第5話:服を探そう


 お腹一杯になったノエは幸せそうに微笑みながら足をぶらつかせる。


「ノエ、夕飯も食べてくか?」

「うん!」


 喜んで食事をしてくれるノエに菫は夕食も振舞いたくなって尋ねると、人を気持ちよくさせる元気な返事が返ってきたので、手を伸ばして頭を撫でる。

 外見に引っ張られるのか、ついつい年齢以上の子ども扱いをしたくなる。


「わかった。じゃあイクスと作るよ。何か暇つぶしになるようなものは……」

「本あるか? 読みたい」

「あるけど、字、読めるのか?」


 学校設備が当然のようにあるレーゲース街とは違い、モルス街にも学校は存在するが就学率は高くなく読み書きできない子供もディス区には溢れている。


「大丈夫だ!」

「わかった」


 寝室の戸棚を開けて菫は数冊の本を取り出す。表紙の状態は悪いが、中身は問題なく読める。


「ほら、小説だ。好みかはわからないけど」

「ありがとう、嬉しい」


 ノエは大事そうに受け取り、壁を背もたれにしながら好奇心旺盛な瞳で黙々と読み始めたので、字が読めるのは本当だったと菫は感心する。

 イクスと共に菫は一階へ降り夕食の準備を始める。


「ありあわせのものだけどいいよな?」

「えぇ。少なくとも俺の家で出すよりも美味しいものができますよ」


 昨日の夕飯は乾燥させた保存食を煮ただけの味気がない腹を満たすだけの食事だった。

 それと比べれば、床下収納から野菜が出てくるだけで豪華だと確信できる。

 手慣れた手つきで菫は野菜のミネストローネを作る。イクスは野菜を切るのを手伝った。

 菫が夕食をテーブルに並べている間、イクスは階段を上がり寝室に入ると本を無言で読み続けるノエがいた。


「ノエ、ご飯ができましたよ」

「食べる! あっ栞がほしいぞ……」


 キョロキョロとノエが視線を動かすが、栞に適切なものはなかった。


「ちょっと待ってください」


 イクスは寝室を勝手に漁って紙切れを発見し、ノエが読んでいたページに挟んだ。


「これで大丈夫です」

「勝手に引き出しとか漁って大丈夫なのか?」

「大丈夫です。許可貰っていますから」


 平然と嘘をついて、ノエと共にリビングへ降りる。すでに食事の準備は完了していた。


「どうぞ」

「菫はどこで食べるんだ?」


 イクスとノエが向かい合わせに座ると、菫の食事をする場所がない。


「俺はここで食べるからいいよ。椅子ねぇし」


 菫は一笑しながらキッチンを指さすとすでに食器も並べてあった。

 椅子は二つしかないから、来客であるイクスとノエが椅子とテーブルを使って食べればいいと思ったのだ。

 菫の心遣いにノエは微笑み手と手を合わせる。


「いただきます」


 黙々と食事を終え、食後のお茶を菫が出しながら話しかける。


「そういえば、イクスとノエはどこに住んでいるんだ?」

「ディス区ですよ」


 イクスが嘘偽りなく答える。


「イクスのとこにオレはお邪魔してるー! ドアがカーテンで面白いぞ」


 屈託ない笑顔でノエが言うので、菫の眉間にしわが寄った。

 イクスは余計なことを言わなくていいのに、と肩を竦める。


「なんでドアがカーテンなんだよ」

「お金がないもので。というか家自体、トタンを拾い集めて作った自作なので開閉式の扉をつける技術まではないのですよ」

「……まじか」

「最近ではバケツが合唱します」

「直せよ。それくらいはできるだろ?」

「いえ、複雑怪奇に積み重なった奇跡で形成されている家なので、ぼろすぎて手を加えたら崩壊します」

「どんだけぼろいんだよ……」

「菫の家と比べたら比べられるのが失礼なほど差がありますよ。ノエと横になったら身動きが取れないほど狭いですし……バケツも住み着いていますから余計に」

「ノエ。今日は泊まっていけ。夜にディス区をふらつくのは危ないし、こいつの家が危なさすぎる。いつ崩壊して死ぬかわかったもんじゃない」

「お言葉に甘えます」

「お前は遠慮しろ」


 イクスが真っ先に答えたので、笑いながら菫が文句を言う。


「仕方ないじゃないですか、遠慮したらノエを床で寝せることになるので」

「ノエにベッド使わせる気満々だな、まぁ俺もそのつもりだが」

「いいのか? 迷惑じゃないか?」


 ピンクスピネルの瞳が、真っすぐに菫を見据える。どこか不安の混じった表情に菫は手を伸ばしノエの頬を引っ張る。餅のように柔らかく伸びた。


「子供は遠慮しなくていいんだよ」


 イクスがノエに言った言葉と同じ台詞に、ノエは心から笑った。


「ありがとう!」

「どういたしまして。イクスは俺と床で寝るぞ、毛布があるからリビングにひく」

「わかりました」


 暫くして、ノエが本の続きを読んでから寝ると立ち上がる。以前中古で購入した本だが気に入ってくれたようで良かったと菫は思う。


「おやすみなさい」

「おやすみ!」


 ノエがイクスと菫に手を振る。階段を上がったノエの姿は見えなくなった。

 イクスが椅子に座っていると、菫が台所の戸棚から酒瓶を取り出す。


「飲むか?」

「えぇ、いただきます」


 グラスに氷を入れて菫は酒を注ぎイクスの前に置き、自分も椅子に座る。


「ディス区に住んでるってことだが、ノエに飯は食べさせているのか?」

「えぇ。まぁ今日の朝はアップルパイでしたが」


 出会ったのは昨日だったのでそれ以前のノエの食生活は知らない。


「どうかしましたか?」

「いや……ノエが実年齢より幼いから、まぁこの地域じゃ珍しくもないが栄養不足の発育がって思ったんだ」

「その可能性も否定はできませんが、もう一つノエが見た目より幼い可能性はありますよ」

「なんだ?」


 グラスを揺らして氷で冷やしながら酒を口に含む。


「吸血鬼だからです。過去、吸血鬼は不老不死と言われるほど長命でした。現在もその名残で稀に成長が遅かったり長命である吸血も存在するのですよ」

「そうなのか?」

「えぇ。現在でこそ昼間を闊歩できる吸血鬼ですが、中には夜行性で太陽がダメな吸血鬼も、血を食事として求める吸血鬼もいます。また、魔術の力が強い吸血鬼もいますよ。魔術の力が強い吸血鬼は総じて、他の吸血鬼より血を求める傾向が強いですね」


 過去ほどの強さは失われていても、様々な特色を持つ吸血鬼が今も生きている。


「詳しいな」

「菫が知らなさすぎるだけですよ」

「かもな。吸血鬼には興味ないし」


 青緑の瞳に暗い影が宿ったのをイクスは見逃さなかった。


「興味があるのは人間ですか?」

「ん。あぁそうだよ。吸血鬼に興味はない」

「――でもいるのですか?」


 踏み込んだ問いに、菫は失笑する。


「答える義理はない」

「そうですね」

「お前こそ、吸血鬼に興味でもあるのか? ノエを無意識で刺したのは、ノエが吸血鬼だからか?」

「それこそ、答える義理はありませんよ」


 イクスが笑顔で答える。殺伐とした雰囲気を霧散させるものは誰もいない。

 だが、ふとお互いに表情が和らぐ。


「まぁ知り合って一日の他人だしな」

「腹を割って話せるような仲ではないですよ」

「あぁ。ノエのことなんだが」


 菫は物騒な話は終わりだと切り替える。


「なんですか?」

「ノエの服は雨で濡れて乾かしているっていったよな?」

「えぇ」

「つまり一着しかないのか?」

「そうですね」


 川で倒れていたノエの素性はいまだ不明のままだ。吸血鬼である以外、何もわからない。けれどイクスはノエが何ものでもいいと思っている。ノエは、ノエだ。


「ノエが今着ている服も破けているし」


 イクスが刺した刺し傷に、怪我の状態を確かめるのに服を力任せに菫が割いた。ノエは気にしていないようだが、黒のシャツはボロボロな状態だし、白のコートも着られる状態ではない。


「……そうですね」

「明日、ノエに服でも用意するか。俺の着ない服をあげてもいいんだが、サイズ絶対合わないし」

「いいのですか」

「たかる気満々だな」

「見ての通り、お金はないもので」

「刀を売ればしばらくは生活に困らなさそうだが、武器売れとはいわねぇよ」

「ですよね」


 武器は生きていく上で必要なものだ。菫が銃を扱うように、イクスは刀を扱う。

 それを売れとは言わない。命綱を手放せば、つながる先は死に近い。


「それに、この刀は恩師からいただいた大切なものなのです。売るなんて言語道断ですね」


 イクスがすらりと刀を抜き取る。全てが真白の美しい刀。


「菫はお金持ちですか? 結構裕福な暮らしをしていますよね」


 周囲を見れば、最低限の家具がおかれた質素な暮らしをしているように映るが、それ以前に一人暮らしには不釣り合いの広さを持つ家に住み、野菜のミネストローネやアップルパイを作り、酒や娯楽用の小説までおいてあるのだから、暮らしに余裕があるとしか思えない。


「お金持ちではねぇよ。ただ、ここに昔住んでいたやつが……結構金持っていたんだ……。そいつが残した品を売ったり、あとは日々の仕事で生計を立てている」

「そうでしたか。じゃあやはりノエの服を一着たかっても大丈夫ですね」

「仕方ない、奢ってやるよ。ズボンくらい履かせてあげたいしな」

「えぇ。俺や菫のお下がりじゃ当分ズボンにはありつけませんしね」


 お互いに笑いあう。イクスがグラスを差し出し、菫は無言でつぎ足す。

 酒を片手に、会話をつまみに夜を明かした。



 翌朝、菫が振舞った朝食を食べてから、ノエとイクス、菫はノエの着替えを探しに商店街へ出かける。

 破けた黒いシャツだけで外出は問題あると菫が丈の短い上着をノエに渡す。


「菫の変な服じゃないのか」


 ノエは少しがかっかりしたが緑色のショーコートを羽織る。

 ディス区の商店街とは違い、センター区は整然としており物静かだった。


「この間のとことは違うな」

「まぁ、センター区だからな」


 品物の値段は、雑多でピンキリまで値段が異なるディス区やレリック区とは違い、高いがその分リンゴに蠅がたかっている品物は売っていない。

 服の種類も豊富だが、どこから流れてきたのか微妙なデザインの柄が多くノエに似合うものが見つからなかった。

 折角買うのだからやはり似合うものを着せてあげたい。


「レリック区の闇市へ行ったら掘り出し物があるだろうけど……しかし」


 菫は腕を組みながら視線をイクスへ向けると、彼も頷いた。

 子供を連れて闇市へは連れて行きたくない。

 あそこは何でもある場所だ。なんでもあるがゆえに、非道で非業な場所。

 悲鳴も慟哭も怒声も嘲笑も、あらゆる感情が一つに交じり、凝縮されている。

 イクス自身も可能ならば足を運びたくすらない場所だった。

 そこは、助けたいのに助けられない事実を鮮明に突き付けてくるから苦しい。


「次はどこに行きますかね」


 いっそレリック区にまで足を運ぶか、とイクスが考量していると、猫が目の前を横切り、ノエが引き寄せられそうなので髪の毛を左手で掴む。

 ノエは目を離せば何処かへ消えそうで、さらに誰かに誘拐されてしまいそうな不安がイクスにはあった。


「そうだな……よし。情報屋に行こう!」


 菫が名案だと手を打つ。


「俺たちは服を求めているのですが」


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