第7話:食材は消えた
「で、これからどうするんだ? 家に戻るか?」
両手を後ろに回し頭に当てながら菫は尋ねる。
「いえ、一旦オレの自宅へ戻ってノエの服とかを持ってきます」
ノエが前方でスキップしながら歩いているのを見失わないようにしながらイクスが答える。
「俺の服は菫に借りるとしても、ノエの服は替えが必要ですからね」
「俺の服はお前にかさねぇよ」
「身長に差がないじゃないですか」
「何故お前にかさなきゃならん。断る」
「酷いですねぇ」
街並みは次第に荒れバラックが並ぶ中、イクスの自宅へ到着すると菫があんぐりする。
「まじでカーテンだ」
菫は横目でイクスの身なりを見る。白のひざ丈コートに黒のシャツと白のズボンの着飾らない組み合わせだが、布に包まれた真白の刀は名刀だ。
血に塗れた出所が怪しい金銭も所持していたため、カーテンの扉と主張していてももう少しまともな家に住んでいると想像していた。
想像を覆す倒壊していないことが謎な形状で、建物と呼んでもいいのか怪しいほどトタンが出鱈目に継ぎはぎされ、穴も開いている。
ある意味巧みな職人技だ。ノエを住ませたくないといったイクスの言葉を真に理解する。
これではイクスはともかく、ノエがいつトタンの下敷きになるか心配だ。
「必要なものを取ってきますので、外で待っていてください。ノエもどこかに行かないでくださいね」
「子供扱いするな、オレはちゃんと待っているぞ」
「怪しいから言っているんですよ。あと子供です」
同感だ、と菫はノエの尻尾のように長い髪を掴んで見失わないようにする。
「菫もイクスもオレが迷子になると決めつけるのはよくないと思うぞ」
「子供は目を離せないもんなんだよ」
服を探す室内の音が丸聞こえで物取りのようだなと苦笑する。
数分後、茶色の紙袋を手にしたイクスが外に出てくる。
「これで大丈夫です。ノエ、暫くは菫の家にお世話になることになりましたよ」
「そうなのか! ありがとう。よろしくだ」
菫が尻尾を離すとノエが菫へ向き合い顔を上げてお礼を言う。
「どういたしまして」
菫はノエの髪を撫でた。
「そうだ、商店街で食料を買ってから戻りたい」
ディス区からセンター区へ戻る岐路の途中、菫は家にある食材では心もとないため買い足すことを決めた。
商店街へ到着すると人混みで溢れ、香ばしいものから腐敗した匂いまでありとあらゆるものが混ざり合って独特の異臭を放っている。
腐ってない食材をイクスと菫が目利きしている間、ノエが手持無沙汰でいると灰色と黒のまだら模様の野良猫を発見して目を輝かせる。
「猫だ!」
ノエと視線があった猫はそっぽを向いてすたすたと去っていくので引き寄せられるように猫を追った。
「よし、これだけ買えれば十分だろう」
「ですね」
イクスと菫が満足いくだけの量を購入し終えてノエのほうを向くと、ノエがいた場所が空白になっていた。小さなアホ毛が視界をちょこまかしていたはずなのにいない。
目を離したのはほんの一瞬。買い物の商品を決めて支払いを済ませている間に消えた。
「急いで探さないと……!」
顔面蒼白しながらイクスは素早く周囲へ視線を張り巡らせるが、商店街は人と物で溢れかえっていて小柄なノエでは埋もれてしまって見つけられない。
商店街から一歩離れれば複雑な細い道が迷路のように入り組んでいて地の利がないと思しきノエでは迷子になる。
菫は食料が入った紙袋が邪魔だ、とその辺を歩いていた女性にあげると投げつけて駆け出す。
ノエは、猫を捕まえた。
「にゃー!」
嬉しそうに撫でようとしたが、猫に威嚇され引っかかれそうになったので慌てて手を放すと逃げるように猫はいなくなった。
「……かわいかったのに。逃げられた……あ、イクスと菫は?」
猫に夢中で、イクスと菫の元から離れてしまったことを思い出し立ち上がるが、周囲はバラックの建物が四方を埋め尽くし、細い路地裏が広がっているばかりだった。
どこからどう来たのか記憶がない。ただ猫をひたすら追っていた。
「……どうしよう」
舌の根も乾かぬうちに迷子になってしまった。
大通りに出れば商店街まで戻れるはずだ、と考えるものの細い道が広がるばかりで無数のあるどれが正解かがわからない。
迷っていても仕方ないと歩き出すことにする。
「喉、乾いたな。まだ、大丈夫だけど……魔術を使ったら、危ないな」
ノエは喉に手を当てる。血を求めた乾きがあった。
薄暗く太陽の光すら通らない道を歩くと、道端で座り込んでいる少年少女が目に入る。
アイリーンから譲り受けた服は小奇麗で金銭を所持していると勘違いされ襲ってくるのではと恐怖したが、何事も起こらず通り過ぎることができ胸をなでおろす。
「イクスがいたから、気にならなかったけど……一人で歩くのは、なんか怖いな」
黒のポンチョの内ポケットに手を入れてみても、愛用していたナイフはない。
イクスに助けられる前にナイフは失った。
裏切り者の吸血鬼を殺す前にナイフを仕入れる必要があるなとノエは違うことを考えて、イクスや菫がいない不安を紛らわせようと努める。
モルス街の地理がノエにはないため、どこを歩けば正解なのか、どこを歩いてはいけないのかの常識が欠如していた。
広い道を目指して歩いていると、ノエの知識で当てはめるなら埠頭のような場所に到着した。ただし湾岸ではなくそこは淀み薄汚れた大きな川が流れており、罅割れたコンクリートの地面を挟んで、雨ざらしで歪んだコンクリートの建物が並んでいる。
色はなくモノクロに支配されているようだとノエは思った。
「変な場所に出たぞ?」
今までの街並みはトタンで形成されたものが圧倒的に多く、センター区はレンガ造りの建物が多かった。
別の区画に迷い混んでしまったような気分になりながらひたすら歩いてくと、道が途切れる先に大きな建物ある。
薄汚れた色の壁に扉はなく開けている中を覗き込むと目が血走った異様な集団が地面に座り込んでいた。
危険な場所だと直感が警告を鳴らしたのに従ってノエは背を向けて全力疾走すると集団が追いかけてくる。
「なんなんだ! 追いかけてくるな!」
ノエの逃げる足音と追いかける足音に反応して、外にいた集団の仲間も前方からノエをとらえようと殺意をあらわにして襲ってくる。蹴りが顔面に飛んできたが、跳躍してかわし着地と同時に足払いをかけて転ばす。
空きができた空間へ素早く潜り込むように間を縫って逃げるが、すぐさま空間を封じられて、凶器が振るわれる。
身軽な動作で暴力の渦を交わしていくが数が多く、このままでは事態が悪化するだけだ。
ノエは魔術を使うか悩みながら前方から迫る殺意をやり過ごす。
魔術を使えば吸血鬼だと露呈するだけでなく、血の渇望を増加させる結果になる。
目撃者を皆殺しにしてしまえば吸血鬼であることを隠せるが、誰構わず殺したくはない。殺さなくて済む相手は、殺したくない。
「――仕方ないなっ!」
吸血鬼だと露呈する覚悟を決めて、氷の魔術を周囲に展開する。
冷気が周囲の温度を下げ氷点下の世界を生み出す。
「吸血鬼!?」
誰かの叫びがノエの耳に届くが、気にせず神経を集中して殺さないように魔術を行使する。
無数の氷柱が皮膚に突き刺さり悲鳴が上がるが致命傷は外す。戦意を喪失して逃げ出してくれればそれで構わないし、痛みで気絶してくれればその間に逃げられる。
起き上がっている敵が視界から消えたので魔術を収めると視界が傾き片膝をつく。
「これで、大丈夫か?」
けれど油断した瞬間、倒れたふりをしていた男がノエに襲い掛かる。
「しまっ――!」
銀色の刃が見え、顔を守るように両手を交差させたが衝撃はやってこない。
恐る恐る目を開くと、白い鞘が目に入った。
「いく……違う」
真白の鞘に赤いリボンが揺れるそれはイクスの刀に酷似していたが別人だった。
茶色のトレンチコートに白のダウンボタンシャツにループタイを組み合わせた青年が悠然と立っており、地面へ視線を向けると襲い掛かってきた男が昏倒している。
「大丈夫ですか?」
緩やかに癖のあるプラチナブロンドの髪を揺らしながら金色の右目がノエを柔らかく見据える。
白の手袋をはめた手が伸ばされ、気品の漂う動作は無駄がない。
「う、うん。大丈夫だ、助かった……けど何故助けてくれたんだ?」
周囲には魔術の残滓が残っている。イクスや菫と同年代の青年がすぐに助けてくれたということは、ノエが吸血鬼であることを目撃している。
この国で吸血鬼は異端で敵だ。
「貴方が襲われていたからですよ」
「吸血鬼でも、か?」
「えぇ。それに今日は休日ですからね」
「……?」
休日の意味が理解出来なかったが、ノエは手につかまり起き上がる。
「ありがとう。助かった。オレはノエ」
「私はウルドです。この辺には何用で?」
「迷子になったんだ。で、どこへ行ったらいいかわからなくて、開けた場所に出ようと思ったらここに出た」
「ここは危ない場所ですから、近づかない方が賢明ですよ。違法な薬物とかを扱っていたりするので、どう見ても客ではない貴方が現れたから消そうと動いたのですよ」
ウルドは視線を倒れて気絶している男たちへ向ける。
「目を覚ます前に移動しましょうか……と、その前に。ノエさん、大丈夫ですか?」
「――え?」
見透かした金色の瞳が、ノエをとらえたので動揺する。
「血、足りないのでしょう」
確信をつく言葉に、ノエは黙る。
イクスに血が欲しいといえば、刀で突きさされたときの影響で血を求めているのだと思われ傷つけてしまうのではないかと言い出せなかったし、菫に求めていいものかもわからなくて我慢した。
我慢できる程度の飢えだから支障はなかった――魔術を行使する前までは。
けれど今は血が欲しかった。喉が、とても渇いた。
「どうして、わかる?」
「吸血鬼が血を求めているときは、経験上大体わかるのですよ。あげましょうか?」
「えっ?」
「別に、血くらい構いませんよ」
ウルドは短刀を懐から取り出し、トレンチコートの袖をめくり躊躇なく腕を切りつけると、赤い血が肌を伝って流れる。
「どうぞ」
感情なく差し出された血に困惑しつつも視線は赤に釘付けになる。喉がなる。
「飲まないと、血が無駄になりますよ」
ウルドが微笑する。
「いただきます」
その通りだ、とノエは傷口へ近づき血を頂く。濃厚な赤が口内に広がり甘い味が舌から伝わる。喉を通るたびに飢えが満たされていく。
久方ぶりの血を味わい、飢えが消えたところで名残惜しさを感じながら腕から口を離し赤くなった口元を拭う。
ウルドはウエストポーチから包帯を取り出し、右腕に巻いていく。
ふとウルドは人間だがどこか吸血鬼の匂いをノエは感じ取った。
「……ウルドは、吸血鬼に知り合いがいるのか?」
「どうしてですか?」
「ウルドは、人間だが吸血鬼が近くにいるような匂いがした」
「あぁ、それはきっと職業柄ですよね、気にしないで下さい。それにしても貴方は人間と吸血鬼の区別がつくのですね」
「うん。区別がつくんだ。ウルド、血をくれて有難う。おいしかったぞ」
「どういたしまして。ノエさんが迷子になる前の場所まで案内しましょう。どこですか?」
「ディス区の商店街だ」
「わかりました。行きましょう」
警戒心なくノエは屈託ない笑みを浮かべ、ウルドの隣を歩く。
ウルドが迷いない動作で迷路のような細い道を歩いていくと、やがてノエの見知った光景が広がる。
雑多でありったけの物を一つの鍋に詰めて煮込んだような匂いが少し離れていただけなのに懐かしく感じる。
「ここで大丈夫ですか?」
「うん! ありがとう。ウルド、また会おう」
「いえ、会わない方がいいと思いますよ、今日は仕事がなかったからというだけですので――次はないほうが、貴方にとって幸せです」
意味深な言葉を残して、ウルドは背を向けて去っていく。
「いいやつだけど、変な奴だな」
こてんと首を傾げていると
「ノエ!」
見知った声が、安堵が含まれた音でノエの名前を呼んだ。
「イクス! 会えた、よかった!」
イクスが切羽詰まった表情で駆け寄りノエをぎゅっと抱きしめる。ぬくもりが生きている実感を伝えてくれて心が落ち着く。
「まったく、心配かけないでください!」
「ゴメン……猫が可愛くて追いかけたら迷子になってしまった」
「無事で何よりです。本当に」
イクスが安堵していると、この界隈では見慣れぬ服を着た菫も合流する。
「ノエ、無事でよかった。心配かけんじゃねぇよ」
「イクスも、菫も心配かけてごめんなさい」
頭を下げてノエが謝ったので、無事ならそれでいいと菫がノエの頭をくしゃくしゃと撫でる。髪の毛がボサボサになったが、嬉しそうにノエは乱れた頭に手を当てる。
「親切な人が、助けてくれたんだ。しかも吸血鬼だと知っても優しかった。その人がここまで連れてきてくれたんだ」
迷子にはなったが、嬉しい出来事はあったとノエが伝えるとイクスと菫は顔を見合わせて眉を顰める。
この界隈に吸血鬼だと知っても態度を変えず優しいといわれる人物がいるとはなかなか考えられない。
「信じられませんね……」
「信じられなくても事実だ。綺麗なプラチナブロンドの髪をしたイクスや菫と同い年くらいの人だぞ」
「……ちなみに、名前は伺っていますか?」
イクスの脳内にある人物が浮かびながら問いかける。
「ウルドだ」
「本当に、ウルドに助けられたのですか?」
「うん。そうだぞ」
「何か……言っていませんでしたか?」
ノエのウルドがイクスの脳内に浮かんだ人物と同一であれば、ある日を除いてノエが無事なわけがなかった。
「えっと……今日は、休みって言っていたぞ」
「なるほど。だから無事だったのですね」
イクスは合点がいった。
一人納得しているとイクスを見て、ノエは引っかかった言い回しを尋ねる。
「どういうことだ? 名前を知ってるってことは、イクスの知り合いじゃないのか?」
「ウルドは審判の№Ⅱですよ」
イクスが苦笑しながら答えたので、ノエと菫が固まった。
「審判……だったのか?」
吸血鬼を狩る専門部隊審判の姿と、ノエの中にあるウルドの姿が一致しない。
審判は冷酷で、ウルドは親切だった。
「ウルドは仕事のオンオフは切り替えるタイプでして、仕事中は冷酷に邪魔をするものも全て切り捨てますが、仕事以外だと殺しを好まないのですよ。だから、仕事中でなければ殺しはしませんし、吸血鬼を見つけても何もしません」
「審判なのにか?」
「そうです。変わり種……とでも言いましょうか、大半の審判は人間も吸血鬼も――他人を殺したくて仕方ない集団です。しかし、ウルドは違う。他人を殺すのは仕事中だけなのです。だから、ノエが吸血鬼であっても何もしなかった。それだけです。仕事中であれば、ノエは殺されていましたよ」
「詳しいな」
菫が怪訝な表情を浮かべるので、イクスはむしろどうして菫が知らないのかと言いたげな顔をして言葉を続ける。
「俺としては菫が知らない方が不思議ですよ」
貴方は処刑人でしょうと暗に告げていたので菫は黙る。
「ウルドは……優しかったのに、審判だったのか……」
ウルドが審判であった事実が冷たく突き刺さりノエは気落ちする。
話を聞いた今でも、審判だとは信じられなかったし信じたくなかった。
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