第11話:吸血鬼は

 菫がアップルパイを振る舞いノエが美味しそうに頬張る。読みかけだった小説をノエが読み、夕刻になれば夕食を食して、就寝した夜中。

 イクスはそっと目を開き、身体を静かに起こす。

 隣で菫が寝ているのを確認する。目が覚める気配はないと判断し、動き出す。寝巻から普段着に着替え、白い布と赤いリボンに包まれた真白の刀を手に外出する。

 夜風がひんやりと肌を纏わりつく。

 寒いな、と空を眺めると星々の明かりが夜空を彩り、空の空間はモルス街の汚れに支配されていない。

 イクスは右と左の道を交互に見た後、レリック区のほうへ歩みを進めた。

 レリック区が近づくほどに眩い光が存在を主張し、私は此処にいるのだ忘れないでと必死に叫んでいるようで滑稽だとイクスは苦笑しながら、昼間以上に活気があり五月蠅い街並みを歩いていく。

 ノエのナイフは長期間使えるように高価なものを購入した結果、財布が寂しかった。

 何処かで敵を発見して稼ごうと思ったのだ。

 裏路地に入り人気のない場所を進んでいくと、煤やけた建物が圧迫感を与えていた空間が歪んだ。


「――幻覚?」


 建物が視界から消え、霧が周囲に立ち込める感覚に、イクスはある種の確信を持っていると、艶のない黒髪を腰まで伸ばし胸元を大胆に開けた女が幽霊のような足取りで近づいてきた。


「吸血鬼、ですか」


 イクスの問いに女は笑う。


「そうよ。血を頂戴。あなたに味わったことのない快楽を上げるわ」


 女の言葉が麻薬のように浸透してきて、このまま身を任せたくなる誘惑が襲う。

 イクスが動かないのをいいことに女は首元に手を触れ、口を近づけようとした瞬間、胸元に痛みが走る。視線を向けると真白の刀が突き立てられていた。


「えっ――?」


 女が吸血してきた男たちは幻覚で惑わせば皆、抗うことなく快楽に身をゆだねた。けれど、今は違う現実が告げられ痛みと困惑で幻術は打ち消され消える。

 イクスの視界には見慣れた路地裏が広がると同時に刀を引き抜く。


「な、なんで!? 普通では得られない快楽を私は与えてあげるのに! どうしてそれに逆らえるの!?」


 溢れる血をとどめようと胸元に手を当てながら女は叫ぶ。


「簡単なことですよ。吸血鬼ごときに俺の血をあげるなんて冗談じゃありません」


 真白の刀を構えてイクスは笑った。




 同時刻

 吸血鬼の男は、鎧をまとった人間と殺し合いをしていた。

 此処はモルス街に邸宅を立てた物好きな貴族クロシェの地下にある闘技場と彼が呼んでいる空間。

 ドームの円形状の観客席から、闘技の場をクロシェはワインを片手に悠々と見物する。

 吸血鬼の男は今朝、吸血鬼だと発覚して命乞いをしていたのを発見して、自分を楽しませることができたら生かしてやると唆して連れてきた。

 動きを見ていると、幾度となく修羅を潜っている鎧をまとった人間のほうが優位に立っているようで、吸血鬼の男も懸命に魔術を行使して戦っているが威力が弱い。

 決着がつくのもすぐだなと、クロシェがあくびをすると突然優位だった人間が錯乱し始めたので身体を乗り出す。

 何かに惑わされているかのような動作をした人間はやがて幻術の世界に誘拐されたかのように倒れた。吸血鬼の男は茫然として何が起きたのかわからない顔をしている。


「――フェア、か」


 クロシェが観客席側入口付近に視線を向けると、陰になる位置で切れ目の入ったマントの間から両腕を組むフェアが立っていた。

 猫を彷彿させる独特の黒緑の髪は緩やかにウェーブがかかり、数本の毛は青緑が混じっている。紫と青緑の異なる瞳が、闘技の場を静かに見据えている。


「お前が楽しむルールの中に、部外者の乱入を禁止する文言はあったか?」

「いや、ないね。負けそうな吸血鬼を助けるなんて珍場面、面白かったよ」


 クロシェがテーブルの上に置いてある鈴を鳴らすと、階下の扉から執事服を着た数名の男が現れる。


「彼に食事と衣服を。それと倒れたほうは寝台にでも寝かせておいて。二人とも手当が必要なら手当を」

「かしこまりました」


 礼儀正しい作法で頭を下げてから、男たちは死闘を繰り広げていた吸血鬼と人間を連れて行く。

 静寂な空間にクロシェとフェアだけが取り残される。

 無数のワイン瓶が並ぶテーブルから、赤ワインを取り出してグラスに注ぎクロシェは口につける。ごくりと喉を鳴らして飲んでいるとフェアが苦しそうに片膝をついた。


「首輪をした状態で魔術を使えば、欠乏症状がおこることくらいわかっているだろうに、それでもあの同胞を助けたかったのかい?」

「……人間が、私は好きでないだけだ……だから……吸血鬼を、助けた」

「フェアが苦しむ羽目になっても構わないって?」

「そうだ」


 クロシェはテーブルの下からグラスを取り出し、別のワイン瓶を開けて注ぐ。並々と赤ワインよりも濃厚な赤がグラスに満たされる。

 フェアは飛びつくようにそれを奪い取り飲み干す。


「おかわり」


 要求をクロシェは笑って受け入れ、フェアのために用意してある血をさらに追加する。


「首輪をしていたら普通は魔術を行使できない。なのに君は魔術を使える――最も普段より威力はがた落ちの吸血衝動倍増のいいことなしだけど――でも、だからこそ君は面白い」

「悪人の変人が」

「仕方ないだろ、暇なんだよ俺は」


 無言でフェアは空になったグラスを突き出す。


「血がホント、好きだよねぇ」


 血を足す。


「血は元々好きだが、首輪のせいで欲しくなっているだけだ。これは血を渇望させる」


 フェアが指で首輪をつつく。外出時は目立たないようにマフラーを巻くが、今は外しており、無骨で無機質な首輪が存在を主張する。


「邪魔だから取ってくれ」

「やだよ。流石に君の魔術能力を考えたら外さない。屋敷丸ごと焼かれてしまうからな」

「血をくれる場所に対してそこまでの仕打ちをするつもりはない」

「じゃあ、何をするってのさ」


 面白そうにクロシェは笑う。

 それはまるでフェアがしでかすのを楽しみに待っているようであった。


「さぁな、秘密だ」

「でもさ、君の首輪を取ってくれる物好きなんていないだろーね。それは吸血鬼である証だ、審判に手渡しこそすれ吸血鬼を殺害こそすれ、首輪を取るなんて馬鹿な真似をする人間はいないよ。同族きゅうけつきなら首輪を取ってくれるかもしれないが、それは同族きゅうけつきには外せない」


 ふと、そこまで口にしたところでクロシェは昼間フェアの手を握って離さなかった胸元に大きな白いリボンをした少年の姿を思い出す。


「もしかして、昼間の少年、吸血鬼だったりする?」

「……は? 何故だ」

「吸血鬼だからフェアに声をかけた。吸血鬼には同族と人間をかぎ分ける力を持つものもいるだろ? けど人のある通りで吸血鬼だと尋ねることは出来なくて無言だった! どうだ? 俺の推理」

「はっくだらない推理だな」

「酷いな」


 クロシェは肩を竦めてから、立ち上がりこの場所にはもう用がないと歩き出したが、ふと思い立ったことがあって歩みを止める。


「フェアは血が好きだけど、好みとかあるのか?」

「今更な質問だな。私にとって美味しいと感じる血とそうでない血がある」

「なら、俺の血はどんな味がするんだろうな」

「飲んでいいなら飲むが」


 フェアが牙を見せつける。


「いや、男に血を吸われたい趣味はないからやめとく」

「だろうな」

「献血要領で抜いてもいいけど、注射は嫌いだから嫌だ」


 クロシェが顔を顰めたので注射が嫌いなのは事実なのだろうなとフェアは思った。


「男に血を吸われるのが嫌なら、女の吸血鬼でも侍らしたらいいだろ」

「それも面白そうだけどやらない」

「何故だ?」

「女が一緒だと恋人ですか!? その人の身分は貴族にふさわしい人か!? 結婚しろ、見合いしろ、って周りがうるさくて嫌になる。俺はまだ二十二だ。結婚するよりももっと遊んでいたいんだよ」

「まぁ悪趣味なお前と一緒になりたいって物好きな女なんているわけないだろな」

「酷い、貴族は割と悪趣味の宝庫だってのに」

「……貴族、滅べばいいのにな。クロシェ、あとで私の部屋に血を届けてくれ」

「ホント、血が好きだな」

「首輪のせいだ」


 フェアがクロシェを追い越し、すたすたと歩いていくのをクロシェは眺めてから呟く。先ほどまで殺し合いがされていた血濡れた場所を視野にいれて。


「君は特別だから、好き勝手に過ごしていいし、吸血鬼を助けたように何をしてもかまわないよ――俺の元からいなくならない限りは、な」

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