第10話:Characteristics of the vampire
正規軍の目につかないように、イクスと菫は移動しながらノエの震える手を優しく握りしめる。
「ナイフを購入したら早々に戻りましょう」
「そうだな、それがいい」
レリック区の全てを飲み込む空気から早くノエを連れ出したい。
ノエは最初華やかな雰囲気だと元気だったが、今の状態なら不気味さが目立って虫が身体を這うような気持ち悪い差に飲み込まれないとも限らない。
忠告はするが、危険と遭遇はしてほしくないし、見聞きもしてほしくないとイクスは思っている。
イクスと菫は正規軍のリボンをした男が何者であるか、多少の情報が欲しかったため、ナイフ屋を後回しにて知ってそうな人を探す。
程なくして、お喋りが好きそうな小母が煙草屋で猫を抱いているのを見つけイクスが人好きのする笑みを浮かべて近づく。
「すみません」
「なんだい?」
最初は警戒する瞳を見せる小母だったが、ノエが灰色の猫に目を輝かせてそーと手を伸ばそうとしているのを見て、顔をほころばせた。
「みーにゃが気になるのかい?」
「みーにゃ! 可愛いな! 撫でたいぞ……ダメかな?」
ノエが上目遣いで尋ねると、どうぞと小母は猫をノエの前に差し出す。ノエが受け取ると幸せな笑顔を浮かべて猫を戯れる。
「菫! 猫を飼いましょう!」
「無茶言うな。流石に無理だ」
猫が好きな姿を眺めていると飼いたくなる心境は菫にも十分理解できるが、審判が連行する人間や吸血鬼を殺害している処刑人である以上、いつ正体が露呈するかは不明だ。
平穏のまま日々が過ぎ去ることはない以上、動物を飼うことはできない。
「……ですよね」
イクスとて本当に猫が飼えるとは思っていなかったが、それでもノエにはいつでも笑顔でいて欲しいがゆえに猫が飼いたかった。
「珍しい子だねぇ……大抵の子供は荒んでいて、大半は盗人だ。みーにゃに触れさせなんて普段ならしないけど……この子は、服装も貴族様かと思うほど綺麗だし、笑顔に裏表がない、穢れを知らない無垢のようだ」
「そうなのですよ」
小母の的確な言葉に、イクスは無垢なままでいてほしいと願いを込めながら同意する。
「で、なんのようだい? あたしに用があるのはあんたらだろ?」
「貴族が殺害された事件で正規軍がレリック区をうろついていますのはご存知ですよね? その中でリボンを頭につけていて、線が細く、振る舞いが貴族と思しき青年を知っていますか?」
「あぁ。
正規軍で頭にリボンをつけている男は一人しかいないと、小母はすぐに誰をさしているのかを理解する。
貴族にいい感情を持っていないが、琴紗に対しては思うところがあるのか表情が複雑に歪む。
「どんな人物ですか?」
イクスは菫の腕を肘でつつく。わかっていると視線で抗議しながら菫は懐から財布を取り出し紙幣を数枚握らせる。
「モルス街に住居まで構えるあの遊び人とは違って、貴族とは思えないほどいい人だよ。あたしらにも対等に接してくれて、偉そうに振舞わないし誰に対しても公平なんだ。だから好かれてはいるし、あたしも嫌いじゃない。だけれどね……どうしても、あたしらの記憶にはあいつがいるから琴紗さんに関しても裏があるんじゃないかって勘ぐってしまうんだよな」
「物好き軍人のことだな」
「そうさ。だから素直に信じられない。でも、琴紗さんは悪い人ではないと思うよ。あたしがの性根がねじ曲がっているだけさ」
かつてモルス街に足を運ぶ珍しい貴族で軍人の男がいた。
法に守られたレーゲース街ではできない愉悦のために足を運ぶ貴族とは異なり、彼はモルス街をよくしようと日々足を運んでは人助けをして回っていた。
賢明な姿に人々はモルス街の生活が向上するのではと期待をしたが、五年前突如、姿を見せなくなる。
貴族の気まぐれだったのだと、誰もが落胆する出来事があった。
「レーゲース街の住民は、信じられないことばかりをするのですから、心情は当然ですよ」
「そうだね。で、琴紗さんがどうかしたのかい?」
「見慣れない方だったので気になったのですよ。普段このあたりまで足を運ばないもので、有難うございました」
イクスが丁寧にお辞儀をする。
ノエは猫を抱きしめて顔を埋もれさせているのを邪魔したくはなかったが、リボン軍人の名前を知れた以上、とどまる必要はない。
「ノエ、行きますよ」
「あう。わかったぞ」
名残惜しそうにノエは猫を抱きしめてから小母に手渡す。
「バイバイだ」
ノエが猫に手を振ると、小母が猫の手に触れてバイバイする。
「あぁそうだ。最近吸血鬼がうろついているから気をつけな」
イクスと菫がノエの手を繋いで歩き出そうとしたとき、小母の忠告に足を止めて振り返る。
「吸血鬼ですか……?」
「そうさ。なんでも血を吸われると、えもいわれぬ快楽があるって話だ」
「ご忠告有難うございます、気を付けますね」
煙草屋から離れ、路地裏を迷いない足取りで進んでいる道中菫が歩みを止める。
「どうしたんですか?」
「いや、吸血鬼に血を吸われると快楽があるのか?」
菫が率直な疑問をノエに尋ねる。
「過去の吸血鬼は皆血が食事だったからか……はわからないが吸血には快楽がともなっていたんだ。けど、今は微妙だ」
「微妙?」
「たいていの吸血鬼が吸血するときは……快楽はないに等しい、零ではないけど……何だろう、痛みではなく快感ってほどでもない、ちょっと気持ちがいいな? 程度だと思う。個人差はあるから、なんとも言えないけどな」
「なんだそれ、地味に気になるな。ノエ、俺の血いるか?」
「突然だな。けど、オレは大丈夫だ。普段血を飲まなくても平気だからな」
「普段吸血鬼が血を吸うときってどうなんだーって考えたことなかったから気になっただけさ。話それたな。戻してくれ」
「うん。ただ吸血鬼によっては快楽を与えるものはいるし、そうじゃなくても快楽を与えることは可能なんだ」
「幻覚ですね」
イクスの言葉にノエは頷く。
「どういうことだ?」
「吸血鬼が扱う魔術の一種である幻術の幻覚で、吸血される際に快楽を与えることはできるのですよ。だから今噂になっている吸血鬼が、どちらのタイプにしろ血を吸われると快感をもたらしてくれるというわけです。というか本当、菫は吸血について疎いですよね」
「うるせぇ」
「まぁその吸血鬼も――噂になっている以上、審判が動き出して近日中には殺されるでしょうね」
イクスの冷徹な言葉に、ノエは瞼を伏せる。
「……噂、消えないかな」
「……それは……無理でしょうね。噂が消えたとしても一度存在した以上、審判は動きますよ。その吸血鬼が審判に連行されずに済む救いがあるとしたら――処刑人に殺されることだけでしょうね」
イクスがちらりと視線を菫へ向けが、それを菫は無視する。
「……それしか……いや、何でもない」
「大丈夫だノエ。必ずしも吸血鬼の末路が死だとは限らない。誰も見つけられない可能性だって十分にあるんだ。実際、噂だけで男か女かもわかっていないんだからな」
菫が慰めると、ノエはそうだなと悲しみを隠す笑みを浮かべた。
イクスは余計なことを言ってしまったと内心で反省する。
「帰ったら、アップルパイを菫に作っていただきましょう」
「おう、そうだな。ノエ、食べるだろ」
「うん! 食べる」
元気になって欲しいと話題を振る。ノエは二人の気遣いが嬉しくて喜ぶ。
複雑で迷路のような場所を進んだ先にあったナイフ屋で、ノエが手にしても重たくない小ぶりのナイフを二本購入する。
支払いはイクスがした。菫に集ってばっかいるなと小突かれたからだ。
路地裏から大通りへ戻ると、ノエが突然走り出したが、手を繋いでいるためすぐに歩みは強制的に止められる。
前のめりになったノエが菫とイクスの方を振り向く。
「ちょっと手を放してくれ」
「……わかりました」
イクスと菫が手を離すと、ノエは走り出し前方を歩いていた人物の手を背後から握った。
「ノエ?」
顔見知りだろうかと様子を伺っていると、手を握られた人物が驚きながら振り返る。その姿に菫とイクスは息をのむ。
ネコを彷彿させる独特な髪型に首元には藍色のロングマフラーを巻き、全体的にゆったりとした布を着ている青年の瞳は左右異なっていた。
「……おい、なんだ」
青年が声をかけてもノエは黙って手を両手で握っている。
ノエの挙動が理解できなくて反応に困りながらも、青年は再度怪訝な顔をしながら声をかける。
「私の手を掴んで一体どうした? 私はお前を知らない以上、初対面だと思うぞ」
しかし返答はない。無言では対応に困ると青年がため息をつく。
「フェア? どうした」
その時、青年の背後から男が現れフェアと名を呼ぶ。
「クロシェ……知らん。私の手をいきなり掴んでこのガキが離さないんだ」
「知り合いか? それかお前の瞳が珍しかったとかか?」
「初対面だ。それに背後からいきなり手を掴まれた以上、瞳は関係ない」
「少年、どうしたんだ?」
クロシェと呼ばれた男がノエの身長に合わせて屈むと、ノエが僅かだが睨みつけてきたので肩を竦める。
「俺は少年に睨まれるようなことをした覚えはないのだが」
「お前の普段の行いが悪いからだ」
フェアの辛辣な言葉にクロシェは楽しそうに笑う。
「少年。フェアを離してやってくれ」
クロシェの言葉にノエは首を横に振る。
「ノエ。迷惑をかけてはいけませんよ」
見かねたイクスがノエに声をかける。フェア一人ならば成り行きを見守っていても良かったが、クロシェまで現れたのならば話は別だった。
「ノエ」
再び名前を呼ぶと、ノエは渋々フェアから手を離す。
「フェアに何か用があったのかは知らないが、じゃあな少年。フェア、行くぞ」
「わかっている」
フェアはマフラーに手を当てながら、クロシェの横に並んで歩いていく。
二人の姿が見えなくなったところでノエが菫とイクスへ視線を向けて答えなかった質問を答える。
「フェアは――吸血鬼だ」
ノエは吸血鬼と人間の区別がつく特性があるが故に、前方を歩いていたフェアが吸血鬼だと気づいた。
「でも、吸血鬼だって言っていいのかわからなかったから何も言えなかった。フェアが、イクスや菫に知られるのは嫌かもしれないって思って……」
「では何故クロシェを睨んだのですか?」
イクスが横目に菫を見ると、菫も難しい顔をしている。
「フェアは、魔具で力を押さえつけられていた」
「ノエは、魔具の有無までわかるのですか?」
「違和感が吸血鬼に生じるから……わかる。だから一緒にいるクロシェのせいだって思ったんだ……でも、だからこそわからなくもなった」
ノエの言いたいことが手に取るようにわかったし、イクスと菫にはノエの疑問に対する答えがあった。
「審判じゃないなら魔術を封じる魔具の首輪を使う必要はないし、吸血鬼だと知っていて一緒にいるのならそんなものはいらない。だから、クロシェが何を思っているのかがわからなかったんだろ」
「うん。そうなんだ」
「クロシェはな、貴族なんだ。レーゲース街がつまらないっていってモルス街に住んでいる風変わりで物好きな貴族。面白いことが大好きで、面白さのためならば金を湯水のように使うことだって平気でするやつだ、ただしな……」
菫は言いにくそうに言葉を濁したので、イクスが続ける。
「ただし、彼の面白いことっていうのは……普通の面白いではありません。レーゲース街ではできない面白みを求める、つまり違法となる行為を好んでいるってことです。そのほかにも珍しいものをコレクションとして手元に置いておくんです。ですから、おそらくフェアを手元に置いているのは、吸血鬼であり虹彩異色症だからでしょう」
白髪赤目や赤目には及ばずとも、左右で異なる瞳を持つ存在は極僅かで珍しい。
だから、虹彩異色症であるフェアを手元に首輪をつけて置いているのだと推測ができた。
「とはいえ、自由に出歩かせていたようですし、監視付きという雰囲気もありませんでしたね……」
イクスは首を傾げる。手元にあるコレクションが逃げないとクロシェは知っているから自由にさせているのか、それともフェアに一定の信頼を置いているのか、そこは謎だった。
「クロシェが何を考えているのかは知らねぇが、あいつには関わらないほうがいいぞ。ノエ。首輪をしていたってフェアは自由に動いているようだったしな……」
「……わかった」
気にはなるものの、貴族であるクロシェと関わっては碌なことがないだろうとイクスと菫は判断する。
ノエが怖いと表現した正規軍の琴紗が再び近くに現れる前にレリック区を離れて帰宅した。
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