第9話:彼は何者
眠らない灯が宿るレリック区は、月明りが頼りのディス区とは異なり深夜でもその視界を時刻の割に曇らせない。
見晴らしがよく、けれど程よく闇に紛れる位置で菫は銃を構えながら待機する。
時間がゆっくり流れるなか、審判はやってきた。暗闇に映える白の衣が目につく。
審判に人々は怯え蜘蛛の子を散らし、賑わいを通り越して喧噪の場所に静寂を与える。
静かな中、審判が人間または吸血鬼を連行する。
神経を集中させ、菫は引き金を引く。銃弾は寸分の狂いなく心臓を貫通して疑われた者は絶命した。
審判が処刑人の存在に気づき、処理しようと迫ってくる前に手早く撤収準備を整えて姿をくらませる。
菫が自宅へ戻ると、イクスが頬杖をつきながら起きていた。
「おかえりなさい」
「……起きていたのかよ」
「えぇ。菫がこっそり出歩くときから」
イクスが笑顔で答えたので菫は舌打ちする。
「で、一体誰を殺してきたのですか? 処刑人さん」
さん付を強調するイクスに菫は無言のまま通り過ぎ、銃を引き出しの中へしまう。
「何故そう思う?」
イクスを背に菫は問う。
「貴方の立ち振る舞いなら処刑人として相応しいからですよ。付け足すならば、アイリーンの存在で確信が確定に変わりましたね。処刑人は未だ審判に素性を知られず堂々と手を振って歩けるってことは即ち、審判が連行する人間を予め知っていて、殺害も逃亡にも最適な場所に構えているからにほかなりません。どうして予め知ることができるのか、それは情報屋から、情報を受け取っていたからですね。黄色いあの紙がそうなのでしょう?」
笑顔で答えるイクスの言葉は全て正解だった。
アイリーンには前もって対価を支払い、審判が吸血鬼と疑っている人間を教えてもらっている。
情報屋としての腕前は確かで、連行される日時すらアイリーンは仕入れてくれていた。
だから、菫は未だ処刑人として日々を過ごしている。
「安心してください。最初に言ったように俺は貴方のことを審判に通報するつもりはありませんよ。ノエが菫になついている。ノエの前で貴方が殺されてほしいとは思いません。何より今菫は俺の敵じゃありませんから」
薄暗い室内でカチカチと音を立てる時計を見ればすでに零時を超えて日付は変わっていた。
「だから、正否を教えてください。そのほうが、何かあったとき俺も動きやすいですからね」
「――そうだ。俺は処刑人だ。審判が誰かを拷問して殺害する前に、殺している」
菫は言葉で認める。否定や肯定しないことをこれ以上続けても意味がないと判断した。
「苦痛の果ての死より、一撃による死ですか」
「そうだ。どうせ死ぬ運命が変わらないのなら、苦しまないで殺してやりたい」
「一つ疑問があります。どうして見ず知らずの赤の他人を、苦しまずに殺してあげたいなんて思うのですか」
見ず知らずの泥棒にお菓子をあげて返すくらい菫がぶっきらぼうながらお人よしであることは短い付き合いでも実感できていた。
けれど、それでも困っている人を助けることと、殺される人を殺して恐怖の対象である審判の敵であり続けることは別物だ。
真剣な瞳が菫を射抜き、嘆息しながらも菫は答えることにした。
「俺の親友が審判に殺された。吸血鬼じゃない、人間だ。酷い死体だった……野ざらしで放置されたあの有様は今でも目に焼き付いている。俺はただその二の舞が見たくないんだよ、他人であっても。だから、俺は処刑人になった」
「そうですか」
菫の言葉に嘘はない。事実だとイクスは菫の言葉から発する思いを感じ取った。
親友を審判に殺害されたから、審判が連行する者を死神のように、あるいは天使のように殺害するのだ。
「では、知りたいことも知れたので俺は寝ますね。おやすみなさい」
「こっちの質問にも答えてから寝ろよ」
「お断りします」
「てめぇ」
「ぐうぐう」
明らかな狸寝入りに菫は舌打ちする。イクスを蹴飛ばそうかと思ったが、諦めて寝ることにした。
翌朝、ノエがパジャマ代わりに借りた菫のだぼだぼTシャツを着た姿でリビングへ降りると、すでにイクスと菫は起床して朝食の準備を始めていた。
「おはよう」
瞼をこするノエは、まだ眠りの誘惑があるようだ。
「眠いならまだ寝ていても構いませんよ?」
「大丈夫、だ。起きる」
「そうですか。わかりました」
朝食を食べたのち、レリック区へナイフを購入するために、着替えを始める。
ノエは、川でイクスに拾われたときの恰好へ戻る。
久々に自分の服に袖を通すのは嬉しさと、悲しさがあった。
黒のマントにはストライプ柄の赤いリボンが二か所あり、胸元には真っ白で大きなリボンが存在を主張し揺れる。マントの隙間からは白いフィッシュテール形状の布が波打つ。
イクスはいつも通りの黒いシャツにひざ丈の白いロングコートの組み合わせだ。
ノエの見慣れた服であり、借りていた服とも同じなので、イクスはその恰好が気に入っているのだろうとノエは解釈するが、実際には安かったからまとめて購入しただけでイクスに拘りはなかった。
二階へ着替えに行った菫が中々戻ってこないのでどうしたのだろうとノエが小首を傾げていると、カツンカツンと降りてくる音が響いた。
菫! とノエが声をかけようと思った口が途中で止まる。
「不審者が現れたのかと思いましたよ」
「二階からかよ」
「菫が変な服着てないぞ、どうしてだ!?」
「レリック区でこの間貴族が一人殺されたらしい」
菫の恰好は昨日までとは全く異なっていた。
桜の簪を外し、サイドテールの編み込みをした髪を白のシュシュでまとめている。
灰色のチェスターコートを羽織り、首にはストールをスヌード巻きにしており、黒のズボンに銀色のチェーンベルトをしている。
「それでその恰好ですか」
イクスには合点がいったが、ノエがクエスチョンマークを浮かべている。
「貴族が殺されたので、正規軍……レーゲース街の法を守る彼らが出向いているのですよ。菫の場合、普段の恰好が異国の物なので目立ちます、だから下手に目をつけられないようにまぎれる服装にしたのです」
「なるほど、わかったぞ!」
「異国の服を堂々と着ていたところで、なんの問題はねぇけど万が一のためにな。正規軍の殆どは、モルス街の人間を人間とは思っていないからな」
殆どの意味がノエは気になったものの尋ねることはしなかった。
菫の新鮮な格好を全部眺めるようにくるくると菫の周りをまわる。マントがふわふわと揺れるので、菫は思わずマントを手で掴んだ。ノエが前のめりになってこけそうになる。
「珍しい扱いしすぎだ」
「だって、あの服のインパクトが凄かったんだ」
「まぁ……否定はしないけど」
異国の服を闇市で購入する前は、今着ている服を着ていたのに、この服の存在を忘れたかのようにアイリーンを含め菫の知り合いは皆驚く。
アイリーンの情報をもう少し早く知っていれば、レリック区へナイフを探しに行くのは避けたのだが約束した以上、正規軍に気を付ければいいと後日に伸ばすことはしなかった。
ノエが逸れないように左手は菫が、右手はイクスが握って一緒に歩く。
情報屋アイリーンの家を過ぎ去ったあたりで景色は一転する。
昼夜問わず賑わうレリック区は、自国から異国の文化からあらゆるものを受け入れた混沌と化した地域であった。
様々なものが混ざり合った商店街が霞んで見えるほどに、そこは独特な雰囲気を醸し出している。
鮮やかな花が荒々しく咲き誇り、街頭が昼夜を問わず明かりをもたらす。
ノエが見上げると建物と建物の間には紐がかかり、模様が描かれた旗が色鮮やかに垂れ下がっている。そこは色が眩しい空間だ。
「すごいな! キラキラしているぞ!」
ノエが目を輝かせて率直な感想を告げるので、純粋な言葉にイクスと菫は迷子になりそうだと心配になり握っていた手を同時に強く握りしめた。
「……ノエ。確かにキラキラと輝いていますけれど、気を付けてください。輝いているからこそ、危ない場所ですよ。モルス街の中で、ディス区に次いで……いやある意味ではディス区以上に、ここは危険な場所ですから」
「そうなのか?」
「えぇ。表裏一体。楽しいの裏では悲劇が、悦楽の裏では絶望が、悲鳴の裏では愉悦が、行われている場所なんですよ。ここは貴族が、違法な娯楽を求めて足を運ぶ場所でもありますからね、あらゆるものが揃い、悲鳴と笑いをもたらすのです」
しょぼんと肩を落としたノエに、言い過ぎだったかとイクスは思うものの、裏があることを告げておかなければ、ノエは誤解したままレリック区を歩き、何か犯罪に遭遇してしまうのではないかと気が気ではなかった。
「それと正規軍には気を付けてください。恰好は黒と青を基準とした軍服姿なので遠目でもわかるはずです」
「白と赤の審判とは逆な印象だな」
「そうですね。混合されないよう異なる色を使ったのです。最も上位の審判は黒のマントを羽織っていますけれど。正規軍は貴族を殺害した人間を探しています。ですから、無実であっても怪しまれる行動は避けなければなりません」
「わかったぞ」
ノエが頷いたそばから、喧噪に満ちていたい周囲が静まりかえった。
イクスと菫は素早く目くばせをして物陰に隠れ周囲の様子を伺うと、黒の服に青ラインの軍服をまとった正規軍が数名列をなして歩いてきた。
道の真ん中でとまり、中央にいた薄茶色の髪に軍服には似合わないピンクのリボンをした線が細く中性的な人物が、周りの部下に指示を出す。
それを見たノエは、びくりと身体を震わせた。
「どうしたのですか?」
「わかんない」
「わかんないとは?」
「……なんか、あの人、怖い」
ノエが小さな指先で、 軍属とは思えない雰囲気を纏っていてひときわ目立っているピンク色のリボンを髪に留めた人物を指す。
「怖い、ですか?」
外見で判断すれば、優男の雰囲気に柔和な態度は軍人とは思えないし、他の軍人に囲まれていると線が細い体系がより目立つ。
武器を帯刀している様子もなければ、殺気だった雰囲気もなく優美だ。
その立ち振る舞いから貴族出身だろうことは推察できるが、それ以上は不明だ。
しかし、不気味な雰囲気はなく怖いとノエが直観する理由が少なくともイクスには見当たらない。
「うん。まるで人間じゃないみたいだ」
「吸血鬼ってことですか?」
だが、ノエが怖がっている理由は別にあった。
人間じゃないみたいだとすれば吸血鬼に他ならならないが、違うとノエは首を振る。
「吸血鬼じゃない。リボン軍人は、間違いなく人間だ。けど、人間じゃないみたいに変な感じがする。見ていると、ぞわぞわとして怖い。あってはならないもの、みたいで怖いんだ」
ノエはうまく自分の中にある感覚を纏められなかった。
ただ、見た瞬間、身体の中を虫が這うような言いようのない気持ち悪さがあった。
人間でありながら吸血鬼のようで、けれど吸血鬼ではない。
吸血鬼のようでありながら人間。
吸血鬼と人間の区別がつくノエが感じ取った、不気味な違和感は初めてで言葉にできないものだった。
その正体を掴もうと怖いながら視線を向けると、ノエの視線に気づいたのかリボンをした男が視線を向けてきた。
僅かに目が細められた視線にノエがびくりと肩を震わせたためイクスと菫はこれ以上この場にとどまらない方がいいと判断し手を引いて歩き出す――その男の姿を眼に焼き付けながら。
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