禁句というのは何ですか?

「――とまあ、こんな感じだ」


 昨日の出来事をそのまま栞に話した。改めて思い出すが、レイが何に怒っていたのかがさっぱり分からない。


「……とりあえず、二つ言っていいかな?」


 今まで黙って聞いていた栞が口を開く。


「何だ?」

「くっだらね」


 一切の感情が込められていないその一言がが耳に届く。


「テレビ番組の取り合いで喧嘩とか、小学生の兄弟がする事よ?」

「いや、昨日のすべらない話は見逃せなかったんだよ」

「言い訳も子供ね。人にはいい歳してとか言ってるくせに、自分だって子供みたいな事してるじゃない」

「ぐっ……」


 栞の言う通りで唸る俺。


「でも、悟史はともかくレイちゃんもそんな事でムキになるなんてね~。意外だな~」

「意外?」

「うん。レイちゃん、ってしっかりしてそうなイメージで、面倒見がいい子だと思ってたから」

「全然だな。わがままで口喧しくてうるせぇたらねえよ」

「それは悟史がだらしないからでしょ」

「そんな事はない」

「嘘つけ。この部屋綺麗だけど、それはレイちゃんに言われて片付けてるんでしょ? 悟史の性格なら散らかり放題のはずよ」

「それは……」

「洗濯物だって干しっぱなしにしないで、ちゃんと取り込んでたたむ。キッチンも洗い残しが無くて片付けられてる。それは全部レイちゃんのおかげじゃないの?」


 その通りだ。レイが来るまではここまで清潔な空間を維持していなかった。部屋には漫画、ゴミ、洗濯物が散乱し、流し場には皿やカップがそのまま。掃除など一週間に一回やるかやらないかの生活をしていたが、レイが来てからは二、三日に一度掃除をするまでになった。今思えば汚い生活を過ごしていただろう。


 まあ、それについてはレイに感謝しよう。だが、今は俺の生活を確認する事ではない。


「それで、二つ目は?」

「二つ目。それはね……」


 栞はお茶を一気に飲んでテーブルに置いた後、ビシッ、と俺を指差した。


「悟史。やっぱり謝りなさい」

「何でだよ。今の話聞いてたか? 俺とレイが喧嘩したのはテレビの取り合いで――」

「そこじゃない」

「あん?」

「あんたが謝るのは、レイちゃんに倒れ込んだ部分」


 倒れ込んだ部分?


「いや、別にぶつかってないからレイは怪我もしてないだろ」

「怪我云々じゃない。あんたが倒れ込んだ態勢に問題なのよ」

「態勢?」

「もう一度言ってみなさい。どういう風に倒れたか」

「え~と、リモコンを取ろうとして腕を伸ばしたけど、バランスを崩してそのまま――」

「その腕はどこに伸びていった?」

「レイの胸辺りだな」

「うん、そうね」

「そんでそのままレイの身体をすり抜けて――」

「待て待て待て! 何続けてるのよ! 今答え言ったでしょ!」

「えっ、どこ?」

「胸よ胸!」

「胸?」


 俺は自分の胸に手を当てる。


「あんたちゃうわ! レイちゃんの胸!」

「レイの胸がどうしたんだ?」

「女性が自分の胸に手を伸ばされて何も思わないわけないでしょうが!」


 ……えっ、そこ?


「なにその「えっ、そこ?」みたいな顔は! どう見てもセクハラじゃ!」

「いや、セクハラも何もすり抜けて触ってないんだけど」

「触れた触れないじゃない! 胸に手が伸びた状況がセクハラなのよ! 相手が幽霊だから許されると思うなよ!」


 バンバン、とテーブルを強く叩きながら栞が説教し始める。


「いや、でも故意に伸ばしたわけじゃ――」

「分かってるわよ。だからレイちゃんもそこでは強く言わなかったんじゃない。怒った原因はその後よ」

「その後?」

「あんた、それから無い無い連呼してたわよね」

「したな。でも、実際に(問題)無いだろ」

「それがダメ」

「何でだよ」

「あんたが無い無い言ってたのが……レイちゃんには、って捉えられてたのよ」


 ……。

 ……。

 ……はぁぁぁぁぁぁ!?


「何でそうなるんだよ!」

「なるわよ。胸に手が伸びた事の意味を頭に入れながら思い返してみなさい」


 ならねぇだろ、と思いながらも栞の言う通りに振り返ってみた。


 ***


『悟史……何か言う事はないの?』

「何か、って?」

『……私に何か言う事があるんじゃないの?』

「お前に? 何を?」

『だから……私の方に倒れ込んだ拍子に……ま、まあ? あれはアクシデントだからしょうがないと言えばしょうがないけど、一言あってもいいんじゃない?』


 ***


 これが胸に手を伸ばされた事について。それから……。


 ***


「別に何もなかったろ」

『いや、私は実体がないから感触はないだろうけど、それでもあれは……』

「感触? 感触もなにも無いだろ」

『……無い、ですって?』


 ***


 ……。

 ……。

 ええええ……。


「悟史は怪我もしてないから無い、ってつもりで言ってても、胸の事を考えてたレイちゃんに無い言ったらそりゃ無い、って思われるわよ」


 ようやく合点がいった。だからレイは着痩せするとか平均的な大きさだとか、スケベだとか言ってたのか。


 とはいえ……


「いや、レイが怒った理由は分かったけど、それはちょっと曲解すぎね?」

「曲解じゃないわよ。レイちゃん、胸が大きくない事気にしてるんだから」

「いや、別にあいつの胸は小さくもないだろ」

「分かってないわね。いい? 女性は胸の事には敏感なのよ。自分より大きい人には憧れるの」

「そうなのか?」

「そうよ。胸は女性が異性に魅力を伝える一番の部分なんだから」


 そんな事ねぇだろ。胸で何もかも決まるわけないし、魅力なんて他にもあるだろうが。


 そう思いながらも口にはしない。それから、栞の胸談義を黙って聞いていた。


「レイちゃんは平均的ではあるけど、正直平均よりは下ね。比べれば分かるかもだけど、レイちゃんは私の三分の一ぐらい。前に来た時も羨望の眼差しを受けたわ」


 意図的か知らんが、こいつ自分の胸の自慢してきたぞ。しかも、レイを比較対象にして。大丈夫か?


「レイちゃんはそれぐらい胸に思い入れがあるのよ。それを悟史は無い無い言って。レイちゃんがどれだけ傷付いたか分かる? 男なら無くてもあると言って気を遣いなさいよ」


 本音を言い合うぐらいの間柄なのに、今さらあいつに気を遣ってどうするんだ。それに、お前だってさっきから無い無い言ってるじゃねぇか。


「肝に命じておきなさい。レイちゃんの胸は小さい。だから、その事に触れる事は禁止、禁句よ。もし、次に胸の事が話題になったら無いとか小さいとかは言っちゃダメ――いったぁぁぁぁ!」


 突然、栞が絶叫をあげた。頭を抱えてテーブルに蹲る。すると、上からテレビのリモコンが降ってきた。


 まさか……。


 前と左右を見渡すが、その姿はない。それからゆっくりと後ろを振り向く。そこには……。


 腕を組んだ状態で仁王立ちするレイがいた。

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