第15話:鳥かごはいらない

 クロシェが床を蹴り跳躍する。

 身軽な動作から繰り出される手数で攻撃を続けるが、イクスは全て見切り捌ききるのでクロシェは舌打ちしながらも笑う。


「本当、予想外に強いですね!」


 イクスが忌々しいとばかりに踏み込み刀を横に払うが、寸前でクロシェは回避する。ナイフを宙へ放り投げ、左手を床につけ体重を乗せて回転しながら蹴りを繰り出すが、範囲からイクスは飛びのく。クロシェが着地すると同時に左手にナイフが収まる。

 攻防が続いたのち、クロシェの背後にある扉が盛大に音を立てて開く。


「イクス、用事は済んだ! 撤退するぞ」


 菫の言葉にイクスは頷きながらも、しまったと表情を歪める。菫の背後には、イクスが殺した死体を見て悲しそうにするノエがいた。


「やっぱり、仲間がいたわけか」


 それはそれで面白いから構わないけどな、とクロシェは笑みを崩さず、けれど三対一は不利だとナイフをしまう。菫とノエはクロシェを素通りしてイクスと共にエントランスホールから外へ飛び出す。

 門扉から出て、クロシェ邸とモルス街の現実の境目で一度立ち止まる。追ってくる気配はないと判断して走るのをやめる。


「……またオレのせいで……人が死んだのか……」


 顔を伏せたノエの泣き出しそうな声にイクスはうろたえる。


「の。ノエ……」


 ノエの脳裏にイクスが殺したクロシェの部下が映っていることは明白だった。


「……イクスが悪いわけじゃないぞ。オレが、フェアに会いたいって我儘いったからだ……オレが我儘いったせいで、死んだんだ……」

「ち、違いますよ! ノエが悪いんじゃありません……生かせなかった俺が悪いだけですから。決してノエのせいじゃありませんから! あ、あの人達が、思ったより強かったんです」


 イクスがそっと手を伸ばそうとして、途中でとまる。

 咄嗟に出た嘘の言葉が、ノエの姿を見ていると悲しくなる。

 菫はイクスの実力なら殺す必要はなかったと嘘を見破った上でノエの頭を優しく撫でる。


「イクスだって殺したくて殺したわけじゃないさ、ノエ」


 イクスの嘘に便乗する。ノエの悲しみを見るくらいなら、嘘で誤魔化してしまおうと思った。


「う、うん、そうだな……」


 菫はイクスを一瞥してから、ノエの背中に手を当てて歩きだす。

 ノエと菫の背中を眺めながら、足に蔦が絡まったかのようにイクスは動けなかった。

 掌を眺める。濃厚な血がしみ込んだ手。

 次いでだから殺した人間から財布を盗めばよかったと後悔するよりも、ノエの表情が胸に刺さって痛かった。

 殺せばノエが悲しむことはわかっていた。

 それでも殺さない選択は出来なかった。


「――敵は、殺さないといけないんですよ」


 震える声で、イクスはノエに届かない言葉をおくる。




 ノエとイクス、菫がクロシェの屋敷から去ったあと、エントランスホールでクロシェは汚れを払いながら怪我をした箇所に布を巻いて応急処置をする。


「あぁ、楽しかったな。たまには泥棒が入ってくるのもありだな」


 クロシェは戦闘狂ではない。ただ暇を嫌い、面白さを求める。

 命のやり取りの過程で、愉悦を感じただけに過ぎない。

 殺された部下の死体をどうするかとクロシェが試案していると、エントランスホール背後の扉が開いた。


「怪我をするなんて珍しいな」


 声の主がフェアだったのでクロシェは振り返らずに頷く。


「そうだな。でも楽しかったよ、さてはて、泥棒は屋敷の財宝をどれだけ誘拐していったのかなって……」


 迫る気配を感じて慌てて振り返るとフェアの姿が眼前にあった。


「ふぇ――っ!」


 フェアの首元には、吸血鬼には取り外せない首輪が存在しなかった。紫のフリルと合間から肌が垣間見える。

 驚愕で反応が遅れると、フェアはニヤリと笑ってクロシェの首元に牙を立ててかぶりつく。


「なっ――!? つっああっ!」


 牙が身体に侵入してくると血が全身から失われる感覚と奇妙な快感が襲ってくる。

 身体の力が抜け立っていられなくなるのをフェアが抑えつけて血を吸う。

 言葉にできない不思議な快楽はフェアの牙が抜けたことに気づくのに遅れる。フェアが手を離すと、足が身体を支えられず背後から床へ倒れた。


「ごちそうさま」


 ぺろりと舌なめずりしたフェアの満足げな表情にクロシェは笑う


「ははっ……これは予想外……」

「予想外は好きだろ?」

「好きだけどさ……なに、君の首輪をとってくれる物好きがこの世にいたわけ?」

「あぁ、どうやらいたようだ」

「……飼い猫に血を吸われるとは思わなかったよ」

「飼い猫だって、鳥かごから飛びたければ飛ぶんだ」

「猫か鳥かどっちかにしろよ」

「どちらでもない、私は吸血鬼だ」


 血を抜かれ満足に動けないクロシェの横を堂々と通り表口からフェアは立ち去った。


「ははっ! どうせなら殺していけばいいのに」


 意識が朦朧とする中、フェアは何故、虹彩異色症の吸血鬼をコレクションとして首輪をつけて手元に置いた自分を殺害せずに立ち去ったのだろうと疑問を抱いていると、クロシェの部下が数名囲むように現れた。


「クロシェ様」

「……何? 俺を殺したい? なら好きにすればいい……あぁ、でもどうせ殺すならつまらない殺しはやめてよ」


 クロシェの意外な言葉に、部下たちは顔を見合わせたが、やがて全員が首を横に振る。


「いいえ。貴族を殺せば正規軍がやってきます。何よりクロシェ様を殺せばクロシェ様の加護がなくなる。モルス街で生き抜く我々にとって最も安全なのはクロシェ様の背後にいることですから」

「……虎の威を……借る狐か?」

「そうです。それが一番、生きやすい」


 クロシェは悪名高い貴族でモルス街では金に物を言わせて好き勝手に遊び非道なことにも手を染めている。

 それでも、クロシェの屋敷で働く者たちにとって、そこは一番安全な場所でもあった。

 出会う以前の生活に戻ることを考えれば、殺害するなどありえない。


「なら、医務室に連れてけ……」

「かしこまりました」


 吸血された快感は悪くないなと朦朧とする意識の中で、クロシェは首元に手を当てた。




 落ち込むノエに早く元気になってもらいたいと菫が夕食を振舞う準備をしているとき、窓際に猫耳が見えた。

 菫は気にせず料理を作り、テーブルに並べる。ノエはまだ何か思うところがあるようだが落ち込んでいてはイクスと菫に悪いと表面上は元気な姿を振舞う。

 それがまたイクスには胸が痛かった。

 夕食を食べている間、猫耳は動かなかった。片付けを終えて、リビングでくつろいでいても未だ猫耳は消えない。


「……菫。猫にストーカーされています」


 気にしないよう無視してきたが、ずっと窓からリビングを見張られているのに耐えきれなくなったイクスが菫に声をかける。

 菫は立ち上がり、窓を開けると猫耳の形をした髪型の吸血鬼フェアが見える。


「なんでずっと、見張っていたんだ?」

「お前に恩を受けたから、恩を返すためにやってきた」


 予想外の言葉に菫は呆ける。


「いや、別にいらないから好きにしろよ」


 首輪を外したのはフェアが気に入らないといったからだ。

 恩を売ったつもりは毛頭ないし、返してほしいと微塵も考えていない。


「そうはいかない。私の気が済まない」


 だがフェアは首を横に振る。恩を返すまではストーカーし続けるといわんばかりの意思が虹彩異色症の瞳から伝わってきた。


「……とりあえず、家に入る?」

「断る。それだと恩が増える」

「じゃあどうしているつもりだ?」

「暫く窓に張り付いている」

「風邪ひいたら困るし、怪しいぞ。クロシェの元はどうしたんだ?」

「出てきた。首輪がない以上クロシェの傍にいる必要はないからな」


 血は余るようにあり、飢えることはないが、それでも首輪があるからこそクロシェの元にいただけ。


「行く当ては?」

「……? 私にクロシェの家以外に住処はないぞ」

「わかった。じゃあ恩を返したいなら暫くうちにいろ」

「それでは恩が増える」

「その恩もまとめて一つで返してくれればいいから」


 フェアと会話したのは少ないが、融通の利かない性格なのが伝わってきた。

 会話が平行線のまま窓に張り付かれるよりかは一緒にいたほうがいいし、首輪を外したことで外に出たフェアの住処がないのならば、外に放りだしたまま放置するわけにもいかない。

 何より――同居人が二人から三人に増えたところで、最早変わらないだろう、とも思ったし、以前より賑やかになるなら、それはそれで楽しいことに感じられる。

 フェアは思案していたがやがて頷き、窓から入ろうとするので


「せめて玄関から入りなおしてくれ」


 菫の言葉に従ってフェアが玄関から菫家に足を踏み入れる。

 琴の成り行きを見守っていたイクスは、フェアの耳を見てポンと掌を打つ。


「ノエ、良かったですね。猫が手に入りましたよ!」

「私は猫ではない。吸血鬼だ」

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