死を告げる者

@ushin78

第1話

満開の桜を見ながら和原由紀(かずはらゆき)はある一説を思い出した。

『桜の下には死体が埋まっている』

 狂気のようにピンク色の花が咲き乱れ、美しくもあり怪しげでもある。

 いつの元彼だったか忘れたけど、そんなことを言っていた奴がいた。博学だったけど話についていけなくてすぐに別れた。そんなことばかり話されても困ったし、楽しくなかった。

 由紀はいつも自分だけが正しいと思っている。自分の物差しから外れると許せなくて、男を振ってしまう。美人タイプの由紀はほっておいても男から声をかけてくるので困らない。好意がありそうな男にはさりげなくきっかけを作り、ちゃんとわかっていて確信的にやっていることが多い。仕事でも完璧にこなして、できる人としかやらないことにしている。時間の無駄だから。自分のことを何でもできて優しいと思っている。

 今日はさとしとデート桜の下で待ち合わせ。楽しみでドキドキしていた。さとしは長身でかっこよくて仕事もできて優しい。まさに由紀の理想のタイプ、付き合ってデートなんて夢見たい。最高の気分。

 一陣の風が吹いた。目の前に全身黒ずくめの男がたっていた。美しい顔立ちで切れ長の目をしている。由紀はその男と目が合い、吸い込まれるように離れられなくなった。その瞳は黄金色や青色に変わった。男は由紀を見つめ、獲物を見つけたようにニヤリと不気味に笑った。

 奥歯はカチカチ鳴らして酷く悪寒が走った。そこだけ時間も息も動きも止まっているかのよう。恐怖で由紀は震えあがった。重い空気の中、男が口を開いた。

「和原由紀は二日後に死ぬ」

 低音の声で静かに告げた。

 目を見開き怯えた眼で男を見つめた。何故、私が死ななければいけないの…悪い冗談よー由紀は誰かのサプライズだと思い込んだ。気が付かぬうちに自然と涙が溢れ流れていた。

 男は薄ら笑いを浮かべながらスーと消えた。

 急に周りの雑音が聞こえてきた。

「由紀、どうした?」

 さとしがデートの待ち合わせに来たら、怯えた顔で涙を流して中を見ていた。何事かと思い名前を呼んだが反応がない。

 目の前に男の顔があり、さとしなのに黒ずくめの男と勘違いして、驚きのあまり由紀は叫んでしまった。

 通行人が興味本位で見ていた。さとしは来るなりいきなり叫ばれたていい晒しもんだ。

「由紀、俺だよ、さとしだよ」

 さとしは由紀の両肩を掴み、体を揺さぶった。何かに怯えて焦点の合わないどこかを見ていた。何度も名前を呼んだ。

「由紀」

 さとしの声で我に返った。心配げな顔で由紀を見ていた。よく見るさとしが目の前にいてさっきの男ではなかった。確かにいたはずなのに幻でもみたの?

「由紀、大丈夫」

「ごめんなさい、大丈夫」

「すごく怯えて泣いていたから、何かあったの?」

「信じてもらえないけど、変な男に二日後に死ぬとかいわれたの」

「何それ、頭のおかしい奴じゃない」

「そうかも」

「それより俺と楽しいデートをしよう」

 さとしは笑顔を向けた。それにつられて由紀も笑顔になった。しっかり手を繋いで桜並木を歩いた。顔を合わせれば笑顔で見つめ合った。桜を見ながら由紀の手作り弁当を食べた。おいしくて心もお腹も満たされてすごく気分がよくなった。

 デートは更に盛り上がって、男の事も怖い思いも忘れるように楽しんだ。最後はさとしの家でのんびり抱き合った。

 さとしと別れた後、楽しかったはずなのにどこか寂しさを感じた。ふと全身黒ずくめの言葉を思い出した。

―和原由紀は二日後に死ぬ―

 背中がゾクッとし、体が冷えてきた。さっきの言葉が頭の中を駆け巡った。軽くパニックになりそうになったが、深く深呼吸して落ち着かせた。

 夜空に目をやると、月が輝いていた。いつもより一段と明るく眩しく見えた。とても美しく桜が幻想的に見えた。しばらく眺めているといつしか恐怖も忘れて、家路を急いだ。

 黒ずくめの男にずっと見られていることも知らずに…。


 翌朝、いつものように由紀は会社に出勤した。皆に挨拶しながら自分の席に着く。パソコンと向き合い仕事をし始める。頼まれたものから後輩の失敗もフォローし、何でもやりこなす。

 明日の会議で使う資料のデータが違っていることに由紀は気が付いた。舌打ちをしてイラついた。またあの社員がミスをしでかした。

「ちょっと、明日の会議で使う資料のデータが違うけど、誰が作ったの?」

 少し睨みを効かせて、仁王立ちして周りを見渡した。

 社員たちは目が合わないように、机に向かった。和原由紀の前でミスが分かれば酷い目に合う。あった社員は無視され、ありもしない噂を流されて会社にいられなくなる。

 社内に緊張感が走る。

 一人の男性社員が机から立ち上がった。明らかに青ざめ顔で生気がなかった。何言われるかわかっているだけに生きた心地がしない。

「何よ、これ、データ間違っているわよ、こんな簡単なことに気が付かないわけ」

 由紀は軽くため息を吐いた。

「あなたには頼まないわ」

 由紀はほかの社員に資料を渡して、修正を頼んだ。

 いつもこのやり方―だから由紀は知らない、後輩や上司や同僚に嫌われていることに。

 静かに時は流れる。嵐の前触れのように。

 由紀を監視する瞳は背中を見つめる。暫くして、異様に背中が寒く感じられた。誰かに見られている気がした。後ろを振り向いてみるとみんな仕事をしていた。気のせいかと思い、パソコンを続けた。背中に氷のように冷たい視線を感じた。感覚は消えず粘り付いた。

 誰かの手が肩に触れた。あわてて後ろを振り向くが誰もいない。忙しく社員が動いているだけだった。気のせいだと思いパソコンに向かうが、やはり誰かの視線を感じる。こっそりと右や左を見渡す、窓の外を見るも誰もいない。

 何かばかばかしく思えてきてやめた。あいつの言ったことなんてただの冗談よ。忘れてパソコン画面に顔を戻した時、目の前にあの黒ずくめの男の顔があった。じっと見つめ、ニヤリと不気味に笑った。

「きゃぁあああー」

 由紀はその男と目が合った瞬間、張り裂けんばかりに叫び声を上げた。社内中に響き、注目を浴びた。

 目を開けてみるも、まだ居て、ゆっくりと男は由紀に近づいていった。逃げようとしたがあまりの恐怖で固まり動けなくなった。目の前まで来た男はまた笑いながら消えた。

 社内は騒然となった。そんな中、由紀はいるはずもないのに誰かに怯えて震えあがっていた。

 社員たちは由紀を心配なフリをして冷たい目で見ていた。憐れんで蔑んで笑った。顔に笑みが出ないように堪えた。今まで偉そうにきつくあたり、ちょっとでも失敗した奴は追い詰めて出社できなくした。“ざまあみろ”と誰もが思った。

 同僚が駆け付けてくれた。

「大丈夫」

 心配そうな声で言ってみた。由紀の顔は青ざめ酷く怯えていた。

「何があったの、話せる?」

 ガタガタと震えて、泣きながら顔を下に向けていた。

「いるの、黒ずくめの男が…」

 か細い弱い声で言う。今までは考えられない無様な姿に社員たちは最高にいい気分。もっと間抜けな姿を晒して優越感に浸らせてほしい。

「どこにいた?」

 指を震えながらパソコンの上あたりを指した。同僚はその行先を目で追った。だが、何もない空間が広がっていた。

「何もないわよ、本当にいた?」

 二回頷く。

「確かめてみたら」

  由紀は恐る恐る顔を上げ確かめてみる。男は完全に消えていて、元の職場に戻っていた。言葉も見失い茫然とパソコン画面を見つめた。

 同僚に体を支えられて休憩室に由紀は向かった。その後ろ姿は自信の微塵もなく悲壮感が漂っていた。社員たちはもっと苦しめばいいと呪いをかけた。

 そんな思いも知らず、由紀は休憩室で座り休んでいた。同僚が寄り添い優しく見守った。

「はい、飲んで」

 心を落ち着かせるためとコーヒーを勧められた。小刻みに震えながらカップを受け取った。目をキョロキョロさせてどこか落ち着かない様子。

「大丈夫」

 由紀の背中を摩りながら冷たい目で見ていた。

「いたのよ…、確かに…」

 声を上げて泣き出した。それと同時に手からカップが滑り落ち、粉々に砕けて黒い液体が床にぶちまけた。暫く泣き続けた。

 同僚の表情は心配を装うも抑えきれず笑顔になってしまった。ずっと望んでいたことが目の前で起こっていて楽しくて堪らない。

 落ち着いたところで社内に戻り続きをした。気まずい空気が流れているが、いつもの自分になるために気丈に振る舞った。仕事の指示や間違いを訂正するも腫物のように見られ、どこか態度が冷たかった。

 由紀は仕事にから解放された。あんな事があったからそそくさと会社を出た。すぐにさとしに電話した。

「もしもし、さとし今から会わない?」

『ごめん、仕事が忙しいから今晩はダメなんだ』

「そう」

『今度の土曜日に逢おうよ』

「わかった、土曜日に」

 電話を切った。どうしても会って今日会ったことを話したかったのに。楽しくない感じを発散したい。別の男に電話をして居酒屋に呼び出して呑んだ。

 ビールの一口は格別においしい。昨日からあった出来事を男に話した。

「マジ,こわ、俺とこ来ないだろうな」

「あんたみたいなバカには来ないわよ」

「よかった、けどさ、お祓いとかしなくていいの」

「そんなことしなくていいわよ、くだらい、誰かの冗談よ」

「本当に心当たりない?」

「知らない」

「男替えすぎて、怨まれていたりして」

 由紀は面白くて大爆笑した。確かに付き合って短い奴もいるから覚えてない。笑いながらビールを一気に飲み干した。

 楽しい気分で男と別れた。まっすぐ駅には向かわず街を歩いた。人ごみに紛れ楽しい気分は一気に冷め寂しくなった。誰も傍にいないなんて初めてかも。思い出したくない黒ずくめの男の顔が浮かんだ。由紀には見えているのにどうして周りにはみえていないのだろうか。まさか幽霊、そんなわけない。でも、何者だろうか、美しくて怪しくて謎に包まれている。恐怖に怯えて慄いているのにその魅力に引き付けられている。複雑な気持ち。

 そう思っていたらべっとりと張り付く視線を感じた。しっかりと捕えて逃さないとねめつけている。

 振り向いて黒ずくめの男を捜すがどこにもいない。無表情で歩く人の顔がいくつもあって、どこにもいなかった。いったいどこで見ているのかー。前を向いて足早に人混みの中を歩いた。歩いても歩いてもその視線から逃れられない。皆が見ている気がしておかしくなりそうだった。家に帰っても誰かがいる気がした。

 翌朝、目が覚めた瞬間、黒ずくめの男の顔があって覗き込むように見ていた。恐怖でもう一度目を閉じ“消えて”と強く念じた。暫くしてゆっくり目を開けると男はいなくなっていた。体を起こして部屋の隅など目を凝らして確認した。どうやらいないようだ。

 ベッドで一息ついて、布団から足を出して下した時、白い絨毯に男の靴跡が二つ残されていた。思わず息をのみ体中が寒気に包まれて、震えが止まらなくなった。本気だということが分かった。あの男は昨日の夜からずっと由紀の後を付いて来ていたのかー。

 何とか這いずりながら出勤の準備をして会社に向かった。通勤道路や電車の中でもあの男がいないか探したがいなかった。けれど、常に誰かに見られている感覚は消えなかった。

 休憩室で休もうとしたが、昨日の同僚が話していた。

「昨日の由紀最高だったよね」

「あたしも思う、いつも偉そうにして嫌だった」

「本当に怯えていたけど、何見たのだろうね」

 同僚を合わせて3人で話していた。

「知らない」

「どっちにしても、あんな顔して楽しくて笑いを堪えるのに大変だった」

 そう、言って3人は大爆笑―一度笑うと止まらない。

 それを聞いた由紀は腸が煮えくり返り、言い返そうと行こうとしたが、3人は笑いながら行った。後ろ姿を見ながら憎しみを込めて睨み付けた。どんな仕返しをしてやろうか頭で算段をした。

 由紀は自分のデスクに着いた。

「あの、大丈夫ですか?」

「何よ、大丈夫よ」

「顔色が…」

「ほっておいて」

 後輩に余計なこと言われ苛立った。朝から怖い思いして仕事に来ているのに、その上、あんな風に思われていたなんて失礼にも程がある。

 午前中は何もなく過ぎていった。いつのまにか視線も消えていた。

 資料の作成や納品書などの最終チェックは由紀のところにやってくる。間違ってないかみていると誤字があった。席を立ち同僚を詰め寄った。

「誤字があったから修正して」

「すいません、間違っていたのを提出したみたい」

 わざとらしく言う。嫌な気分にさせられる。

「こちらが正しいほうです」

「ちゃんと確認してください」

 直した資料を受け取ったが、なんだかバカにされたみたいで腹立たしい。あんな偽善者なんかいなくなればいいのに。

 この日は間違いがあっても皆が正しく悔しくて何もできなかった。いつもなら完璧なまでにできたのに今日に限ってできない。

 急激に緊張が走った。また視線を感じる。絶対にあの男だ、どこかにいるはず。社内の隅々まで探したがいない。姿はなかなか現さない。今度見つけたら反撃してやる。由紀の中の恐怖心を消すため化粧道具にタオルを持ってトイレに行った。気合を入れるため水で顔洗う。タオルで拭いて鏡を見た。

 すぐ後ろに黒ずくめの男が立っていた。また、ニヤリと不気味に笑っていた。とたん由紀は全身震わせて、息も荒くなった。怖さが先行して石みたいに固まり動けずにいた。体ごと男に向けて、両手で胸辺りを押したつもりだった、目の前は白い壁だった。後ろを振り返ると男の黒い背中があった。もう一度両手で背中を押した、するとか鏡で自分の顔が写っていた。何、男をすり抜けたの…。押そうとしたが一瞬ですり抜けていた。この行為を繰り返したが結果は同じだった。

 訳がわからず頭の中パニックに陥った。両手で押そうとしたら、男に手首を掴まれて威圧感たっぷりに睨まれた。少ししてから手首は離され、由紀はタイルの上に尻もちを突いた。自然と涙は流れていて、歯をカチカチいわせて震えていた。

 男の言葉を思い出した『二日後の死ぬ』と。本当かもしれないと思い始めた。じゃ、どうやって死ぬのかな、あの男に聞きたい。それでも嘘だと思いたい。

 何とか手洗いの縁に手をついて立ち上がった。鏡に映っている顔は青ざめ酷いものだった。男はいつの間にか消えていた。何度か深呼吸をして無理矢理気持ちを抑え込んで仕事に集中した。

 仕事が終わり駅に向かう。家にも帰りたくなかった。あの男がいた痕跡があるなんて気持ち悪くていけない。今日は一日イライラして失敗ばかり。張りつめていたのもあるが、あの男の事で頭がいっぱいだった。今も男に視線を感じていて、ずっとどこかで見ているのだろう。

 誰かの肩にぶつかった。

「すいません」

 顔を見て謝ったが、相手はにべもなく見て、不気味に笑ったまま後退していった。周りにいた人々全員が不気味な笑顔のまま一斉に後退した。

 あまりの気持ち悪さと恐怖心に怯えることしかできなかった。とにかく人のいないとことに走った。嫌がらせだとしても度が過ぎている。

 息も切れ切れにどこかの公園だった。ベンチにへたり込んだ。この二日間おかしいことがありすぎて気が狂いそうだ。何をしたっていうのか、間違ったことを正そうとしただけなのにー。できないものには早く気づいてほしいという親切心からいっているのにー。

「由紀―」

  といったままさとしの言葉が続かない。今まできっちりと化粧や服装をしていたのに乱れ、どこかヨレヨレだった。

「どうした」

 さとしの顔見た瞬間、由紀は抱きついて泣き出した。優しくさとしは抱きしめ優越感に浸った。この頼りきっている感じが堪らない。さとしも不気味に笑った。

「僕の家においでよ」

 素直に頷いて、待たれかけるように並んで歩いた。家に着くと由紀は今までの事を話した。

「怖かったね、信じなくて守ってあげられなくてごめんね」

 そういった後、おかしくて笑いそうになった。どうしてこんな目に遭っているか気づいているかな。気づく訳ないか、いつも正当化する由紀だもんね。

 決壊が崩れたように由紀は泣き続けた。そのままベッドに入って眠りに落ちた。

 つかの間の安らぎが過ぎていく。

 朝方、由紀は目を覚ました。横にさとしの顔があって安心した。なんて幸せな時間なのだろう。暫くさとしの顔を見つめた。少し明るくなった日差しの中、さとしが目を覚ました。

「おはよう」

「おはよう、昨日は心配かけてごめんなさい」

「いいんだよ、今回ことと限らず僕にもっと頼ってほしい」

「わかった、ごめんなさい」

「そうだ、朝の散歩に行こう」

 起き上がって、軽く整えて手を繋いで散歩に出た。何気ない風景もとても美しく穏やかに思えた。朝露も名もない雑草も愛おしく優しくなれた。幹線道路から細い路地を通り、土手に来た。そこは二日目前に来たところだった。先が一メートルも見えないほど霧がかかっていた。

「ここって」

「そうだよ、二日前にデートしたところだよ」

 さとしは悪気を含めた笑顔を由紀に向けた。

 さっきまで優しくしていたさとしではない、急に別人に思えた。

「さとし、どうしたの」

 態度が急変して戸惑った。

 由紀の問いかけも答えずじりじりと木に追い詰めた。背中に木が当たると、さとしは無表情で見つめた。

「由紀はわかってないよね、どうしてこんなめに遭っているか」

「さとし、何のことを話しているの」

「やっぱりだ、説明するね」

 さとしは後ろポケットから一枚の写真を取りだし、由紀に渡した。そこに映っていたのはさえない眼鏡をかけた男が写っていた。

「誰?」

「しらないの、昔の僕だよ、由紀が昔働いていた同僚だよ、それも眼鏡コン豚とか言ってあだ名をつけて笑っていた男だよ、整形して由紀好みにしたんだよ」

 体中に悪寒が走る。騙されていたのかと思うと怒りと今まで言ってきたこと全部が恥ずかしくなり、言い返す言葉が見つからなかった。見抜けなかったが情けなくなり悔しさや何やらが入り混じり泣いた。

「イヤーいい顔しているね」

 横から別の男の声がした。見たことのあるシルエットで、近づくにつれ輪郭がはっきりした。そいつは二年前に付き合っていた男。マニュアル通りしかデートができない奴。

「さとし、ありがとう」

「そんなことないですよ」

 お互い笑いあった。

 由紀の前に桜の花びらが落ちてきた。周りを見渡すと狂気沙汰のように桜が咲き乱れ、ピンク色に包まれた。それと同時にいろんなところから男たちが集まってきた。顔を見れば全部昔の男たち。由紀を囲むように二十人くらい集まっていた。

「由紀、今でも好きだよ」

 さとしは愛おしげに囁いた。由紀は余計に怖くなり、何も言えなくなった。ここから逃げたい。

 突然、黒ずくめの男が立っていた。暗い目で由紀を見つめていた。目が合うと離れなくなり嫌でも見つめ続けた。

 後ろから何かにしっかり抱きしめたられた。ゆっくり腰辺りを見ると人間に腕で、桜の木から出ていた。誰かに抱きしめられながら、少し前に出た。

「もう、僕の事は忘れたかな」

 氷柱が突き刺さる低音の声、確か博学な奴―震えながら振り向いた。肩まである髪に細面の顔、由紀は思い出した。

「桜の下には死体が埋まっている」

 その直後、息が苦しくなり、吸えば吸うほど息が詰まった。男にしっかり抱きしめられてどこにも逃れられない。全身の感覚が針に刺されたように狂ったように痛みだし、口から多量の血を吐きだした。

「由紀に言わないといけないことがある、黒ずくめの男に由紀をじわじわ追い詰めて、殺してほしいと依頼したんだ、そしたら桜の下で永遠になれるって」

 抱きしめられたまま耳元で囁かれた。由紀は心の中で何度も叫んでいた。

―嫌よ、誰か助けて、死ぬなんていや―

 言葉にして言いたかったが、血を吐きすぎて言える状況ではなかった。

「由紀、僕らは協力しただけだよ、今までの恨みを返すために」

 一息ついて続けた。

「皆、由紀の最期を見届けるために集まったんだ、よかったね」

 さとしは嬉しそうに言った。目の前の死にかけている由紀が愉快でとても満足。

 息するのも苦しいのに心臓が鷲掴みされたみたいに激痛が走り、一気に吐血し、草木がコーヒー色に染まった。由紀の意識は朦朧とし、体が前のめりになり息絶えた。死んだのだ。

 博学な男は優しく由紀を抱きしめ直した。顔を愛おしげに眺めた。ゆっくり桜の木の中にめり込んで行った。出ていた足や手も木の中に消えていった。最後に血みどろの顔が残り、名残惜しそうにゆっくり木の皮が覆った。跡形もなく完全に消えた。普通の桜の木に戻った。

 黒ずくめの男と由紀の昔に付き合っていた男たちは暫く眺めた。満面の笑みを浮かべた。

 由紀は最後に何を言いたかったのか、黒ずくめの男が言葉にした。

「死に神だったの」

 忽然と黒ずくめの男は消えた。同時に昔の男たちも双方に散らばっていった。

 桜も霧も晴れて元どおりになり、一本の桜の木だけ濃い緑の葉が息吹いていた。





                     了

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