第14話:However, there was an exception.

 イクスが敵を引き付けている間に、菫は庭園にある石を拾い、手ごろな窓ガラスを割って侵入する。

 本棚が四方を多い、専門書から小説の類まで様々な本で埋め尽くされていた。

 ここは書庫か、と菫は判断しながら慎重に周囲の安全を確認していると、窓ガラスが割れた音を微かに聞きつけたのか一人男が扉を開けて入ってきたので、殴って気絶させる。

 もう大丈夫だろうと外で待機させているノエに声をかける。

 ノエが窓枠に両手をかけてよじ登ったので、室内に着地するのを受け止めると、ふわり軽くて体重を感じさせない。


「本が一杯だ、凄いぞ!」

「ノエは本が好きだもんな」

「うん」

「泥棒するか?」

「ダメだ。これはクロシェのだからな」

「そうだな、それがいい。泥棒は俺も好きじゃないな」


 イクスなら隠れてノエが好きそうな本を数冊盗み出しそうだけれど、と菫は考える。

 家賃を要求した時、イクスは血まみれの紙幣を持っていた。おそらく人の物を奪うことに対して罪悪感がない。もっとも、イクスが悪いわけではなくモルス街では当たり前で普通のことだと現実に菫は肩を竦める。


「さて、フェアを探そう。どこにいるかわかるか?」

「もっと近くに行かないとわからない……」

「わかった。じゃあ俺の背後から離れないでくれ。フェアを発見したら真っ先に言うんだ」

「わかっているぞ」


 イクスが引き付けてくれているとは言え、全ての人間が玄関付近に集結するわけではない。

 先ほどのように男が現れる可能性がある。手を握っていれば動きにくい。自分が怪我をする分には構わないけれど、ノエが怪我をするのは避けたい。

 イクスに言われたからではなく、ノエが傷つくところを見たくないのだ。

 廊下に出ると、絵画が壁に飾り付けられていて、視線をやると風景画がメインのようで、広大な大地が広がる様は国の外の景色だなとあたりをつける。

 金持ちは流石だなと菫は思いながら慎重に奥へと進んでいく。

 右も左もわからない広々とした屋敷だが、珍しいものを収集するクロシェのことだ、白髪赤目や赤目には及ばずとも虹彩異色症の持ち主であるフェアを宝物扱いしていても不思議ではない。

 だとしたら人目につくところではなく、屋敷の奥底に大切にしまっておきたくなるものだと判断していた。

 道中、人払いがされているかのように誰にも会わない。

 悪い噂しか聞かない貴族クロシェは思考回路も謎に満ちているようだと思っていると一階最奥の部屋に到着した。


「ここ……」


 ノエは扉の先にいるフェアを発見したかのように顔を上げる。

 その扉は、今までより広々としており両開きの構造をしていた。鳥の文様が描かれた扉に手をかけると、鍵がかかっているものだと思っていたが開いたので菫は驚く。


「クロシェか何のよう……って違う、なんだお前たち?」


 白いソファーでくつろぎながら目的の人物は悠々と本を読んでいたが突然の侵入者に視線を鋭くする。

 猫を彷彿させる形がある黒緑の髪は緩やかにウェーブがかかり胸下まで伸びている。数本の毛は色が異なり青緑色だ。紫と青緑の虹彩異色症。紫のフリルがある首元を隠すように無骨なデザインの鈍色にびいろの首輪がはめられている。黒の長いマントを羽織り袖口からはフリルが見え隠れする。


「……私に何の用だ?」


 フェアがよくよく侵入者を見ると、昨日出会った手を掴んで離さない藤の髪飾りに白い大きなリボンを付けた少年と、少年のそばにいた異国の服を着た男であることに気づく。

 怪訝な顔をするフェアにノエがパタパタと足を立てて近づき前に立つ。深呼吸をしてからノエは言葉を吐き出した。


「オレは吸血鬼だ。だからフェアに会いに来た」


 フェアは、クロシェと昨夜話した内容を思い出し、彼の推理が外れではなかったことに失笑する。


「だから吸血鬼である私の元へ来たのか? なんのために? 首輪をされている私を助けたいとでも思ったのか?」


 フェアは嘲笑する。それに意味があるのか仮に意味があったとしても無意味だと。


「わからない。気になって、もう一度フェアと話してみたいと思ったんだ。最初は首輪をしているから捕らえられているのかと思った、でもそうじゃない」


 ノエはゆっくりと答える。吸血鬼と人間の区別がつくノエは、首輪によって力が押さえつけられているか否かの判断も見ればわかった。

 菫は周囲を見渡す。

 吸血鬼の力を封じる首輪はされているとは言え、他にフェアの行動を制限するものは何もない。

 手錠で繋がれているわけでも鳥かごに閉じ込められているわけでもなく、広々とした部屋には本棚や、天蓋つきベッド、食器棚の中は白で統一され、清潔感溢れ生活に必要なものは全て揃っている。

 白のテーブルの上にはワイングラスがあり、中身は空だがそこにわずか残った色は血の色だった。

 首輪がなければ何故と疑問を抱かないほどに自由な空間。だからこそ、首輪があることが異質であり歪に感じられてしまう。


「そうだな。生活自体は見ての通りだ。簡潔に言えば、私の主人はクロシェということになるのだろうが、服従しているつもりはない――これ以外はな」


 フェアは読みかけの本に栞を挟んでから閉じ、指先で首輪を指さす。

 これがある限り、フェアは首輪の力に苦しめられる。


「どうして、クロシェは首輪をつける?」


 菫が尋ねる。ただ一点にして最たる異質なもの。


「流石に魔術が使える吸血鬼を野放しにしておくつもりはないということだろう。ということだ。鍵はなくとも鳥かご。首輪がある以上、何処にもいけないからな」

「首輪がある以上、魔術を行使できないからか」

「それだけじゃない。首輪があるだけで吸血鬼の行動は……身体能力その他に関しても魔術のような制限力はないが劣る。それに吸血衝動に関しても首輪をしていると早くなるんだ。魔術を封じられているという状況もまた血を消費するということだろう」


 フェアは淡々と状況を語る。


「だからこそ、吸血鬼にとって吸血鬼封じの魔具である首輪は絶大な効果を発揮する。裏切り者の吸血鬼の作った首輪のせいで人間との共存性が崩れるほどの、な」


 即ち、クロシェはフェアを大切にはしているが、コレクションの一つであり手元にあり続けさせるための首輪が必要不可欠だったのかと菫は推測する。


「お前は、私が首輪をしていたから気になったのだろうが、しかし――同族に首輪を外すことが叶わないことくらい知っているはずだ、ならばここに来る必要性などなかっただろう」


 フェアは菫を一瞥する。

 幼い子供の吸血鬼と一緒に行動を共にしているということはこの男もまた吸血鬼に違いないし、この場にはいないが白髪に褐色肌の男も吸血鬼だろう。

 珍しいものには目がなく金を湯水のように使い、審判が目を光らせている中で吸血鬼を飼おうとするのは物好きなクロシェくらいなものだ。


「……フェアは、今の環境は嫌じゃないのか?」

「その質問の答えはどうだろうな。確かに、不満も文句もある。しかし血には困らない」


 クロシェはフェアが吸血鬼だとわかり、その上で血は自由に与えている。血に渇望することはなく生活は出来ている。

 元々、フェアは裏切り者の吸血鬼に及ばないまでも血を欲する吸血鬼であった。

 故に、審判を気にすることなく血を自由に飲める空間は貴重だった。


「まぁ首輪は邪魔だけどな」


 それでも、外れることのない忌まわしい枷があることは血以上に気に入らない。


「首輪……外れてほしいのか?」


 菫がフェアに声をかける。フェアは不敵な笑みを浮かべ、外せるものならば外してみろとばかりの態度をとる。

 ならばその態度に応じてやると菫は笑みを浮かべ近づく。

 ノエは菫の横に並ぶ。

 この男は何をしようとしているのだとフェアが目を細めると、菫がゆっくりと首輪に手を伸ばし触れる。かちりと音がし、首輪が菫の手に落下する。

 自由になった首元に思わずフェアは触れる。


「どう、して……」


 首輪を外せたということは、菫は吸血鬼ではなく人間であったということ。

 人間が吸血鬼の子供と一緒に行動をしているだけでも驚愕なのに、見ず知らずの吸血鬼の首輪を外すとは思ってもみなかった。

 クロシェは人間が首輪を外すことはないといっていた。

 フェアもその通りだと思っている。

 人間に吸血鬼の力を封じる枷をはめる利点はあっても外す利点など存在しない。

 なのに菫は知り合ったばかりの、何もお互いのことなど何も知らないに等しい、助ける義理も道理も存在しない吸血鬼の首輪を外した。


「どうして……外した」


 声がかすれる。果たしてこれは幻覚だろうか思うが、首輪のない首元は現実だ。

 魔術に秀でいるフェアは、裏切り者の吸血鬼ほどの実力者でない限り幻覚に騙されることはない自信があった。


「どうしてって、首輪が嫌で人間にしか外せないなら、俺が外すだけだろ」


 あっけからんと菫が答えるのでフェアは開いた口がふさがらなかった。

 お前は一体何を企んでいるのだと声高に詰問したくなる。


「……私に、お前に対してできることなど何もないぞ。私は吸血鬼だ」

「ノエだって吸血鬼だ」

「何故人間が吸血鬼と一緒にいる! 吸血鬼と知って、何故普通に接している」

「それを言い出したらクロシェだって吸血鬼と一緒にいるだろ」

「あいつは別だ」


 クロシェは明日の食事に困っている友達同士を金で釣って殺し合いをさせるような男だからこそ、吸血鬼に偏見を持たない。ゆえにクロシェと菫は比べる対象ではないとフェアは否定する。


「あの男にとって吸血鬼は面白いから、コレクション価値があるから一緒にいるに他ならない。お前はクロシェではない。お前は何故一緒にいる」

「一緒にいたのが、たまたま吸血鬼ってだけだ。別にそれだけだよ」


 吸血鬼だったから問題があるわけではないとあっさり答える菫に、フェアは三度口がふさがらない。


「馬鹿か、お前は」

「俺は俺がしたいようにしているだけだ」


 酸素を求める魚のようにフェアの口が動く。


「菫はいい人だろ!」


 ノエが嬉しそうに菫の腕につかまりながら無垢な笑顔で言う。


「……いい人じゃないから、俺は別に」


 菫が顔を横に伏せながらいう言葉に、フェアは説得力があるようには思えなかった。


「ここが気に入っているなら別にこのまま過ごせばいい、気に入らないなら飛び出せばいい。首輪は、フェアが気に入らないから俺がとっただけだ……まぁだから、それで何か俺に文句があるなら、何か手を貸すことくらいはするから、その時は言いな。首輪つけてほしいならつけるし」


 菫の言葉に、フェアは企みを感じ取ることができなかった。本心からの言葉だと思えば思うほど呆れる。


「わかった……なら、とりあえずここから出ていけ」

「そうするよ。ノエ、行くぞ」

「うん。オレ、フェアと話せて良かった。ありがとう」

「……別に私が何かしたわけではない。私と話したがためにここにくるお前が馬鹿なだけだ」

「そうかもしれないな、でもオレは満足だ。菫、行こう。イクスのところは早く戻らないと」

「あぁそうだな……まぁあいつは平気だと思うけど」


 後半は小声で呟く。

 ノエと菫はフェアに攻撃されるとは露ほども考えていないのか、無防備に背中を向けて歩いていた。扉の前まで進み菫が手を伸ばしたので、フェアは掌に青い炎を出現させる。

 このまま、焼き殺してみるか――と思ったが、殺したい気分にはなれず、ノエと菫が部屋からいなくなるのを眺めるだけだった。

 扉が音を立てて閉じる。

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