欠落フォリア
しや
第1話:バケツの合唱
トタンで継接ぎされた家が、雨音のハーモニーを奏でる。
イクスがバケツを手に天上を眺めると、無数の穴が開いていた。
「修理……いや、修理したら崩れますね、これ……」
手製の家は複雑怪奇に絡まった形状だからこそ崩れずに保っており、下手に手を加えれば一発で瓦解する。
「イクスにーちゃん!」
どうしたものか思案していると、外から幼い子供の声が聞こえた。近所のニメだ。
カーテンを引いて外に出ると、ニメが傘を差さず落ち着かない動作で立っていた。
「にーちゃん! 川にね、きぞくさまのかっこうした子がたおれてる!」
「案内してください」
宝物を見つけて好奇心一杯なニメは頷く。
イクスがニメを抱えて指示通りの方向へ走り出すと、水たまりが跳ねて泥が白いズボンに付着した。
貴族の恰好をした子が倒れている表現が気になった。この地区へ貴族が足を運ぶことなど滅多にないし、ましてや子が来る場所ではない。
淀んだ川に到着すると、川に足が浸かったままうつ伏せで死んだように倒れている少年がいた。イクスはニメを降ろしてから、駆け寄る。
全身ずぶ濡れの少年を抱き起すと微かだが呼吸がある。川から移動させて仰向けに寝かせる。
年端もいかぬ姿は、この界隈ではお目にかかることのない恰好だ。
ストライプの赤いリボンが付属したマントを羽織り、胸元には大きな白いリボンが結ばれ、フィッシュテールスカート形状の布を腰に巻き、白のズボンに花飾りがついた茶色のショートブーツを履いている。
「大丈夫ですか?」
何度か声をかけると少年の意識は戻り、瞼が開かれた。ピンクスピネルの瞳が困惑した色でイクスを見る。
「……うん。オレを、助けてくれたのか?」
小首を傾けると長い黒髪が揺れ、髪飾りの藤が鮮やかに映える。
「助けたのは、この子ですよ」
意識がはっきりしないのか焦点が定まらない少年に、イクスはニメを抱きかかえて主張する。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
ニメの無邪気な笑いにつられて、少年が向日葵のような明るい笑顔を浮かべた。
「オレはノエ」
「この子はニメで、俺はイクスです」
「二人ともありがとう」
この地区では見かけない整った身なりのノエをイクスは警戒したが、ニメと無垢な笑顔でハイタッチしている姿に警戒を解く。
「ニメ。そろそろ戻らないとお母さんが心配しますよ」
「わかった! じゃあね、イクスにーちゃん、ノエ!」
ニメが手を振りながら走り去っていく。
「ノエ。何故こんな雨の中倒れていたのですか?」
降り注ぐ雨が絶え間なく身体を冷やしていく。雨音が支配する空間でノエは無言だった。
「答えたくないのならばいいですよ。でも幸運でしたね。発見したのが、別の人でしたら身ぐるみを剝がされて売り飛ばされていましたよ」
「うっ、何それ、怖い。なぁ……イクス、何処か休む場所はないか? 寒い」
両手で肩を掴み震える。
「俺の家で良ければ……」
「大丈夫だ、ありがとう!」
言葉を濁すイクスに気付かないのか、ノエが破顔する。
「わかりました。ついてきてください」
無垢な子供の笑顔を断る必要はないとイクスは立ち上がり手を差し伸ばす。
小さな手が柔らかく掴んだ。
川から離れバラックの中を歩くと、見慣れぬ光景なのかノエが周囲を落ち着きなく見渡す。袋小路で迷子になりそうだ、と濡れたマントを掴んで見失わないようにした。
何故ノエが先頭を歩いているのかとイクスは微笑む。
雨のおかげで身なりの整ったノエを目撃した人物は少ないまま雨漏りのする家へ到着することができた。
「どうぞ」
カーテンを開き、先にどうぞと促す。
ノエが室内へ足を踏み入れるとガシャンと盛大な音が響く。
しまった、とイクスが慌てて続くと雨漏り用のバケツが倒れ、ノエもうつ伏せになっていた。
狭い室内に置かれた他のバケツもいくつか倒れてしまっている。
「言い忘れていました、大丈夫ですか?」
「大丈夫……ゴメン。バケツ倒した」
両手を使って起き上がったノエは、頭から倒れたのか額をさすりながら隅っこへ縮こまるように移動した。
「いいですよ、別に」
倒れたバケツをイクスはおこして、雨漏りの場所へ再び置く。立て付けの悪い引き出しから雑巾を取り出して床を拭きバケツに水を絞る。
「俺の着替えで良ければ、着替えますか? 濡れたままだと寒いでしょう」
「お願いしたいな」
震える姿は小動物のようだと思いながらイクスは、着替えとタオルとノエに渡す。
濡れた服を受け取り、紐の上にかけて干す。
大人のイクスと、子供のノエではサイズが違いすぎて黒のシャツを着ただけで膝丈の長さがあった。ズボンは流石に無理だと判断したイクスが手渡していた七分丈のコートも、小柄なノエが羽織ると全体的にダボダボだ。
パッチワーク柄のタオルケットも身体を温めるために渡すと、ノエはグルグルと身体に巻き付けて猫のように丸まった。
「温かい、ありがとう。イクスは親切だ」
「……別に親切なんかじゃないですよ」
「そんなことはない。オレを助けてくれた」
裏表のない笑顔で断言されて、こそばゆい思いにイクスがなっている間に、ノエは眠くなってきたのか船をこぎ始めた。
「寝てもいいですよ。身ぐるみ剥ぎませんから」
「イクスがそんなことするとは思ってない……寝る。おやすみ」
「おやすみなさい」
横にこてんと寝転がったノエはすぐにすやすやと寝息をたてる。
「……無防備に寝すぎですよ」
警戒心のないノエにため息をつきながら、イクスの心は穏やかな気持ちになれた。
眠るノエを眺めていると睡魔がやってきて仮眠するかと思い始めたが、ノエがむくりと起床したので寝るのをやめる。
「おはよう……」
「おはようございます」
まだ眠いのかノエが微睡んでいると、外がざわめく。喧騒は雨音をかき消して広がっていく。
「なんだ、何がおきたんだ?」
ノエが落ち着かない視線でイクスへ問いかける。
「異端者を狩る審判が姿を見せたのですよ」
「異端者……? 審判……?」
「知らないのですか? 審判は、異端者である吸血鬼を見つけだして彼らの拠点へ連行するのです」
悪名高く有名な審判を知らないノエに驚きながら説明する。
「吸血鬼……は異端者なのか?」
「人間とは異なる種族、即ち異端ですよ」
「じゃあ吸血鬼は殺されるのか?」
「えぇ」
「イクス。そこへ行きたい」
「行ったってどうしようもないですよ」
「それでも、だ」
ぶかぶかの服を着たまま、立ち上がったノエは玄関のカーテンを引いた。
「行くなら、俺もついていきます。放って……おけませんから」
「ありがとう」
向かう先を考えると常に身に着けている刀に自然とイクスの指先が触れた。
袋小路を抜けて開けた場所へ出ると、住民が円を描く形で集まっている。中心を見据えるとボロの布きれを纏った男が、身なりの整った白と赤を基調とした集団に連行されている途中だった。
身長の低いノエは人込みで現状が把握できずぴょこぴょこと跳ねているので、イクスは抱きかかえて見せる。
「どうして、人間が連行されるんだ?」
「何故、人間だと思うのですか?」
「……吸血鬼なら、魔術を使って逃げるからだ」
「ノエ。同じことなんです」
ノエが人間だと判断した根拠は他にありそうだと思ったが、追及はしない。
「え?」
「人間だろうと、吸血鬼だろうと関係ない。吸血鬼だと噂され、審判に捕らえられた時点で殺される未来は確定します。何故ならば、人間が人間だと証明する手段がないからです」
吸血鬼の可能性があれば、真偽を確かめるため審判に連行され――生きて戻ってきたものは誰もいない。
「どうしてだ? 人間なら審判の領分外だろ」
「吸血鬼狩りの専門部隊ですが、極論殺せれば吸血鬼でなくてもいいのです」
「そんなの、殺人鬼集団じゃないか……間違ってるだろ」
「えぇ。間違っています。けど、それが審判の現実です」
抱きかかえているノエを離したら、男を助けに走り出しそうだとイクスは小柄な身体を強く握る。
「そんな……」
「どうにもならないのが実態ですよ」
見過ごすことしかできない。見ないふりしかできない。それが、現実。
ノエの身体が震えたのがわかって唇を噛みしめる。
子供の希望を叶えられない事実が、胸に痛い。
何か声をかけようと思ったが、周囲が突然騒々しくなる。ノエも息を飲んだのがわかった。
視線を移動させると、男が鮮血を散らして倒れている。血が雨で流れ薄まる。
殺害された男へ興味を失った審判たちが、男を仕留めた銃弾の方向へ一斉に走り出す。審判の通り道にいたと切り捨てられないよう住民は通れる道を作る。
審判がいなくなると、殺された死体には目もくれず人々は立ち去り、残ったのはイクスとノエだけだった。イクスはノエの身体を降ろす。
「何がおきたんだ?」
「……処刑人の仕業です」
「なんだそれは?」
「吸血鬼と疑われた存在を、審判が連行する前に殺すものの呼び名です。推測ですけど、殺される前に殺したほうが、苦しまないから殺しているのだと思いますよ。拷問の果ての死より、一撃の死の方が痛みは少ないですからね」
無言でイクスの話を聞きながらノエは殺された男に近づき見開いた瞼をその手で閉じる。
「埋葬しましょう」
イクスの言葉にノエは頷く。助けられなかった命ならば、せめて土の下で眠りについてもらいたい。
埋葬し終わると、ぶかぶかの袖を口元にもってきてノエが笑った。
「イクスは、優しいな」
「……優しくなんてありませんよ」
視線をそらしながらイクスが答える。
「さて、雨も降り続いていることですし、戻りましょう」
「うん!」
降り注ぐ雨の中、ノエが躍るようにステップを一歩踏むと藤の髪飾りと黒髪が揺れる。
微笑ましいと眺めていたイクスの前に、場違いな複数の男たちが現れた。強面の男たちは、明らかな悪意を向けている。
「なんだ……?」
「追いはぎですよ」
ノエが一歩前に出ようとするのを左手で制して、子供を傷つけるわけにはいかないとイクスは前に出る。
「正解だ!」
男たちが堂々と宣言する。それは、敵であると証明したことに他ならない。
襲い掛かってくる敵に対してイクスは洗練された動作で白い刀を抜き取り、躊躇なく切り裂く。血飛沫が雨のように降り注ぎ、イクスの白髪をまだらもように染め上げる。
冷徹な動作で刀を振るえば振るうほど、死体が築き上げられる。
圧倒的力量の前に殺されていく仲間の前に、敵わないと背中を向けて走り出した男を素早く追って心臓を一突きにする。
緋色が一面に咲き誇る。
「い、イクス……?」
茫然としたノエの問に、血に染まったイクスは笑顔で答えた。
「敵は、殺さないといけませんから」
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