第18話:Please give me some blood


 翌朝、ノエと菫、それにアイリーンが菫の自宅に戻るとリビングでイクスはくつろいでいた。フェアの姿はない。


「ただいま。フェアは?」

「まだ寝ているのだと思いますよ。菫たちはどうしたのですか?」

「あと二、三日は心配だからアイリーンの家に寝泊まりしておこうと思って、一度荷物を取りに戻ってきた。フェアと留守番宜しく」

「わかりました」

「イクス、ただいまなのだー」


 ノエがふんわりとほほ笑みながら座っていたイクスの腰に抱き着く。イクスがノエの頭を撫でると嬉しそうに顔を埋めた。

 フードを深く被り白髪赤目を隠していたアイリーンが雪のような指先でフードを脱ぐとサラリと純白の髪が流れる。

 イクスがアイリーンを一瞥する。イクス自身も、白髪だがアイリーンのそれはイクスよりも白く艶やかだ。

 一息ついていると、フェアが階段から覚束ない足取りで降りてくる。


「フェア。おはよ」


 菫の挨拶を無視して、フェアは菫に近づきもたれかかるように頭を肩に乗せた。


「フェア?」

「血。くれ」

「ん? あぁ別に構わないぞ」


 了承を得ると、フェアは羽織りと共衿を掴み肩側へ引っ張り首元の肌けさせてから、首筋に牙を突き立てる。

 血が抜けると共に襲ってくる違和感に驚き、菫は口元を抑える。

 フェアが名残惜しそうに牙を抜くと、血が失われる独特の感覚に終わりが訪れる。

 血を失ったからか、バランスを崩して倒れそうになるのを菫は後へ歩き壁を背もたれにすることで保つ。


「ご馳走様」

「なぁ。フェア。なんか……変な感覚あったんだけど」

「幻覚でも使ったのですか?」


 冷めた表情でイクスがフェアに尋ねる。変な感覚と菫が称するようなものは、普通幻覚を用いらなければ訪れない。

 そしてフェアの幻覚能力が高いことは嫌というほど知っていた。


「いいや。私は吸血をするとき相手に快楽を与える吸血鬼ってだけだ」

「珍しいな」


 ノエの言葉にフェアは頷く。


「……だからか」

「お望みなら幻覚も交えてやるが?」

「遠慮する。ってか、なんだ? もしかしてフェアは俺が帰ってくるまで血が欲しいの我慢していたのか? イクスにもらえばいいだろ」


 イクスも人間だ、と視線を向ける。


「ヤダ。あいつの血はまずそうだから」

「は?」

「イクスの料理が泥水のように美味しくなかった。そんなまずい料理を作るやつの血が美味しいわけないからな。だからお前がくるまで待っていた」


 嘘であったが、正直なことを告げるつもりはフェアにはなかったし、正直なことを告げるのをイクスが許すとも思えなかった。

 距離を取って魔術で攻撃すれば負けない自負はあったが、近づかれては勝ち目がないことは、反応することが叶わず首筋に突き付けられた真白の刀を考えれば明白だ。


「どんな理由だよ……ってかイクスそんなに料理下手なのか?」


 乱れた首元の服を直しながら菫が尋ねると、心外ですとイクスは眉を歪ませる。


「一通り作れますよ。ただ、フェアはクロシェの元にいたのですから、俺の作る料理を比べたらどう頑張ったって劣るに決まっているじゃないですか」

「そりゃそうだな……」


 クロシェは貴族だ。料理もレーゲース街の食材を仕入れて、料理人を使い贅沢を贅沢に使った料理が食卓に並べられていても不思議ではないどころか当然だ。


「なのに泥水は酷いですよ」

「泥水は泥水だ」


 フェアが取り付く島もない態度をとる。


「菫。血が欲しい時はこれからももらって構わないか?」

「許可取るまでもねぇよ、いいに決まっているだろ」

「返す恩が増えた」

「別に恩だとか思う必要はない。吸血鬼は、血が必要なんだから。人間の俺が上げることに一体何の問題があるっていうんだよ」


 裏表のない笑顔を見せる菫に、フェアは微笑んでから意地の悪い笑顔を浮かべる。


「そうそ、私は血を二日に一度は飲みたい吸血鬼だから、貧血でぶっ倒れるなよ」

「……お手柔らかに。流石に倒れるのは困るわ」

「知ってるさ」

「ノエ。ノエも血が欲しかったら遠慮する必要ないからな」


 菫がノエの方に視線を向けて笑う。


「ありがとうだぞ。でも、オレはフェアのように血が欲しくなるわけじゃないからな。魔術を酷使しない限り大丈夫だ」

「ふふ」


 アイリーンが楽しそうに笑ってから、小指をノエの前に差し出す。


「菫ちゃんばっか血がなくなるの可哀そうだから、僕も少しあげようか」

「その時はお願いするぞ!」

「はーい。そだ、フェアさんって味の好みとかあるの?」


 興味本位でアイリーンが尋ねると、そうだなとフェアは腕を組みながら答える。


「イクスの血はまずいとして」

「偏見です」


 イクスがツッコミを入れたがそれをフェアは無視する。


「菫の血は美味しかった。でも、一番おいしかったのはクロシェだな」

「クロシェの元にいたから?」

「いやクロシェとは十年来の付き合いだったが、直接血をくれることはなかった。首輪を菫がとってくれたあと、折角だからと血を奪ってきたときだけだ」


 クロシェの血はフェアの味覚に合っていた。

 十年来も付き合いがあったのだから、もっと血を貰ってよけば良かったと後悔するほどには美味だった。


「十年来……って、まてよ? クロシェっていくつだ?」


 菫が驚いて尋ねる。

 虹彩異色症で吸血鬼のフェアを気に入って手元に置いてコレクションとしたことは、珍しいもの好きのクロシェだから理解できるが、外見はどう見ても菫と同年代で、その男と十年来の付き合いがあるということはクロシェが十代前半のころよりフェアを手元に置いていたこととなる。


「クロシェは私の一つ上だから二十二だ」

「十歳前後から一緒にいたのか? え? あいつそんなちっさいときからコレクション趣味あったのか?」

「あったんだ。とはいえ、虹彩異色症の私を気に入ったのはクロシェでも、私を買ったのはあいつの父親だ。流石に貴族とは言え、十歳の子供に何ができるって話だからな。まぁ十歳の子供がモルス街へ父親と一緒に遊びにくること自体、クロシェはクロシェかって感じではあるが……」

「嫌な餓鬼だ。クロシェが屋敷を建てたのはここ最近のことだ。つまりその前は、レーゲース街にいたのか?」

「そうだ。クロシェがレーゲースの貴族街に飽きて、こっちのほうが面白いと屋敷を建てたとき私も一緒に連れてこられた。それまでは貴族街にいた」

「……そりゃ益々もってイクスの料理が泥水に感じられるか……ってかそれじゃ俺の料理も泥水だろ」

「お前の食事はまだ食べられたから問題ない」

「食べられなかったらどうするつもりだったんだ」

「その時は毎食血にすればいい」

「俺が死ぬわ」

「ははっ。大丈夫だ、菫の料理は美味しいよ、流石にクロシェの元よりは味が落ちるけどな」


 菫はふと、イクスが冷たい視線をしているのに気づく。

 冷たく冷めた視線はフェアに向いている。唐突に、脳裏にノエが吸血鬼だと告白してきたときに無意識に刃を振るっていたイクスの姿が蘇った。

 もしかしてイクスは吸血鬼が嫌いなのだろうか――と思った。

 けれど吸血鬼を嫌いだったとしても、ノエを心配する姿は、見守る姿は、悲しみで傷つく姿は本物だ。

 ならば、吸血鬼という種族を通してでしか見れなかったものに個を加えればイクスの意識が変化するのだろうと推測する。

 それならば、まだ一緒にいて日が浅いフェアのことを吸血鬼の括りとして見ていてもそのうちフェア個人として見るだろう。


「それにしてもフェアさんの髪型は独特だよね。その猫耳どうやっているの?」


 アイリーンがフェアの髪に手を触れる。柔らかい髪質は整髪料を使って固めているとは思えない。


「ん? 最初からこういう髪型だ。別に何もいじっていない」

「オレもフェアみたいな髪型やってみたいぞ!」


 ぴょこんとノエが跳ねて、髪の毛を持ち上げるがフェアのような髪型にはできず元に戻る。


「流石にノエが猫耳やったらあざとすぎないか」

「リボンでかいですしね」

「でも見てみたいよな」

「それには同意です」


 保護者二人が楽しく会話をするが、猫耳を髪型で作るのは無理だろうとわかっていた。


「整髪料使ったって無理だろうしな……」

「ですよね、そもそも手に入るのも難しいですよ」

「だな……髪をいじって固めたりしているとこなんて、劇団や春くらいしかないだろう」

「弱いやつだと猫耳にはならなさそうですしね」


 フェアの髪型をイクスと菫がまじまじと眺めるが、どうしてそんな摩訶不思議な髪型になったのか見当もつかない。


「劇団ってなんだそれ、面白そうな名前だぞ!」


 ノエが言葉の音に引かれ目を輝かせて尋ねる姿に、イクスは菫を睨みつける。

 菫は悪かったと目で謝る。


「『劇団』は……ありていに言えば、見世物小屋の巨大組織って言えばいいのか……? 行ったことないから――行きたくもないから、風の噂程度にしか知らないんだけど良くない場所だ。まぁ曲芸も演劇もやるにはやるらしいが、珍しいものを見せつけたり……あーと」


 菫が言葉に詰まらせたのでイクスはため息をつく。


「つまり、行く価値のないところですよ」

「なんだ? 見たことあるのか?」

「えぇ一度だけ連れられて。その時は前座で、枷をはめられた吸血鬼に、別の吸血鬼が血を吸って渇望症状で苦しむのを眺めているという演目がありましたね」

「なんだそれ……酷いぞ」


 ノエが顔色を悪くする。

 子供の影響に悪い話は聞かせたくないイクスだが、変に劇団に興味を持たれるくらいならば興味をなくすような話をしてしまった方がいいと続ける。


「そしてその吸血鬼たちは後日審判に殺害されましたよ」

「劇団は使い捨てたということか?」


 険しい表情で菫が尋ねるとイクスは頷く。


「えぇ。使い捨てにする程度の価値しかない存在は吸血鬼であれ人間であれ、一度限りの演出で使い捨てます。一度でもお客様を楽しませればそれで利益が出ますからね。劇団の支配者側は、出演者側を道具としか見てませんよ。金儲けのためならば手段は選びませんしね……最も、価値があると認められている存在でしたら、使い捨てにはされませんよ。それは損失ですから」

「……酷いな」

「えぇ。劇団とはそういう場所、法治のレーゲース街では到底なしえない、無法のモルス街だからこそできるものですよ。貴族の道楽としてクロシェなら見たことがあるかもしれませんね」


 イクスがクロシェと一緒にいた期間が長いフェアへ話を振る。


「……ん。クロシェも足を運んだことはあるそうだ。しかしクロシェ自身は劇団を好んではいなかったな。あいつも、友達同士を金で釣って殺し合いをさせるよな下種だが劇団のやり方は好みじゃないっていっていた」

「よくわかりませんね。同じじゃないですか」

「私もそう思うが、クロシェには違うらしい。ノエ。私もクロシェから聞いた程度にしか知らないが、楽しい場所ではないぞ」

「うん。よくわかった……」


 しょぼんと落ち込んだノエの姿にイクスは罪悪感を覚えたが、迷子になってうっかり劇団に迷い込んでしまっても困る。釘をさしておく必要がある。


「ってかイクス。雨漏りでバケツがカーニバルするようなあの風で吹き飛びそうな家に住んでいるのによく劇団に足を運んだことがあるんだな。あそこの入場料は高いって話だけど?」

「家をぼろくそに言われた気がしますが……別に昔からあそこに住んでいたわけではありませんし、劇団には付き合いで行ったので俺の本意じゃありませんよ」


 ノエに誤解されないよう強く言ってから続ける。


「恋人がいた話はしましたよね?」

「聞いていないぞ!」


 ノエが両手を挙げて抗議したがイクスはスルーする。


「子供に聞かせる話じゃありませんから」

「オレは十五だ!」

「初恋もまだのような外見をしているじゃないですか!」

「初恋くらいオレにだって……あったかもしれない……ぞ?」

「首を傾げてあったかなーって考えている時点でないじゃないですか」

「むむう」


 頬を膨らませたのが面白くてイクスが指先でつつくとぷしゅーと空気が口から抜けてしぼんだ。


「アイリーンの初恋は誰だ?」


 折角だから菫が話しをふる。


「ひ、み、つ」


 指先を口元に当て、妖艶にアイリーンは微笑んだ。


「なんだ、てっきり白髪赤目を隠すのに忙しくって恋なんてしている暇ないよーっていうのかと思った」

「それじゃつまらないじゃない。で、ほら話が脱線しているよ」


 アイリーンがイクスへ視線を向ける。


「恋人がいたころは、レリック区に暮らしていたんですよ」

「そうだったのか」


 菫は驚くものの、納得がいった。


「えぇ、今よりもいい暮らしをしていましたよ。ただ……恋人が死んで、何もかもがどうでもよくなったのです。だから、俺はレリック区の居住地を売って、ディス区で家を建てたんです」


 目をつぶれば、彼女との日々が鮮明に思い出せた。

 毎日が幸せで楽しかった日々。

 彼女のことをイクスは誰よりも愛していた。大好きだった。

 だから、彼女がいない毎日を考えたら、レリック区に住み続ける気力がなかった。

 あそこは雑多で耳障りでうるさい。

 ディス区の暗黒の闇に沈んでいたかった。その救いのなさが、心地よかった。


「イクスは、その恋人を愛しているんだな!」

「えぇ。この世で一番愛している女性です」


 ノエの言葉にイクスは微笑む。彼女より愛する人は未来永劫現れない、と断言できた。


「そして今はセンター区に住んでいるので、これで制覇ですね」

「俺の家だからな、俺の家。まぁ、この家も元々、あの人が暮らしていた場所に居座っているようなものだけど」


 菫が昔を懐かしむ。

 この家は元々軍属を退役してやけくそでモルス街に住み着いた元軍人の物好きが住んでいた場所だった。

 そこにまだ幼かった菫と、親友が拾われて身の守り方を教えてもらいながら一緒に住んだ場所だった。

 誰も血は繋がっていないけれど、家族だった。

 しかし、今は菫以外生きていない。

 師匠と呼んだ元軍人は病気でこの世を去り、親友は吸血鬼だと審判に疑われ無残に殺された。


「それにしてもノエ。お前は一体どこの国出身だ?」

「えっ」


 菫の言葉にノエが氷のように固まる。


「別に隠さなくても構わねぇよ。ものを知らなさすぎる。最初はレーゲース街生まれなのかと思ったけど違うだろ」


 吸血鬼で法と秩序に守られたレーゲース街の住民ある可能性は低いが、フェアのような例がある。

 けれどノエの物の知らなささはレーゲース街の住民と考えても不自然な点が多い。

 そうなると、別の国から裏切り者の吸血鬼を殺すためにやってきた、と考えるのが自然だった。


「そうですね……俺もそろそろ気になりますね」

「う!? イクスも菫も、オレがこの国の吸血鬼じゃないって知っていたのか!?」

「ノエの態度を見ていると、わかりますって」


 しれっと言われたのでノエは恥ずかしそうに顔を赤くしながらうつむいた。


「内緒にしますから問題ありませんよ」


 菫が情報屋アイリーンの前で、情報になることを口にしたのはアイリーンならば聞かれても問題ないと信頼しているからだ。菫の性格からいって情報のネタであることに気づかないわけがないし悪用するとは考えられないとイクスは付き合いの中で熟知している。


「そうだ。オレは、この国の吸血鬼じゃない。外からやってきたんだ」


 ユベルを殺すために――そう音にはせずノエは続けた。


「ほう。そうだったのか」


 フェアがノエを覗き込むように顔を近づけて隅々まで凝視する。


「別の国の吸血鬼って何か私たちと違うのかと思ったがそんなこともなさそうだな」

「違いは特にないぞ。それに今の吸血鬼は元々個体差が大きいからな」

「そうだな」

「ノエの国はどんなところだったんだ?」


 菫が尋ねると、ノエは生まれ育った場所を思い浮かべる。


「うーんと、口にするのが難しいぞ、話したくないとかいうわけではないんだけど……ゴメン」

「なら、別にいいよ」


 ノエが別の国の吸血鬼だからと言って何かが変わるわけではない。

 ノエの目的も不動だ。

 閉鎖的なこの国は、他国からの存在を例外を除いて認めていない。全てスパイとみなされ殺害される対象だが、だからといってイクスも菫も、正規軍にノエを引き渡すつもりはない。


「うーん! 菫ちゃん、そろそろ戻ろっか」


 話しが一区切りついたと判断したアイリーンが背伸びをしながら尋ねる。

 元々必要なものを取りに戻っただけで長居をする予定はなかった。

 アイリーンが留守の間に襲撃者が訪れても困る。昨晩安全だから白髪赤目の噂が広がっていないと判断するのは早計だ。

 暫く様子を見る必要がある。

 菫は頷く。


「そうだな。ノエ、行こう」

「わかったぞ」


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