第19話:暗転
数日後。
白髪赤目の噂を聞きつけてアイリーンの元を襲撃してくる輩はいなかったのでひとまずは安心だと判断して、何かあったらすぐに知らせるよう言い含め、菫とノエは自宅に戻った。
元々はバーだった場所を自宅兼情報屋として使っているアイリーンの自宅と比べればこぢんまりとしているが、慣れ親しんだ家は落ち着く。
「もういいのですか?」
椅子に足を組んで座りお茶を飲んでいたイクスの言葉に菫は頷く。
稀有で、存在しないことが普通の白髪赤目を目撃した人間はイクスが殺害していたが、どこに一目があるかはわからない以上、警戒したが風の噂に乗ることはなかったと数日間の平穏から判断した。
アイリーンも安堵したようで、手が震えることも菫の羽織りを無意識に掴むこともなく大丈夫だよと笑った。
心配は心配であるが、ずっと付き添っているわけにもいかない。
四人で食卓を囲むには狭いテーブルは椅子が四つに増え窮屈さを訴えているが、買い替えるのは当分先だなと思っていると、賑やかな音を聞きつけてフェアが二階から降りてきた。菫の背後に立ち、お腹がすいたといって血を貰う。
吸血されているとき、菫の脳内に一つの疑問と答えが浮かんだ。
ご馳走様とフェアが離れたので、羽織りを直しながら、菫はノエの方を向く。
「ノエ。お前もしかして……」
けれど言葉はそこで止まる。続けていいのかと逡巡したのだ。
ノエの目的はユベルを殺害すること、けれどユベルを殺害しにはいかず日常を過ごしている。
それは今更すぎる違和感だった。
何故だろうと思った瞬間、一つの答えも同時に導き出せた。
言葉にするのは憚られたが、思いきって音にする。
「もうすでにユベルに挑んだあとなのか」
考えるまでもなくおかしい事実が一つあった。
吸血鬼として異様なほどに強いユベル相手に、たとえ怪我の回復速度が速くてもユベルと比べたら天と地ほどの差があるだろうノエが単身で挑むのはおかしい。
ユベルの実力を間近で見たことはないが、吸血鬼の敵に回った吸血鬼が今なお生きていることこそが実力の証明だ。
なのに、ユベルを殺害しようとする他国の吸血鬼がノエしかいない事実は歪だ。
負けるに決まっている。勝てるわけがない。
一人では不可能。ならば、仲間がいて当然だし、その程度のことも考えられない程ノエが無謀ではないことを知っている。
仲間はいた。けれど仲間がすでに死んでいたとしたら――ノエだけが生き残っているのは、再生能力を有していたからではないか。
菫の考えを読み取ったノエは顔を伏せる。
菫の言葉にイクスはノエが川で倒れていた時のことを思い出す。
雨の日に無防備な格好で、モルス街には似つかわしくない衣装をまとい倒れていた。
その日、もしくは数日前に裏切り者の吸血鬼を殺すための集団が力及ばず敗北しノエだけが生き残る可能性はあるかを考える。
答えは是だった。
ならば、ユベルを殺すといいながらも、実行に移さず今ここにいることにも説明がつく。
ノエから目的を聞いたときに考えが及んでもいいものを、今まで思いもつかなかった事実にイクスは自嘲したい気分だった。
ノエの表情は口よりも雄弁に語っている。
「ノエ、隠すことはしなくていいのですよ」
「……うん。そうだ、オレ……オレたちは、裏切り者の吸血鬼に挑んだんだ。そうじゃないと吸血鬼は滅びる、滅ぼされるから。でも集団で挑んでも勝てない程、強かった。オレだけは……生き残った。ほかの皆は死んだ、殺された」
悲痛な表情は、今まで見せたどの表情よりも悲しみに満ちていて、ノエを拾った初日の寝言をイクスは思い出す。
『……行かないで』
それは、仲間に向けられた言葉だったのではないのか。
ノエが起きている間は悲しみを隠し笑って無邪気に過ごしていた。
けれど心中は果たしていかほどだったのか、推し量ることはできない。
察せられなかった自分をイクスは忌々しく思う。
「つらかったでしょうね」
イクスの手が自然とノエの頭に伸びる。ふわりと、柔らかな髪質が伝わる。
「うん」
正直のノエは頷く。
「……オレだけ生き延びた。皆死んでいるのに、オレだけ生き残ってイクスや菫、フェアと楽しい毎日を過ごしていいのかっては、思っているぞ……でも、皆で挑んだ相手なのに勝てなかった、一人じゃ勝てない……でも、でも……皆のことを無視して生きることもできないでも、でも怖いんだ」
怖いの言葉にノエの感情が全て込められていた。
裏切り者の吸血鬼は圧倒的な力を有する化け物。
集団で挑めば勝てると思っていたのは甘すぎる希望だった。現実は圧倒的実力者に叩きのめされるだけだった。
「怖くて当然ですよ。相手は、吸血鬼として異様で異端なのですから」
優しく抱きしめると、ノエの手がイクスに縋りついた。
「うん。イクスたちと一緒にいる日々が楽しくて、でも怖くて、でも……って考えていた。でも、それを表に出したらイクスや菫に心配をかける、そんなことはしたくなかった。だって、皆と一緒にいるときは本当に楽しいから。楽しい日々を過ごせば過ごすほど、怖くなるんだけどな……」
「なら、答えは簡単だろ。ノエ」
菫がイクスの横に並び、ノエの頭にぽんと手をのせる。
「俺たちが協力してやる。それだけだ」
「――そうですね」
ノエに目線を合わせて菫は屈む。ノエは目を丸々と見開いてから首を横に振る。
「だ、ダメだ! イクスと菫は何も関係がないんだぞ、それなのにそんな危険なことはお願いできない!」
「なら、私が一緒にいってやろう」
イクスや菫よりノエのことを知らないフェアは傍観に徹していたが、不敵に笑いながら声をかける。
「イクスと菫が何も関係ないとしても、私には関係があるだろう。私は吸血鬼だ、裏切り者の吸血鬼の存在は放置しておけないからな。一人ならば、どうしようもないから放置するよりほかないが、仲間がいるなら別だ」
「っておい、フェア。俺とイクスを仲間外れにするな。あのな、ノエ。関係ないわけないだろ、一緒に暮らしている仲間なんだぞ」
菫の言葉は優しくて暖かったからこそノエは首を縦に触れなかった。
フェアが一緒に行動をしてくれるのは、有難うと言えた。
でも菫とイクスは違う。
頑として首を縦に振らないノエに、菫は笑いながら語ることにした。
「……じゃあ、別の一緒に行動をする理由をつけてやるよ、ノエ」
「な、なんだ……?」
暖かい菫の音とは違う冷たさに、ノエは驚きながら恐る恐る尋ねる。
栗色の髪が無造作に跳ね、無邪気に笑う親友の姿が菫の脳内に思い出として再生される。一度瞬きをしてからノエのピンク色の瞳を見据えた。
「俺には親友がいた。その親友が審判に殺された。俺はその犯人を捜している」
「なっ……!」
イクスには処刑人だとばれているので告げたが、ノエやフェアには告げていない菫の目的。
「親友の名前は
親友の名前を、性格を告げたのはその方が存在に実感が湧くだろうと思ってのこと。
「……アイリーンの情報屋としての能力は優秀でしょう。それでも菫の親友を殺した犯人がわらないのですか?」
審判が連行すると思しき人間の情報をアイリーンが掴んでいたことといい、情報屋としての力量は高いことを認めているイクスが顎に手を当てながら尋ねる。
「いいや」
菫は首を横に振る。
「確かにアイリーンはユベルのことも、ユベルが吸血鬼だってこともウルドのことも知っていて審判の内情には詳しい。けど俺の親友が殺されたことは過去の出来事だから調べるのに時間がかかるっていっていたんだよ」
「……なるほど、そういうことでしたか」
「あぁ。だからアイリーンの情報まちさ。もう金は払ってある」
審判の情報を求める――危ない橋をアイリーンにわたらせている自覚はあったが、それでも復讐をしないわけにはいかなかった。
「だからノエ。俺の目的が審判な以上、仲間だ」
「って、菫。勝手に抜け駆けしないでくださいよ!」
「抜け駆けじゃねーよ。親友を殺した審判を殺したいのは事実だ」
「抜け駆けも事実です!」
「ほら、ノエ。イクスも仲間に入りたがっているんだ、仲間になろうぜ」
曇りのない笑顔に、ノエの瞳から嬉し涙がこぼれた。
暖かくて、とても暖かくて、大切にしたい涙だった。
「ありがと。嬉しいぞ」
ユベルは吸血鬼を狩る専門部隊審判の創設者にしてトップ。
審判はモルス街のディス区とレリック区に拠点を持ち、それぞれディス区は奥深い場所、レリック区は、レーゲース街とモルス街を繋ぐ門の近くに白く聳え立っているが、本拠地はレーゲース街にある。
ユベルはレーゲース街を拠点としており、滅多にモルス街には足を運ばない。
そのため、ユベルを殺害するためにはレーゲース街まで足を運ぶ必要があるが、そこで問題が生じる。
モルス街とレーゲース街を分かつ門が存在し、身分証を持たないものは審判を除き、門をくぐることは許されていない。
奇襲や襲撃、強行突破を企む輩がモルス街にいることは重々承知のため、それらを想定した迎撃や撃退、また侵入感知の作りになっているし屈強な門番も複数在住して昼夜問わず守っているため、正規以外の手段は現実的ではない。
レーゲース街の人間がモルス街に訪れるとき命の次に――下手したら命よりも大事なものとして身分証が挙げられるほど、身分証をなくせばレーゲース街出身でもそれを証明できず、門をくぐることは叶わずモルス街での生活を余儀なくされる。
そして、身分証をモルス街の住民は持ち合わせていない。
身分証を新たに発行することが出来るのは、国の人口三%にも満たない貴族だけだ。
「考えが浮かばないな。レーゲース街なんていったことないしな」
菫は肩を竦める。ユベルがモルス街に足を運んだ時に殺害する方法もあるが、いつどこでは情報屋を使えば解消できるとしても、今度は敵が多くなる。
本拠地がレーゲース街にあるとはいえ、審判はモルス街で仕事をすることが多いため、大多数がモルス街を拠点として活動している。
組織のトップが狙われれば審判とて守るための刃を振るうだろう。
机を囲み作戦会議をしていたが、芳しくない。少し息抜きするか、と菫は背中を伸ばす。
「イクスとノエ。一緒に夕飯の材料でも買ってきてくれ。気分転換した方が、良案が浮かぶともあるだろ」
「それもそうですね。今日は菫が手料理を振舞ってくれるのですね」
「あぁ、任せろ。腕によりをかけて振舞ってやる」
「泥水じゃないのは嬉しいな」
「フェアはいつまで俺の料理を泥水扱いするのですか、心外ですよ……まぁ、菫のほうが美味しいのは事実ですね。ではお願いします。ノエ、買い物に行きましょう」
「わかったぞ!」
イクスとノエが椅子から立ち上がり、外出の準備をする。ノエが黒のマントを羽織り終わったところでイクスが手を伸ばす。柔らかく小さな子供手が触れる。
玄関から外に出る。
空の雲行きは怪しく雨がいつ振り出してもおかしくはない。
「急ぎましょうか。濡れる前に帰らなければ」
「そうだな!」
三段飛ばしてぴょんとノエが着地する。
昼間だろうと喧噪の少ない静寂なセンター区を歩いていると、路地裏から女性が幽霊のように姿を現した。
イクスとノエの方に一歩、一歩と意思を持ち近づいてくる。
「えっ」
ノエが驚くと同じくして、イクスの握っていた手がノエから自然と離された。ノエは離された掌を見つめ首を傾げる。
イクスが震えながら後ずさるが、女性は着々と距離を縮めてくる。
「義姉さん……」
掠れた声がイクスの口から漏れる。
女性は光沢を失った黒髪は緩やかにウェーブし、青い瞳はある一つの感情だけを宿していた。
黒の背面に行くほど長いケープを纏い、紺色のロングスカートが歩みに合わせて揺れる。
その女性は、この世で一番愛していた恋人の姉。
もう二度と再会するとは思っていなかった
息が苦しい。
胸が苦しい。
叶うことならば、心を掻きむしってしまいたい衝動にイクスは駆られる。
「やっと、見つけた」
地を這うように絞り出した声が、イクスを呪縛して離さない。
渾身の力を込めて女性は叫ぶ。
「よくも! おまえは、おまえの恋人を――私の妹を殺したな!!」
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