第21話:Want to kill

 どうしてここにノエがいる、とイクスは混乱する。

 ノエから距離を取りたくて、迷路のように複雑に入り組んだ掃き溜めのディス区まで走ったというのにも関わらず、幼い顔が悲しい表情をしている。

 つまり義姉を殺す場面を目撃されていたことに他ならない。

 どうして、と繰り返したところでイクスは気づく。

 モルス街で悲鳴など日常茶飯事。けれど気に留めるものはいる。ノエは、声を辿ってここってきたのだ。辿らせてしまったことに気づいてイクスは額に手を当てる。

 感情が揺れ動き白と黒が渦巻く。

 揺れは収まらず、けれど不安定な渦の中にある一点変わらぬ感情を消せない。

 一歩、無意識のままに足を踏み出した。


「どうして」


 踏み出したことに気づくと、今度は歩みを止められない。


「ノエ……どうして、ノエは吸血鬼なのですか」


 距離を一気に詰める。

 ノエはイクスの瞳に宿った暗い感情に怯むが、直感が危ないと告げた感覚に従い掌を前に突き出し魔術で防御壁を作り上げる。六角形を描いた白の線が無数に重なり合う透明なそれをイクスが力任せに刀で薙ぎ払うと罅が入り砕け散る。

 振り切った刀を手元に戻し、再び振るう。交わそうとノエの思考は動くものの、眼下で繰り広げられた光景が、イクスの悲しみと笑みに満ちた顔が、身体の動きを鈍らせ、ノエの身体を袈裟切りにする。

 痛みよりも先に驚愕。足が地面から離れ、身体は宙に浮き地面へ倒れる。

 イクスが倒れたノエの上にのる。


「どうして! どうして……! ノエも吸血鬼なのですか!」


 泣いていないのが不思議なほどに歪み、頬は引きつったままイクスが悲痛に叫ぶ。


「どうして……ですかっ……!」


 イクスの手から刀が零れ落ちる。


「イクス……」


 ノエがイクスの手に触れようと動いたのをイクスは何と受け取ったのか狼狽し、ノエの首を両手で締める。


「どうして、どうして、どうして、どうして!」


 何度も繰り返しながら手に力を籠めるとノエは苦しくて咽る。

 イクスは我に返り、両手を離すとノエは空気を吸い込もうと呼吸が荒くなる。


「吸血鬼じゃ、なければよかったのに……」

「い、くすは……吸血鬼が、きらい、なんだな……」

「ノエ――貴方も、俺の」


 唇を震わせ沈痛な笑顔でイクスは鮮血に染まった刀を右手で握りしめ、ノエの右肩を突き刺すと悲鳴があがる。


「貴方も、俺の――敵なんです……よね。どうして、ノエは人間じゃなかったのでしょうか。人間だったら、良かったのに……」


 空を眺めても答えはない。ノエを見ても答えはない。

 痛みで両目から涙を零すノエに、イクスは再度刀を構えた。

 何度も切り裂かれる熾烈な痛みに、ノエの悲鳴は弱弱しくなる。

 本来ならば死んでいても不思議ではない傷を受けても、ノエは回復力があるため時間経過とともに治癒し生きていた。

 だからこそ余計に苦痛の時間が続く。

 それでもノエはイクスが自分を殺す気だと知りながら、全身が痛みで悲鳴を上げながらも手を伸ばしてイクスの頬に優しく触れた。


「いく……す」


 小さくて暖かい手が、頬に触れる感触にイクスの手が震える。

 弱弱しくけれど微笑んだ姿が視界に入り感情が揺さぶられる。


「ぁ……の」

「てめぇ! ノエに何をしているんだ!」


 イクスの言葉を遮り、空間に割り込んできた怒声。

 咄嗟にノエの上から飛びのくと対象を失った銃弾が壁に弾痕を残す。

 怒声の主は菫だ。

 再度、菫は拳銃を構え発砲しようとするが、体制を整えたイクスが素早く刀を振るい拳銃を落とす。

 がら空きになった掌を刀で壁に縫い合わせるように貫き抜き取る。


「何をしているんだって、ノエは吸血鬼じゃないですか」


 頬に付着する血が涙のように垂れながらイクスが笑う。


「――それだけの理由か」

「それだけで十分じゃないですか」


 菫は血がとめどなく溢れる右手を左手で押さえながらノエを見る。

 ぐったりと横たわり弱弱しく呼吸をする姿に、痛みよりも怒りが上回る。

 自分を傷つけたことはかまわないが、ノエを傷つけたことだけは絶対に許せなかった。

 菫は殺意の籠った拳で殴りかかろうとするが、刀を構えたイクスのほうが早い。肩が横一線に切りつけられ、地面を転がりながら拳銃を拾い発砲しようと引き金に左指をかけた瞬間、腕を切り付けられる。


「菫も、俺の敵ですか?」

「当たり前だ!」


 強い力で断言した言葉に、イクスは冷淡に笑う。

 その答えを聞けば容赦なく殺せる、とばかりに刃が菫の急所をとらえた瞬間、二人の間を青い炎が襲い掛かる。


「ちっ――!」


 舌打ちしながらイクスが飛びのいて距離を取ると、ノエと菫を守るかのように次々と青い炎が生み出されて壁を作る。

 青い炎を超えることはできないと瞬時に判断したイクスが安堵した表情を浮かべるのを菫は見逃さなかった。

 フェアが次の一手を行使する前にイクスは菫とノエに背を向けて姿を晦ませる。

 安堵するくらいなら何故殺そうとしたと、菫は問えなかった。

 菫は血が滴り執拗に狙われた右腕を左手で押さながら、起き上がる気配のないノエの元へ駆け寄る。


「ノエ!」


 痛みを我慢しノエを抱きかかる。刀傷が酷く血に塗れている。名前を呼んでもうっすら瞳が開くだけだ。


「菫。いくらノエが私らよりも回復……再生力が高いといっても、このまま放置すれば回復する前に死ぬ。医者の手を借りるしかないだろうな……通常ならば死を免れられないような怪我でも、ノエならば完治するだろう。尤も、それは医者に吸血鬼だと知られることにはなるが医者を頼らなければ死ぬ。口が堅い、かつ腕のいい医者を知っているか?」


 青い炎は沈下し、フェアが姿を見せてノエの状況を冷静に見識する。


「口が堅い医者は知らないが、医者は知っている。金を出したらまともな治療をしてくれるやつだ、そこへ連れていく」

「わかった。私がノエを運ぼう」


 魔術を併用すればノエの傷口に触れないように運ぶことも可能だろう。何より傷だらけの菫にノエを連れて行かせるのは忍びない。


「ノエ。待っていろ、今医者に連れて行くからな」


 フェアが一見すると抱きかかえているように見えるほど手との身体の境界ギリギリに浮かしたノエの髪を菫は優しく撫でる。

 菫が先導し、フェアが続く。

 菫の知る医者はレリック区に居住を構えている。ディス区から移動する距離がもどかしかった。

 レリック区の路地裏を走り、雑多な空間を抜けると人の賑わいから離れた一角にやる気を感じられない斜めにかかった看板と薄汚れた建物を発見して飛び込み、受付の文字がかかった木製テーブルに頬杖を突き暇そうにしている眼鏡の青年を発見して在宅中であったことに菫は安堵する。


「ちょっと。血まみれ運ばないでよ」

「薬師の元に健康なやつ運んでどうする。手当してくれ」

「構わないけど、でもその子、死ぬよ。治療する意味なんてないと思うけど」


 薬師はフェアの連れてきた血まみれの子供を見て冷淡に言うが、薬師はノエが吸血鬼であり回復力を持つとは知らないで菫はその言葉を無視する。


「それでもいい。手当してくれ。怪しい薬は使わず、いい薬品でな」

「菫じゃ僕の提示する金額は払えないよ。その辺の麻薬を使うならまだしも、ちゃんとした鎮静剤などの薬品を僕が安い値段で提示するわけなって知っているよね? それを知ったうえで、頼んでいるのかな?」


 眼鏡越しに紫の瞳が鋭く菫を射抜く。


「あぁ。承知の上で頼んでいる。早くしてくれ、ノエが死ぬ前に」

「……覚悟の上ならいいよ。じゃあ寝台に運んで」


 奥の扉を手が隠れるほど袖の長い赤の衣で指さす。治療室の看板がかかった扉を菫が左手で開ける。

 治療室の右端には簡素なベッドが二つ置かれている。その周りには医療器具が並んでいた。

 薬師は棚から薬品をいくつか取り出し、金属テーブルの上に並べ、手際よく治療を開始する。

 そうそ、と程なくして薬師は菫の方を振り返り、包帯と消毒液と薬瓶を投げつける。


「君も、結構傷深いよ、特に掌。そっちは適当な薬品だけど、ないよりはましでしょ」

「あぁ。俺は怪しい薬品で別に構わない」

「あのさ、菫がモルス街にしては裕福な暮らしをしているのは知っているけれども、僕が提示する額を払えるほどお金持ちじゃないのも知っている。どうやってお金を工面するつもりさ――もし払えないときは、この子売っちゃおうか」


 にんまりと笑みを薬師が浮かべるので菫は舌打ちする。


「しつこい。金は用意するっていってんだろ」

「じゃあ用意しておいで。君がいたって、ここでは何か手伝えることはないからね」

「わかった。用意してくるから顔洗って待ってろ」


 菫の一切迷いがない言葉に薬師は目を細める。


「フェアはどうする? 俺と一緒にくるか?」

「いや、私は此処に残っている。この医者を私は信頼しているわけではないし、ノエを一人にするわけにもいかないだろ」

「サンキュ」

「本人を前に信頼しているわけじゃないって酷くない? それに僕は医者じゃなくて薬師って名乗っているから。あと名前は千鶴ちづる

「医者だろうが薬師だろうが同じようなものだろう」


 フェアが言葉を切り返している間に、菫は右腕と掌に包帯を巻いたがすぐに真っ赤に染まる。

 痛みはひかないが、痛みよりも赴く場所があった。


「じゃあひとっ走りで行ってくる」


 真っすぐな瞳で菫は薬師千鶴の元を後にする。


「……」


 フェアは菫がいなくなった先を睨みつけるように眺めていると、治療をしながら薬師が笑った。


「菫が心配?」

「別に。あいつが金を用意できるかが気になっているだけだ」


 最悪の場合、クロシェを頼るか、とフェアは脳裏で算段を付ける。

 面白いことを提示できればクロシェは金に糸目をつけずにばらまいてくれるだろう。

 最初からクロシェの選択肢を出すことも考えていたが、クロシェの元を去った自分と、屋敷に押入り使用人を殺害した彼らのことを考えると提示し辛かった。


「大丈夫でしょ」

「……何故断言できる?」


 フェアの不安をよそに、薬師が面白そうに笑いながら手を振る。よく笑う男だ、とフェアは思った。


「菫が助けるって決めたなら菫は臓器を売ったって金を工面するし……僕が知る限り、僕が提示した額を払える人間が菫の知り合いにいるからね。あの子から借りるでしょ」

「あの子……?」

「菫と一緒にいるんだ会ったことない? アイリーンっていう情報屋。情報屋として優秀だからね、僕なんかよりもお金持っているよ」


 薬師には菫が取る行動が手に取るように分かっていて、金額を提示したのだと思うとフェアは焼き殺したい心境になった。




 イクスは殺したかった。

 ノエを傷つけたくないのに傷つけてしまった事実が心に突き刺さる。

 殺そうとしてしまった。殺したくなかった。殺したかった。

 ノエは笑っていて欲しかった。無垢な笑顔を見ていて欲しかった。

 ノエの悲しい顔は見たくないのに、悲しませるどころか、泣かせて、痛めつけてしまった。

 その事実が苦しくて、吐きたくて、誰かを殺したくてたまらなくさせる。

 亡霊のような足取りで、イクスはある場所を目指して進む。

 会いたい人がいた。そこへたどり着けば、揺れ動く感情に終わりをつけられる。縋りたかった。

 早くたどり着きたいのに、傷一つ負ってない身体が重くて一歩踏み出すのがつらい。

 やっとの思いで、ディス区の最奥にして、犯罪に心まで浸っているような人間でも近づかない空間に近づいた。白く巨大な建物が見えると心が落ち着く。

 浅瀬にある橋を渡ると、ディス区には不釣り合いで汚れのない綺麗な白の建物玄関の扉が開いた。

 扉の音を聞きながら会いたい人物じゃなかったら殺そうと思った。

 殺したくてたまらない感情が、我慢の限界だった。

 けれど、その意思が伝わったのか、姿を見せたのは望んだ人物だった。

 姿を見せた人物は柔和に微笑みながら、数歩足を進めたところで歩みを止め、イクスが近づいてくるのを待つ。

 イクスは刀をしまい、覚束ない足取りで進み、たどり着くと倒れるように顔を彼の肩にのせた。


「……殺したい。吸血鬼を、俺は殺したいんだ……殺したくて、たまらないんです」


 本心が零れる。

 彼はいつだって拒絶をしないと知っているから、裏切らないと知っているから、安心できる。

 不安定に揺れ動いていた感情が収まっていくのを実感する。


「俺の居場所は、やっぱり……ここしかないんです……」


 助けてほしかった。望む言葉がほしかった。


「知っているよ。おかえり、イクス」


 望んだ言葉をかけられてイクスは笑う。


「ただいま――ウルド」

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