第2話:You are tender
真っ赤に染まった白のコートを脱ぎ腕にかけてイクスは雨の中歩くと、雛鳥が親鳥の後ろへ続くようにノエが無言のままついてきた。
無邪気な雰囲気は薄れ、落ち込んでいる様子なのが不思議だった。
相手の目的が追いはぎである以上、敵であることは明確だ。敵は一人残らず殺さなければならない。
だから、殺した。
なのに、何故ノエは笑わないのだろう。
疑問を抱いたままトタンを継接ぎした手製の家へ到着した。玄関の扉はつけるのに失敗したのでカーテンが入り口だ。
盗まれて困るのは恩師からもらった刀だけなので扉がなくても困らない。
尤も、今はノエの高そうな服を干してあるので、それを盗まれるのは困る。さりとて、持ち歩くわけにもいかない。
「どうぞ」
「うん」
ノエがバケツに気を付けて室内に踏み入れたのでイクスも続く。ノエの服は盗まれていなかった。
「また服着替えないといけませんね」
「服、ある?」
「えぇ、大丈夫ですよ。ノエに貸すくらいはできますから」
最後の着替えをノエに渡す。イクスは濡れた服のまま過ごすことになるが、子供を濡れたままにするわけにはいかない。
小柄なノエは、触れたら折れてしまいそうなほど弱弱しくイクスの瞳には映る。
「うん。有難う」
ノエは濡れたイクスの服から着替え始める。
「……俺が殺したことが、怖いですか?」
「ちょっと怖い。イクスは強かったから追い返すことくらい、簡単だったはずだって。でも」
「でも?」
「でも、オレだって殺そうと思っている相手がいる。なら、同じなのかなって……」
結果が死ならば同一で、怖いと思った感情は棚に上げた我儘という思いがあった。
イクスは子供の頭を優しく撫でる。
「俺とノエの思考は違いますよ。誰も彼も殺しまくる必要はないのです。ただ、俺は敵を生かしておく必要はないと思っているから殺しているだけです。ノエと同じではありませんよ」
殺そうと思っている相手がいると告白してきたことは驚きだった。
けれど、殺人という結末が同じでも過程が違うならそれは同一ではない、あってほしくないと率直に思う。無邪気に笑うノエは純粋なままでいてほしい、その願いこそ我儘かと内心で笑う。
「イクスは、着替えないのか?」
「俺は別に平気なので」
血をついた白の上着は脱いで水で顔と髪は洗ったが着替えはないのでしない。
「……服、これが最後なのか? なら、イクスが」
「いりませんよ。ノエは川でずぶ濡れになっていたのです、そのままでいたら風邪をひいてしまいます。俺は大丈夫です。濡れた程度で、風邪をひくほどやわじゃありませんから」
「ありがとう」
着替えた服を脱いで手渡してもイクスは着替えないとノエは判断する。
「そういえば、傘はないのか?」
「今更過ぎますよ。昔はあったのですが、あげてしまいました」
濡れた子供にでも傘をあげたのだろうとその場面が想像できて、イクスは冷淡に人を殺したけれど優しいのだと実感しノエは胸が暖かくなる。
「夕飯でも食べましょうか。ありあわせのものしかありませんけど」
「食べる!」
ぐぅとノエのお腹が空腹を主張する。
乾燥させて保存していた食材で簡単に食事を二人分用意すると、保存食は空っぽになった。
「ノエ、行くあてはありますか?」
「ない」
「じゃあ、泊まっていくといいですよ」
昼間以上に無法地帯とかすモルス街のディスポゲール区、通称ディス区に子供を放置するわけにはいかない。
「……でも、迷惑じゃ……」
「迷惑じゃありませんよ」
子供が遠慮する必要はない。子供は幸せな笑顔を浮かべていればいいのだ。
「ありがとう」
花のように明るい笑顔をノエが浮かべたのでイクスは満足そうに頷く。
「と、いっても狭いのですけどね」
イクスは肩を竦める。部屋の住民はイクスとノエのほかに無数のバケツもいる。時々外へバケツを捨てに行かなければ水が零れそうだ。
「大丈夫だ! ありがとう」
「では、寝ましょうか」
蝋燭の火を消してからイクスは一枚しかないタオルケットをノエにかけて横になる。ノエは疲れていたのかすぐに寝息が聞こえてきた。
月明りもない真っ暗闇の深夜、目を覚ましたイクスは出かけようと思ったが
「……行かないで」
ノエの寝言が聞こえてやめた。ぎゅっとタオルケットを掴むノエの頭をゆっくりと撫でる。
「行きませんよ」
◇
翌朝は前日の雨が嘘みたいに晴れやかな空が憎たらしいほど広がっていた。
イクスが外で深呼吸をしていると、ぶかぶかの服を着たノエが瞼をこすりながら現れ、眩しい太陽に目を細める。
「おはようございます」
「おはよう。天気、いいな」
「えぇ。ノエの服も昼には乾きそうですね、といっても室内干ししかできませんが」
ノエの服を外干ししたら一瞬で盗まれてしまう。
「イクス。オレ、この街を色々と見て回りたいんだけど」
「丁度良かった、朝食を食べに外へ出ようと思っていたのですよ、街を見ながら行きましょう」
商店街へ向かう途中、好奇心旺盛なノエはバラックの街並みへ視線がせわしなく移動する。
物珍しそうに歩く姿にイクスは確信する。
ノエは、法に見放され無法地帯とかしたモルス街の住民ではない。恐らくは法と秩序に守られたレーゲース街の住民だ。
ならば何故レーゲース街で生きる人間が、犯罪がモルス街へ足を運んだのかが理解できない。
法を犯す娯楽を求めレーゲース街の住民――主に貴族がこの街へ護衛付きでやってくることはあるが、ノエが娯楽のためにやってきたとは考えられない。
「つきましたっと、ノエ。食事は何がいいですか?」
商店街は無法地帯に相応しい雑多に様々なものが入り混じった場所だ。パイプでくみ上げた商店の屋根は布で出来ている。
闇市より怪しいものは混じってない場所とは言え、腐りかけの果実を売っている店も平然と存在し、注意深く判断しなければ腹を壊す羽目になる。
得体のしれないものをノエに食べさせるわけにはいかない。
ノエは鼻を犬のようにくんくんさせてから走り出して、ある店の前で立ち止まった。
アップルパイが売っている店だった。
値段は他の店と比べても高かったが、イクスが見る限り怪しいものを使用しているとは思えない。
「これが食べたい!」
目を輝かせてアップルパイを眺める姿に、きっと好物なのだろうと判断する。
「いいですよ」
予定の三倍出費する羽目になったイクスの財布は空になったが、ノエが美味しそうに頬張って食べるので、気持は満ちた。
ノエの周りにだけ花が散っているかのように、くすんだ周囲が明るく錯覚で映る。
「美味しかったですか?」
「うん!」
「では、移動しましょうか」
「待って!」
ノエがきゅっとイクスの袖をつかむ。
「なんですか?」
「イクスは食べないのか?」
見上げるようにノエが訪ねてくるので、しまったと内心思うものの財布が空だとはいえない。
「朝食はとらない主義なんですよ」
「……本当なのか」
「本当ですよ。朝食は普段からとってないのです」
金銭的に余裕がないから朝食をとらないだけだが嘘ではない。ただ、ノエを不安に思わせたくなくて今日は一緒に食べようと思っていた。
「……わかった」
落ち込んだ表情が変わらないので、軽く頭を数度ポンポンと叩いた。
「子供は遠慮しなくていいんですよ」
商店街から出てディス区を回っていると、突然ノエが走り出した。子供の行動は予想がつかないから厄介だとイクスが続くと、裏路地で怪我をしている十代中ごろの少年にノエは話しかけていた。
生きてはいるが、生気のない少年。この街では珍しくもない存在だ。薄汚れた髪は元が茶髪だったことを汚れの隙間から告げている。傷だらけの身体は痛々しい。
「大丈夫ですか……」
イクスは柔らかい表情で訪ねるが、少年から返事はない。
「大丈夫か? 生きているのか?」
ノエが何度も心配そうに声をかけると、少年は首を縦に振った。
「良かった!」
安心したのかノエが柔らかい笑顔を浮かべる。
年上のイクスには警戒しているようだが、自分より年下のノエの前では警戒心が薄れるのだろう。何より、警戒する心がノエを見ていると馬鹿らしくなる。
「怪我、大丈夫か? 痛いだろ」
「……大丈夫。いつものことだ」
「何故こんなところにいたんだ?」
「……友達が、捕まったから」
「捕まったって酷いな! 誰にだ!」
ノエの感情豊かな表情と言葉に少年は目を丸くしながらも、泣き出しそうに自嘲する。
「盗みに失敗したんだよ。おれだけ、友達を見捨てて逃げたんだ」
「後悔しているのか」
「うん。捕まったらどうなるかわからなくて怖くて逃げた……」
「じゃあ、お前が盗みに入った場所まで行ってみよう。友達を探しに!」
ノエの言葉に少年は驚愕する。
自分のことが精一杯で他人のことなど気にも留めない人間が溢れるこの街で、赤の他人を気にかける存在がいるとは思えなかった。
「オレもイクスもついていくから」
胸を張って笑うノエに裏を感じ取れない。
警戒すべきは、褐色肌で白髪に金の瞳を持つノエと一緒にいる長身のイクスだった。子供より大人方がずっと性質が悪いのを知っている。
「イクスは、優しいから大丈夫だ!」
ノエの言葉が嘘だとは思えず、少年はイクスに対しての警戒を解く。
「じゃあ行きたい」
「うん。行こう。どこだ?」
「センター区のある家、スイセンの花が飾ってあるんだ」
「わかりました。行きましょう」
イクスは少年を抱える。少年は驚いたが、まともに動けない身体では仕方ないと抵抗を諦めた。
「道案内宜しくお願いしますね」
「……うん」
少年の案内でディス区から移動してセンター区へ移り変わると、ノエが目を見開いた。
「此処は、ごちゃごちゃしていないんだな」
雑多であるもの全てを詰め込んで適当に作り上げたような統一感の欠片もないディス区と比較すると街並みは整っており、路上に投げ捨てられて放置されたゴミも目立たない。
人通りは少なく、静寂な空気を醸し出していた。
「ディス区と比べちゃいけませんよ。センター区は比較的お金に余裕のある人間が生活空間としている場所ですから。治安も、モルス街の中では一番いいですしね」
同じような家々が並ぶ中、ほどなくしてスイセンの花が飾ってある家の前に到着する。
三段の階段を上り、ドアをノックする。反応がなかったのでもう一度続けてノックをすると、青年が現れた。
「変な恰好!」
「正直な第一声有難う」
ノエの率直な感想に青年は一笑する。
イクスと同世代と思しき青年は薄茶色の髪を桜の簪で纏めており、青緑色の瞳と固い表情はとっつきにくさを醸している。
紫色に花柄の羽織、それに袴を着た姿はこの界隈では殆ど見ることのない独特さがあった。
「何用……って、お前、昨日の物取りか?」
青年はイクスが抱えている少年に見覚えがあった。昨日、留守だと勘違いして複数の少年が盗みに侵入してきた。三人は捕まえたが、一人は取り逃がした。
「あの……おれの、仲間は」
「立ち話もなんだ、家に入りな。俺の名前は
室内へ入るよう促す。ノエは警戒心なく入っていったのでイクスは内心でため息をつきながら少年を抱きかかえたまま続いた。
リビングを見渡し、物の量から一人暮らしだとイクスは推測する。端には二階へ上がる階段があり、とても一人暮らしだとは思えない広さがあった。
来客用か、テーブルを挟んで向かい合わせの形に椅子が二つある。
「座っていいぞ」
菫がカウンター式キッチンへ足を運んだので、イクスはノエと少年を椅子に座らせた。
キッチンではお茶を用意していたようで、菫がお盆にコップを四つ並べてテーブルへ置く。
「別に毒は入っていないから飲みな」
ノエが飛びついてお茶を飲みそうだったのでイクスは制して先に一口含む。
「たしかに、毒はないですね。二人とも喉を潤すといいですよ」
「速攻、毒見しなくてもいいのに」
菫は肩を竦める。
「少年。何故ここへ来たかは知らないが、お前の仲間ならお菓子やって返したよ」
「えっ!?」
少年は驚きのあまり声を荒げる。コップのお茶は空になっていた。
「なんだ? 合流していないのか?」
「……捕まったから、もう生きてないと思ってた。だから、巣には戻ってなかったんだ」
「なら戻れよ。仲間も待っているだろ」
ぶっきらぼうだが、言葉の端々に優しさが感じられてノエが、微笑む。
「なんだ? 俺の顔に何かついているか?」
「お前も優しいなって思っただけだ」
「優しくないよ」
「優しいやつは、そう否定するんだよ」
イクスも否定した、菫も否定した。だがノエは二人が優しいと思っている。
「そうかよ……で、どうする仲間の元に戻るのか?」
子供の微笑みから避けるように菫が話を戻す。
少年は見捨てて逃げてしまった心と、生きていた安堵で心が包まれる。非難を浴びたとしても、それでも戻りたいと思った。頷くと菫が懐から包みを取り出し手渡した。
「戻ったら皆で食べるといい。クッキーだ、毒見するか?」
菫がイクスの方へ視線を向ける。
「しませんよ」
笑いながらイクスが返事をする。
「……有難う」
受け取った包みの重さが暖かくて少年は涙が零れそうになる。
この街ではありえないことが立て続けに起こった奇跡に感謝する。
「送ってくよ。その怪我でディス区を歩かせられないからな、その前に怪我の手当てだな」
リビングにある引き出しから救急箱を取り出し、菫は腕まくりをして少年の手当てを始める。
「俺が送ってくつもりだったのですが」
「あぁ、そうか」
「まぁ一緒に行きましょうか」
「だな。ちょっと待っててくれ」
手当を終えた菫は立ちあがり、箪笥から布が巻かれた棒状のものを取り出して背負う。イクスが刀をしまっている布とは違い、ところどころに凹凸がある。
イクスは目を丸くする。
「護身用だ、お前だって刀を持ち歩いているだろ?」
「えぇ。ただ驚いただけです。このディス区では珍しいものですからね、それは」
「気付いたのか」
「えぇ。まぁ、気づきますよ」
「へぇ……。さて、少年ども行くぞ」
「うん! よし、いこう」
ノエが少年に手を伸ばす。担がれてここまで来たが、自らの足で戻りたいと少年はノエの手を取った。
玄関から外にノエと少年が出たのを見計らって、続こうとしていた菫へイクスが背後から首元へ白い刀を当てる。刃先を少しでもずらせば首を切れる角度で訪ねる。
「貴方が、処刑人ですか?」
冷淡な瞳は、人殺しを厭わない。
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