農協おくりびと (39)ワインは、悪酔いする

「だが、どうにも不思議だなぁ・・・」祐三が、溜息をつく。

2杯目のワインが空になり、3杯目を若い者に注がせている時のことだ。


 「貞心尼は憧れていた良寛に、弟子入りしただけのことだろう。

 恋い焦がれていた歌は、いまのところ出てこない。

 2人はただの、歳の離れた師弟だったのではないのか。もしかして?」


 「お疑いはごもっも。では、ちゃんと証明となるような歌などを、

 ご披露したいと思います」


 その前にわたしにも1杯くださいと、妙子がワイングラスを持ち上げる。

「お。いいねぇ、いける口だね。姉ちゃんも」祐三が、嬉しそうにワインボトルを持ち上げる。

赤ワインは、肉によく合う。

高そうな赤ワインを選んでみたが、祐三にはワインの良さがよくわからない。

すすめられるままに、適当に数本のワインを選んだだけのことだ。


 「A5のステーキが来るまで、もうすこし時間がかかる。

 本物のウナギ屋は、客が来てからウナギをさばきはじめたもんだ。

 だから昔は、モノが出てくるまで、1時間半から2時間かかった。

 日本酒を頼み、チビリチビリとそいつを呑みながら、ウナギが出てくるのを

 待つのが、常連の楽しみ方だ。

 ところが今の時代は、味気が無さ過ぎる。

 レンジでチンと温めて、熱々のウナギが短時間でテーブルへ運ばれてくる。

 おっとっと。・・・話が脱線しちまった。

 で、なんだっけ。良寛和尚と、美人の尼さんのその後の真相は?」

 

 酔った目の祐三に、尼僧の妙子がにこりとほほ笑む。

妙子は、祐三が選んだ赤ワインが、すっかり気に入ったようだ。

カチンとグラスを合わせたあと、その後の2人について妙子が語りはじめる。


 「人生そのものが夢であり、人はその時々の気持ちに素直であれば、

 必ず救われるものだと、良寛は説いています。

 良寛と貞心尼は、その後も度々行きあっていますなぁ。

 なんだか、わたしも酔ってきました。

 べろべろになる前に、2人の恋を証明しましょう。

 仏の道と、恋の心の織りなす歌が、なんども2人の間で行きかいます。

 秋の夜に登った美しい月を見て,これこそ仏の悟りの境地という歌を

 良寛が残しています。


 白たへの ころもでさむし 秋の夜の 月なかぞらに すみわたるかも  


 これに対し、仏の悟りよりも永遠に向かい合っていたいと願う貞心尼は

 激しい心の内を、こんな風に詠みあげます。


 向ひいて 千代も八千代も 見てしがな 空ゆく月の こと問わずとも


 東の空が白むまで、あなたと一緒に居たいと告白しています。

 貞心尼はまた、何度も良寛に会いたいと思う気持ちを、こんな風に詠んでます。


 立ちかへり 又もとひこむ 玉鉾の 道のしば草 たどりたどりに 

  

 これに対して良寛が、むさくるしいところですがいつでもどうぞと応えています。

 又もこよ しばの庵を いとはずば すすき尾花の 露をわけわけ


 冬の間。良寛は、貞心尼の訪問を心待ちにしていたようです。

 冬の積雪で貞心尼が長く訪れることが無かった頃。良寛がこんな切ない歌を

 詠んでいますねぇ。


 君やわする 道やかくるる このごろは 待てど暮らせど おとづれのなき」


 「なるほど・・・恋に落ちた老人の心境が、匂ってくるような歌だなぁ。

 70歳で、若い尼僧に恋をしたのか良寛は・・・

 世俗を捨てているはずなのに、やっぱり、色恋だけは別のようだ。

 ところでお前、よく知ってんなぁ。博識だ。

 仏教学部で専攻してきたのは、もしかしたら、僧侶と尼僧の恋愛のほうか?」


 祐三が酔った眼で、真正面から妙子を見つめる。

妙子も負けてはいない。桜色の目が、真正面から祐三を睨み返す。

どうやら2人とも肝心のステーキが到着する前に、美味しすぎるワインのために、

すっかり酔いが回ってしまったようだ・・・



(40)へつづく


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