに使わせて、菫は普段着ている羽織りを脱いで自分の上にかける。薄手だが、何もないよりは温もりがある。
今日一日は目まぐるしく色々なことがあったせいか、怪我の痛みのせいか、すぐに深い眠りの世界へ菫は落ちる。
千鶴が空の寝台に座りながら医療器具を片付けていると、眠っていたノエが身じろぎをした。
死んでいたわけではないが、死ぬような大怪我をして意識を取り戻すなんて本当に生き返ったようで、吸血鬼としての回復力を実感しながらノエを見下ろす。
幼い容姿に小柄な身体。怪我をした部分に手を触れれば違和感を覚える程傷口が塞がっている。
果たして怪我を治せる回復力で生き延びれたのは幸運なのか、はたまたそのせいで苦痛が長引いたと考えれば不運なのか千鶴には判断がつかない。
ノエがうっすらと目を開ける。朦朧とし意識がまだ覚醒していないピンクの瞳が千鶴を見据える。
「……きゅう、けつ……き……だ」
「……!! 僕が吸血鬼だって、わかるのか……!」
掠れるような言葉は、喧噪の空間であればかき消されたことだろう。けれど菫もフェアも眠りについた深夜、ノエの言葉は明瞭に千鶴へ届いた。
吸血鬼と千鶴を刺して言われた言葉に、すぐさまノエの吸血鬼としての特性は再生だけでなく、種族を判別できる感覚の持ち主だと理解し、両手でノエの首を絞める。
「かっ……う」
抵抗は弱弱しい。回復が早いからといって完治して元気になったわけではない。
「くそっ! 失敗した!」
このまま殺してしまうか、と千鶴は考える。
この国では吸血鬼の誰もが人間と偽り生きている。
千鶴もそのうちの一人だ。
吸血鬼だと知られるのは死を意味する。
誰にも吸血鬼であることは知られたくなかった。
唯一無二の大切な友人にも知られないように努めてきた。
今、ノエを殺してしまえば吸血鬼の秘密は守られる。怪我をして意識が朦朧としているノエ相手では簡単に縊り殺せる。か細い首は手に少し力を入れただけで折れてしまいそうな程弱弱しい。
感情は殺せと悲鳴を上げるが、思考は冷静さを求めていた。
上の階ではノエが吸血鬼で回復力があるから死なないと確信している菫と、菫と一緒にいるフェアという猫耳のような髪型をした男がいる。
絞殺してしまえば、自分が殺したと告白しているようなものだ。
その場合、菫と殺しあう可能性も考慮しなければならない。よしんば殺し合いに発展しなくとも何故の疑問が付きまとう。
首尾よく菫とフェアも殺害できればいいが、確実に達成できるとは限らない。
菫の実力は知っているし、フェアの実力は未知数だ。二対一では分が悪い。
「ノエ。僕が吸血鬼だということを誰にも言うな。言ったら君を含めて、相手も殺す」
千鶴が出した結論はノエに口止めをすることだった。
同じ吸血鬼同士であるならば、人間に口止めを要求するよりもまだ信じられた。
吸血鬼は、吸血鬼だと知られれば死ぬことを知っているから。
人間なら口止めをしたところで不安要素しかない。
千鶴の真剣な瞳に、ノエは首を絞められて呼吸が苦しい中、首を縦に振る。
「わかった」
首から手を離すと、ノエの全身が酸素を求めて上下する。首に跡が残ったら面倒だなと思ったが、回復力のある吸血鬼なら朝までには消えているだろうから菫に露呈することはないなと判断する。
「……僕が吸血鬼なのは秘密だからな」
念に念を押すさまはまるで先ほどの菫と同じだと失笑する。
「うん。吸血鬼だって、ことは言わない、ぞ」
「ならいいよ」
「……オレを、助けてくれたのか?」
「感謝するなら菫とフェアって猫耳男それとアイリーンにしな。僕はただ、金を積まれたから君を治療したに過ぎない」
「でも、ありがとうだ。オレは、まだ死にたくないから」
先ほど首を絞めていた男に対して屈託ない笑みを見せるノエに、千鶴は調子がくるい、髪を乱暴にかき混ぜる。
「だから礼はいらないっての。僕は千鶴。薬師だよ」
「オレはノエだ。よろしくな、千鶴」
求められた小さな手を、千鶴は渋々握り返した。
翌朝、菫とフェアが階段から降りて一階の受付へ到着するとノエが元気よく飛び出して菫に抱き着く。
「ありがとうだ!」
「ってノエ!? もういいのか?」
「もう大丈夫だぞ、たくさん寝たし、千鶴が治療してくれたからなおったぞ」
無垢に笑う姿からは怪我していた事実を実感できないほどに明るい。
「とはいっても、千鶴にもう二、三日は安静にしろって言われたからな、ここで暫く入院だ」
血まみれになった服ではなく、千鶴が用意した病院服を着ていたが、サイズがあっておらず、だぼだぼとしていて布を引きずっている。
元気に振舞っているが、ノエの手が微かに震えていたのを菫は感じ取り、もっと早くイクスの危うさに気づけていれば――敵は殺す心情しかないイクスのことを気にかけていれば、ノエを傷つけることはなかったと後悔する。
「悪かった……もっと早く助けにいけたらよかったのに」
「そんなことはないぞ。でも、どうしてオレがいる場所がわかったんだ? 菫はフェアと一緒に家にいたのに」
「お前らの帰りが遅いから、ノエがまた迷子になってイクスが探し回っているんじゃないかと思って、俺とフェアも探しに出たんだ。……アイリーンのことがあったばかりだしな。商店街のどこにもいない、と慌ててあちらこちらを探し回ってた時、お前の声が聞こえたんだ」
「そっか、ありがと」
「……ごめん」
「ううん。違うぞ、菫のせいなんかじゃないからな……オレだって、あの人に謝りたい」
「あの人?」
「イクスが、義姉さんと呼んでいた人だ。助けてあげることが出来なかった。あの人が、殺される間際。オレはイクスに追いついたんだ……でも、普段と全然違うイクスが……怖くて、何もできなかった。見殺しに、しちゃったんだ……」
顔を伏せるノエの頭に菫は優しく手を置く。倒れているノエと甚振るイクスのほかに女性の死体があったのは菫も気づいていた。
あの場で何が起きたのかは、想像でしか補えないが、ノエに仔細を訪ねてつらい思いもさせたくない。
だから、ただノエの気持ちが落ち着くまで頭を撫でた。
「ノエ君は大丈夫?」
暫くすると明るい声が玄関から響く。
「アイリーン!」
声の主がアイリーンであると知ったノエが嬉しそうに走り出しアイリーンにも抱き着く。
薬師の元だからか、アイリーンはフードを外さない。
「ノエ君元気になったようで良かったよ。これ、お見舞い。菫ちゃんたちと一緒に食べて」
籠に果物を詰めたのをアイリーンが菫に手渡す。菫は一瞬複雑な顔をしたがすぐに笑顔で礼を言う。
「どういたしましてー。果物美味しい新鮮なの買ってきたから、皆で食べよう。ほら、ほら二階で!」
「おう、わかった」
「って、勝手に自分家みたいな振る舞いしないでよ」
「俺が向いて人数分用意するよ」
千鶴の抗議を無視して勝手知ったる様で二階にある台所へ向かって籠を手に菫が階段を一段上がる。
「私は手伝わないが一緒にいこう」
「フェア……せめて気持ちだけ手伝うっていえよ」
「食べる部分がなくなってもいいなら手伝うが?」
「……やめとく」
「だろ」
菫とフェア、ノエが続いて階段を上っていくのでアイリーンも続こうとした時だ。
「アイリーン。ちょっと治療器具の片づけ手伝って。リンゴの皮むきしないんだから別に構わないでしょ?」
「わかったよ。じゃあ菫ちゃん。千鶴君と片付け終わったら二階に上がるから準備して待っててー」
「はいよ」
声だけ返事をして菫は上階に消えた。
アイリーンはやれやれ、と受付の奥にある診察室へ移動する。千鶴が散らかった器具を片付けていた手を止めてアイリーンへ歩み、逃げ道がないようにアイリーンを壁際に追い詰めてから鋭い視線で尋ねる。
「僕は、君の全財産を奪うつもりで菫に金額をふっかけたんだけど? モルス街では手に入らないような瑞々しい果物、どうやって買うお金があったわけさ」
意地の悪い笑顔に、アイリーンも笑みを返す。
「あはっ。菫ちゃんが貸してくれって言ってきた金額を聞いたときは驚いたよ。まるで僕の全財産を奪いたいかのような額だったからね……やっぱそういう魂胆があったわけか」
「そうだよ。まぁ菫は気づいていないだろうけどね」
「ほっんと、千鶴君って悪人」
「で? どうやって果物買ったわけ?」
「情報屋、舐めないでよ。お金がなくなったってお金を作る手段はいくらでもあるんだから」
「ならもっと頂いておけば良かったなー身ぐるみ剥がす勢いで。財産だけに手心を加えたのがいけなかったかな」
「酷いなー」
「僕はアイリーンなら菫に頼まれれば、お金を貸すって自信も確信もあった。けど、一つだけ尋ねてもいい?」
器具を適当な箱を取り出しその中に全部まとめてしまってから千鶴は寝台に座り尋ねる。
千鶴が器具の片づけを手伝えといったのはただの口実だ。
アイリーンは壁を背もたれにしその場から動かず両腕を組む。
「どうして菫に対してそこまでするの? ノエが重症で助けたかったって気持ちも、多分あるんだろうけどそれ以上に頼んできたのが菫だったからでしょ。どうしてかな?」
純粋な疑問。
助けるとわかっていても、わかっているだけで根柢の理由を千鶴は知らない。
「菫ちゃんが、いい人だから。それだけだよ」
納得できないと目を細めるとアイリーンは肩を竦める。
「僕が……ガラの悪い男どもに囲まれてさ困っていた時、誰も助けてくれなかったのに菫ちゃんだけが助けてくれたんだ。なんの利益も見返りも求めず、ただ僕が助けを求めていたから、菫ちゃんは助けてくれた。だから、だよ。菫ちゃんにとって助ける行為は特別なことではないのだろうけど、僕にとっては特別なことなんだ」
「……で?」
「千鶴君は納得できないのかもしれないけどね、僕はね、菫ちゃんが困っているなら、なんだってしてあげたいし生きていてほしいんだ。もう僕を助けてくれた人が死ぬなんて、嫌だから……ね」
「あーはいはい。なんかもういいや」
千鶴は手を投げやりに振る。
「ちょっとそっちから聞いておいてどういうことさ! その投げやり感」
「いや、思っていた以上に裏表がなくてげんなりしただけ」
「どういうことさ。僕が正直に語ったっていうのに!」
詰め寄ろうとするが、千鶴は寝台から飛び降り受付の方へ逃げるようにアイリーンの手を交わしてから歩みを止めて振り返り、フードを被りその素顔を明かさない知り合いを見る。
「僕も、何だってしてあげたいし、生きてほしいって思う友人がいるから、まぁアイリーンの気持ちはわからなくないけど……さ、なんかこう裏表なく言われるとやっぱげんなりするよね」
「自分のこと棚に上げすぎじゃない?」
「あとさ、僕の方が年上なんだから千鶴君呼びやめない?」
「千鶴ちゃん」
「……君でいいよ」
諦めて千鶴は瑞々しく新鮮な果物を口に入れて気分転換しようと思い、階段を上がる。
「……千鶴君には二十一っていってあるけど実はさらに年下なんだってわかったらどんな顔するのかな」
遊びを見つけた子供のように笑いながらアイリーンは千鶴の背を見る。
「おーい! アイリーン、むけたぞー早く来い!」
「はいはーい。今行くよ、菫ちゃん!」
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