第8話:I kill the traitor

 しょぼんと肩を落とすノエを見たイクスは、ノエの背後に回り小柄な身体を両手で掴んで浮かせた。


「ぬ!?」


 地に足がつかなくて驚くノエを抱きかかえたまま体重を感じさせない軽々とした動作でイクスは肩車をする。


「ちょっ、うお!?」


 突然のことにノエが頭上で暴れたがイクスは動じない。


「これなら、もう迷子にはなりませんね」

「子供扱いするな!」

「子供です」


 抗議を右から左へと流し降ろさないでいると、ノエが不貞腐れながら正面へ視線を向ける。自分の身長では人混みで見られなかった高い景色が広がった。商店街の統一性のない滅茶苦茶な作りを一望できて心が躍る。ノエが足をばたつかせるので、楽しそうで良かったとイクスは微笑む。


「イクス。俺は食材を買ってくる。どっかの人に購入したの投げてきたからな」

「わかりました。では、この辺で待っていますね、目印はこれにしてください」


 落ち着かない動作で周囲を眺めているノエを、足首を掴んだまま左手で軽く指さす。


「でかい目印でわかりやすいもんな」


 ノエがイクスの頭上にいるから、他の人々より頭一つ目立つ。

 菫が食材を一人で買い足す。

 今度は迷子のノエがいなかったので食材を誰かに渡すことなく、菫の家に帰宅することができた。

 イクスが玄関の階段でノエを下す。久々に地に足がついたノエを見慣れた視界が待っていた。


「肩車、楽しかったですか?」

「うん!」


 満面の笑みを浮かべてノエは答える。

 キッチンで手を洗ってからリビングの椅子にノエとイクスが座ると菫がお茶を用意してテーブルに並べる。


「ノエ。今度は俺も肩車してやるよ」

「ダメです」

「なんでてめぇがダメ出しするんだよ」

「俺がやりたいからです」


 菫とイクスがノエの取り合いをしている間、ノエは熱いお茶をふーふーと冷ましながら飲む。


「そういや、ノエは吸血鬼なのに血は飲まなくて大丈夫なのか?」


 お茶を飲むノエを見て、菫は率直な疑問を抱いた。ノエは吸血鬼だが、吸血をしている場面はまだ見たことがない。


「魔術を行使しない限り、殆ど飲まなくても平気なんだ」


 先ほどウルドに血をもらった事実は伏せてノエは答える。

 助けてくれて血までくれたウルドの優しさと審判であった事実が結びつかなくて、彼の名前を出したくなかったし、イクスと菫がどんな反応をするのかが怖かった。


「あぁ……言われてみればそんな感じだった気がするな」


 吸血鬼に興味がなく知識が薄い菫が記憶を遡れば、以前そんな話を聞いたことを思い出した。


「ノエは魔術使えるのか?」

「当然だ。オレは氷の魔術が得意だぞ」

「回復力が早いのも魔術と同じ条件か?」

「……うん。そうだけど、あれくらいなら別に問題はない」

「そっか」


 ノエが落ち込んだので菫はイクスが刺した時の話題はやめた。


「イクス。菫。あのな、オレ……の、目的は、裏切り者の吸血鬼を殺すことなんだ」


 ノエは意を決して目的を告げる。

 イクスにも殺したい相手が誰なのかは告げていなかったが、告げないで別れる日を迎えるのは嫌だと思った。


「ユベルを、ですか?」


 イクスが驚いて尋ねるとノエが頷く。


「おい。ユベルって誰だ?」


 驚いたイクスとは反対に、裏切り者の吸血鬼にもユベルという名前にも菫は聞き覚えがなかった。

 ノエは一呼吸置くために、ぬるくなったお茶を飲みほす。


「裏切り者の吸血鬼、その名はユベル。吸血鬼の力を封じる魔具を開発して、吸血鬼と人間の均衡を破った存在であり、すべての吸血鬼の敵なんだ」


 教科書を暗記したかのようにノエはすらすらと答える。


「あの首輪の開発者か」


 菫は吸血鬼の魔術を封じる無骨な首輪を思い出す。その存在は知っていた。


「えぇ。そしてユベルは審判の創設者にしてトップですよ」


 イクスがノエの言葉を補足しながら、出会った当初ノエが審判を知らなかったのを思い出す。


「けれどノエは審判を知りませんでしたよね?」

「裏切り者の吸血鬼が、吸血鬼を滅ぼすための組織を創設したことまでは知っていた。けど名称が審判で吸血鬼が異端者扱いされているところは知らなかったんだ」

「なるほど。そうだったのですね」


 イクスは納得する。それと同時に誰もが知っている審判を知らず、裏切り者が吸血鬼を滅ぼす組織を設立したことは知っているノエの偏った知識に、レーゲース街出身だと思っていたが、そもそもこの国の出身ではない可能性が浮かぶ。


「何故イクスはそんなこと知っている? 俺は審判のトップが誰だか知らなかったぞ」

「菫はそもそも№Ⅱのウルドのことすら殆ど知らなかったじゃないですか」

「そりゃそうか」

「そうですよ」

「だがよ、今の話を聞いた限りじゃ吸血鬼狩り組織のボスが吸血鬼ってことになるよな? そんなんありなのか?」

「矛盾していますが、アリなんですよ。ユベルの目的が吸血鬼を滅ぼすことであるから、人間側について吸血鬼を狩る。だから、吸血鬼からしたらユベルは裏切り者なのです」

「なるほどな」


 菫は視線をノエに向ける。真っすぐな瞳でノエは裏切り者の吸血鬼について語る。


「裏切り者の吸血鬼が、吸血鬼を滅ぼそうとするから、共存の道を歩んでいた人間と吸血鬼の関係は崩れたんだ。あいつを放置すれば、そう遠くない未来、吸血鬼は滅ぶ。だからオレたちは裏切り者の吸血鬼を殺すんだ」


 名前すら呼びたくないほどにユベルは裏切り者なんだなと菫は実感する。複数形にした理由も、ユベル以外の吸血鬼を含めたからだろう。


「けど、普通に考えりゃ吸血鬼が一人裏切ったくらいで滅ぶまでの大打撃を受けるものなのか?」

「オレたち吸血鬼とは別格の、異端の吸血鬼なんだ」

「異端……?」


 吸血鬼を異端と呼びそれを狩る審判のトップが異端と呼ばれるとは、おかしな話だと思いながら菫は首を傾げる。


「ユベルは、過去の吸血鬼が有していた特色のほとんどを持ち合わせているのですよ。例えば、再生力。身体が真っ二つにされても瞬時に回復します。寿命も長く、外見こそは若いですが、百年以上は生きていますよ。魔術の腕前も高く、並みの吸血鬼が百人集まったって一蹴されるだけです。それに、ユベルは血が食事なんです。飲まないと欠乏症状がおこります。例えるなら人間の食事をすべて血に置き換えればいいと思いますよ」


 異端の理由をイクスが淡々と説明する。菫は脳内で血を毎食飲む吸血鬼を想像する。それは確かに菫が知る乏しい知識でも異端だと断言できた。


「そんな奴に勝ち目なんてあるのか?」


 裏切り者で異端の吸血鬼は実力も別格の存在。


「……通常で挑めばまず勝てない。けど、裏切り者の吸血鬼は異端だからこそ、今のオレたちが平気なことが弱点だったりするんだ」

「過去に近いほど、現在とは相いれないわけか」

「そういうことだ」

「どうしてユベルは吸血鬼を裏切った?」

「現在の吸血鬼が嫌いだからだ。裏切り者の吸血鬼は、異端だからこそ吸血鬼を滅ぼすんだ」


 それは仲間がいなかったからだろうかと菫は思ったが、それが事実だとして一体何だというのだとノエとイクスに問うのはやめた。

 ノエがナイフを欲しいと言い出したので、明日イクスと菫は一緒にレリック区へ赴いて購入することにした。品質を求めるならレリック区が一番いいだろうと判断したからだ。

 話がまとまったところで、菫は夕食を作ることにした。

 椅子を買い足さないといけないなと夕食の時間、キッチンで一人食事をとりながら菫は思った。

 美味しそうに食事するノエを、良かったですねとイクスは微笑む。

 夕食後は暫く談笑して――自然と裏切り者の吸血鬼の話題は出なかった――ノエは迷子になって疲れたのだろう、早めに寝るといって二階へ上がっていった。

 ノエが寝るならと、イクスと菫もリビングで就寝準備を始めて、終わるとすぐに寝た。

 一時間程度たったころ合い、菫は起床しイクスを起こさないように外出した。その手に、布で包んだ銃を所持して。




 センター区の明かりは乏しく薄暗い中、月明りに照らされ菫は慣れた道を歩む。

 程なくして、外れにある情報屋アイリーンが居住する場所へ到着した。扉を開けると鈴の音が鳴る。薄暗い室内の明かりをつけて待っていると、奥の部屋からフードを被ったアイリーンが小走りでやってくる。


「菫ちゃん! 今日はよく来るね」


 嬉しそうな声色で来訪を歓迎しながらアイリーンはフードを脱ぐと、滅多に存在しない貴重な白髪赤目が露になる。


「あぁ……知りたいことがあったからな」


 菫はアームチェアに腰掛けると、アイリーンはカウンターの中へ入っていき、グラスに酒を注いでいらっしゃいと言いながら提供する。

 菫は財布から札を取り出しアイリーンの前に置く。


「って菫ちゃん! 血まみれなんだけどこれ!?」

「おう」

「おう、じゃないよ!」

「普通に使いにくいから情報料にした」

「ひどいー」

「じゃあその札、両替してくれ。そっちで払う」

「結局僕のところに血まみれくるじゃん! でも珍しいね。菫ちゃんがいかにも怪しい手段で手に入れましたってお金を持っているなんて」


 肘をつきながらアイリーンが尋ねる。さらりと白髪が流れ手にかかる。


「宿代をイクスに要求したら、血まみれ札渡されたんだよ」

「可愛くない方の彼か」

「言い方ひでぇな」


 ツボに入ったのか菫はおかしそうに笑う。

 アイリーンの滑らかで白い指先が、宙で三つの円を描く。


「あの子と彼と、菫ちゃんはどういう関係なの?」

「成り行き関係」

「裏表のなさそうなあの子はともかく、血まみれ札を渡す彼は菫ちゃんにとってどんな印象さ」

「そうだな」


 菫は顎を指で撫でながら可愛くない方を思い浮かべる。

 赤目ではないからアイリーンほどの珍しさはないものの、稀有な白髪を持つ褐色で同年代の、真白の刀を持つ男。


「血まみれ札を渡してきたり、血まみれだったり図々しいし遠慮ないし、笑顔はうさん臭いし、怪しい変人だけど、ノエを心配している姿は本当だし、悪い奴ではないと思うぞ」

「ふーん。そっか」

「聞いてきた割には反応鈍いな」

「気にしない気にしない。今度さ、可愛いほうの子連れてきてよ」

「なんでだ?」

「着せ替えして遊びたい! 可愛い服とかたくさん着せたい!」


 率直な感想に菫は口に含んだ酒を吹き出しそうになった。


「着せ替え人形かよ」

「可愛い顔しているんだから、色々とお洒落させたいじゃん! 今日はさ、うちにあるあり合わせだったけど今度は取り寄せたりするから」


 爛爛とするアイリーンは楽しそうで、その姿が年相応に見えて思わずノエのように頭を撫でたくなったが手を伸ばそうとしたところでやめる。


「わかった、今度連れてくるよ。なぁアイリーン、ユベルって知っているか?」


 ユベルの名前を聞いた途端、アイリーンから瞳の輝きが抜け落ち情報屋としての顔が見え始める。


「裏切り者の吸血鬼にして審判のトップだよ」

「お前もやっぱ知っていたか」

「情報屋ですから。菫ちゃんは知ってる? 審判ってね、死亡率が非常に高い危険な仕事なんだよ」

「は? 吸血鬼を相手にしているから当然だろ」


 何をいまさらと眉を顰めると、アイリーンが首を横に振りながら笑った。


「そうだね。吸血鬼を相手にしているから、当然だ」

「何がいいたい」

「審判に就いた人間はね、暫くしてから試験があるんだ。審判でこれからもやっていけるかどうかの適正試験。その試験で審判は初めて自分たちのトップが吸血鬼であることを知らされる。試験の内容は吸血鬼を狩る専門部隊のトップが吸血鬼でも従えるかどうかなんだよ」

「――従えなかったらどうなる」

「殺される。審判の高い死亡率の八割はユベルが殺しているんだ。ユベルに反感を敵意を抱いたものは、殺される。ついでに血も吸われて食事にもなっているかもね、がおー! って」


 アイリーンが両手を前に出してがおーとやってきたので、菫はデコピンをした。


「痛い」


 額を両手で押さえながらアイリーンは頬を膨らませる。


「がおーはないだろ、がおーは」

「ってか、どうして今更審判のことを? 菫ちゃんの親友を殺した犯人が審判にいて審判を嫌っているのは知っているけど、興味なかったじゃん」

「興味ないってか、お前に聞いたら別料金って教えてくれなかったんだろ。№Ⅱのウルドとか」

「ウルドの名前も知ったんだ。だって別料金だもん。上乗せして最初から金額提示とかしないだけ良心的でしょ」

「どうなんだか。ウルドはどんな奴なんだ? 例えば、仕事がオフの日に吸血鬼に遭遇したら、仕事の日にその吸血鬼を殺しにいくようなやつか?」


 ノエが助けてくれた親切な人が審判で落ち込んでいたため、心配がよぎりながらもあの場面ではイクスに問えなかった。

 通常であればいくら仕事が休みの日に仕事をしないからといって、審判所属の人間が吸血鬼を見逃すとは思えない。見逃しても仲間にこいつは吸血鬼だったと情報を提供して仕事の日に捕まえにやってこないとも限らないし、それが普通のことだ。


「それは大丈夫」


 だが、菫の不安をアイリーンは否定する。


「なんでだ? 普通は」

「普通はそうだね。けどウルドにその普通は該当しないよ。休日に吸血鬼に遭遇したら、それはそれと割り切る。殺さないし後で仲間に伝えることもしないし、仕事の日にその吸血鬼を探すこともしない。あくまで自然に仕事中にその吸血鬼と再会したら以前の付き合いなどなかったように連行するか殺害するだけなんだよ」

「変な奴だな」

「変わり種だよ。天然でもあるし、ある意味常識知らずの世間知らずともいえるね。まぁだからこそ吸血鬼がトップの審判で№Ⅱであり続けられるのかもしれないけど」

「なるほどな。サンキュ。俺はこの辺で失礼するよ」


 布に包んである武器を手に、菫は立ち上がる。

 アイリーンから情報が欲しかったから立ち寄っただけで本来の目的は別にあった。

 それをこれから達成しに行く。


「ねぇ菫ちゃん」


 けれど外に出ようとした菫をアイリーンが止める。振り返ると、赤い瞳が菫をとらえていた。


「なんだ?」

「菫ちゃんが処刑人だって、あの二人は知っているの?」

「教えていない。だが、イクスのほうは俺が処刑人だって確信しているようだ」

「そっか」

「あぁ。アイリーン、俺の親友を殺した審判がわかったら教えてくれよ」

「善処しているよ」

「頼んだ」

「うん。そだ、菫ちゃんにおまけ情報。レリック区で貴族の一人が殺害された。正規軍が動いているみたいだから、菫ちゃんが処刑人だと気づかれないように気を付けてね。追われるのが審判だけじゃなくなるよ。まっ、正規軍は菫ちゃんが処刑人だと知ったからって動きはしないだろうけど」

「わかった。気を付けるが、そっちは気にしなくてもいいだろ。軍はいくらモルス街の人間や吸血鬼が殺されたって見向きもしない。モルス街の人間を殺す処刑人を見つけたところで気にしないさ」

「でも、審判との取引とかで軍が君のことを利用する可能性は無きにしも非ず。だから念のためだよ」

「……だな」

「じゃあね。菫ちゃん。おやすみ」

「あぁ、おやすみ」


 扉を閉めると鈴の音は聞こえなかった。

 夜空を見上げると、月の明かりが存在を主張する。眠らない街レリック区のほうから喧噪が聞こえてくる。

 静かに深呼吸して、アイリーンから昼間受け取った紙を眺める。

 それは審判が吸血鬼の可能性が高いとした人間を連行する時間と場所、その人物名が記載されていた。

 確率は五十パーセントとアイリーンは言っていたが、可能性がある以上菫は処刑人として動く。

 脳裏に宿るのは人間なのに吸血鬼と疑われ連行された挙句、無残に殺された親友の姿。

 あの悪夢を人間が受ける前に、菫は審判が殺すより先に人間を殺す。

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