第12話:I still love you even now

 翌朝、イクスと菫は起床する。イクスは、欠伸をしながら背伸びする菫の様子を横目で見るが、外出に気づいた素振りはない。

 見慣れた服に着替えた菫が朝食の準備を始める間、イクスはテーブルを置けるようタオルケットを片付ける。


「……いい加減、物置でも掃除するかなぁ」


 スクランブルエッグを作りトーストに乗せながら、二階にあるノエが現在使っているもともと菫の私室だった場所の隣にある物置を考える。

 荷物を詰め込んでいる部屋を掃除すれば、マットレスも敷かず固い床で寝ることもない。あと、近々商店街で椅子を一つ購入しようと未だテーブルに二つしかない椅子を横目に思う。

 料理を盛り付けてテーブルに並べていると、ノエがリボンを揺らしながら降りてきた。


「おはよう……」

「おはようございます」

「はよ」

「――! 菫!」


 寝ぼけていたノエの睡魔が飛び去り、菫の姿に目を輝かせた。


「な、なんだよ」

「菫が菫に戻ったぞ!」


 見慣れた格好が嬉しいのか、ノエが笑う。


「昨日の俺は、なにれ、だよ」

「だれそれ」

「一文字増えてる! ってイクスかよ!」


 賑やかに朝食を済ませ、食後の休憩だとイクスと菫が椅子に座っていると視界の端でノエがちょこちょこと挙動不審な動作をしていた。

 何をしているのだろうとおかしくなりながらイクスが声をかける。


「ノエ。どうしたのですか」

「……やっぱり、フェアと噂の吸血鬼が気になったんだ……」

「気になるなら調べればいいと思いますよ。あぁ、でも噂の吸血鬼は調べない方がいいですね」

「どうしてだ?」

「噂は人が気にするほど実態を持ちます。広がるほどに審判が特定しようと躍起になるでしょうから」

「それもそうだな……! ありがとう、イクス」


 噂を探ったばかりに吸血鬼が殺害される結果となってはたまらない。


「どういたしまして。フェアの方はどうしますかね……クロシェについての情報ならある程度、俺や菫も持っていますが……情報屋に聞きますか?」


 フードを被った素性不明の情報屋がイクスの脳裏によぎる。

 腕前は知らないが、菫が信頼しているのだ、偽の情報を流したりすることはないだろう。


「いや、それはいい」

「お金の心配ですか? それなら大丈夫ですよ」

「違う。フェアのことは気になるけど、勝手に個人情報を調べるのも悪い気がする……何より、オレはまずもう一度フェアと会いたいんだ」

「……わかりました」


 イクスは菫のほうへ視線を向けると、ことの成り行きを見ていた菫も頷く。

 昨日の今日で正規軍が撤退したとは思えないため、ノエをレリック区へ連れて行きたくはなかったが、フェアに会いたいというのならば話は別だ。

 琴紗が周囲にいないか確認しながら歩けばいい。


「じゃあ、レリック区へ足を運ぶか」

「うん。そうするぞ! ありがとうイクスに菫」


 ノエの嬉しそうな笑顔にイクスと菫は表情を柔らかくする。

 菫が外出準備をしている間に、イクスはノエの手を引いて一足先に外に出る。

 天候は曇り、雨の心配はなさそうだがやや肌寒い。

 菫が布を巻いた銃を片手に玄関から現れたので、レリック区へ向けて歩き出す。

 普段は人気のない静寂なセンター区の街並みが賑わいをみせていた。

 何か起きたのかと菫は、近くで三人の小母が井戸端会議をしているのを見つけ、見知った顔だったので声をかける。

 何かあったのかと尋ねると、レリック区の路地裏で女性の惨殺死体が発見された話題だった。

 女性は無数に刀傷がある状態で発見され状態の酷さから、死が日常茶飯事で殺人も日課のように起きるモルス街でも、センター区まで噂が流れてきたのだと小母は告げる。

 菫はお礼を言ってからイクスの方を見ると、彼の腕の位置が変だった。

 視線を下へずらすとノエの両耳を塞いで音が入ってこないようにしている。


「お前……何してんの」

「子供の教育に悪いことは聞かせられません」


 必要な情報であれば残酷な事実も伝えるが、誰かが無残に殺された情報を与える必要はないとノエの両耳を塞いだままイクスはきっぱりと答える。


「父親かよ」

「流石に、この年でまだ十五の子供はいませんよ」

「いたらびっくりだけど……そういや、お前、その年だけど彼女とかいないのか?」

「彼女ですか……いましたよ。婚約の約束をした、大切な恋人が」

「いましたってのが不吉なんだけど」

「もう生きていませんからね」


 イクスが空を見上げると太陽の光を拒む分厚い雲が周囲を覆っているだけだった。


「そうか」

「けど、生きていなくても俺は彼女を愛していますよ。誰よりも、彼女のことを一番、愛していますから……もう俺は彼女以上に愛しい人に出会うことはないでしょうね」

「そっか」

「えぇ。菫は恋人いないのですか? 俺より多分年下とは言え、恋人の二人くらいいても不思議じゃないでしょ」

「二人いたら不誠実だわボケ。恋人はいねぇよ」

「って、イクスの菫も何を話している! オレを置いてけぼりにするなー!」


 耳をふさがれ続けるのに我慢できなくなったノエが両腕を上げてイクスの手を振り払う。


「すみません、ノエには聞かせたくない話だったのですよ」

「子供扱いするな! オレは十五だ!」

「はい、子供です。大人の話題にはまだ入ってこなくていいのですよ」

「仲間外れはよくないんだぞー!」


 ぱかぱかとノエはイクスの腹部をたたく。


「では次から気を付けますね」


 頬を膨らませているノエの、餅のように柔らかい頬をイクスは伸ばして遊んでから、再びレリック区へ向けて歩き出す。

 レリック区が目前に近づいたところで怒鳴り声が聞こえてきた。

 何事かと視線を移動させると、アイリーンの家の扉を殴るようにしめている男がいた。


「ふざけんな!」


 怒りは収まらないようで扉を蹴りつけてから男は立ち去った。

 アイリーンが大丈夫だろうかと心配になった菫とノエが走り出すと、家にたどり着く前にフードを被り白髪赤目を隠したアイリーンが外に出てくる。


「こっちは商売をやっているのに酷いなー。扉が壊れたらどうするのさ」


 呟きながらアイリーンは蹴られた扉を確認するが壊れていないようだと判断し立ち上がると背後に菫とノエがいた。


「菫ちゃん!」


 アイリーンが嬉しそうに菫の名前を呼ぶ。


「オレもいるぞ!」


 ノエがぴょこぴょこと飛び跳ね、菫と身長を合わせようとする。


「ノエ君!」


 アイリーンがノエに抱き着く。


「今、何があったんだ? 人が怒っていたぞ?」

「情報が欲しいって僕の元へ来たんだけど、お金を持っていなかったから、必要なら臓器買い取ってくれる人を紹介するよって言ったんだ。そしたら、ふざけるなって激昂されたんだよ。仲介手数料は取らないよっていったのに酷いよねー」


 肩を竦める。情報屋として情報の対価は明確に決めており、対等な対価を払えないものにアイリーンは情報を渡さない。


「これからレリック区へお買い物かい?」

「買い物ではないけど、レリック区へ行くんだ!」

「そうなんだ。いってらっしゃい」


 アイリーンが手を振ったのでノエがまたな! と元気よく何度もふり返した。

 様々な旗が無数に並び、明かりが昼夜を問わず照らしつけるレリック区へ入ると、昨日より人の波が早くてノエが波に飲み込まれそうになる。菫とイクスは左右から手を握る。


「なんだか昨日よりすごいぞ」

「レリック区できっと何かトラブルがあったのですよ。さぁ、フェアを探しましょう」

「どこを探す?」


 レリック区へは到着したものの予想より人が多くて、フェアは特徴的なネコミミをしていたが、この人混みでは見つけるのも困難だろう。


「あっ! 手っ取り早くクロシェの自宅へ行きましょう」

「馬鹿か」


 名案だ、と手を打つイクスの発言に菫は呆れる。


「名案だと思いますよ。クロシェとフェアは一緒にいたのです。ならば、ごったなレリック区をあてもなく彷徨うよりも馬鹿みたいな豪邸を立てている馬鹿な貴族様のところへ乗り込んだ方が確実じゃないですか」

「そりゃまぁ……そうだが」

「というわけで、俺が行ってくるのでノエと菫は自宅でお茶を飲んでいてください」


 イクスが笑顔で告げたのでノエが両手でバツ印を作る。


「ダメだ、オレがフェアに会いたいっていったんだから、オレも一緒に行く」

「……クロシェの屋敷にノエは連れて行きたくないのですが……」

「ダメだ。イクスに押し付けるつもりはない」


 ノエにきっぱり言われたのでイクスは折れる。


「わかりました。でも、何かあったらフェアを諦めて逃げますよ。それと危ないことはしない。万が一何かあったら俺や菫が守りますから」

「ありがとう。でもオレは守られるだけは嫌だからな!」

「子供は守られておくものですよ――では、行きましょうか」

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